62 / 71
62
しおりを挟む「ルツィエル様、こちらのお品ですが……デザインも、使われている宝石も、すべて殿下がお決めになられたのですよ」
「殿下がすべてを……ですか?」
「ええ」
深く頷いたあと、シモンは驚く私に優しく目を細め、当時を振り返り始めた。
「殿下ときたら、実際に石を手に取ってこれでは駄目だあれでも駄目だとうるさいのなんの」
「シモン」
殿下が軽く睨むと、シモンは軽く咳払いをした。
「これは失礼いたしました。ですが凄まじいまでのこだわりように、我々も殿下の執念深さをひしひしと感じ、これを贈られる方が気の毒……げふんげふん、いや今日はどうも喉の調子が悪いな」
なにやら物騒な言葉が気になったものの、ティアラの製作に殿下が深くかかわっていたという事実への驚きのほうが勝った。
殿下が私のために、そんなにも心を砕いて下さっていたなんて。
ジュエリーの注文なんて、男性にとっては楽しいものではないだろうに。
「ルツィエル、その……気に入ってくれただろうか」
「気に入るなんてそんな……今の気持ちは、言葉ではとても言い表せません」
これだけ見事なティアラだ。製作期間も相当なものだろう。
殿下は、私が成人するよりもっと前から、ふたりで歩む未来を慈しむように待っていてくれたのだ。
「ごめんなさい殿下」
「どうした?」
「私ったらてっきり……殿下が他の女性に宝石を贈られたことがあるのだとばかり思っていました」
殿下が目を見開く。
「私が君以外に宝石を?なぜそうなるんだ」
呆気に取られる殿下の後ろでラデク様が堪えきれず吹き出し、シモンも口元を隠しながら小刻みに震えている。
「個人的に懇意にされている宝石店のようだったので……」
皇室御用達の店はいくつもあるが、皇族が直接店舗まで出向いてやり取りするほど贔屓にしている店など聞いたこともないし、そんな店があるのだとすれば、個人的な依頼を任せているからだと考えるのが普通だ。
すると、黙って聞いていたシモンが口を開く。
「ルツィエル様。店構えをご覧になってお気付きになられたかもしれませんが、私どもは看板を掲げておりません」
「確かに……中に入るまで何のお店かわかりませんでした」
「この街には優秀な研磨工や彫金師が数多く存在しますが、うちは少々変わった店でして」
「変わった?そんな、とても洗練された素敵なお店です」
「ありがとうございます。ですが変わっているのは店というより人。この店の店主でありこの帝国一の研磨工、私の父なのです」
シモンによると、昨今外国からの注文が急増し、技術を安く買い叩かれているのだとか。
この街の鉱山が閉鎖されてしまった今、悔しくてもそういった注文を受けなければならないのが現状なのだろう。
「職人とは自身の仕事に人一倍誇りを持っています。しかし、誇りでは食べていくことはできません。原価にこだわる商人は、それぞれの職人が持つ芸術性なんてものには興味がない」
しかしそれでも商人たちは【名工の手掛けた商品】という付加価値は喉から手が出るほど欲しいらしく、シモンの父の元にも大勢の商人が押しかけたそうだ。
「父は連日押し寄せる商人たちに対し『出て行け』と、店が壊れるかと思うほどの剣幕で怒鳴り散らしておりました。それからです。私どもが店名を変え、ひっそりと営業するようになったのは」
「でも、それなら殿下はどうしてこの店のことを……?」
今度はラデク様が口を開いた。
「蛙の子は蛙と申しまして」
