もう、追いかけない

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 コートニー侯爵領へ入るには、河川を跨ぐ巨大な橋の先に建つ門を通る必要がある。
 初代コートニー侯爵が、有事の際領民を守るために建てたという要塞のような門は、【悪魔の門】と呼ばれている。
 とるものもとりあえず、ルツィエルに会うためだけに帝都から馬で駆けてきた私は今、その門を目の前にして絶望していた。

 「なぜ閉まっているんだ……」

 打ちひしがれる私をよそに、ラデクは門の周囲を見回している。

 「殿下、ここに張り紙がありますよ。なになに、“しばらくコートニー侯爵領は閉鎖する”だそうです」

 「閉鎖だと!?この前侯爵に会った時には、そんな事ひと言も言ってなかったぞ!」

 「ですがこんな命令が出せるのは、領主であるコートニー侯爵だけです。まだ陛下による粛清も済んでませんし、ルツィエル様を溺愛するコートニー侯爵なら、娘の命を守るためにこれぐらいはしても当然でしょう」

 「くそ……っ!」

 こんなことなら父上にすべてを任せるべきではなかったか。
 いやしかし、ルツィエルが心に負った傷に比べればこのくらいの障害がなんだというのだ。

 「ラデク!着替え!」

 「せっかくお洒落してきたのが台無しですね」

 ラデクが差し出したのは、万が一の場合に備え用意していた黒装束。
 私はルツィエルのために選んだ、妖精然とした淡い色合いの服を渋々脱いだ。
 本当ならこの格好で思い切り優雅に、そして情熱的に口説くはずだったのに。

 「殿下、別のルートを探さないんですか?」

 「そんな暇あるか!!」

 ルツィエルの心の傷は深く、もはや待ったなしの状況だ。
 一刻も早く私自身の口から真実を伝えなければ、彼女を失うことになるかもしれない。

 「ですが閉鎖されている領内で、堂々と歩くことなどできませんよ」

 「そんなことくらいわかってる!」

 今はただ、どんな手段を使ってもルツィエルのもとへ行かなくては。

 「鉤縄を持ってこい!」

 なにが悲しくて皇太子が壁のぼりなんかしなくてはならないのか。
 しかしこの際手段など選んではいられない。
 そこでふと、ある疑問が湧く。
 (……まさかとは思うが、今回の閉鎖措置は私をルツィエルに会わせないためじゃないだろうな)
 婚約内定が白紙になり、コートニー侯爵が上機嫌だったというマクシムの話が脳裏に浮かぶ。
 (そんなに私が嫌いなのか義父上……!)

 「クソ──────っ!!」

 私は部下たちより先に縄に手をかけ、門の頂上を目指した。

 「お見事!」

 下で手を叩くラデクたちに、とてつもなく暴力的な気分になったのは言うまでもない。


 *


 「今夜は少し冷えますので、温かいお飲み物をご用意いたしました」

 「ありがとう。もう下がっていいわ」

 夜の支度を終え、ソファに座り一息つく。
 カップから立ち上る湯気をぼんやりと見つめながら、この数日の出来事を反芻する。
 エミル殿下への気持にけじめをつけようと決めてすぐ、コートニー侯爵領が閉鎖された。
 過保護な父のやりそうなことだ。
 親の愛情をありがたいと思う反面、少しやりすぎなのではないかとも思う。
 人の流れを止めれば不審者には気づきやすいが、なにも敵は外からやってくるとは限らない。
 (そう、中にいる可能性だって)
 領地が封鎖される直前、私は侍女から、街で流れていたというある噂を聞いた。
 その内容は驚くべきものだった。
 なんと、落石事故のあと、記憶喪失の状態で戻ったエミル殿下が偽物であったというのだ。
 にわかには信じがたい情報に、すぐに帝都に使いをやったのだが、閉鎖措置のせいで未だ知らせは届かないままだ。
 噂の出所も調べようとしたのだが、目撃者によるとその噂を流していたのは旅人風の男だったそうなのだが、お父さまの騎士がすぐさま領内から追い払ってしまったそうなのだ。
 (なぜかしら……)
 根も葉もない噂だったから?
 しかもそれが皇族とくれば、噂話といえど立派な不敬罪だ。
 結局その後、男の消息は掴むことができなかった。

 ──もしも噂が本当だったら?

 あれだけ言い聞かせた心が再び跳ね上がる。
 私はまたエミル殿下の婚約者になれるのだろうか。
 その可能性は十分ある。
 (でも、まさかね……)
 あんなに美しい人間が世の中に二人も存在するはずがない。
 それに噂が本当だったとしても、心から喜ぶ気にはなれないだろう。
 きっとそれは、エミル殿下とヤノシュ伯爵令嬢の仲睦まじい姿が目に焼き付いているから。
 エミル殿下が本物か偽物かはさておき、婚約者とは、本来あのようなものなのではないだろうか。
 私とエミル殿下の関係とは全然違う。
 私はエミル殿下にとって“女”ではないのだ。
 これまではただ姿を目にするだけで幸せだった。
 一生片想いでも構わない。
 本気でそう思っていた。
 けれど他人の事とはいえ、見てしまった。
 愛する人に女性として求められることの幸せを。
 大切にされ、頬を染めるヤノシュ伯爵令嬢は本当に美しかった。
 私もあんな風にエミル殿下に愛されてみたい。
 そんな恐れ多い気持ちは、決して抱いてはいけないと思ってきた。
 けれど本当にそれでいいのだろうか。
 自分の気持ちから目を逸らして、欲張らず、一生を過ごす覚悟はあるのか。
 できないわけではない。
 けれど──
 (そんなの、悲しいわ……)
 今は、エミル殿下が本物か偽物か、知りたくないと思っている自分がいる。
 色んなことが立て続けに起こりすぎて、考えることに疲れてしまったのかもしれない。
 私は気分転換にバルコニーへと足を向けた。

 いつもより少し冷たい夜風が、優しく肌を撫でていく。
 さわさわと揺れる草木の音に耳を傾けた時だった。
 草木の揺れには違いないが、明らかにおかしな音がした。
 (動物か何かかしら……)
 しかしここは二階だ。
 手すりから少し身を乗り出して下を見るが、それらしきものは確認できない。
 もしかしたら、羽を休めにきた野鳥の類だろうか。
 暗闇に目を凝らすと、少し先に生い茂る大きな木の枝に、明らかにおかしな物体がいることに気づいた。

 (えっ!?)

 それは、黒装束を身に纏った人間だった。
  
 


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