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しおりを挟む名前を呼ばれたフーゴは感極まったように天を仰いだ。
「あ、あの、フーゴ様?」
「おお……『フーゴ様』……なんていい響きだ……それに、誰かから敬意を向けられるのも久しぶりだ。あんたがこの男の想い人か。どうしようもない男だが、女性を見る目だけはあったらしい。それならワシも、命懸けであのティアラを作った甲斐がある」
おもむろに手を取られ、よしよしと撫でられた。
職人特有のごつごつとした、厚みのある手はとても温かい。
こちらに向けられた鳶色の瞳の奥からは、まるで慈しむような優しさに溢れていた。
私の祖父はもうこの世にはいないが、もし生きていたとしたら、こんな感じだったのだろうか。
しかしそんな和やかな雰囲気は、殿下がフーゴの手をベチンと派手な音を立てて叩き落としたことで終わりを告げた。
「なにするんじゃぁぁあ!この罰当たりめが!」
「いくら当代随一の名工といえど、私のルツィエルに対し、これ以上破廉恥な振る舞いは許さない」
(破廉恥って、ただ手を擦っただけなのに)
殿下は私の手にふーっと息を吹きかけ、優しく擦る。
汚れを落とすようなその仕草に、フーゴの頭に血が上るのが目に見えてわかった。
「おのれ小童!どうしてもワシにティアラを作って貰いたいと、頭を下げた日のことをもう忘れたのか!」
「残念だったな、モノさえできればこっちのものだ」
「この根性悪が!!」
はて。これはどういうことだろう。
目の前で繰り広げられるドワーフと妖精の醜い小競り合い。
エミル殿下は決して根性悪などではない。
だって妖精の如く美しく、その中身はとても清廉な人だ。
長年ずっと見てきたのだから、それは真実だと胸を張って言える。
(でも……なんだかちょっと……)
目の前にいるのは、どこからどう見ても根性がねじれている成人男性だ。
顔もなんだか意地悪い。
(悪ふざけのようなものかしら)
色々解せぬところはあるがしかし、今はそれよりも気になることがあった。
フーゴが発した『頭を下げた』のひと言。
まさか、エミル殿下が──この国の若き太陽、尊き皇太子殿下が、私のティアラを作ることをフーゴに承諾させるため、頭を下げたと?
「お前はそんな石頭だから、石の如く頭がつるっぱげるのだ」
「ふざけるな小童ぁぁあ!頭髪も無駄にキラキラしおって、腹立たしいことこの上ない!」
少し躊躇ったが、いつまでも終わらなそうなので、思い切って割って入ることにした。
「フーゴ様、今のお話は本当なのですか?殿下が頭を──」
言い終わらないうちに、ぐいんとこちらに首を向けたフーゴは、再び私の手を取った。
「よくぞ聞いてくれた、お嬢ちゃん。この男が頭を下げたかって?ああ、その通りだ。ワシは権力の言うことなど聞かん。気が乗らない仕事は引き受けないのが信条だ。それなのにこの男ときたら、このカデナに居座って朝から晩までワシにつきまといおってな」
「この街に居座った?殿下が?」
「そうだ。一年以上前のことになるか。父親にそっくりだからな、すぐにわかったわ」
「え?父親って──」
「さあ、ルツィエル。残念だがそろそろ時間だ。フーゴ、たまには帝都に顔を出せ」
陛下もこの街に来たことがあるのか聞きたかったが、殿下の言葉に遮られ、タイミングを逃してしまった。
「ふん、その時は最上級の部屋を用意してもらおう。酒とうまい肴もな」
「もちろんだ。結婚式には招待するから必ず出席しろ。お前の最高傑作を身に着けたルツィエルの姿をしっかりと目に焼き付けて、冥土の土産にするといい」
「まだ死なんわ!!」
結局そのまま店を出ることになり、陛下の事は聞けずじまいだった。
しかし帰りがけ、殿下がラデク様たちと帰路について打ち合わせを始めた時、フーゴがこっそりと私に話しかけてきた。
「おまえさん、あれの父親のことは知っておるか」
「父親……皇帝陛下のことですか?」
「そうじゃ。あれも、そこにいるあれの息子も、本当に面倒な男だ」
【面倒な男】なんて、陛下と殿下には一番当てはまらない言葉ではないだろうか。
「フーゴ様、陛下はとてもお優しい方ですよ」
「優しい?」
「ええ」
直接お目にかかる機会はそう多くはないし、私的な会話をしたこともない。
けれど──
「式典や夜会などでお見かけすると、いつも優しい目で皇后陛下とエミル殿下をご覧になっておられます」
私の言葉にフーゴは意表をつかれたような顔をした。
(なにか変なことを言ったかしら)
「なんとまぁ……そうか。おまえさんなら、なんとかできるかもしれないな」
「なんとか……とは、どういうことでしょう」
しかしフーゴは微笑むだけで、私の質問には答えてくれなかった。
そして私たちはシモンとフーゴに見送られ、帝都に向けて出発したのだった。
*
帝都までに必要な着替えなどは、私たちがシモンの店に滞在している間に殿下の部下の皆さんが揃えてくださった。
