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第一章

25 追憶

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    疲れた身体が寝台に沈んでいくこの瞬間が嫌いだ。無防備な心はよせと言うのに思い出す。大切にしまい込んだ柔く優しい記憶を。



    『ねぇルー。約束して?』

    『何をだ?』

    『まずはちゃんと約束を守ってくれるって約束をして?』

    『何だそれ。皇太子の俺に守れない約束なんてあるわけないだろ。』

    けれどリルは少し赤くした頬を膨らませる。

    『あるわ!ルーが嫌だったら守れない約束だもの。』

    『俺が嫌だったら?』

    『そう…ルーが嫌って言ったら……』

    そこまで言って下を向いてしまった。
    こうなったら優しくしないとリルは駄目なんだ。本当に面倒だ。

    『俺が嫌なんて言った事があるか?』

    『…ない。でも…言うかも……。』

    いつも遠慮なく物を言うくせに何なんだ今日は。

    『わかったよ。絶対に約束する。これならいいか?』

    俺がそう言うとさっきまでの暗い表情が嘘のように輝いた笑顔を見せた。

    『本当に!?』

    『あぁ。本当に。』

    『じゃあ…じゃあね、私をルーのお嫁さんにして!!』

    『はぁ!?』

    『だって!だって女の子はいつかお家のために好きでもない人と結婚しなきゃいけないんでしょ!?そんなの嫌だもの!大好きな人のお嫁さんになりたいもの!』

    『リル、お前…』

    『ルーが大好きなの…だからルーのお嫁さんになりたいの!ルーだったらお父様だって反対しないでしょ!?』

    反対どころか俺の親もお前の親も諸手を上げて賛成するだろう。特に俺の父親は小躍りするかもしれない。クローネ侯爵領はそれだけ重要視されている。

    『でもお前…その頃には気持ちが変わってたらどうする?』

    『変わらない!絶対に変わらないわ!だからルー、私が誰かに取られる前に絶対にルーのものにして?』

    誰が見たって子供のままごとだ。
    でもリルの目は真剣だった。
    
    『…そんなに俺が好きなの?』

    『好きよ!ルーのキラキラ透ける金色の目も、サラサラの黒い髪も好き。あと…』

    『あと?』

    『とっても優しいところ!』

    目を見ればわかる。リルは俺が皇太子だから結婚したい訳じゃない。むしろ皇太子という地位はリルにとって余計なものなのだろう。
    でも俺はお前に出会ってから皇太子で良かったと思うようになった。何があっても将来お前を望む事が許されるからだ。例え誰かの物になっていたとしても…。

    『リル…それなら俺に誓って?リルの命が終わるその時まで俺を愛するって。』

    『誓うわ。ルーだけ…ルーだけよ…。』

    神に誓う二人だけの秘密。
    小さな唇が恐る恐る俺に触れた。
    その柔らかな感触に腹の奥がゾクッとする。

    『…結婚する頃にはこの宮も建て直させる。厠に嫁ぐのは嫌だろうからな。』

    『ふふっ。嫌じゃないわ。』

    『嘘つけ。お前が好きそうな宮にするよ。』


    幸せだった。
    泣きたくなるくらい幸せな記憶。

    でも約束を守った俺にお前が微笑む事はなかった。




   ***




    「ここは…?」

    「皇家の保養地でございます。温泉もございますのであとでゆっくりとお身体を癒して下さいませ。」

    皇宮に帰るものだとばかり思っていたアマリールだったが、着いたのはハニエルの別荘からそう遠くない皇家の保養地だった。
    辺りには温泉地特有の独特な匂いが漂う。

    「…こんな痣だらけの醜い姿で帰る訳には行かないものね…。」

    何も知らない者達もこの痣を見れば私の身に起こった事を推測するのは簡単だろう。
    リディアは返答に困っているのだろう。掛ける言葉を探しているようだ。
    けれど私に同情なんてもったいない。これも全て自分のせいなのだ。

    「リディアさん…しばらくご迷惑をかけます。よろしくお願いします…。」

    アマリールは弱々しく頭を下げたのだった。

  


   ***





    「ハニエルの事は目を瞑れ。」

    ルーベルから事の詳細を聞いたアヴァロンは、しばらく考え込んでから口を開いた。

    「目を瞑る…?正気ですか父上。」

    本当ならその場で殺してやろうかと思った。しかしそこにアマリールがいたことで自分の中に残る僅かな理性がそれを止めた。

    「恋に狂った小僧なんぞにそれほど目くじらを立てるな。それにあれはミカエルの大事な息子だ。私の実弟である公爵家の醜聞は皇家にとっても好ましくない。お前さえ目を瞑れば私が全て丸く収めてくれよう。」

    「…どう収めると?」

    「皇位継承権の永久放棄。ミカエルも共にな。これでお前とアマリールの子も安泰だろう。どうだ?」

    この狸親父…離宮の一件から何も口を出さないと思ったらこれが狙いか…。
    おそらく俺がハニエルを手にかけたのならそれはそれでいいと思っていたのだろう。皇位継承権を持つ者が一人減るだけだ。
    しかしハニエルを処刑するのではなく見逃す事で、叔父上とハニエルの皇位継承権を放棄させる。それによって叔父上は一生皇家に頭が上がらない…大人しい飼い犬の出来上がりだ。

    「…ハニエルに見張りを付ける事が条件です。これは譲れない。」

    「既に付けているのだろう?お前がな。」

    「…見張りだけでは不十分です。」

    「ではハニエルは皇宮への出入りをしばらく禁止とする。これでいいか?」

    「一生公爵家に軟禁。これは譲れません。」

    アマリールを拐っただけではない。マデラン侯爵家の娘を焼き殺したのだ。
    叔父上は罪滅ぼしと口封じのためにマデラン領への恒久的援助を申し出た。…哀れなものだ。マデラン侯爵はその申し出に尻尾を振って喜んだ。娘が殺されたと言うのに…。

    「一生は無理だろう。公式行事はどうする?周りに怪しまれる。」

    「…ならば皇宮に出入りする時は自由が無いものと思ってもらいたいですね。」

    「それはお前の好きにしろ。…それとお前、ローザをどうするつもりなんだ?」

    「ローザ?別にどうするつもりもありません。」

    「お前…自室から出さないともっぱらの噂だぞ。それならそうと言えば…」

    しかしルーベルは眉間に皺を寄せて反論した。

    「あれは昔からアマリールを目の敵にしていたのでこちらで見張っていただけです。暇そうにしていたから嫁入り道具も好きなだけ揃えてやりました。なので早くアーセルへやって下さい。そうでないといつまで経ってもアマリールをここへ戻せない。」


    溺愛する息子のこの答えに、好色と呼ばれたアヴァロンは苦笑するしか無かった。

    「そうだったか…わかった。早々に手続きを済ませよう。」

    そしてアヴァロンは翌日、アーセルのロウ公爵の元へと向けて早馬を走らせたのだった。  




    

    
    

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