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第一章

5 回想

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    「父上の命でなければお前などとは結婚しなかった。俺達にとってのお前の価値はお前の領地のもたらす富だ。いいか、勘違いするな。」

    結婚式の直後だった。祝賀の席で誰にも聞こえないように、けれどはっきりと言われた。私はたとえ政略結婚だったとしても彼と夫婦として生きて行きたかったのに。

    クローネ侯爵領はエレンディール帝国の主要な産業が密集する地域だ。皇帝アヴァロンはクローネ侯爵領のもたらす莫大な富を重要視し、皇太子ルーベルとアマリールの婚姻を半ば無理矢理取り付けた。


    「脱げよ。義務だから一度だけは抱いてやる。」

    冷たい目が私を蔑む。
    どうしてここまで憎まれなければならないのだろう。初めては辛く、淋しく、悲しかった。
けれどその理由も本当はよくわかっていた。

    皇帝アヴァロンはルーベル一人しか男子に恵まれなかったせいもあり、気に入った女に次々と手を付けた。その中の一人が第三皇妃のシェリダンだ。シェリダンは早くに夫を亡くした貴族の娘で、美しく儚げな佇まいをアヴァロンに見初められた。
    皇宮に迎えられる時に共に入宮したのが連れ子のローザだ。ローザは母親によく似ていた。美しく儚く…性根の醜いところが。

    【血の皇太子】はローザを一目で気に入った。男の庇護欲を誘うその容姿と、それをうまく使いこなす立ち居振舞いにあっという間にのめり込んでいった。
    ローザもまたルーベルに一目で惹かれた。若く美しい肉体。麗しい顔。そして何より彼の持つ権力はローザの醜い自尊心を存分に満たしてくれた。

    「どうしてお義兄様を私から奪うの!?あなたって本当に恥知らずな女ね!!そんなに皇統の血が欲しいの!?」

    彼との結婚が決まった私をローザは隠れて何度も何度も罵った。私だって望んだ事じゃない。けれどどんなに足掻いても彼との結婚が覆る事はなかった。

    「アマリール…!何もしてあげられなくてごめん…。」

    唯一…ハニエル様だけは私の身を案じてくれた。けれど彼もこの頃侯爵家のご令嬢との縁談がまとまったのだと誰からか聞いた。


    寝台の上、自分で服を脱ぐのは屈辱だった。
    夢を見ていた。いつか愛する殿方に、熱く優しくこの肌に触れて貰う日が来るのだと。
    彼は私の上に乗るとろくな愛撫もせずに挿入ってきた。どんなに泣いても涙も拭って貰えない。終わるまでキス一つしてくれなかった。
    そして彼は自分だけ達すると手早く衣服を身に纏った。私との行為の跡が汚いとでも言いたげに、早く落としたいのだろうか足早に部屋を出て行った。
    私は汚れた寝台の上に一人取り残され、静かに泣くことしか出来なかった。まさか…まさかこのたった一度の交わりで世継ぎの命をお腹に宿したとは思いもせずに…。


    「よくやったなアマリール。実にめでたい!」

    結婚早々の懐妊に皇帝アヴァロンは歓喜した。

    「これでこの国は安泰だ。なぁ、ルーベル?」

    「えぇ父上。アマリール…元気な子を生んでくれよ。」

    口元は微笑んでいるが目は笑っていない。
    彼は喜んでなどいないのだ。そんなのわかりきった事だったが、それでも我が子が出来たと知ればもしかしたら…そう思っていた自分がいた。ほんの少しでも喜んで欲しかった。ただそれだけだったのに…。
    謁見の間から出る時、ローザの怒り狂うような目が私に向けられていた。

    心配していた悪阻に悩まされる事もなく、日々は穏やかに過ぎて行った。まだ膨らみもしないお腹だが、この皇宮で唯一の味方が…家族がここにいるのだと思うと力が湧いた。

    「…ルーベル殿下から呼び出し…?」

    「はい…そんなご予定は無かったはずなのですが急に…。」

    侍女が申し訳なさそうに支度を促す。
    呼ばれたのなら出向かなくてはならない。
    もしかしたらお腹の子の様子を聞きたいのかもしれない…。
    そんな事ありはしないのに、馬鹿な私はそれでも期待してしまったのだ。いつか愛して貰えるのではないかと。

