もう、追いかけない

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 薬酒を飲み終えると、殿下はソーニャにユスティーナ妃殿下の日々の様子や体調について尋ねた。
 私は殿下の気遣いにより、先に退出した。
 最近は自邸に帰る時間もとれないので、今夜も殿下の宮殿内にあてがわれた部屋に泊まることになっていた。
 部屋につき、扉を閉めると真っ先にテーブルに向かう。
 そして置いてあった水差しに手を伸ばし、グラスに水を注ぐとそれを一気に飲み干した。

 『ふ──っ!』

 さっきまで口の中にまとわりついていた薬酒の味が取れ、生き返ったような心地だった。
 (それにしてもまずかったな)
 滋養強壮をうたった酒は、以前にも飲んだことがあったが、だいたいが気つけ薬に似ていると私は思う。
 要は、美味いものじゃないのだ。
 しかも今夜口にしたのはユスティーナ妃殿下が用意したもの。
 おそらく滅多に市場に出回らないような高級品だろう。
 良薬口に苦しというし、貴重な分だけまずさが倍増していたとしてもなんらおかしくはない。
 (愛のためとはいえ、殿下も大変だな)
 着替えるのも億劫だった私は、仕事着のまま寝台の上で横になった。
 (なんだか……妙な気分だな)
 このところの激務で疲労を極めた身体には、どうやら薬酒が効きすぎたようだ。
 身体が火照り、やけに寝苦しい夜だった。
 寝付くまでに少し時間を要したが、私はその夜、泥のように眠ったのだった。

 
 『マクシム様!!大変です!!』

 部下の呼ぶ声で目を覚ました私は、あまりの身体の重さにすぐ起き上がることができなかった。
 疲れが溜まっていたとはいえ、これは明らかにおかしい。

 『っ……、なにか、あったのか』
 
 肘をついてなんとか半身を起こす。
 寝台横に立つ部下に問い掛けると、恐ろしい答えが返ってきた。

 『殿下の部屋にユスティーナ妃殿下の侍女が……!このままでは殺されてしまいます。どうか早く来てください!』

 窓の外は明るい。
 昨夜妃殿下の元に戻ったはずの侍女がなぜ、こんな時間に殿下の部屋にいるのか。
 しかも、殺されるとは何事だ。
 (まさか……!)
 私は脳裏に浮かんだ可能性が外れていることを願いながら殿下の部屋へと急いだ。


 しかし、私の勘は見事に当たっていたようだ。
 殿下の部屋に駆け付けた私の目に飛び込んで来たのは、泣きながら土下座する侍女に斬りかかろうと剣を振り上げる殿下だった。
 未だ侍女が生きているのは、鬼の形相の殿下を部下たちが三人がかりで必死に押さえているからだ。
 しかしそれもいつまでもつか。
 少々気が引けたが、私はユスティーナ妃殿下の名前を出し、殿下を落ちつかせることにした。
 彼女は妃殿下が一番可愛がっている侍女だ。
 流石に殿下もこの場で斬り捨てるわけにはいかないだろう。

 『殿下!まずは詳しく事情をお聞かせください。ソーニャはユスティーナ妃殿下が特に目をかけていらっしゃる侍女です!』

 私の言葉に殿下はやや冷静さを取り戻したようだった。 

 『この女が私の寝所に無断で忍び込んだのだ!挙げ句不埒な真似を……!!』

 殿下によると、朝目覚めたら隣に裸のソーニャが寄り添うようにして寝ていたそうだ。
 シーツには紛れもない情事のあとも。

 『違います!私は殿下の命に従っただけでございます!』

 しかしソーニャはあくまで殿下に誘われたのだと主張した。

 私はすぐさま箝口令を敷いたが、妃殿下に隠し切ることはできなかった。
 この日以来、ミロシュ殿下とユスティーナ妃の間には、修復できない大きな溝ができてしまった。

 心身に不調をきたした妃殿下は、寝室にこもるようになり、その憔悴ぶりは腹の子の命も危ぶまれるほどだった。
 ソーニャは何度尋問されても『殿下に誘われた』の一点張り。
 唯一頼みの綱であった、薬物の類が混入されたと思われる酒器は空で、成分の確認すらできなかった。

 殿下は、ソーニャの裏に皇帝派の貴族がいるとにらんでいた。
 ユスティーナ妃に皇子が生まれれば、貴族派は政権を掌中に収めようと、陛下と殿下を何らかの形で排除しに動くはずだ。
 だからこそ万が一の時に備え、皇帝派はどんな手段を使ってでもフェレンツ皇家の血を引く皇子を擁しておきたかったのだろう。
 だが、こんな手を使えばいくら志を同じくするものであったとしても、ただでは済まないことはわかっていたはず。
 ソーニャは口を割らないのもきっとそのせいだ。
 言ってしまえばただの罪人。
 秘密を守りきれば、例えそれが気まぐれだったとしても皇子のお手つき。
 さらに運が良ければ未来の国母になる。

 事態はなにも進展しないまま時は過ぎ、最悪なことにソーニャの懐妊が発覚した。
 殿下はあくまでソーニャに薬物を盛られたと主張し、彼女を擁護しようとした皇帝派を押し退け、追放することを決めた。
 しかしユスティーナ妃は、苦しみながらもそれを反対した。
 同じ母親になる身としては、見過ごせなかったのだろう。
 けれど殿下は揺らがなかった。
 例えユスティーナ妃と再び笑い会える日がこなくても。
 あの日から、殿下は自分の心を封じ込めてしまったのだ。


 
 「あれからもう二十八年にもなるのですね……」

 クラヴァットを絞められすぎて意識が遠のいたのか、なんだかやけに長い走馬灯を見ていたような気分だ。

 「ああ、やっとだ……やっとだよ」

 この騒動が終わればすぐにでもエミル殿下に皇位を譲ると言った陛下の顔からは、これまで暗く重く覆い被さっていたものが消えていた。

 「マクシム、今すぐコートニー侯爵領に私の手の者を放て」

 「どういった事で?」

 「あの子、自分が行けば丸く収まると思ってるだろうけれど、それは甘いよ。だから、コートニー侯爵令嬢の耳に入るよう噂を撒かせるんだ。『あのエミル殿下は偽物だった』とね」

 本当に、なんて親バカなのか。
 愛しい人との間に生まれた何よりも大切な存在。
 これまで陛下は、エミル殿下のために、陰ながらどれだけ心を砕いてきたか。
 だから、私の答えは決まっていた。
 
 「わかりました」



 

 
 
 
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