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第一章

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    寝間着でおいでって言われたけど……。
    私は鏡に映るこのグレンドールで一般的な女性の寝間着ことシュミーズを見て懊悩していた。
    でも寝間着って言っても国によって少しの違いはあれどそこまで違わないわよね?ちょっと色々見えすぎる感が否めないが、これにガウン羽織るから大丈夫か……。
    まぁ、今夜は…というかこれからも泊まったりはしないし、相手はあの優しく紳士なアンリ様だ。大丈夫だろう。
    私は少し厚手のガウンを羽織り、アンリ様の所へと飛んだ。


    ボフンッ!!と落ちた先はベッドの上……だけどいつもと音が違う。ボフン?
    見ると私の下には大きなクッションがいくつか置いてある。

    「お帰り、エルフィリア。」

    「アンリ様!このクッションは何!?」

    「だいたいここら辺に落ちるかなと思って置いてみたんだけど…当たったね。」

    「もう、アンリ様ったら!私は的当てゲームじゃないのよ!」

    アンリ様は楽しそうに笑っている。良かった。今日はたくさん移動させてしまったけれど、そんなに苦しそうじゃない。

    「アンリ様…今日は本当にありがとうございました。お父様もようやく信じてくれたし、全部アンリ様のお陰だわ…。」

    アンリ様に向き合い目を見て感謝の気持ちを伝えると、アンリ様の視線は私の顔より少し下にあり、みるみるうちに頬は真っ赤に染まって行く。

    「アンリ様?どうしたの?もしかしてまたお熱!?」

    「い、いや…違うよ。その…エルフィリアがとても綺麗で……。」

    「綺麗?私が?」

    「…あなたしかいないでしょう?」

    はて、こんな寝間着姿が綺麗なんて。
    
    「こんな寝間着姿のだらしない私にそんな気を遣わなくていいのに…。でもありがとうございます。」

    「気なんて遣ってないよ。本当にエルフィリアは美しい。」

    「ア、アンリ様ったら褒めすぎ!もうやめましょ?」

    これ以上褒められたら私の頬まで赤くなっちゃう。

    
    そして私は昼間ゼノに話した事をアンリ様に相談してみた。

    「…賛成は出来ないね。もしファルサがあなたの魔力に勘付いたら…しかも相手は異能の持ち主だ。私が守り切れるかどうか……。」

    やっぱり駄目か…。

    「でも敵の正体を知らなければ戦いに備える事も出来ないわ…。」

    どうにか接触できる機会が欲しい。遠目でもいいから。
    
    「……この国は私のように魔力を感じる事の出来ない人間がほとんどだ。だからファルサの目を確実に欺けると言うのであれば、場を設けましょう。」

    「本当に?」

    「ええ。ただしあなたの身に危険が及ばないようにするのが大前提だからね。」

    「わかったわ!アンリ様ありがとう。」

    こうなったらグレンドールの魔法鍛冶職人に言って最高に強力な魔力封じの道具を作って貰わなきゃ!
    ふんふんと鼻息荒く燃えていると、頬にひんやりとしたアンリ様の指が触れる。

    「猫ちゃんは連れて来なかったの?」

    「あの子たち、アンリ様が帰ってしまった後まるでこの世の終わりみたいに落ち込んじゃって…ふて寝しちゃって起きて来ないの。」

    「本当に?…嬉しいな。」

    「嬉しい?」

    「うん。だって飼い主と仲良くする人間を嫌ったりする事もあるでしょう?だから私がエルフィリアの側にいる事を許してくれてるなんて嬉しいよ。」

    あれはそんな飼い主との信頼や絆的な良い話じゃない…ただ単にアンリ様に惚れたのだ。絶対。

    「アンリ様の側はとても居心地がいいの。あの子たちがアンリ様から離れないのはアンリ様の持つ“気”のせいもあると思うわ。」

    「気?私の?」

    「うん。アンリ様の気はとても綺麗で…そして柔らかで優しくて暖かいの。まるでアンリ様そのものみたい。魔力をあげる時、私もそれに触れて元気を貰ってる気がするわ。本当に心地良いんだもの。」

