婚約者の恋人

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29 フェリクス①

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 「どうぞお掛けになって下さい。ポール、茶の準備を頼む。」

 ルシール王子の提案で移した場所は、幼いあの日バジュー男爵からローゼリアを引き取ると啖呵を切った応接室。
 手を麻縄で縛られ涙を流す息子にポールも顔を顰めたが、彼も既に覚悟が出来ていた事だ。
 茶を淹れるその手つきに動揺は一切見られない。
 ソファに座るとポケットにしまっていた小箱が窮屈そうに肌を押してくる。
 
 全てが終わるまで黙っている約束だった。けれどこの指輪がローゼリアの手の中にあるのを見た瞬間我慢が出来なくなった。そして身体が勝手に飛び出して行ってしまった。

 無駄な事だとわかっていてもどうしても自分の想いを伝えたかった。
 どうせ今日あなたがここを去ってしまうのだとしても……


 ***

 
 ローゼリアが部屋を出て行った後もフェリクスは窓の外の青い空を眺めながら、この数日で自分の身に起きた出来事を考えていた。  
 
 国王陛下への謁見のため訪れた王城。
 以前来た時は隣に父が居た。
 いつかはこんな日が来るとは思っていたが、それはきっともっと先の事だろうと頭の中で漠然と思っていた。
 ベルクール辺境伯領は国防の要。ベルクール領に住む民は何世代にも渡り自分達の住む土地を脅かされながら暮らして来た。時には踏み荒らされ、血を流す事も。
 ベルクール家に生まれた男子は父も祖父も……何代にも渡り外敵を退けあの地を守ってきた。
 だがついに自分の番が来たのだ。
 覚悟はもうとっくにできている。
 フェリクスは王の待つ広間へと足を進めた。

 「よく来たなベルクール辺境伯。先代……アドルフの事は非常に残念だった。そなたも辛かったであろう。」

 久し振りに謁見した国王エドガールは老いを感じさせぬ張りのある声を響かせた。
 王家特有のプラチナブロンドの髪とサファイアのような美しい瞳は、若い頃と同じように曇りなく光輝いている。
 
 「勿体ないお言葉です陛下。ですがあのような終わり方は父も無念だったと思います。」

 「そうだな……だがしかしアドルフはそなたのような立派な息子に恵まれたのだ。そなたならアドルフの後を立派に継いでくれるだろう。……そう言えば卿、結婚の予定は?」

 予想もしなかった王からの質問にフェリクスは少し戸惑った。

 「いえ……まだなんの予定も……。」

 「そうか。しかしこうなってしまったからにはそろそろ考えんとな。後継ぎを残すのも当主の努めだ。」

 「はいそれは……。肝に銘じます。」

 フェリクスは王都を訪れるのは久し振りなので、視察も兼ねて市井の様子などを色々と見て回ってから帰る旨を王に伝え謁見の間を出た。
 正門に向かって回廊を歩いて行くとまだ冬だと言うのに庭園には小さな花が咲いているのが見える。
 ベルクールの春はまだまだ先だと言うのに、ここにはもう暖かな光が届いているのだな……。
 だがその時、自分の暮らす土地との距離を感じ思わず立ち止まるフェリクスの耳に、どこからか少女の声が聞こえてきた。

 「ルシール!どこに行ったの?」

 まだ少し幼さの抜けない声が呼ぶ“ルシール”とは王国の第二王子の名前だ。それをこの王宮内で堂々と敬称無しで呼ぶなどと……。まさか王子の婚約者だろうか。しかしそんな話は噂すら聞いていないが……。
 フェリクスは思わず回廊の陰に身を隠した。
 相手の素性がわからない以上は関わるのも面倒だと思ったのだ。
 声の主が通り過ぎるまでこうやってやり過ごそう。そう思って静かにしていると足音と声は段々と近付いてくる。

 「……もう!また逃げたわね!」

 どうやら王子に対して怒っているようだ。それならやはり隠れて正解だ。機嫌の悪い女性ほど扱いに困るものはないと言う。
 きっとすぐに立ち去るだろう。そう思っていたのに待てども待てども足音が聞こえない。
 一体何をしてるんだ……?
 柱の陰からほんの少しだけ顔を出したこの時の行動が、私は今でも正しかったのかそうでなかったのかわからない。
 自分の隠れる少し先に立っていたのはまだあどけなさの残る少女だった。
 しかしその髪は王家特有のプラチナブロンド。瞳はさっき見た国王陛下のそれよりもずっと大きくて、まるで大粒のサファイアのよう。
 自分の目が、頭がその姿を認めた瞬間激しい動悸と目眩に襲われた。立っていられなくなるほどだった。
 早くここを立ち去らなければと思うのに目が離せない。身体は火を噴いたように熱くなり、手の平は汗ばんでいた。
 そのうち少女は何か思い出したようにどこかへと立ち去って行った。
 私は助かったとばかりに大きく息を吐き、崩れるようにして床に両膝を付き硬い石の柱に頭を預けた。熱い額がひんやりと気持ちいい。

 「何だったんだ今のは……。」

 思わず声が出ていた事にも気付かぬほどに、この時の私は気が動転していた。
 あの髪と瞳……王家に女子はいないはず。いや、いる。正確には王家ではないが王弟で臣籍降下されたアルヴィア公爵閣下だ。確か閣下には末に娘が……。

 「あの、お加減は大丈夫ですか?」

 「え?」

 不意に話し掛けられて振り向くと、自分の周りには王宮勤めの侍女が心配した様子で立っていた。

 「先程騎士様がお倒れになる姿を見ていた方からお助けするようにと……」

 侍女達はオロオロとした様子でこちらを見ている。まさか倒れ込む瞬間を誰かに見られていただなんて大失態だ。
 しかし自分を“騎士様”と呼ぶと言う事は身分まではバレていないだろう。

 「もう大丈夫です。ご心配お掛けしてすみません……うわっ!」

 立ち上がろうとしたが足腰に力が戻らない。激しい動悸もそのままだ。
 一体これは何なんだ。

 フェリクスはしばらくその場から動く事が出来なかった。

 

 

 
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