もう、追いかけない

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 執務室の前には、もう随分長い付き合いになる衛兵の二人が、いつものように扉の両側に立っていた。

 「ロベルト、サムエル。お前たちとも三か月ぶりだな。元気だったか」

 「エ、エミル殿下!?」

 二人の反応は、回廊ですれ違ってきた者たちとは少し違った。
 肌感覚とでもいうのだろうか。
 毎日顔を合わせて挨拶を交わしていた彼らは、ホンモノに何かを感じたようだ。
 きっと偽物は、彼らの名前を呼んだ事も、また覚えようともしなかったはず。

 「中にはいるか?」

 「あ……あの、はい。ですがこれはいったい──」
 
 「悪いが今は詳しい事情を説明している暇がない。通してもらうぞ」

 二人の職務は許可された人間以外を決して通さぬことだが、私やラデクの入室を妨げることはしなかった。 
 ラデクらが両開きの扉を開ける。
 しかし正面奥に見える執務机に偽物の姿はない。
 (どこだ?)
 その時、中央に置かれたソファの端に、ドレスの裾のようなものが見えた。
 おまけに乱れた呼吸音も。
 そのソファはルツィエルと憩うために特注したもの。
 嫌な予感がした私はすぐさまソファの前面に回り込んだ。
 そこで見たのは私と瓜二つの顔をした男が、見たこともない女と絡み合う姿だった。

 その瞬間、激しい怒りが自我を飲み込んだ。
 その後のことはよく覚えていない。


 ***


 皆さん、訳あって今から語りはこのラデクが担当させていただきます。

 私が殿下と初めてお会いしたのは、今から十五年ほど前のことになります。
 皇宮の近衛騎士として真面目に勤務していた私は、ある日【指されたら終わり】と囁かれる皇太子殿下からの指名を受けてしまったのです。
 断るなんて選択肢はありません。
 殿下の要求への答えは『はい』か『ありがとうございます』しかないのです。

 それからは聞くも涙、語るも涙の日々です。
 ゾルターンというムッキムキのおっさんの下に配属され、ありとあらゆる戦いの手段を学びました。
 当時は自分の運命を呪いました。
 しかし今ではその事に感謝しているのです。
 縁あって今の妻と知り合い、四人の可愛い子どもにも恵まれました。
 殿下の私兵は任務以外は比較的時間に自由があり、嬉しいことに子どもたちの成長の瞬間も目にすることができました。
 その事に感謝すると、『危険な任務をこなす褒美のようなものだ』と殿下はおっしゃいました。
 ああ見えて、意外に優しいところもおありになるのです。
 
 殿下には長年大切に想う少女がいました。
 それを知った時、凄まじい衝撃を受けたのは言うまでもありません。
 ルツィエル・コートニー侯爵令嬢。
 コートニー侯爵が、目に入れても痛くないほど溺愛しているという、眩い金の髪に大きくて丸い青い瞳の美しい少女。 
 彼女の前でだけ、殿下の様子がおかしいのです。
 凍て付く視線に辛辣な物言い、そして悪態が標準装備の殿下ですが、コートニー侯爵令嬢が近くにいる時だけ、気持ち悪いほどの優男に豹変するのです。
 紫水晶の瞳は限りなく澄んで甘さを含み、形の良い唇は薄く微笑みをたたえていました。
 そう、それはまさに妖精。
 しかしルツィエル様がいなくなった途端、標準装備の威力は倍になって戻ってきます。
 反動というやつでしょう。
 殿下と私たちは、それぞれ別の意味合いで、コートニー侯爵令嬢が成長するのを辛抱強く待ちました。
 
 そしてこの度ようやく婚約が内定したと聞き、『殿下の情緒もこれで安定するはず』と我ら一同胸をなでおろしました。

 それなのに今回の暗殺未遂に偽物出現……ただでさえ粛清の嵐となろう未曾有の事態に加え、今私の目の前ではもう一つの大事件が起こっております。

 それは数分前のこと。
 執務室に入った殿下は見てしまったのです

 自分と瓜二つの男がヤノシュ伯爵令嬢と、ルツィエル様のために購入した特注のソファの上で派手に睦み合っている姿を。

 その瞬間、『あ、これは本当にまずい』と思った我々が取った行動。
 それは、【部屋の隅で傍観】です。
 うっかり止めにでも入ろうものならかなりのとばっちりを受けるからです。
 殿下は、皆様にはとてもお聞かせできないような汚い言葉を吐きながら、裸で絡み合う二人をソファから引き剥がし、壁に向かって投げ飛ばしました。
 叫ぶ間もなく壁際に吹っ飛んだ二人は、悲鳴を上げることもできません。
 結局殿下は、自らの手であっという間に偽物とヤノシュ伯爵令嬢を捕縛し、我らに出番はありませんでした。
 
 こんなに巻かなくてもいいだろうにと、うっかり情けが湧くほど麻縄を巻かれた殿下もどき。
 口には喋れないように布も巻かれています。
 ヤノシュ伯爵令嬢は、恋人が魔王の如き形相の男にぐるぐる巻にされている様を見て気を失いましたので、我々が手足を縛っておきました。
 
 「クソが……反吐が出るほどどこもかしこも似てやがるな。私の服を着ているのも腹が立つ……こいつ、裸にして帝都を引きずり回してやろうか」

 どうやら周囲が騙されるのも仕方がないほど、偽物がご自身にそっくりだという事を認められたようです。
 私は一言だけ殿下に進言しました。

 「それは結構ですが、何せこれだけ全てが似ております。顔はもちろんのこと、身長も体格も」

 「だからなんだ」

 「当然局部も似ているかと思われます」

 「局部?」

 「帝都中に殿下のサイズが知れ渡ってもよろしければ私は止めませんが」

 殿下はしばらく偽物の股間を凝視し、その後顔を赤らめました。
 ルツィエル様に見られたらどうしよう、とでも思ったのでしょう。
 
 ルツィエル様は、一瞬で殿下をただの男に戻してしまう。
 その存在が殿下にとってどれほど尊いものであるか、彼女が知る日は来るのでしょうか。
 
 殿下はようやく帰ってきたとばかりに、執務机の椅子に腰を下ろしました。

 「次はどうされますか?」

 「決まってる。こいつが世に生まれる原因を作った男の所だ」






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