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 家の中は一人で過ごすのにちょうどいい家具が揃えられていた。
 もしかして恋人と過ごすための家では?
 一瞬そんな考えが頭をよぎったが、この様子だとそれも無さそうだ。

 フィランはソファにエリーシャをゆっくりと下ろすと“少し待っていて下さい”と言って出て行った。
 しばらくして戻って来たフィランは水が張った桶を手に持っていた。
 そしてエリーシャの足元にそれを置き

 「少し沁みるかもしれませんが我慢して下さい。」

 そう言って裸足のままのエリーシャの小さな足を手に乗せた。

 「フィ、フィラン様!私自分でやります!」

 「いえ、両足ですから難しいでしょう。お気になさらないで下さい。」

 気にする。気にします。
 こんな泥だらけの足を好きな人に洗わせるなんて。

 「……っ痛……」

 思わず出た声にフィランの手が止まる。
 石の上を裸足で走ったのだ。
 薄皮が剥けて血が滲む足に水が沁みて痛い。
 するとさっきよりもフィランの手の力は優しくゆっくりになる。
 少しでも痛まぬようにと心を砕いてくれているのだろう。
 エリーシャは自分の目頭が熱くなるのを感じていた。

 初めてフィランを見たのはまだ十にも満たない年の頃だった。
 勝利を収め帰ってきた竜騎士達を讃える式典で、誰よりも輝いていた人がいた。
 銀糸のようにきらめく長い髪を一つに束ね、真っ直ぐに前を見つめる彼の姿はまるでそこだけ切り取られたように浮き出て見えた。
 彼から目が離せなくなり、気付けばいつも彼の姿を探すようになった。
 何度も無理をして式典を見に行った。
 身体の事もあって正式に出席する事は難しい。だから物陰からこっそり見ているだけだったけど、それでも一目彼の姿を見れればそれだけで幸せだった。
 しかしそんなある日……宰相が部屋にやって来たあの日から、エリーシャはフィランをただ見ているだけでは我慢できなくなった。
 国の役に立て。王族の役割を果たせ。
 そんな事はわかっている。
 いつかそうしなきゃいけない。それはいつも頭の中にあった。
 けれどそれが現実となった時、エリーシャは今までに感じたことの無い焦燥感のようなものに襲われたのだ。
 そしてその時悟った。
 見ているだけでは到底満足出来ないほどの欲が自分の中にある事を。
 ずっと欲しかったのだ。フィランという男が。
 それからずっと毎日願った。
 抱かれたいと。
 フィランは自分よりも十歳も年上だ。
 裸を見せてもこんな子供に欲情などしてくれないかもしれない。
 それでも諦められない。
 同情でいい。遊びでもいい。忘れてくれて構わない。
 その一瞬のためなら死んだっていい。


 やっとそれが言える。


 「……フィラン様……」

 エリーシャの手足を洗い終わったフィランに頭の上から声を掛ける。

 「……どうか私のお願いを叶えて下さい……」

 フィランが顔を上げるとエリーシャは悲しく、苦しそうな表情をしていた。

 「姫……?」


 「……私をフィラン様のものにしてください……一度だけでいいの……愛して下さい……!」


 

 
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