    「本当?私があなたを元気に?」

    「うん。とっても!今日いつものようにした時本当にそう思ったの。疲れてたせいで余計に感じ取れたのかも。」

    アンリ様は何かを思い出したようにまた頬を染めてふんわりと微笑む。

    「今日は嬉しい事ばかりだ…。あなたの事もたくさん知れた。本当にいい一日だった。ありがとう…エルフィリア。」

    「私こそ…お父様と…皆に会ってくれてありがとう、アンリ様。」

    アンリ様の両手が私の頬を優しく包む。
    何だろう…魔力をあげるのはわかってるけどいつもと違う始め方に戸惑ってしまう。

    唇が触れたと思うとすぐ離れて、角度を変えてまた触れる。
    何だろう…据わりが悪いのかしら…?
    何せ魔力の受け渡しは少し時間がかかる。思うような位置でないと疲れるのだろう。
    けれどアンリ様はまた唇を離し今度は私の目蓋に口づける。

    「ア、アンリ様!?私さすがに目から魔力は出ないわ!!」

    いや、もしかしたら出るのかしら?訓練次第で何とかなるのかしら。
    などと考えているとアンリ様は笑う。

    「違うよ。今のは…お休みの前のキス。エルフィリアがいい夢をみられるようにおまじないだよ。」

    おまじない。子供の頃はよくお母様がしてくれた。いい夢をみてねと頬に目蓋におでこにも。でも唇は無かった……。

    「エルフィリアも私にしてくれる?おまじない。」

    そっか…アンリ様にはもうおまじないをかけてくれる人はいないのだ。
    さっきのローゼンガルド流(?)のおまじないを真似すれば良いのかな…。
    膝立ちになり彼が私にしたように両手で頬を包むと腰に優しく手が回る。あったかい大きな手。
    グレンドールでは唇にするキスは恋人同士だけだ。家族だってそこにはしない。
    
    いいのかな……?えっと…まずはお口……
    ちゅ、と一回して角度を変える。もう一度唇に触れた後は目蓋に。
    きっと両目よね?
    そう思って両目に優しく唇を寄せた。

    「これでいい?」

    少し上から問い掛けるとアンリ様は私を抱き締める。

    「うん……今日はきっととてもいい夢が見れる。ありがとう。」

    お、お顔が胸に…寝間着の時は下着を付けてないからちょっと恥ずかしいわ…。
    でもアンリ様が幸せならそれでいい。
    よしよしと頭を撫でているとアンリ様は何か言いたげに下から上目遣いで見てくる。

    「エルフィリア。おまじないは眠るまで側にいて完了なんだ。だから…」

    今夜も側にいてくれる?
    少し赤い目元。呟くような小さい声。

    「ふふ…どうしたのアンリ様?本当に小さな子供みたい。」

    大人だって淋しい事もあるわよね。
    それでも大人だから我慢するのよね。
    しなくてもいい辛いだけの我慢を。

    「…一緒にいるわ。アンリ様が淋しくないように。」

    アンリ様が眠るまで側にいよう。
    安心して眠る顔を見たら帰ろう。

    「…好きだよ…大好きだ…エルフィリア…」

    何だか今日のアンリ様は弟のエリアスみたい。『姉上大好きだよ!』が口癖の甘えん坊の可愛いあの子。だから私もいつも伝えてあげる。不安にならないように。淋しくならないように。

    「大好きよ。アンリ様…。」

    ぎゅうっと私を抱くアンリ様の腕に力がこもり、しばらくそのままでいた。
    温もりを渡し合い、優しい時間に身を委ねていると、やはり疲れているのだろうすぐに眠気に襲われる。

    「アンリ様…私もう眠くて…だから…」

    だから、魔力をあげたら帰ります
    そう伝えた瞬間さっき私が落ちたクッションの上に身体を倒された。
    あ…これいい…すごくいい。
    いつもの仰向けより角度があってすごく楽。
    さすがアンリ様だわ。この時のためのクッションだったのね。

    「一緒にいい夢を見ようね…」

    アンリ様は蕩けるように微笑んで私に唇を重ねた。
    ちょ、ちょっとアンリ様?一緒に夢は見れないわ。だって私帰るんだから。
    しかしアンリ様は秘技・頭ナデナデを繰り出してきた!
    負けてたまるか!負けて……もうこれ負けても仕方ないかも……。だってこんなに心地良い状態に耐えられます?
    お父様ごめんなさい。エルフィリアはまた無断外泊をしてしまいます。しかも殿方の部屋で………。







    賑やかだわ…何だろう…大勢の人々の歓声?
    一体ここはどこなの…?

    私はふわふわと宙を浮く。
    眼下には喜びに湧く民衆と、あのバルコニーに立つのは…アンリ様?間違いない。幼い頃のアンリ様だ。
    正装をして並び立つ三人。真ん中がアンリ様で、横のお二人はきっとアンリ様のお父様とお母様ね。お父様はローゼンガルドの王族の証である青銀の髪に、アンリ様と同じ深海のような青い瞳。お母様は透けるような金色の髪に空色の瞳のとても美しい方だ。

    「おめでとうございますアンリ様ー!!」

    「どうぞ末長くこの国をお守り下さい!」

    民は口々にお祝いの言葉を叫んでいる。
    お誕生日だったのかしら。アンリ様はご両親の元、満面の笑顔を見せている。
    (ふふ…アンリ様とっても可愛い。)
    その笑顔が心からの幸せを物語っている。

    広いバルコニーにはアンリ様達の他にも参列者がいる。
    (あの方…アンリ様のお父様に似てる…。)
    その人は国王一家をにこやかに見つめ、祝福しているように見える。けれど…
    (あの子…怖い…。)
    恐らくアンリ様の叔父上であろう人物の隣には黒髪の男の子が立っていた。男の子はギリギリと歯噛みするようにアンリ様を睨み付けている。
    (あの子が叔父上様の子供?でもおかしいわ…何で黒髪なの…?)
    王族の子供なら青銀の髪を持って生まれてくるはず。

    その時だった。
    場所は幸せそうな光景から一転する。

    (何ここ…王宮のどこかかしら…。)
    薄暗い場所で人の囁く声が聞こえる。

    「ねぇ聞いた?ギャレット様の事。」

    (ギャレット?)

    「聞いた聞いた!ほんの少し粗相しただけの侍女を剣で斬りつけたんでしょ!?本当に恐ろしいわ~!」

    「お父上のギデオン様は温厚な方なのに…ねぇ、やっぱりあの噂って本当なのかしら…。」

    「ギャレット様が本当は母君のカテリーナ様の不義の子だっていうあの噂?」

    「そうそう!だって髪の色が黒なのはおかしいわよ!カテリーナ様は祖先に黒髪がいたせいだって言ってるらしいけど…。」

    「お前達何してる!!」

    噂話に興じる侍女に怒号が飛んだ。 
    声の主は黒髪の少年。

    「ひっ!ギャ、ギャレット様!!」

    「早く持ち場に戻れ!さもなくば斬り捨てるぞ!!」

    侍女達は一礼し、足早に駆けて行く。
    ギャレットと呼ばれた少年は近くにあった桶を乱暴に蹴り上げた。

    「くそっ!どいつもこいつも腹が立つ!!」

    怖い…この子怖い…。
    態度とか表情じゃない。
    もっと本質的な何かが……


    背筋に嫌なものを感じたその瞬間、私の身体は見えない力に引っ張られた。
     

    
   

    

    

    

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