婚約者の恋人

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31 フェリクス③

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 母の死後、用事があって訪れた王宮で私は二度目の奇跡に遭遇した。

 同じ回廊、同じ景色。あの日の事を思い出しながら歩いていただけだった。
 だがそこにまた彼女はいたのだ。
 後ろ姿だったがすぐにわかった。
 そして側には同じ髪色が二人。顔立ちからして兄だろう。
 私はまた柱の陰に隠れて深呼吸をした。
 あの日は調子が悪かったのかもしれない。きっと今日は大丈夫なはずだ。そんな事を自分に言い聞かせながら恐る恐る顔を出した。
 だが駄目だった。
 やはり彼女をしっかりと目にした途端あの日と同じ症状が襲い掛かって来た。しかもあの時よりももっと激しく。
 成長した彼女からはあどけなさが消えて、身体は女性らしい曲線を描いていた。
 またしても立っていられなくなり膝から崩れ落ちる自分が情けなかった。
 訳がわからない。女性なら今までだって良いも悪いも大勢見てきた。その誰にだってこんな感情を抱いた事などなかった。結婚だって悪くない相手ならそれで良いくらいにしか……。
 いや出来ない。
 何でもっと早く気付かなかったんだ。彼女を初めて目にしたあの日から今まで一日でも考えない日があっただろうか。
 自分はあの人に恋をしているんだ。

 信じられない事は今までにも山ほど起きた。
 だが人生で一番に挙げられるのはこの時の自分の行動だろう。
 幸いと言うべきか登城するためにベルクール伝統の衣装も着ている。
 私は震える身体を何とか奮い立たせ、アルヴィア公爵邸へと向かったのだった。

 *

 前触れもなく突然やって来た私に相当驚いただろう。しかし父と旧知の仲であったアルヴィア閣下とは何度か面識もある。閣下は嫌な顔一つせず快く出迎えてくれた。

 「シルフィーラを妻に!?」

 凄い顔だ。そんな話だとはこれっぽっちも思っていなかったのだろう。
 自分の想いの丈を伝えた後も閣下はずっと難しい顔をしていた。しかし奇跡は起こるのだ。
 閣下はベルクール領の安全を示す事を条件にシルフィーラ嬢を私に預けて下さると約束してくれたのだ。

 そこからはどうやってベルクール領に帰ったのかもよく憶えていない。
 ただ嬉しくてたまらなくて、ひたすらに馬を走らせた事だけは憶えている。


 *
 

 それからはとにかく領地の平定に努めた。ほんの些細な危険すらも彼女に近付けないために。そしてそれは一年のうちにようやく終わった。最後にやらなければならないたった一つを除いて。
 それはローゼリアをこの屋敷から出す事だ。
 シルフィーラ嬢にとってローゼリアの存在はとても認められたものではないだろう。
 いつまでたっても自身の身の振り方について結論を出さないローゼリアに私は三つの選択肢を用意した。
 一つはどこかの子息の元に嫁ぐ事。
 そして二つ目はバジュー領に戻り暮らす事。
 最後はこのベルクール領の市井で働きながら生計を立てて暮らす事だ。
 支度に際し限度はあるが充分な支援をする事も約束した。
 最初は何だかんだと言い訳をしながら喚いていたローゼリアだったが最後には諦めたように納得し、しかるべき相手に嫁ぐ事を選んだ。

 「……嫁ぐまでの間はここに住んでいてもいい?」

 「ああ。これからいくつか候補を絞って打診する。まだ少しかかるだろうからそれは構わない。」

 ここには良い思い出など何一つない。
 ローゼリアが去ったあとは壊そうと決めていた。だから住む事を許したのだ。

 しかしそれからすぐの事だった。
 今まで鳴りを潜めていた国境の少し先、隣国リンデルとの境に生きるゲルン民族がベルクール領に攻め込んで来たのだ。
 最初はリンデルがゲルン民族と結託して我が国に戦争を仕掛けてきたのかと疑った。
 だがリンデル側はゲルン民族との関係を一切否定した。だがしかし解せなかった。人員や資金面で明らかにゲルン民族に加担する勢力があるとしか思えない戦いぶりだったからだ。
 退けはしたがまたいつ襲ってくるかわからない。
 シルフィーラ嬢を迎える準備が整いつつあった矢先の出来事に私は落胆した。
 しかし落胆する私に更に追い打ちをかけるように王宮から知らせが届いたのだ。
 “急ぎ登城するように”と。

 
 *


 案内されたのは謁見の間ではなく、王族の居住区にあるごく私的な空間だった。
 そして驚いたのは私を呼び出したのは王ではなく第二王子のルシール殿下だと言う。
 
 「やあ、僕の顔は見た事あるよね。忙しいのに悪かったねベルクール卿。」

 にこにこと屈託の無い顔で笑う彼の髪と瞳もやはり王族特有の色だ。
 この頃は夢にまで見る彼女を思い出し、つい見入ってしまう。

 「殿下、今日はどのようなご用件でしょうか。」

 「うん。その前にちょっと確認したいんだけど、卿がシルフィーラに求婚したって本当の話なの?」

 なぜそれを殿下が知っているのか私は疑問に思ったが、王族の血を引く公女の縁談だ。アルヴィア閣下から王家に話が行っていたとしても何もおかしい事はない。

 「その通りです。それがどうかしましたか?」

 素直に答えた私に殿下は少し眉を上げた後、今度はさっきとは打って変わったような冷たい目を向けてきた。

 「最近ベルクール領にゲルン民族が戦いを仕掛けて来たでしょう?あれって本当に退けたの?」

 そうか……きっと殿下は従姉妹の身を心配しているのだ。二人は名前を呼び合うほどの仲。幼い頃から兄妹のように育って来たのだろう。
 それならこの態度も充分理解できる。

 「はい。再び仕掛けて来るやもしれませんが我がベルクール領は強固です。決して破られはしません。ご安心下さい。」

 しかし殿下はそんな私の答えを嘲笑うように続けた。

 「違うよ。僕が言いたいのはさ、君、叔父上を旗印にしてこの国を乗っ取る計画を立ててるんじゃないのって事。」

 「なっ、何を根拠にそんな事を!我らの忠誠を疑うおつもりですか!?」

 ベルクールの民は何世代もの間自分達の血を犠牲にして国のために戦ってきた。こんな言い方はいくら王族と言えど侮辱もいいところだ。

 「僕達には各地に放ってる“草”がいてね。君も聞いた事くらいあるでしょ?それで君の所にいる草が教えてくれたんだよ。ゲルン民族をベルクール領内に招き入れた奴がいるってね。」

 「そんな!一体誰がそんな真似をしたと言うのですか!?」

 「バジュー男爵だよ。君がベルクール邸で預かってる従姉妹の家なんだって?」

 
 フェリクスは真っ白に染まった頭の奥で、何かがボロボロと崩れ落ちるような音が聞こえた気がした。
 

 
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