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 「お祖父様はね、早くお父様に国王の座を譲って、お祖母様と一緒にこの地で余生を送ろうと考えていたそうよ」

 「前王妃陛下と……」

 「そう。でもお祖母様はお祖父様が思うよりもずっとずっと早くこの世を去ってしまって……お祖母様を失った悲しみを政務にぶつけていたお祖父様も、結局最期は王宮で亡くなってしまったわ。この霊廟は、お祖父様の最後の意志で建てられたの」

 アーヴィングは昨日自身が泊まった館を思い出した。主のいない館がなぜあれほどの造りであるのか不思議だった。だがアナスタシアの話を聞いて、それが前国王夫妻を迎えるためであったのだと納得した。

 「ですが……どうして前国王陛下はそんなにもこの地にこだわったんですか?」

 「……この小麦畑の黄金色の海がね、お祖母様の髪の色にそっくりだったからだって」

 「あ……」

 アーヴィングは言葉に詰まった。
 それは、さっきこの道をきた時に、自身がアナスタシアに感じた想いと一緒だったから。
 この黄金色が、彼女の髪のようだと。

 「お祖母様のことが本当に大好きだったのね。きっとここに立つたびに、お祖母様に抱き締められているような気持ちになったんだと思うわ」

 父であるラザフォード侯爵と、実の母がどんな関係であったのかはアーヴィングにはわからない。だが継母とでさえあの有様だ。そこに純粋な愛があったとは考えにくい。
 貴族の夫婦関係とは、体面を保つためだけのものだと思って生きてきた。
 けれどアナスタシアは違う気がする。アナスタシアには心がある。

 「あのね、アーヴィング。私、あなたと一緒にこの地を治めたいと思っているの」

 「は!?」

 「ふふ、驚くわよね……でも本気よ。私はラザフォード侯爵家には嫁がないわ」

 ラザフォード侯爵家に嫁がない?
 それは、アーヴィングと結婚するつもりがないと言っているのだろうか。
 では結婚の申し込みはやっぱり冗談で、父親のようにアーヴィングに領地の経営をさせるために引き抜こうとしただけなのか?
 そして甘い言葉を餌に一生縛りつけて働かせようと……
 突如急降下を始めたアーヴィングの思考に気づいたのか、アナスタシアは慌てて口を開いた。

 「ちょ、ちょっとアーヴィング!?戻ってきてちょうだい!!私が嫁ぐのは正真正銘あなたよアーヴィング!」

 「ですが今殿下はラザフォード侯爵家には嫁がないと……!!」

 「あなたとは結婚するけれど、あなたを苦しめたあんな家に嫁いでやる気はないって言ったのよ」

 「……え?殿下……いったいなにを言って……」

 自分と結婚するのなら、ラザフォード侯爵家との縁は切っても切れない。
 アーヴィングにはなんの力もなければ有力な後ろ盾もない。ないないづくしだ。
 情けないが、アナスタシアを迎える準備すら、自分ひとりの力ではできないのだ。

 「ラザフォード侯爵家となんて縁が切れたって平気よ。あなた、いったい誰と結婚すると思ってるの?私はグランベルの王女アナスタシアよ?あなたは私とともに新しい名前を授かるの。そしたらあの家族ともすっぱり縁を切って、このマルデラの地で一緒に暮らすのよ」

 「そんな……そんなこと……」

 あるはずがない、とは言えなかった。
 だってアナスタシアは嘘をついたりしない。
 まさか本当にあの家から解放されるというのか、自分が。

 「そんな顔しないでアーヴィング。あなたはただ、あなたらしく生きてくれればそれでいいの。そしてその先で、ほんの少しでも私を好きになってくれたら嬉しい」
 
 「そんな……そんなの……殿下になんの得があるんです……?」

 「損得じゃないわアーヴィング。あの日、あなたは私の心に深くその姿を焼きつけた。私は今、自分の心に従って動いているの。言ったでしょう?私は、あなたを幸せにしたい」

 アナスタシアはアーヴィングの手をとり、優しく手のひらを重ね、擦った。
 心を覆い隠していた澱のようなものが、ポロポロとこぼれ落ちるようだった。
 アナスタシアの言葉が、これ以上傷つかないようにとずっと隠していた、柔く傷つきやすいアーヴィングの心を露わにした。

 「お、俺は……怖くて……」

 「……うん」

 「あなたを愛して……その先で捨てられたらと思ったら……!!」

 「私がそんな薄情に見えるの?」

 「ち、違っ……違います……俺は、あなたほど優しい人は知りません……!!」

 「優しいのはあなたの方よ、アーヴィング」

 「俺が、優しい?」

 「ええ。だって、私との未来を考えてこんなに涙を流してくれるんだもの」

 「あ……」

 そう言われて初めて、アーヴィングは自分が泣いていることに気づいた。
 涙なんて、とうの昔に枯れ果てたと思っていたのに。
 なぜアナスタシアはこんなにも簡単に、自分の心を丸裸にしてしまうのだろう。
 いや、“なぜ”じゃない。自分はその理由をもう知っている。
 アナスタシアの前ではなにも取り繕う必要がないからだ。隠す必要もない。だって……

 ──だって、彼女は自分を傷つけない

 「俺が……俺が側にいてもいいんですか?本当に?」

 「あなたがいいの」

 「……っ!!」

 声は上げなかったが、アーヴィングは泣いた。アナスタシアはなにも言わずにアーヴィングを抱き締め、自分よりもずっと大きな背を何度も何度も擦った。

 「……アーヴィング、この旅であなたに嫌な思いをさせるかもしれないわ」

 アーヴィングを抱き締めながら、アナスタシアは言う。
 わかっている。それはゴドウィンの態度を目の当たりにした時点で少なからず覚悟していたことだ。
 
 「わかっています」

 もう、迷いも揺らぎもしない。
 認めさせる。アナスタシアの側にいるために。
 
 


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