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しおりを挟む男は軽々と私を抱え、部屋を出た。
廊下には暗殺者の仲間らしき男と、部屋の前にいた侯爵家の騎士二人が絶命した状態で倒れていた。
床に広がる血だまりから、むせかえるような血の臭いがあたりに立ち込めている。
「どうだった?」
男は扉の側に控えていた部下らしき人物に声を掛ける。
部下は抱えられた私を見て驚いたように眉を顰めたが、すぐ平静に戻った。
「地下から店主夫妻と思われる男女の遺体が見つかりました」
(なんてこと……!!)
最後に見た店主の笑顔が脳裏に浮かび、視界が滲む。
二人には何の罪もない。それは部屋の前を守っていた騎士も同じ。
(それなのに、私のせいで)
なぜそこまでして私の命を狙う必要があったのだろうか。
おそらくその理由をこの人たちは知っているはず。
「離れた部屋にいた騎士たちは皆無事です」
「すぐに支度するように言え。揃い次第出発だ」
男は再び私を抱えたまま歩き出す。
「私を殺そうとしていた者たちの正体を知っているのですか?」
「……」
「あなたは一体誰なの?」
「……」
何度問い掛けても男は答えてくれない。
せっかく明かりがある場所に出たというのに、こんな風に抱えられていては、顔を確認することもできない。
宿の外に出ると、帯剣した男たちが待っていたかのように私たちを出迎える。
(この人が彼らの主なのね)
「今すぐコートニー侯爵領へ早馬を飛ばせ。騎士を連れて出迎えに来るようにとな」
コートニー侯爵領へ行く道は、直前で枝分かれしていて他領へ向かう事も可能だ。
それなのになぜ彼は、私がコートニー侯爵領へ行くと決めつけているのか。
宿から離れた場所に停めてある馬車に刻まれた紋章など、こんな緊急時では確認する暇もなかっただろうに。
まさか、お父様が頼んだ傭兵?
いや、それも考えにくい。
清く正しくがモットーの我が家には、物騒な知り合いはいないはずなのだが……それも確かな事は言えない。
せめて目深に被っているフードと、顔を覆う布さえ無ければ確認できるのに。
男は私を馬車の中に押し込むと、すぐさま踵を返した。
「ま、待って!お願いだから帝都に帰らせてください」
男は私の訴えに足を止め、振り向きもせずに答えた。
「なぜ?」
「な、なぜって……」
「お前を殺そうとした者たちは帝都から来たんだぞ。また同じ目に遭うとは思わないのか」
殺されそうになった恐怖が蘇り、身体に震えが走る。
けれど、ただ守られているだけなんて嫌だ。
それに何より、この事件がエミル殿下に関係していたらと思うと、じっとしてなんかいられない。
あんな酷い扱いを受けておいて、本当に馬鹿だと思う。
それでもこの心は言う事を聞いてくれない。
もう私のことは思い出してくれなくてもいい。
けれどもし、彼の紡ぐ未来に暗い影を落とす何かが帝都で起きているというのなら、例えこの身に何があろうとも力になりたい。
だって、これまでの血の滲むような努力はそのためだけにあったのだから。
「この命よりも大切に想う方がいるのです!!」
彼の心に響くよう思い切り声を張り上げた。
「もしこの事件が、その方の失脚を望むような輩の仕業だとしたら、見過ごすことなどできません!」
コートニー侯爵家は皇家の忠臣。
その我が家が失脚すれば、権力の均衡が崩れ、国は大きく傾くだろう。
もしかしたら暗殺者を雇った者は、私に有りもしない罪を擦り付け、コートニー侯爵家を追い落とすつもりなのかもしれない。
死人に口無しだ。
そしてそのことが、エミル殿下の治世に大きな影響を与えるかも──
男は私から少し距離を取って振り向いた。
「……お前の『大切に想う方』というのは男か?」
「は?ええ、あの……はい、そうです」
「その男に惚れてるのか」
「えっ!?」
なんでそんな事初対面の、しかも怪しさしか感じないあなたに言わなければならないの──などと言えるはずもなく。
悔しいが、今はお願いをしている立場だ。
エミル殿下への真剣な想いを嘘偽りなく伝えれば、心を打たれて考えを変えてくれるだろうか。
(恥ずかしいけど、背に腹は代えられないわ……!)
「その方に初めてお会いしたのは五歳の時でした……あまりの美しさに妖精なのかと思って」
今よりもずっと幼く、けれど凛々しく美しいエミル殿下の姿を思い出し、自然と口が綻ぶ。
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