51 / 71
51
しおりを挟むコートニー侯爵領へ入るには、河川を跨ぐ巨大な橋の先に建つ門を通る必要がある。
初代コートニー侯爵が、有事の際領民を守るために建てたという要塞のような門は、【悪魔の門】と呼ばれている。
とるものもとりあえず、ルツィエルに会うためだけに帝都から馬で駆けてきた私は今、その門を目の前にして絶望していた。
「なぜ閉まっているんだ……」
打ちひしがれる私をよそに、ラデクは門の周囲を見回している。
「殿下、ここに張り紙がありますよ。なになに、“しばらくコートニー侯爵領は閉鎖する”だそうです」
「閉鎖だと!?この前侯爵に会った時には、そんな事ひと言も言ってなかったぞ!」
「ですがこんな命令が出せるのは、領主であるコートニー侯爵だけです。まだ陛下による粛清も済んでませんし、ルツィエル様を溺愛するコートニー侯爵なら、娘の命を守るためにこれぐらいはしても当然でしょう」
「くそ……っ!」
こんなことなら父上にすべてを任せるべきではなかったか。
いやしかし、ルツィエルが心に負った傷に比べればこのくらいの障害がなんだというのだ。
「ラデク!着替え!」
「せっかくお洒落してきたのが台無しですね」
ラデクが差し出したのは、万が一の場合に備え用意していた黒装束。
私はルツィエルのために選んだ、妖精然とした淡い色合いの服を渋々脱いだ。
本当ならこの格好で思い切り優雅に、そして情熱的に口説くはずだったのに。
「殿下、別のルートを探さないんですか?」
「そんな暇あるか!!」
ルツィエルの心の傷は深く、もはや待ったなしの状況だ。
一刻も早く私自身の口から真実を伝えなければ、彼女を失うことになるかもしれない。
「ですが閉鎖されている領内で、堂々と歩くことなどできませんよ」
「そんなことくらいわかってる!」
今はただ、どんな手段を使ってもルツィエルのもとへ行かなくては。
「鉤縄を持ってこい!」
なにが悲しくて皇太子が壁のぼりなんかしなくてはならないのか。
しかしこの際手段など選んではいられない。
そこでふと、ある疑問が湧く。
(……まさかとは思うが、今回の閉鎖措置は私をルツィエルに会わせないためじゃないだろうな)
婚約内定が白紙になり、コートニー侯爵が上機嫌だったというマクシムの話が脳裏に浮かぶ。
(そんなに私が嫌いなのか義父上……!)
「クソ──────っ!!」
私は部下たちより先に縄に手をかけ、門の頂上を目指した。
「お見事!」
下で手を叩くラデクたちに、とてつもなく暴力的な気分になったのは言うまでもない。
*
「今夜は少し冷えますので、温かいお飲み物をご用意いたしました」
「ありがとう。もう下がっていいわ」
夜の支度を終え、ソファに座り一息つく。
カップから立ち上る湯気をぼんやりと見つめながら、この数日の出来事を反芻する。
エミル殿下への気持にけじめをつけようと決めてすぐ、コートニー侯爵領が閉鎖された。
過保護な父のやりそうなことだ。
親の愛情をありがたいと思う反面、少しやりすぎなのではないかとも思う。
人の流れを止めれば不審者には気づきやすいが、なにも敵は外からやってくるとは限らない。
(そう、中にいる可能性だって)
領地が封鎖される直前、私は侍女から、街で流れていたというある噂を聞いた。
その内容は驚くべきものだった。
なんと、落石事故のあと、記憶喪失の状態で戻ったエミル殿下が偽物であったというのだ。
にわかには信じがたい情報に、すぐに帝都に使いをやったのだが、閉鎖措置のせいで未だ知らせは届かないままだ。
噂の出所も調べようとしたのだが、目撃者によるとその噂を流していたのは旅人風の男だったそうなのだが、お父さまの騎士がすぐさま領内から追い払ってしまったそうなのだ。
(なぜかしら……)
根も葉もない噂だったから?
しかもそれが皇族とくれば、噂話といえど立派な不敬罪だ。
結局その後、男の消息は掴むことができなかった。
──もしも噂が本当だったら?
あれだけ言い聞かせた心が再び跳ね上がる。
私はまたエミル殿下の婚約者になれるのだろうか。
その可能性は十分ある。
(でも、まさかね……)
あんなに美しい人間が世の中に二人も存在するはずがない。
それに噂が本当だったとしても、心から喜ぶ気にはなれないだろう。
きっとそれは、エミル殿下とヤノシュ伯爵令嬢の仲睦まじい姿が目に焼き付いているから。
エミル殿下が本物か偽物かはさておき、婚約者とは、本来あのようなものなのではないだろうか。
私とエミル殿下の関係とは全然違う。
私はエミル殿下にとって“女”ではないのだ。
これまではただ姿を目にするだけで幸せだった。
一生片想いでも構わない。
本気でそう思っていた。
けれど他人の事とはいえ、見てしまった。
愛する人に女性として求められることの幸せを。
大切にされ、頬を染めるヤノシュ伯爵令嬢は本当に美しかった。
私もあんな風にエミル殿下に愛されてみたい。
そんな恐れ多い気持ちは、決して抱いてはいけないと思ってきた。
けれど本当にそれでいいのだろうか。
自分の気持ちから目を逸らして、欲張らず、一生を過ごす覚悟はあるのか。
できないわけではない。
けれど──
(そんなの、悲しいわ……)
今は、エミル殿下が本物か偽物か、知りたくないと思っている自分がいる。
色んなことが立て続けに起こりすぎて、考えることに疲れてしまったのかもしれない。
私は気分転換にバルコニーへと足を向けた。
いつもより少し冷たい夜風が、優しく肌を撫でていく。
さわさわと揺れる草木の音に耳を傾けた時だった。
草木の揺れには違いないが、明らかにおかしな音がした。
(動物か何かかしら……)
しかしここは二階だ。
手すりから少し身を乗り出して下を見るが、それらしきものは確認できない。
もしかしたら、羽を休めにきた野鳥の類だろうか。
暗闇に目を凝らすと、少し先に生い茂る大きな木の枝に、明らかにおかしな物体がいることに気づいた。
(えっ!?)
