もう、追いかけない

クマ三郎@書籍発売中

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 「ルツィエル様、こちらのお品ですが……デザインも、使われている宝石も、すべて殿下がお決めになられたのですよ」

 「殿下がすべてを……ですか?」

 「ええ」

 深く頷いたあと、シモンは驚く私に優しく目を細め、当時を振り返り始めた。

 「殿下ときたら、実際に石を手に取ってこれでは駄目だあれでも駄目だとうるさいのなんの」

 「シモン」

 殿下が軽く睨むと、シモンは軽く咳払いをした。

 「これは失礼いたしました。ですが凄まじいまでのこだわりように、我々も殿下の執念深さをひしひしと感じ、これを贈られる方が気の毒……げふんげふん、いや今日はどうも喉の調子が悪いな」

 なにやら物騒な言葉が気になったものの、ティアラの製作に殿下が深くかかわっていたという事実への驚きのほうが勝った。
 殿下が私のために、そんなにも心を砕いて下さっていたなんて。
 ジュエリーの注文なんて、男性にとっては楽しいものではないだろうに。

 「ルツィエル、その……気に入ってくれただろうか」

 「気に入るなんてそんな……今の気持ちは、言葉ではとても言い表せません」

 これだけ見事なティアラだ。製作期間も相当なものだろう。
 殿下は、私が成人するよりもっと前から、ふたりで歩む未来を慈しむように待っていてくれたのだ。
 
 「ごめんなさい殿下」

 「どうした?」

 「私ったらてっきり……殿下が他の女性に宝石を贈られたことがあるのだとばかり思っていました」

 殿下が目を見開く。

 「私が君以外に宝石を?なぜそうなるんだ」
 
 呆気に取られる殿下の後ろでラデク様が堪えきれず吹き出し、シモンも口元を隠しながら小刻みに震えている。

 「個人的に懇意にされている宝石店のようだったので……」

 皇室御用達の店はいくつもあるが、皇族が直接店舗まで出向いてやり取りするほど贔屓にしている店など聞いたこともないし、そんな店があるのだとすれば、個人的な依頼を任せているからだと考えるのが普通だ。
 すると、黙って聞いていたシモンが口を開く。

 「ルツィエル様。店構えをご覧になってお気付きになられたかもしれませんが、私どもは看板を掲げておりません」

 「確かに……中に入るまで何のお店かわかりませんでした」

 「この街には優秀な研磨工や彫金師が数多く存在しますが、うちは少々変わった店でして」
 
 「変わった?そんな、とても洗練された素敵なお店です」

 「ありがとうございます。ですが変わっているのは店というより人。この店の店主でありこの帝国一の研磨工、私の父なのです」

 シモンによると、昨今外国からの注文が急増し、技術を安く買い叩かれているのだとか。
 この街の鉱山が閉鎖されてしまった今、悔しくてもそういった注文を受けなければならないのが現状なのだろう。

 「職人とは自身の仕事に人一倍誇りを持っています。しかし、誇りでは食べていくことはできません。原価にこだわる商人は、それぞれの職人が持つ芸術性なんてものには興味がない」

 しかしそれでも商人たちは【名工の手掛けた商品】という付加価値は喉から手が出るほど欲しいらしく、シモンの父の元にも大勢の商人が押しかけたそうだ。

 「父は連日押し寄せる商人たちに対し『出て行け』と、店が壊れるかと思うほどの剣幕で怒鳴り散らしておりました。それからです。私どもが店名を変え、ひっそりと営業するようになったのは」

 「でも、それなら殿下はどうしてこの店のことを……?」

 今度はラデク様が口を開いた。

 「蛙の子は蛙と申しまして」

 「蛙の子は……ラデク様、それはどういう──」

 しかし、その答えを彼から直接聞くことはできなかった。
 なぜなら殿下が有無を言わさずラデク様を部屋から追い出したからだ。
 しかしその一瞬の隙をつくように、シモンが小さな声で囁いた。

 「皇后陛下のティアラをお作りしたのが父なのです。それをご覧になった殿下は、どうしても父にティアラ制作を頼みたいとおっしゃられて……皇太子殿下がいきなり訪ねてこられた時は、それは驚きました」

 皇后陛下のティアラの見事さは、貴族なら誰でも知っている。
 神秘的な青い輝きを放つ大きなサファイアは、皇后陛下の瞳の色と同じ。
 その時、ふと頭の中にある疑問が生まれた。
 (そういえば、どうしてサファイアなのかしら)
 殿下が、私に贈るティアラの石を自分の瞳と同じ紫水晶にしたのと同じように、この国では相手の色を身につけるのが一般的だ。
 ミロシュ陛下の瞳はエミル殿下と同じ紫水晶。
 (それなのに、なぜ──)

