もう、追いかけない

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 「ほ、ほ、ほくそ笑む?ルツィエル、見間違いではないか?そんな、義父上に向かってほくそ笑むなどと、私がするはずが──」

 まずい。まずいなんてもんじゃない。
 打ちひしがれるコートニー侯爵の顔を見た瞬間、彼とこれまで繰り広げたルツィエルを巡る攻防にようやく終止符が打たれたと安堵すると同時に、『ざまあみろ』という気持ちが湧き上がり、笑いをこらえることができなかった。
 よりにもよってその時の顔をルツィエルに目撃されていたとは。

 「私も見間違いか目がおかしくなったのかと思いました!けれど殿下の美しい口元は、ちょっといやらしい感じに吊り上がっていました!一瞬のことでしたが確かに見たのです!」

 少し距離をおいた場所からこちらの様子を窺っていたラデクの顔がニヤリと歪む。
 それこそ『ざまあみろ』と言わんばかりに。
 (くそっ!!)
 この場合、どうするのが正解だ?
 本気を出せばうまくやり込めるだろうが、一度生まれた不信感はそう簡単には拭い去ることはできないだろう。
 時を経て、いつかまた同じ問題が再燃するに違いない。
 それならいっそ、本当の私はどんな人間なのか、洗いざらい白状するのが一番なのだろうか。
 でもなんて言う。
 私を表現するのに一番ふさわしい言葉はなんだ。
 客観的かつ高速で自分という人間を見つめ直し、はじき出された答えは『若干善良な心を持つ暴君』。
 (これじゃ駄目に決まってるだろうが……!!)
 ルツィエルの愛を疑うわけではないが、妖精好きの彼女がいきなり心機一転『好みのタイプは私にだけ優しい暴君です♡』となるはずもない。
 だが、ルツィエルが偽らないでくれと、自分に嘘をつかないでくれと言っている以上、私も観念するよりほかないのでは?
 これが愛し合う二人に訪れる【試練】とかいうやつなのかもしれない。
 (試練なら死ぬほどくらったけどな……) 
 この世のありとあらゆる不幸に見舞われたこの三ヶ月。
 そのフィナーレを飾るのが、まさか私自身の問題だとは。
 ドクドクと心臓が暴れだす。
 なにからどう話すべきなのか。
 『気づいたらこんな人間に育っていた』としか言いようがないのだが、それではルツィエルも納得しないだろう。
 私は、自分という人間を形成した理由になりそうな記憶を必死で手繰り寄せた。

 「……ルツィエル。落ちついて聞いてほしい」

 ゴクリと喉が鳴る音が聞こえた。

 「私は皇族だ。おまけにこの容姿で……表沙汰にならないよう処理してきたが、これまで数えきれないほど襲われている。その、命も貞操も」

 「え」

 貞操という単語を聞いた途端、ルツィエルの顔色が変わった。

 「あれは三歳を迎えた頃だっただろうか……」

 私は、初めて他人に手をあげた日のことを思い返した。


 皇太子である私は、どこへ行くにも常に大勢の使用人に囲まれていた。
 そんな私の身辺が唯一手薄になるのが浴室だった。
 もちろんその周囲は厳重に警備が敷かれていたし、メイドも大勢控えてはいたが、問題は浴室の中だ。
 高貴な立場である私の全裸を拝める人間は限られている。
 湯浴みの担当は一般階層出身のメイドではなく、身分ある名家の娘たちで構成される侍女が三人配置されていた。
 ある日、いつも通り浴室へと入ると、三人いるはずの侍女がひとりしかいない。
 不思議に思った私がその侍女に尋ねると、他のものは体調を崩し、急なことだったので代わりの者を用意できなかったのだという。
 確かに、皇族の身の回りのことは誰にでも任せられる仕事ではない。
 それにその侍女とはこれまで何度も顔を合わせたことがあり、やたら爆乳だということ以外、なんの問題もなかった。
 外に控えている者たちも女を信頼しているのか、特になにも言わなかったものだから、幼い私は促されるままにされていた。
 事件は湯に身体を沈めた時に起こった。
 いつも湯舟には入らず、側で控えているだけの侍女が一緒に入ってきたのだ。
 そして身に纏っていた薄い衣服を私の眼前ではだけさせこう言った。

 『殿下はまだこういったものが恋しいお年頃でいらっしゃいますものね。さあ、遠慮なさらずにどうぞ……』

 甘い言葉と乳を餌にすれば、幼い私を篭絡することなど簡単だと思ったのだろうか。
 だがこの時、未だ世俗の汚れも知らず真っ白だった私の心は、熟した桑の実のごときどす黒い色に染まった。
 そう、目の前の爆乳女の胸の色づきのように。

 『ぅわあああああぁぁぁぁぁぁあ!!!!』

 汚い、とにかく汚かった。なにがって、『大人は汚い』とかそういうことではなく、シンプルに色が。
 パニックを起こした私は水辺の野鳥も驚くほどのスピードで水をかき、湯から上がると側にあった手桶に手を伸ばした。
 そしてそれを思いっきり侍女に向かって投げたのだ。

 『きゃ────っっ!!』

 手桶は女の爆乳に命中した。
 ぶるんと揺れる恐怖の桑の実。
 結局その侍女は、騒ぎを聞きつけた者たちに捕らえられ、然るべき処分を受けた。
 しかしこの出来事は、のちの私の性格形成に大きな影響を与えた。
 人間不信と言えば大げさだが、私の周りに下心のない人間など皆無なのだと、そう身につまされた。
 唯一の救いは、しばらく女性の乳(の色)に怯えていた私に侍従のうちの一人が言った『殿下、乳の色は千差万別でございます』という皇太子にとって全く役に立たないひと言だった。

 それからも、物心ついた私を取り込もうとする輩は後を絶たなかった。
 同じくらい命を狙う者も。


 





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