もう、追いかけない

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 嫌がっていた夜会にも頻繁に出席するようになった殿下に、貴族の令嬢たちは躍起になって群がった。
 その気迫と表情からは、『なんとしても皇太子妃の座を射止めるのだ』という執念のようなものがひしひしと伝わってきた。
 しかし令嬢たちと親交を深める殿下だったが、唯一ユスティーナ嬢にだけは違った。
 同じ空間にいるのに、まるで彼女の存在が見えていないかのように振る舞うのだ。
 殿下は、謁見の間での一件以来、ユスティーナ嬢をご自分の世界から締め出した。
 殿下がこのような行動に出たのは、ひとえに国の行く末を考えた結果なのだろう。
 しかし大人たちの事情などなにも知らないだろうユスティーナ嬢からすれば、自分の存在を無視されるのはとてもつらかったはずだ。
 私は、宴が開かれるたびに、ユスティーナ嬢が殿下のことを遠くから見つめていたのを知っていた。 
 時にプラーシル公爵から叱責されている姿も見た。
 これはあくまで私の予想だが、おそらくユスティーナ嬢はプラーシル公爵に、“殿下を囲む令嬢たちを押しのけるくらいの気概を見せろ”とでも言われていたのではないかと思う。
 けれど彼女は決して父親の言う通りにはしなかった。
 そしていつも、哀しみを包んだような微笑みを浮かべながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

 ──いったい、いつまで彼女を無視するのか

 殿下に聞いてみようと思わなかったわけではない。
 けれどなぜか、そこには安易に触れてはいけないような気がした。
 結局殿下の考えはわからぬまま、十四年の歳月が過ぎた。


 その日は十四年前と同じ園遊会の日で、例年に違わず皇宮は朝から騒々しかった。
 殿下とユスティーナ嬢が出会った園遊会の日からこれまで、皇宮では数々の宴が開かれてきた。
 しかし殿下はなぜか、この日だけは毎年欠席を貫いていた。
 そして今日もまたひとり、自宮の庭園で狸寝入りを決め込んでいる。

 『今年も出席されないんですか?』

 『うるさいな……行きたければお前ひとりで行け』

 プラーシル公爵率いる貴族派への牽制のため、皇帝派に属する高位貴族の令嬢と婚約を結ぶのだろうと思っていた殿下は、今年二十八にもなるというのに未だ独身を貫いていた。
 最近は陛下も業を煮やしたのか、執務室からは時々罵声が響いてくる。
 私も、いい加減に殿下は伴侶を迎えられるべきだと思っていた。
 十四年の歳月で、陛下もめっきりお年を召された。
 今はまだ、健康上の不安は見受けられないが、それもいつまでのことか。
 陛下がご健在のうちに殿下が妃を娶り、御子をもうけられれば、周囲も安心するだろうに。
 いったいどんな女性なら、殿下の心を動かすことができるのだろう。
 頭を悩ませていると、遠くから聞こえてくる宮内の喧騒に紛れ、不自然に草木の揺れる音がした。
 (何者だ?)
 咄嗟に剣の柄に手をやると同時に、そういえば随分前にもこんなことがあったのを思い出した。
 音はすぐ側までくると止まった。
 少しの間を置き、やがてゆっくりと姿を現したのは、唯一この庭園に足を踏み入れたことのある女性、プラーシル公爵令嬢だった。
 十四年前にも不思議に思ったが、いったいどうやってここにたどり着いたのか。
 ユスティーナ嬢は、寝転がる殿下の側までくると、静かに腰を下ろした。
 そして、目を閉じたまま微動だにしない殿下に向かって、優しく語りかけたのだ。

 『ミロシュ殿下、お久しぶりでございます。……申し訳ありません。また、勝手に入ってきてしまいました』

 記憶にあるユスティーナ嬢とは違う、疲れたような笑顔がやけに気になった。
 (そういえば、最近夜会で彼女の姿を見かけなかったな……)
 病でも患っていたのだろうかと思ったが、彼女の次の言葉でその理由がわかった。

 『私はこの度、ザマザルへ嫁ぐことが決まりました』

 ザマザルは南の独立国だ。
 温暖な気候に肥沃な大地。豊富な水資源に恵まれた国だと聞いている。
 ザマザルに行くには、海を渡らなければならない。
 一度嫁いでしまえば、ユスティーナ嬢は二度と祖国の土を踏むことはないだろう。
 まさかプラーシル公爵は、なにか事を起こそうとしているのだろうか。
 娘を皇太子妃にし、裏から皇宮を操ろうという目論見が叶わなかった公爵が、反乱を起こす可能性は十分に考えられる。
 (まさか、逃げ道を確保するためにユスティーナ嬢をザマザルへ……?)
 ザマザルは遠い。
 海を渡られたらいくら陛下とておいそれと手出しはできない。
 そうと決まったわけではないのだが、あまりにも話がうまく繋がりすぎるものだから、どうしても勘ぐってしまう。
 最近ユスティーナ嬢を見かけなかったのは、婚礼の準備のためだったのだろう。
 
 『殿下……ユスティーナはお約束を守りましたよ』

 (約束?)
 
 『殿下が妖精だという秘密は、私がずっとお守りします。だから安心してください。これから先もずっと、殿下が人間に酷い目にあわされることはありません』

 それはあの日この場所で、四歳の彼女が殿下と交わした約束。
 殿下が冗談で口にしたのであろうそれを、今日までずっと憶えていたのか。

 『どうか、いつまでもお元気で』

 ユスティーナ嬢が立ち上がろうとした時だった。
 
 『……っ!』

 悲鳴を上げる間もなく、ユスティーナ嬢は殿下の腕の中へ抱きとめられていた。

 『殿……下……?』

 私は見てしまった。
 作りもののように完璧な殿下の顔が、悲しみとも苦しみともつかない感情に覆われるのを。

 自分の顔を見られたくないのか、殿下はユスティーナ嬢の顔を自身の胸に押し付けたまま、彼女を横抱きにして歩き出した。

 私は、部屋の中へと吸い込まれていく二人を止めることはできなかった。
 
 





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