 「さて、そろそろ出よう。シモン、ティアラはこのまま持って帰るぞ」

 「かしこまりました。今お包みいたします」

 シモンは再び両手で慎重に箱を持つと、静かに部屋を出て行った。

 「殿下。あのように高価な品を運ぶには、この人数だと危険なのではありませんか?」

 帰路の街道で盗賊に出くわす可能性もゼロではない。
 
 「いや、今回の護衛ほど安全な旅はないよ。予定外ではあったが、ここに寄れたのはちょうどよかった」

 「あの、『ちょうどいい』とは?」

 「帰城したら数日のうちに貴族を集め、今回の事について経緯を説明する場を設けようと思う。ルツィエル、君はその場にあのティアラを着けて出席するといい」

 「そ、そんな事できません!」

 「なぜ?」

 「なぜって、ティアラは皇族の方々しか着用することが許されないものです。私はまだ──」

 「ルツィエル、言っただろう。これは君を守るためだ。このティアラは一朝一夕で出来上がるようなものではない。それが意味することを貴族たちに理解させ、黙らせる。一番手っ取り早くて簡単だ」

 「確かにおっしゃる通りですが」

 いきなりこんなものを着用して貴族の前に現れれば、風当たり云々どころか嵐が吹き荒れるだろう。

 「私には絶対的な地位がある。どう振る舞おうと逆らう奴はいないし、いたとしても黙らせられる力がある。しかし君は違う。私の目の届く範囲でならすぐに対処できるが、そうでない時は?その時は君がひとりで戦うしかない。あのティアラは、君を守るお守りだと思ってくれ。このフェレンツ帝国で私の妃になる者にしか着用を許されない権力の象徴だ。いざという時はその力を使い、自分の身を守ってくれ」

 そんなこと、できるだろうか。
 嫉妬と羨望にまみれた貴族たちからの牽制を、あのティアラに恥じぬ振る舞いで収めることが、今の私にできるだろうか。

 「君ならできる。私の妃になる者として、貴族たちの本来あるべき姿を見せてやりなさい」

 「殿下……」

 ティアラを包みに行っていたシモンが戻り、私たちは部屋を出た。
 すると、ショーケースの並ぶ店内に、入ったときには見かけなかった老人が立っていた。
 老人の背は低く、身なりは汚れた作業着。
 頭のてっぺんはつるっとしているのに、サイドの髪と立派にたくわえられた髭はふさふさと長く伸びている。
 (まるで、童話にでてくるドワーフみたいだわ)
 
 「久しぶりだな、フーゴ。だいぶ老けこんだな。もう引退か?」

 「なにを小童、ワシはまだまだ現役だ!」

 (殿下に向かって小童!?)
 老人は飛び上がるようにして殿下を怒鳴りつけた。絶対に唾が顔に飛んでいる。
 どうやらふたりは旧知の仲らしいが、それにしても皇太子にここまで不遜な態度を取れるなんて。
 私は、目の前で起こっていることが現実なのか、にわかには信じられなかった。

 「ルツィエル、紹介するよ。彼の名はフーゴ。シモンの父親だ」

 「シモンさんの父親……ということは、あのティアラはこの方が!?」

 フーゴはふふん、と得意げに胸を張った。

 「そうじゃ!あの品はワシが──」
 「素晴らしいお品でした!!」
 
 目の前にいる人があの素晴らしいティアラを──殿下が考えてくださった私だけのティアラを作ったのだと思ったら、胸の奥から熱いものがこみ上げてきて止まらなくなった。

 「大きく輝くアメジストは見事なカットで、まるで殿下の瞳のように美しく、周りを取り囲むダイヤモンドも大きさと配置のバランスが絶妙で、それぞれが持つ魅力を最大限に引き出されていて……あ!あとは台座も──」

 「ル、ルツィエル落ちついて!」

 「え?……あ」

 殿下の言葉で我に返る。
 すると、目の前にはなにか恐ろしいものでも見たかのように、眉根を寄せ固まるフーゴが。

 「ご、ごめんなさい!私、素晴らしいお品にとても感動して、それで……きゃあっ!!」

 突如、放心していたフーゴがくわっと目を見開いた。

 「もう一度!」

 「は?」

 「もう一度言ってくれ!!」

 「あ、あの、素晴らしいお品に感動して──」

 「そこじゃない!ワシの名前!」

 「名前……ですか?それではあの、

 
 
 
 

 

 
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