    「いらっしゃらない!?」

    しかし殿下の執務室はもぬけの殻。
    周りの者に聞いてもそんな予定はないとの一点張り。
    仕方無く私は来た道を戻った。
    本当に馬鹿だった。まさかこれがローザの罠だとは知らずに。

    階段の曲がり角に差し掛かったその時だった。誰かが上からすごい早さで下りてくる。
    (何か急ぎの用でもあるのかしら?)
    文官あたりが上司のもとに急いでいるのだろう。そう思った瞬間、ドンッという音と共に身体が宙に浮いた。
    (えっっ……)
    一瞬、世界から音が消えたようだった。
    宙に浮いた身体はその後鈍い音を立てながら転がり落ちる。咄嗟にお腹を庇ったが、あまりの衝撃の強さにひどい痛みを感じる。
    (誰…?誰なの……?)
    必死に顔を上げると
    (あれは……!!)
    そこにはローブに身を包みフードを目深に被る…男。ローザのところによく出入りしているという貴族の男だった。
    (まさか…ローザ様が……?)
    しかしそこで私の意識は途切れた。


    目覚めると私の寝台の周りで侍女が泣いていた。医者からは流産を告げられた。
    私が意識を失っている間に、お腹の子は一人逝ってしまった。

    ルーベル殿下は一度も見舞いに来ることは無かった。その代わりにやってきたのがローザだ。

    「残念だったわねぇ、お義姉様?」

    相変わらず私を見下すようにローザは続ける。

    「医師の話によると、もう子供は産めない身体みたいよ?それなのにこの宮を使われるのも…ねぇ?」

    私の宮は皇后となる皇太子の正妃が使う宮だ。そこを退けと言うのか。

    「では私はどこに…?」

    ローザは楽しそうにウフフと笑う。

    「使ってない離宮があるでしょう?身体をゆっくり休めるためにもあそこがいいだろうってお義兄様が。」

    離宮……。体の良い軟禁か……。
    生かさず殺さず、一生をそこで終えろと言う事なのか。

    「…殿下が離縁をお望みでしたら実家に帰ります。」

    お父様もこの結婚に乗り気では無かった。きっと傷付いた私を優しく受け入れてくれるだろう。
    しかしローザは馬鹿にしたように嗤った。

    「何言ってるのよ?離縁なんかしたらお義兄様が損するじゃない。そもそもあんたと結婚したのはあんたの家が持つお金が目当てなんだから。」

    “本当に馬鹿ね”。そう言ってローザは私を罵るだけ罵って帰って行った。
    その後まだ傷も癒えないというのに私は離宮へと移された。やはり殿下は一度も顔を見せてはくれなかった。

    名ばかりの皇后となった私は公式の行事にも呼ばれなくなった。一人離宮で過ごす日々は淋しく虚しかった。けれど穏やかだった。


    「アマリール!!やぁ、今日もとても綺麗だね。」

    「…ハニエル様…。」

    大きなバスケットにはち切れんばかりのお土産を詰めてやって来たハニエル様も今では二児の父だ。けれどその笑顔は幼い頃と何も変わらない。こうやって月に一度、必ず私の元を訪れてたくさんの面白いお話を聞かせてくれる。
    このひとときだけが、今の私の生きるよすがだった。

    ある日、いつものように私の元を訪れたハニエル様は真面目な顔をして私の手を取った。

    「待っていてねアマリール。もう少しだから…。」

    「…何がですか…?」

    けれどハニエル様は何も答えない。

    「…アマリールにはもう十分です。ハニエル様がいて下さらなければ生きることは出来なかった…感謝しています。」

    私の言葉にハニエル様は切なく顔を歪め、唇を噛んだ。

    そしてその少し後…私は誰にも看取られず静かに命を終えたのだ。

    ハニエル様だけは守らなければ…。
    彼は今生でも私にたくさんのものを与えてくれた。愛される喜びを…女としての喜びを…。
    たとえこの身がどうなろうとも彼だけは絶対に死なせない。守ってみせる。
      


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