「蛙の子は……ラデク様、それはどういう──」
しかし、その答えを彼から直接聞くことはできなかった。
なぜなら殿下が有無を言わさずラデク様を部屋から追い出したからだ。
しかしその一瞬の隙をつくように、シモンが小さな声で囁いた。
「皇后陛下のティアラをお作りしたのが父なのです。それをご覧になった殿下は、どうしても父にティアラ制作を頼みたいとおっしゃられて……皇太子殿下がいきなり訪ねてこられた時は、それは驚きました」
皇后陛下のティアラの見事さは、貴族なら誰でも知っている。
神秘的な青い輝きを放つ大きなサファイアは、皇后陛下の瞳の色と同じ。
その時、ふと頭の中にある疑問が生まれた。
(そういえば、どうしてサファイアなのかしら)
殿下が、私に贈るティアラの石を自分の瞳と同じ紫水晶にしたのと同じように、この国では相手の色を身につけるのが一般的だ。
ミロシュ陛下の瞳はエミル殿下と同じ紫水晶。
(それなのに、なぜ──)
「さて、そろそろ出よう。シモン、ティアラはこのまま持って帰るぞ」
「かしこまりました。今お包みいたします」
シモンは再び両手で慎重に箱を持つと、静かに部屋を出て行った。
「殿下。あのように高価な品を運ぶには、この人数だと危険なのではありませんか?」
帰路の街道で盗賊に出くわす可能性もゼロではない。
「いや、今回の護衛ほど安全な旅はないよ。予定外ではあったが、ここに寄れたのはちょうどよかった」
「あの、『ちょうどいい』とは?」
「帰城したら数日のうちに貴族を集め、今回の事について経緯を説明する場を設けようと思う。ルツィエル、君はその場にあのティアラを着けて出席するといい」
「そ、そんな事できません!」
「なぜ?」
「なぜって、ティアラは皇族の方々しか着用することが許されないものです。私はまだ──」
「ルツィエル、言っただろう。これは君を守るためだ。このティアラは一朝一夕で出来上がるようなものではない。それが意味することを貴族たちに理解させ、黙らせる。一番手っ取り早くて簡単だ」
「確かにおっしゃる通りですが」
いきなりこんなものを着用して貴族の前に現れれば、風当たり云々どころか嵐が吹き荒れるだろう。
「私には絶対的な地位がある。どう振る舞おうと逆らう奴はいないし、いたとしても黙らせられる力がある。しかし君は違う。私の目の届く範囲でならすぐに対処できるが、そうでない時は?その時は君がひとりで戦うしかない。あのティアラは、君を守るお守りだと思ってくれ。このフェレンツ帝国で私の妃になる者にしか着用を許されない権力の象徴だ。いざという時はその力を使い、自分の身を守ってくれ」
そんなこと、できるだろうか。
嫉妬と羨望にまみれた貴族たちからの牽制を、あのティアラに恥じぬ振る舞いで収めることが、今の私にできるだろうか。
「君ならできる。私の妃になる者として、貴族たちの本来あるべき姿を見せてやりなさい」
「殿下……」
ティアラを包みに行っていたシモンが戻り、私たちは部屋を出た。
すると、ショーケースの並ぶ店内に、入ったときには見かけなかった老人が立っていた。
老人の背は低く、身なりは汚れた作業着。
頭のてっぺんはつるっとしているのに、サイドの髪と立派にたくわえられた髭はふさふさと長く伸びている。
(まるで、童話にでてくるドワーフみたいだわ)
「久しぶりだな、フーゴ。だいぶ老けこんだな。もう引退か?」
「なにを小童、ワシはまだまだ現役だ!」
(殿下に向かって小童!?)
