上 下
27 / 125
第一章

26 声

しおりを挟む





    今までよほど張り詰めていたのだろう。
    保養地に来てしばらくは慣れない場所に緊張していたが、何事もなく数日が過ぎ、ここは安全な場所なのだと感じられた途端に力が抜けた。
    温泉につかり身体を温めると眠くなり、目が覚めて侍女の用意してくれる食事を食べるとまた眠くなる。血色の悪かった顔は元に戻り、目の下のクマもいつの間にか消えていた。
    しかしハニエルのつけた痣だけはアマリールの心に残る後悔のように未だ消えずにいた。

    目を閉じれば夢に見る。どこまでも優しかったあの頃のハニエル様。そしてただそれだけを支えに生きた日々を。 

    『待っていてねアマリール。もう少しだから…。』

    聞いても答えてはくれなかった。けれどあの日、真剣な顔で彼が言った言葉にはどんな意味が込められていたのだろう。もう少しで何が起こったと言うの…?
    まさか…いや、そんな事あり得ない…。
    頭に浮かんだ疑問。すぐに打ち消してはみたものの、ある一つの可能性が頭から離れなかった。
    でも…もしもあの時のハニエル様も私を愛してくれていたのだとしたら…?
    もしかしたらハニエル様は私を離宮から連れ出す計画を練っていたのでは?それが今生では私が殿下に襲われて、その後彼を頼って結ばれてしまった事で計画が早まったのだとしたら…。
    私はとんでもない思い違いをしていたのかもしれない。少し前まで今の私はローザ様が人生をやり直すために与えられた駒のようなものだと思っていた。でも違う。確かに今生で起こっている事はタイミングは違えど前世で起こった事と一致する点が多い。なのにそれぞれの結末はローザ様のためではなく私のために出されたものだった。そしてそれは殿下が私を思って決断してくれた事…。   
    でも前世の殿下は心底私を疎んでいた。今生とは違うわ。
    …でも…もしそれが違っていたとしたら…?
    釦のかけ違えのように私が少しずつ思い違いをしていたのだとしたら…。
    あの頃…私の知らない何かが起こっていたのだとしたら…?


    《よく気付いたね》


    ……誰?
    頭の中を不思議な声が木霊する。

    《僕は君をこの生に導いた者だよ》

    私を導いた人…?
    それなら教えて欲しい。どうしてもう一度同じ人生を歩ませるのか。

    《君達一人一人には僕のような“見届ける者”がいるんだ》

    “見届ける者”…?
    私達一人一人の人生を始まりから終わりまで見届ける役目という事?

    《そう。普通なら人生が終わればそれで全ておしまいなんだけど…君の人生にはとても邪魔が多かった…見ていられないほどにね…》

    邪魔…?私が悪いからこうなったんじゃないの…?

    《君の選択が全く悪くなかったとは言えないし…でも否定もできない。ただね、この生で気付いて欲しかったんだ。君の人生に干渉した力について。》

    干渉した力…さっき言っていた邪魔の事?

    《いいかい?まずは今生での自分を取り戻すのが先だ。》

    今生での自分を取り戻す?どういう事?

    《少し予定が狂ってしまったけど、君が全てを思い出したら

    戻す?どこへ?

    《やり直しは一度きりだ。後悔しない人生を…》


    そこで声は途切れてしまい、再び私は深い眠りに落ちたのだった……



   ***
    


    「…………ルー……。」

    まどろみを抜けて目を開くとそこには肘をついて私を見つめる殿下の姿があった。何を言うでもなく、ただじっと私を目に映している。
    皇宮に戻ったと聞いていた。なのにわざわざここまで戻って来てくれたのだろうか。
    何を言えばいいのだろう。けれど何を言うのも違う気がする。どうしたらいいのかわからないまま私も彼の金色の瞳を見つめた。
    綺麗…透き通る金色に引き込まれる。いつまでもずっと見ていられる気がした。
    私達は見つめあったまま、一言も交わさずにそのままでいた。
    