それは、黒装束を身に纏った人間だった。
74
お気に入りに追加
3,573
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
結婚しましたが、愛されていません
うみか
恋愛
愛する人との結婚は最悪な結末を迎えた。
彼は私を毎日のように侮辱し、挙句の果てには不倫をして離婚を叫ぶ。
為す術なく離婚に応じた私だが、その後国王に呼び出され……
出世のために結婚した夫から「好きな人ができたから別れてほしい」と言われたのですが~その好きな人って変装したわたしでは?
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
古代魔法を専門とする魔法研究者のアンヌッカは、家族と研究所を守るために軍人のライオネルと結婚をする。
ライオネルもまた昇進のために結婚をしなければならず、国王からの命令ということもあり結婚を渋々と引き受ける。
しかし、愛のない結婚をした二人は結婚式当日すら顔を合わせることなく、そのまま離れて暮らすこととなった。
ある日、アンヌッカの父が所長を務める魔法研究所に軍から古代文字で書かれた魔導書の解読依頼が届く。
それは禁帯本で持ち出し不可のため、軍施設に研究者を派遣してほしいという依頼だ。
この依頼に対応できるのは研究所のなかでもアンヌッカしかいない。
しかし軍人の妻が軍に派遣されて働くというのは体裁が悪いし何よりも会ったことのない夫が反対するかもしれない。
そう思ったアンヌッカたちは、アンヌッカを親戚の娘のカタリーナとして軍に送り込んだ――。
素性を隠したまま働く妻に、知らぬ間に惹かれていく(恋愛にはぽんこつ)夫とのラブコメディ。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
大好きなあなたを忘れる方法
山田ランチ
恋愛
あらすじ
王子と婚約関係にある侯爵令嬢のメリベルは、訳あってずっと秘密の婚約者のままにされていた。学園へ入学してすぐ、メリベルの魔廻が(魔術を使う為の魔素を貯めておく器官)が限界を向かえようとしている事に気が付いた大魔術師は、魔廻を小さくする事を提案する。その方法は、魔素が好むという悲しい記憶を失くしていくものだった。悲しい記憶を引っ張り出しては消していくという日々を過ごすうち、徐々に王子との記憶を失くしていくメリベル。そんな中、魔廻を奪う謎の者達に大魔術師とメリベルが襲われてしまう。
魔廻を奪おうとする者達は何者なのか。王子との婚約が隠されている訳と、重大な秘密を抱える大魔術師の正体が、メリベルの記憶に導かれ、やがて世界の始まりへと繋がっていく。
登場人物
・メリベル・アークトュラス 17歳、アークトゥラス侯爵の一人娘。ジャスパーの婚約者。
・ジャスパー・オリオン 17歳、第一王子。メリベルの婚約者。
・イーライ 学園の園芸員。
クレイシー・クレリック 17歳、クレリック侯爵の一人娘。
・リーヴァイ・ブルーマー 18歳、ブルーマー子爵家の嫡男でジャスパーの側近。
・アイザック・スチュアート 17歳、スチュアート侯爵の嫡男でジャスパーの側近。
・ノア・ワード 18歳、ワード騎士団長の息子でジャスパーの従騎士。
・シア・ガイザー 17歳、ガイザー男爵の娘でメリベルの友人。
・マイロ 17歳、メリベルの友人。
魔素→世界に漂っている物質。触れれば精神を侵され、生き物は主に凶暴化し魔獣となる。
魔廻→体内にある魔廻(まかい)と呼ばれる器官、魔素を取り込み貯める事が出来る。魔術師はこの器官がある事が必須。
ソル神とルナ神→太陽と月の男女神が魔素で満ちた混沌の大地に現れ、世界を二つに分けて浄化した。ソル神は昼間を、ルナ神は夜を受け持った。
〈完結〉「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
「いなくても困らない」と言われたから、他国の皇帝妃になってやりました
ネコ
恋愛
「お前はいなくても困らない」。そう告げられた瞬間、私の心は凍りついた。王国一の高貴な婚約者を得たはずなのに、彼の裏切りはあまりにも身勝手だった。かくなる上は、誰もが恐れ多いと敬う帝国の皇帝のもとへ嫁ぐまで。失意の底で誓った決意が、私の運命を大きく変えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる