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14 三か月前の真実③ エミル

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 何の罪もない女に迷惑をかけるつもりはない。
 私は素早く寝台の下に器を隠し、フォークを懐にしまい込んだ。
 うまく部屋から出れたとして、問題はその後だ。
 脱出するにあたり、この屋敷の構造がまったくわからないのは圧倒的に不利だが、失敗してもおそらく命まで取りはしないだろう。
 殺すつもりなら、はじめから治療など施したりはしない。
 何か目的があるのだ。
 それが何なのかは聞いてみなければわからないが、皇太子という私の立場から、考えられる動機はいくつかある。
 (せめて一人か二人、仲間がいればありがたいんだがな)
 ヤノシュ伯爵は、生き残った従者たちは別室で治療を受けていると言っていたが、この様子だと全員殺されているかもしれない。
 そもそも、事故からどれくらいの月日が経っているのだろう。
 目を覚ました日に聞いた日時も、本当なのか怪しいところだ。
 それは、私が昏睡状態にあったという日数も同じく。
 事故についての知らせが皇宮まで届いていれば、捜索隊が出されているはず。
 肝心の亡骸が見つかっていないのだから。
 (ルツィエル……)
 私を妖精のようだと言って慕う少女の顔が頭に浮かぶ。
 (やっと婚約内定まで漕ぎ付けたというのに……この野郎)
 婚約内定までの長い長い長い道のりを思い出し、思わず舌打ちが出る。
 私が事故に遭ったと聞き、きっとあの可愛らしい顔をくしゃくしゃに歪め、泣いていることだろう。
 (可哀想に……)
 
 ──大丈夫だ、ルツィエル

 らしくないが、私は目を瞑り、帝都で待っているだろう彼女のために祈った。

 ──ずっと内緒にしてきたが、私は強い。そして性格も根性も人並み外れて悪いんだ。生きている限り、地獄を見るのは周りだからね

 「よし……」

 音を立てぬよう寝台から降り、固まった身体を念入りにほぐす。
 骨に異常がなかったのは幸いだった。
 これで、思い切りやれる。

 
 *


 「なあ……本当に大丈夫なのか?こんなことがバレたら俺たち死罪だぜ」

 「仕方ないだろ!伯爵様に逆らったら殺されるんだ」

 エミルが閉じ込められた地下の部屋の前。
 見張りの男たちの面持ちは暗い。
 ヤノシュ伯爵の元で働く彼らは、ある日急に伯爵領の外れ、切り立った崖の上へと呼び出された。
 下は旅人たちが通る街道となっており、その先は国境で、砦が建っている。
 呼び出されたのは男だけ。しかもかなりの人数だった。
 約束の時間に姿を現したヤノシュ伯爵から聞かされたのは、誰もが予想だにしない言葉だった。
 
 『今から通る馬車に向かって、ここの岩を落とせ』

 一瞬にして男たちの間にざわめきが広がった。
 崖の上には大きな岩が点在しており、例え頑丈な造りの馬車だとしても、こんなものをくらえばひとたまりもない。
 そして当然馬車の中には人が乗っているはずだ。

 ──領主様は俺たちに人を殺せと言うのか?
 
 皆が混乱する中、一人の男が声を上げた。

 『俺たちは人殺しなんてできません!』

 青年は集団の前へ出て、ヤノシュ伯爵に訴えた。
 すると青年に呼応するように、周りの男たちも声を上げ始めた。
 だがその時、声を上げる領民に圧倒されていたヤノシュ伯爵に、隣にいた貴族風の男が何やら囁いたのだ。
 
 『殺せ』

 男が耳元から離れた途端、ヤノシュ伯爵は連れてきていた兵士に青年を斬らせた。
 一瞬の出来事に、それまで大声を上げていた男たちは一斉に静かになる。

 『命令に背けばお前たちも同じ目にあうぞ!』

 誰もが家で待つ家族の顔が浮かび、ひとり、またひとりと岩の周りを囲み始めた。

 けれど皆知らなかった。
 その後、下を通りがかった馬車が、まさか皇族の乗ったものだったとは。
 
 
 
  





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