嘘つきな獣

クマ三郎@書籍発売中

文字の大きさ
上 下
22 / 29

21

しおりを挟む




 セシルは室内にある椅子をベッドの側まで移動させ、そこに腰を下ろした。
 (何で出ていかないの)
 出ていかないだけではない。
 セシルは無言のまま、じっとシャロンを見つめている。
 また飛び降りないように、シャロンを見張っているのだろうか。
 いやしかし、あれはアイリーンに脅されて仕方なく──
 そうだ。
 アイリーンはどうなったのだろう。
 シャロンの記憶が正しければ、飛び込む直前、セシルがバルコニーにやってきた。
 あの状況を正しく理解しているのなら、彼は恋人であるアイリーンをどうしたのだろう。

 「あの……私はなぜここに……この怪我は?」

 記憶を失ったと思われているので、当たり障りのない言葉を選んだつもりだ。
 どのみちこのままでは休める気はしないし、沈黙が続くのもつらかった。

 「……あなたは一週間前、事故に遭いました」

 シャロンの問いに、セシルは慎重に答えを選びながら、途切れ途切れに答えていった。
 彼曰く、どうやらシャロンは“転落事故”にあったそうだ。

 「海が好きなあまり、あなたは手すりから身を乗り出しすぎて……強風にあおられてそれで……」

 大人ひとりを転落させるくらいだ。
 それはそれは凄まじい風が吹いたのだろう。
 実際は緩やかな海風だったが。

 「崖沿いに木の生える一角があるのですが、あなたは運良くそこに引っかかり……枝木のせいで細かな傷と打撲は避けられませんでしたが」

 奇跡のような話だが、命が助かった事を喜ぶ気には到底なれなかった。
 セシルがこの事を“事件”ではなく“事故”にしたいのは、やはりアイリーンのためなのだろう。
 どのみちシャロンは邪魔者なのだ。
 (助けてくれなくて良かったのに)
 シャロンを救った枝木もいつかは重みで折れるだろう。
 そのまま海へ落ちていた方が誰にとっても幸せだった。

 「シャロン王女」

 自分の名前なのに、改まって彼が呼ぶと、誰か別の人の名を聞いているようだった。

 「色々混乱していると思います。時間をかけて、ゆっくりと思い出していきましょう」

 「思い出せなかったら?」

 「それでも構わない。あなたが側にいてくれれば私は……」

 しかしその後に続く言葉を聞くことはできなかった。
 だが想像はつく。
 シャロンが生きてセシルの側にいれば、諸国への対面が保てると言いたいのだろう。
 
 「セシル殿下、シャロン様のお薬をお持ちしました」

 エイミーが、水差しと薬杯の載った銀盆サルヴァを持って戻って来た。
 
 「そこに置いてくれ。あとは俺……いや、私がやるから下がっていい」

 エイミーはすぐさま心配そうにシャロンを見た。
 正直出て行って欲しくはなかったが、一介の侍女が主人の命令に背く事などできるはずもない。 
 エイミーはベッドサイドテーブルに銀盆を置くと、一礼して部屋を出て行った。
 薬杯の中身は鎮痛剤だろう。
 この痛みが和らいでくれるならありがたい。
 だが、シャロンが薬杯に手を伸ばすより先にセシルがそれを掴み、半分ほど中身を口に含んだ。

 「それは私の……え?……っ!」

 セシルは両手でシャロンの頬を包み、唇を合わせて薬を流し込んだ。
 とろりとした液体が、ゆっくりと喉の奥に落ちていく。
 無事飲み込んだ事を確認するとセシルは残りの薬液を口に含む。
 シャロンは近づく彼の身体を制止しようと手を突っ張った。

 「いや……!」

 だが抵抗虚しくセシルはシャロンの手を身体で押し返し、再び口づけた。

 「ん……んぅ……!」

 薬液を流し込んだあと、セシルの熱い舌が腔内を這い回る。
 薬液の味がする唾液が絡まり、重なる唇の僅かな隙間から漏れる淫靡な音が部屋に響いた。
 二人の唾液で薬液の味が薄まると、セシルは唇を離した。
 
 「最後まで飲んで」

 セシルは、混ざり合った唾液を嚥下するシャロンを、陶酔したような表情で見つめていた。
 
 

 

しおりを挟む
感想 36

あなたにおすすめの小説

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

美人な姉と『じゃない方』の私

LIN
恋愛
私には美人な姉がいる。優しくて自慢の姉だ。 そんな姉の事は大好きなのに、偶に嫌になってしまう時がある。 みんな姉を好きになる… どうして私は『じゃない方』って呼ばれるの…? 私なんか、姉には遠く及ばない…

犠牲の恋

詩織
恋愛
私を大事にすると言ってくれた人は…、ずっと信じて待ってたのに… しかも私は悪女と噂されるように…

勝手にしなさいよ

恋愛
どうせ将来、婚約破棄されると分かりきってる相手と婚約するなんて真っ平ごめんです!でも、相手は王族なので公爵家から破棄は出来ないのです。なら、徹底的に避けるのみ。と思っていた悪役令嬢予定のヴァイオレットだが……

城内別居中の国王夫妻の話

小野
恋愛
タイトル通りです。

朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。……これは一体どういうことですか!?

四季
恋愛
朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。

記憶のない貴方

詩織
恋愛
結婚して5年。まだ子供はいないけど幸せで充実してる。 そんな毎日にあるきっかけで全てがかわる

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

処理中です...