    どれくらいそうしていたのかわからなくなる頃殿下は口を開いた。

    「…ハニエルがどうなったか何も聞かないのか…?」    

    ハニエル様がどうなったか…。気にならなかったと言えば嘘になる。でも何も考えないようにしていたのも事実だ。
    殺すつもりならきっとこの人はあの場でハニエル様を斬り捨てていたはず。でもそれをしなかったと言う事はハニエル様はまだ生きている。いや…のだろう。
    それが一番いいのかもしれない。今の彼は善悪の箍が外れてしまっている。何が良くて何が悪いのか、それさえもわからない状態だ。殿下の管理の元生きて行くのが今のところ一番いい方法なのではないかと思う。

    「…ルーが恩情をかけて下さったのでしょう…?私は何も…。」

    そう…。もう何も言う事はない。言う資格だって…。

    「愛していたのか……?」

    その問いに答えるには今の私だけの思いでは説明できない。過去の私の思いも交えなければ正しくないからだ。
    話すべきなのだろうか。前世で私とあなたの間に起こった事を。でもこんな荒唐無稽な話、一体誰が信じてくれる?

    その時、あの夢での言葉が頭に浮かんだ。    
    
【いいかい?まずは今生での自分を取り戻すのが先だ。】

    …あの不思議な声はなぜ先に記憶を取り戻せと私に言ったのだろう。きっと意味があっての事なのだろうが、今まで思い出せなかったものを今すぐになど出来やしない。
    …あの時と同じように庭園の石で頭を打ってみる?
    …それはとても現実的じゃないわ。
    万が一当たりどころが悪かったら死ぬかもしれないし…。
    やっぱりこの人に教えて貰うしか今は方法が無い。
    
    「私はハニエル様を心の拠り所にしていました。それは愛や恋によるものではありません。でもこの事を説明するのは記憶を取り戻してからにさせて下さいませんか?」

    「…なぜ?」

    「話せないのではありません。ただこの事を話すためには自分を取り戻さなければならないと思ったからです。ですから教えて下さい。私達の間にあった事を今度は全て。」

    そしてあなたを心から信頼したい。話しても大丈夫なのだと思えるように。

    「俺が嘘を刷り込むとは思わないのか?」

    「思いません。」

    彼は私とハニエル様が愛し合っていると思い、逃がそうとしてくれた人だ。そんな卑怯な事をする人じゃない。
    彼はしばらく何かを考えていたが、やがて深い溜め息を一つついて目を閉じた。

    「…何から聞きたい?」

    「…始まりから全て…あなたの目で見た事を教えて下さい。」

    そして彼はゆっくりと話し始めた。私達が出会った日から別れの時までの事を…。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

絶倫彼は私を離さない~あぁ、私は貴方の虜で快楽に堕ちる~

一ノ瀬 彩音
恋愛
私の彼氏は絶倫で、毎日愛されていく私は、すっかり彼の虜になってしまうのですが そんな彼が大好きなのです。 今日も可愛がられている私は、意地悪な彼氏に愛され続けていき、 次第に染め上げられてしまうのですが……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【R18】悪役令嬢を犯して罪を償わせ性奴隷にしたが、それは冤罪でヒロインが黒幕なので犯して改心させることにした。

白濁壺
恋愛
悪役令嬢であるベラロルカの数々の悪行の罪を償わせようとロミリオは単身公爵家にむかう。警備の目を潜り抜け、寝室に入ったロミリオはベラロルカを犯すが……。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【完結】鳥籠の妻と変態鬼畜紳士な夫

Ringo
恋愛
夫が好きで好きで好きすぎる妻。 生まれた時から傍にいた夫が妻の生きる世界の全てで、夫なしの人生など考えただけで絶望レベル。 行動の全てを報告させ把握していないと不安になり、少しでも女の気配を感じれば嫉妬に狂う。 そしてそんな妻を愛してやまない夫。 束縛されること、嫉妬されることにこれ以上にない愛情を感じる変態。 自身も嫉妬深く、妻を家に閉じ込め家族以外との接触や交流を遮断。 時に激しい妄想に駆られて俺様キャラが降臨し、妻を言葉と行為で追い込む鬼畜でもある。 そんなメンヘラ妻と変態鬼畜紳士夫が織り成す日常をご覧あれ。 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ ※現代もの ※R18内容濃いめ(作者調べ) ※ガッツリ行為エピソード多め ※上記が苦手な方はご遠慮ください 完結まで執筆済み

冷徹&ドSの公爵令息様の性処理メイドをヤらせてもらいます!

天災
恋愛
 冷徹&ドSの公爵令息さまぁ!

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

処理中です...