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しおりを挟むクィンシーはひとしきり笑ったあと、涙の滲む目をアーヴィングに向けた。
「いや、すみません。アナスタシア殿下があなたを選んだ理由がなんとなくわかりました」
(今の失態で!?)
まさかアナスタシアはこれまでにも出来の悪い男を好んで側に置いたりしていたのだろうか。
わかりやすく表情が沈んでいくアーヴィングに、クィンシーはまた少し笑いを漏らした。
「すみません、どうやら私の言い方が良くなかったようです。あなたは貴族には珍しく、とても心の綺麗な方のようだ。そういう意味で、殿下があなたを選ばれたことに納得したのです」
「俺の心が綺麗……ですか?」
「ええ。私は王宮侍医ですので、当然診るのは王族の皆様方の体調です。大抵の方は情報を得たいがために私を褒め称えることが多い。けれどあなたのさっきの発言はまるで下心が感じられませんでした」
王族の体調管理を任されているクィンシーに取り入ろうとする者が多いだろうことは、容易に想像できる。
彼を取り込めば、薬と偽って国王に毒を飲ませることだって可能だ。
そんな人物に向かって“もっと堅い雰囲気の人かと思った”などという発言をしたアーヴィングは、さぞかし脳天気に見えたことだろう。
今更ながらに羞恥で震えそうだが、どうやら好感を与えることができたようなのでよしとする。
アーヴィングは来客用の椅子に着席を促され、腰を下ろした。
「さて、殿下の病気について知りたいとのことでしたが……どこからお話しましょうか」
「ご迷惑でなければすべて教えていただけないでしょうか。シア……アナスタシア殿下の冒された病とはいったいなんなのですか?」
「……その病気の名はランドルフ病といいます。最初に発見したランドルフ医師の名前がつけられたその病気は、未だなにが原因で発症するのかわかっていません」
クィンシー曰く、その病は乳幼児期に発症することがほとんどだという。
「最初に現れる症状は突然の高熱です。乳幼児の高熱は良くあることですが、ランドルフ病は5日以上経っても下がりません。両目は充血し、唇は赤く腫れて亀裂ができ、血が滲んで痛みます。 そして舌は異常なほど赤くなり、手足や体に大小さまざまな形の赤い発疹が出現する。首のリンパ節は大きく腫れて痛み、手のひらや足の裏が赤黒くなり、手足の指先が赤く腫れる」
クィンシーから語られるランドルフ病のあまりに酷い症状に、アーヴィングは耳を疑った。
(シアが、そんな酷い目にあったというのか)
「症例を研究する過程で、この病気は全身の血管に炎症を起こさせるものなのだということがわかりました。そして再発の危険があることも。……残念なことに今の医学ではこの病気への治療法は確立されておりません」
「でも、シアは生きてます!」
「ええ。運良く乗り越え症状が治まったあとは、普通の人と何ら変わりありません。あくまで見た目は……ですが」
「では、体内になにかがあるというのですか?」
おや?とでも言う風にクィンシーは大きく目を見開いた。
「アーヴィング殿もご存知かと思いますが、市井に暮らす者たちは高額な医療費を支払うことが難しい。なので治療を受ける代わりに死後、その身体を未来の医療のために差し出すということがよくあります」
クィンシーはその中でも、アナスタシアと同じ病にかかった者たちの解剖にあたってきた。
そして彼らにはある特徴があるのだという。
「多くの患者に、心臓を囲むようにある血管に瘤があったのです。彼らは皆短命で、原因はその瘤であると考えられています。そしてそれはいつ暴れ出すか誰にもわからない」
「では殿下の心臓にも同じような瘤があるのですか」
「それは開胸してみないことにはなんとも言えません。しかし開胸したところで治療ができるわけでもない」
瘤がなかった者が必ずしも長生きかと問われれば、それは違うとクィンシーは言う。
「要は、人の運命など誰にもわからないということなのでしょう」
「ではなぜ殿下に余命のことについて言及したのですか?」
『三十歳まで生きられれば幸運だ』なんて、決して未来ある子どもに言う言葉じゃない。
それを聞いたアナスタシアがどれほど絶望したことか。
「その話は殿下からお聞きになったのですか?」
アーヴィングが頷くと、クィンシーは困ったように微笑んだ。
「それは私ではなく、当時の筆頭侍医が言ったことなのです。寝ている殿下の枕元でね。だが殿下は起きていた。賢い方ですよ。大人は絶対に真実を教えてはくれないだろうと、寝たふりをして私たちが口を滑らせるのを待っていたそうです」
「えぇっ……!?」
「その後私どもも症例などを説明しながら何度か“先のことはわからない”と申し上げたのですが……前筆頭侍医の発言も、まったくのデマというわけではありませんからね。すべてを信じてもらうことはできませんでした」
出会ってから今日まで、アナスタシアには驚かされてばかりだが、今回もまた凄まじい衝撃だった。
クィンシーから症状を聞く限り、発症当時のアナスタシアは重篤な状態だったはずだ。
それなのに狸寝入りして医師が口を滑らすのを虎視眈々と待っていたと言うのだから。
「本当に……なんて強い人なんだ……」
アーヴィングが思わず漏らした言葉に、クィンシーは首を振る。
「本当にそうでしょうか」
「え……?」
「アーヴィング殿はなぜお一人で私の元に来られたのです?」
「それは殿下が、自分がいたら聞きたいことも聞けないだろうと……」
「二人の未来に関わることなのに?」
「やはり、病気のことを私に知って欲しくなかったのでしょうか」
「どうでしょうね。本当のところは殿下にしかわかりませんが……今回のことはいつも強気な殿下らしくありませんね」
確かに、言われてみればそんな理由でアナスタシアが席を外すなんて少しおかしい、
いつものアナスタシアなら、聞きたいことが聞けないどころか、聞かなくていいことまで教えてくれそうな気がする。
それにあの時のアナスタシアは、いつもと様子が違うように見えた。
「強い人間ほどその根底には弱さを抱えているものです。弱さを知らなければ強くなることもできませんからね。ですからどうか、些細な異変を見逃さないでください。殿下はきっと、あなたにしか見せないでしょうから」
アナスタシアは、あの時何を考えていたのだろう。
アーヴィングは今すぐアナスタシアの元へ駆けつけたい気持ちに襲われた。
(でも、まだ駄目だ)
一番大切なことを聞けていない。
「ではクィンシー医師、最後に聞きたいことがあります。私たちが夫婦生活を営み、子どもを迎えることは可能ですか?」
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