老人は飛び上がるようにして殿下を怒鳴りつけた。絶対に唾が顔に飛んでいる。
どうやらふたりは旧知の仲らしいが、それにしても皇太子にここまで不遜な態度を取れるなんて。
私は、目の前で起こっていることが現実なのか、にわかには信じられなかった。
「ルツィエル、紹介するよ。彼の名はフーゴ。シモンの父親だ」
「シモンさんの父親……ということは、あのティアラはこの方が!?」
フーゴはふふん、と得意げに胸を張った。
「そうじゃ!あの品はワシが──」
「素晴らしいお品でした!!」
目の前にいる人があの素晴らしいティアラを──殿下が考えてくださった私だけのティアラを作ったのだと思ったら、胸の奥から熱いものがこみ上げてきて止まらなくなった。
「大きく輝くアメジストは見事なカットで、まるで殿下の瞳のように美しく、周りを取り囲むダイヤモンドも大きさと配置のバランスが絶妙で、それぞれが持つ魅力を最大限に引き出されていて……あ!あとは台座も──」
「ル、ルツィエル落ちついて!」
「え?……あ」
殿下の言葉で我に返る。
すると、目の前にはなにか恐ろしいものでも見たかのように、眉根を寄せ固まるフーゴが。
「ご、ごめんなさいフーゴ様!私、素晴らしいお品にとても感動して、それで……きゃあっ!!」
突如、放心していたフーゴがくわっと目を見開いた。
「もう一度!」
「は?」
「もう一度言ってくれ!!」
「あ、あの、素晴らしいお品に感動して──」
「そこじゃない!ワシの名前!」
「名前……ですか?それではあの、フーゴ様」
76
お気に入りに追加
3,572
あなたにおすすめの小説
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
〈完結〉「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
出世のために結婚した夫から「好きな人ができたから別れてほしい」と言われたのですが~その好きな人って変装したわたしでは?
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
古代魔法を専門とする魔法研究者のアンヌッカは、家族と研究所を守るために軍人のライオネルと結婚をする。
ライオネルもまた昇進のために結婚をしなければならず、国王からの命令ということもあり結婚を渋々と引き受ける。
しかし、愛のない結婚をした二人は結婚式当日すら顔を合わせることなく、そのまま離れて暮らすこととなった。
ある日、アンヌッカの父が所長を務める魔法研究所に軍から古代文字で書かれた魔導書の解読依頼が届く。
それは禁帯本で持ち出し不可のため、軍施設に研究者を派遣してほしいという依頼だ。
この依頼に対応できるのは研究所のなかでもアンヌッカしかいない。
しかし軍人の妻が軍に派遣されて働くというのは体裁が悪いし何よりも会ったことのない夫が反対するかもしれない。
そう思ったアンヌッカたちは、アンヌッカを親戚の娘のカタリーナとして軍に送り込んだ――。
素性を隠したまま働く妻に、知らぬ間に惹かれていく(恋愛にはぽんこつ)夫とのラブコメディ。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
『まて』をやめました【完結】
かみい
恋愛
私、クラウディアという名前らしい。
朧気にある記憶は、ニホンジンという意識だけ。でも名前もな~んにも憶えていない。でもここはニホンじゃないよね。記憶がない私に周りは優しく、なくなった記憶なら新しく作ればいい。なんてポジティブな家族。そ~ねそ~よねと過ごしているうちに見たクラウディアが以前に付けていた日記。
時代錯誤な傲慢な婚約者に我慢ばかりを強いられていた生活。え~っ、そんな最低男のどこがよかったの?顔?顔なの?
超絶美形婚約者からの『まて』はもう嫌!
恋心も忘れてしまった私は、新しい人生を歩みます。
貴方以上の美人と出会って、私の今、充実、幸せです。
だから、もう縋って来ないでね。
本編、番外編含め完結しました。ありがとうございます
※小説になろうさんにも、別名で載せています
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】記憶喪失になってから、あなたの本当の気持ちを知りました
Rohdea
恋愛
誰かが、自分を呼ぶ声で目が覚めた。
必死に“私”を呼んでいたのは見知らぬ男性だった。
──目を覚まして気付く。
私は誰なの? ここはどこ。 あなたは誰?
“私”は馬車に轢かれそうになり頭を打って気絶し、起きたら記憶喪失になっていた。
こうして私……リリアはこれまでの記憶を失くしてしまった。
だけど、なぜか目覚めた時に傍らで私を必死に呼んでいた男性──ロベルトが私の元に毎日のようにやって来る。
彼はただの幼馴染らしいのに、なんで!?
そんな彼に私はどんどん惹かれていくのだけど……
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる