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32 ルシール①
しおりを挟む可哀想な僕のシルフィ。
こんな所に来たせいで酷い目にあったんだね。すっかり痩せちゃった。
見送ったのはほんの少し前の事だったはずなのに……ルシールは輝くようだったあの日のシルフィーラの笑顔を思い出す。
でももう大丈夫だよ。僕が君を連れて帰るから。
それにしても気に入らない。
何であそこで飛び出すのさ。
それで一体何のための指輪だよ。
シルフィーラには指一本触れずに返して貰うって約束だったのに……。
その青い双眸は鋭く憎々しげにフェリクスを映していた。
*
僕はあの日、生まれて初めて人が恋に落ちる瞬間を目撃した。
まだ寒い冬の日の事だった。
面倒な講義からちょっと抜け出してふらふら歩いていたんだ。
「ルシール!どこに行ったの?」
シルフィの声がする。きっと逃げた僕を捕まえに来たんだろう。
「……もう!また逃げたわね!」
逃げたけど、迎えに来てくれたのなら捕まってあげるよ。君になら大歓迎だ。
僕の美しい従姉妹。そして何よりも大切な女の子。
きっと僕を見つけて眉を吊り上げて怒るのだろう。
でもその顔もとても好きだ。
ふと視線を横にずらすと見た事のない顔の…貴族だろうか。騎士の様な風体の長身の男が息苦しそうに胸を押さえ、急に膝から崩れ落ちたのだ。その様は急病人に見えたが違う。すぐにそう確信出来たのは、彼の視線の先にいたのがシルフィーラだったから。
美しいシルフィーラ。僕の世界で一番の宝物は見る者すべてを一瞬で虜にしてしまう。
あんなに苦しそうにして可哀想に。でも残念だけどあの子は僕のものなんだ。
「君、ちょっと。」
そして僕は通りがかった侍女を呼び付けた。
「あの人具合悪いみたいだから介抱してあげて。」
僕は寛容なんだ。
だから見るくらいは……密かな片恋をするくらいは許してあげるよ。
*
「シルフィーラが結婚!?」
「ああ。テオドールが喜んでいた。“実に素晴らしい青年だ”と。」
「嘘でしょ!?叔父上がシルフィを手放すって言ったの!?」
「それはまだわからない。すべてはベルクール卿次第だろうな。」
朝食の席で父の口から語られた内容は、とても“ああ、そうなんですね”とすぐ納得出来るものではなかった。
今まで頑なにシルフィへの縁談を断り続けてきたアルヴィアの叔父上がなぜだ。
僕だって叔父上にシルフィとの婚約をさり気なくだが何度も話題にして来た。けれどその度にやんわりと断られ続けてもう何年も経つ。
ベルクール卿……国防の要と呼ばれる難攻不落の砦を守る辺境伯。シルフィの相手としてはまったく想定外の人物だ。
一体ベルクール卿はどこでシルフィの事を知ったんだ?社交界の華とまで言われもてはやされる彼女をまさか公爵位の一点のみで選んだ訳じゃないだろうに。
部屋に戻った僕はすぐさま影に命じてベルクールの草に指令を送った。
“フェリクス・ベルクールとその周辺について仔細に観察し、報告しろ”と。
しばらく経って僕のところに上がってきた報告は、それはそれは素晴らしいものだった。
能力・実力共に問題無く領地経営は順風満帆。民からの信頼も厚い。
だが一つだけ引っ掛かる項目があった。
「……母方の親族であるバジュー男爵家より一人娘を預かり養育中……?」
従姉妹か。誰よりも近い異性だ。僕とシルフィーラのように……。
「ねぇ、このバジュー男爵家についてもっと調べてくれる?従姉妹とやらも。」
そうして再び届いた報告に僕は笑いが止まらなかった。
バジュー男爵家の現状からローゼリアという従姉妹を引き取った過程と現在の暮らしぶり。報告書はベルクール邸で働く使用人達の証言まで詳細に纏められていた。
「何?こんなお粗末な家にシルフィをやるだなんて、叔父上も正気なの?」
我が身が政争の火種になる事を危惧し、幼い時分に自ら臣籍降下を願い出た優秀な弟殿下テオドール。性根の優しい彼は兄を心から尊敬し、愛していた。
そしてテオドールは願い通り臣籍降下しアルヴィア公爵の名を賜った。彼は現在順位は下位なれど王位継承権を持っている。
彼に王位継承権を放棄させなかったのはルシールの父で国王のエドガールだったと言う。
弟が王位継承権の永久放棄を願い出た時、まだ後継ぎの無かったエドガールは臣下を全員下がらせた後に言ったそうだ。
私の身に何かあった時はお前がこの国を率いて行けと。そして弟は兄の信頼に涙を流し頷いた。
その後エドガールは三人の男子に恵まれたが、何故かテオドールの王位継承権を放棄させる措置は取らなかった。
「今でもそれがなぜなのかは不思議に思うけど……ふふ、でも父上のお陰で彼を追い払ういい口実が出来たよ……」
ルシールは美しい白金の髪を揺らしながら嗤った。
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