だがドレスのみならず、下着まで私のサイズぴったりだったことには疑問を感じずにはいられなかった。
しかし尋ねようとすると殿下から唇を塞がれ、ラデク様は天を仰ぐので、結局聞けずじまい。
途中立ち寄った宿場は二か所。
殿下と同室かと思っていたのだが、通されたのは広めの一人部屋で、中には皇宮から派遣されたというふたりのメイドが待っていた。
私のために、殿下が呼び寄せてくれたのだそうだ。
身体の関係はまだとはいえ、領地館で一夜をともにした仲である。
それに、殿下も私との触れ合いに積極的だから、当然今夜は同室で、そういう流れになると思っていた。
けれど、『疲れただろう。警備は万全だからゆっくり休みなさい』と私に告げて、さっと自分の部屋に入った殿下の紳士的な配慮に、少しだけ残念な気持ちになるとともに、大切にされているのだと実感せずにはいられなかった。
しかし翌朝。
ラデク様の顔に、擦り傷と青痣を見つけた私は狼狽えた。
「どうしたのですかラデク様!まさか、帝都から刺客が?」
ラデク様は昨夜、私の部屋の護衛を自ら進んで引き受けてくれた。
襲撃を受けた夜の事が頭を過り、肌が粟立つ。
しかし、ラデク様から返ってきたのは、予想もしない珍妙な答えだった。
「発情期の雄猫に因縁をつけられただけですので、どうぞお気になさらずに」
「発情期の雄猫……?」
思わずオウム返しになってしまった。
宿の周辺からはそういった鳴き声は聞こえなかったし、殿下が絶対の信頼を置くラデク様なら、たとえ相手が獅子でも倒せるはず。
それなのに、発情期の猫に手傷を負わされるなんて。
しかしその直後、食堂で顔を合わせた殿下の顔に、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
そこで私は気づいてしまった。
やはり刺客が追ってきたのだ。
殿下とラデク様は私を不安にさせないように、本当のことを黙っているのだ。
ふたりの気遣いを嬉しく思うとともに、打ち明けてもらえないのはまだまだ私が頼りないせいなのかと少し落ち込む。
(でも、ただ甘えてるだけじゃ駄目)
私だって役に立ちたい。
喜びも苦しみも、みんなと分かち合いたい。
私は意を決し、朝食をとる合間、隣の殿下にそっと声を掛けた。
「あの、殿下」
「ん?どうした、ルツィエル」
「ラデク様の傷ですが……やはり刺客がきたのですね」
「え?」
「どうか隠さないでください。ラデク様は発情期の雄猫を追い払っていたとおっしゃっていましたが……それは私を不安にさせないために、咄嗟についてくださった嘘だということくらいわかっています」
殿下は動揺したように、手に持っていたナイフを落とした。
(やっぱり……!)
「発情期の雄猫……ルツィエル、あのね」
言いながら、殿下は横目でラデク様を睨んだ。
(きっと私に感づかせてしまったことを責めてるんだわ)
このままではラデク様が叱られてしまうと思い、慌てて話を続けた。
「お恥ずかしいことに、外の騒ぎなど気づかないほど熟睡してしまって……」
「熟睡?」
「はい。自分が思うよりも疲れていたみたいで……部屋に入ったらすぐに。きっと、ラデク様が部屋の前にいてくださったことで、とても安心したのだと思います」
「そ、そうだったのか。それは悪いことを……いや、よく眠れたようでよかった」
「ですが、こんな時に警戒心も忘れて熟睡するなんて……色々と自覚が足りませんでした。これからはもっとしっかりします」
「あ、ああ」
殿下の顔が気まずそうに見えたのは、きっと気のせいだろう。
もうすぐ帝都に入る。
(気を引き締めなきゃ)
そして領地を出てから三日目。
帝都に入った私たちは、あらかじめ聞かされていた通り、コートニー侯爵家には寄らず、直接皇宮へと向かったのだった。
*
フェレンツ皇家の紋章が刻まれた重厚な城門をくぐる。
(ここを通るのはあの夜会以来だわ)
偽物とは露知らず、エミル殿下とヤノシュ伯爵令嬢の仲睦まじい姿に傷ついたのが、まるで遠い日の出来事のように感じられる。
「緊張しているか?」
前に座る殿下が心配そうに私の顔を覗き込む。
緊張していないと言えば嘘になる。
帝都を離れていた私にも、皇宮でどれほどの混乱が起こったのかは想像に難くない。
馬車が停車し、外から扉が開かれる。
先に降りた殿下が振り返り、私に手を差し出した。
「抱いていこうか?長旅で疲れただろう」
確かに足腰は長時間馬車に揺られたおかげで悲鳴を上げている。
とても魅力的な提案だが、私は首を横に振った。
「自分の足で歩きます。殿下と一緒に」
皇宮は未だ混乱の渦の中。
貴族たちの腹の探り合いが繰り広げられているはず。
ここから一歩踏み出したら、その先はもう戦場だ。
胸を張れ。
「なにも怖がる必要はない。ルツィエル、君は私の唯一の人。いつもそのことを忘れないで」
「はい……!」
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