もう、追いかけない

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 「旦那様、ルツィエルお嬢様からお手紙が届きました」

 「ルツィエルから?早くよこしなさい」

 私は執事から取り上げるように手紙を受け取ると、急いで中を確認した。
 しかしそこに綴られていた内容に、すぐさま頭を抱えてしまった。
 (黒装束の男を探してくれだって……!?)


 遡ること数日、突如屋敷に現れた黒装束の集団。
 彼らは共に来た馬車の中から、コートニー侯爵家の制服に身を包んだ騎士の遺体を運び出した。
 確認を促され、身体に掛けられた布をめくると、ルツィエルを送り出す際に護衛としてつけた者たちの顔があった。
 
 「いったい何が……!」

 おそらく致命傷になったであろう傷跡は、その手口の残忍さを窺わせた。
 顔を歪める私に向かって、集団のうちのひとりが口を開いた。
 そしてルツィエルたちの身に起きた一部始終を聞かされたのだ。
 愛しい娘が命を狙われたと聞いた時は、心臓が止まるかと思った。
 しかし本当に息の根が止まりそうになったのは、集団のリーダー格と思われる男がフードとマスクをとった時だった。

 『久しぶりだな、コートニー侯爵。いや、義父上と呼ぶべきだったか?』

 しばらく関わることもないだろうと思っていたエミル殿下のまさかの登場に、金槌で思い切り頭を殴られたような衝撃に見舞われた。
 記憶喪失の殿下がこんなところに現れるはずがない。
 しかしどこからどう見てもこの殿下は見た目はもちろんだが、なによりその身に纏う雰囲気が、私が良く知る傲岸不遜の皇子そのもの。
 (まさか、皇宮にいるのは偽物だとでもいうのか)

 『明らかに本家本元の登場を嫌がってますね。殿下、“義父上”はまだ早過ぎたかと思われます』

 『黙れラデク』

 続いて素顔を晒した男を見て、先ほど頭に浮かんだ疑惑が確信に変わった。
 空気を読まない一言が得意な殿下の側近、ラデク殿。
 間違いない。
 目の前にいるこの方こそ、ルツィエルが恋焦がれてやまない皇太子エミル殿下だ。
 私が自分を認識したことがわかったのか、エミル殿下は自身の身に起きたことを話し始めた。

 『そうでしたか……今回の騒動はバラーク侯爵とあの時の御子が……』

 二十九年前、陛下と侍女の間に起こった事件には厳しい箝口令が敷かれ、高位貴族の中でも知らない者は多い。
 私がそのことを知っているのは、妻が皇后陛下と少女時代から苦楽を共にしてきた親友だったからだ。
 当時、憔悴する皇后陛下のもとを何度も訪れて励ましたのが妻だった。
 陛下は侍女に対し処刑すら厭わない姿勢を貫いていたが、最終的にすべて皇后陛下の意向に沿う形に収められたと聞いている。
 私には皇后陛下のお気持ちは理解できなかった。
 皇后陛下は、件の侍女のことを皇室に嫁ぐ前からとても可愛がっていたという。
 信頼していたのに裏切られ、あまつさえ最愛の人との子まで身体に宿した女。
 憎かっただろうに。
 そして陛下もどうしてしまったのかと思った。
 手段はどうあれ、将来的にこのような事態が起きることは当然想定していたはずだ。
 それなのに皇后陛下の意向をそのまま黙って飲み込むなんて。
 政をする立場からすれば、到底あり得ない……いや、許されないことだ。
 けれど、愛する者の意見を受け入れることが、不器用な陛下なりのひとつの贖罪の形と考えれば納得がいく。
 どんなことをしてでも、愛する人の心を繋ぎとめておきたいという馬鹿な考えに至ったことは、長い人生で誰もが一度は経験したことがあるはずだ。
 (だが、私からするとこの親子はそういうところが一番たちがわるいんだ)
 冷酷無比な権力者という世間からの評価そのままに、裏も表も徹底してくれたなら、私も色々迷うことはなかった。
 こんな問題だらけの皇家に……いや、どちらかというと問題は皇家ではなくこの親子に限ってのことだが、とにかくルツィエルを嫁がせるなんて冗談じゃない。
 娘の幸せのためならどんなに悪者になろうと縁談を阻止していたはずだ。
 けれど陛下も殿下も、普段はとんでもなく性格が悪く根性もねじ曲がっているのに、愛する者にだけは盲目なのだ。
 それが結果として、自分の命を脅かすことになろうとも決して揺るぎはしない。
 (陛下のことだから、きっと当時のあれこれも、殿下には素直に説明しないのだろうな)
 皇后陛下との仲がこじれ、息子との接し方もこじらせた陛下が、この後殿下にどのように話をするのか目に見えるようだ。
 (だが、私が余計な口を挟むことはできない)
 私は、殿下に深々と頭を下げた。

 『ご自身が一番大変な時だというのに、娘の命を救っていただき、なんとお礼を申し上げれば良いのか……この度のこと、本当にありがとうございました』

 『礼などいらぬ。ルツィエルを守るのは夫となる私のつとめだ』

 ──まだ夫じゃないけどな……!

 頭を垂れたままで良かった。
 歯ぎしりとともに思わず出かかった本音を慌てて引っ込める。
 可愛い可愛いルツィエル。
 娘の将来を考えると正気ではいられない。
 しかし縁談と根性のねじ曲がり方を抜かして考えれば、この方は将来善政を敷く良い皇帝になると思っている。
 (今回のことといい、やはり諦めなければならないのか……)
 皇宮へと帰還する殿下たちを見送りながら、そろそろ娘を嫁に出す心の準備をしなければならないかと思ったのだ──がしかし

 (ルツィエルの目の前で敵の心臓を貫いただと……?)
 私はルツィエルからの手紙に記されていた内容に愕然とする。
 探してほしいという黒装束の集団のリーダー格の男とは、殿下のことで間違いないだろう。
 (なにしてくれてんだあの皇子!)
 いくら緊急事態とは言え、うちの天使の眼前で敵の心臓ひと突きとかあり得ないだろう。
 え?待って。
 でもそんな恐ろしい奴に会いたいってどういう事?
 まさか、鬼畜モード全開の殿下がルツィエルの好みの範疇にハマったということなのか……?

 ──駄目だ駄目だ駄目だ!!

 これにはうっかりほだされそうになっていた心も冷静さを取り戻した。
 そして気付いたら私は執事に向かって叫んでいた。
 
 『と、とりあえず閉鎖だ!侯爵令嬢暗殺未遂により、しばらくの間コートニー侯爵領を閉鎖する!』






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