神殺しの英雄

淡語モイロウ

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第二章

#31

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 翌日。
 エリックは朝から町中を出歩いていた。
 正直、人の行き交いが多い時間帯や場所は極力避けたいところであるが、そうも言っていられない事情があるのだ。
 昨日出会った、アレクトラという刻印師を捜さなければならない。
 一晩じっくり考えた結果、双剣に刻印の処置を頼もうと思ったのである。
 腕の程はまだ不明だが、何となく、あの流れ者の刻印師になら任せてもいい・・・そんな気がしていた。
 ただ、逗留先などは聞いていないので、この町のどこにいるかは当然分からない。
 捜すのなら聞き込みしか手段はないが、色々と目立つ特徴を持つ人物なので、見つけるのは案外簡単だろう。
 そう楽観的に考えて、聞き込む相手を選んでいるとーーー
 何やら妙な行列が出来ているのを見つけた。
 朝からこれだけの人数が並ぶなど、有名な店でもあるのだろうか?
 しかし、昨日はこんな行列は見かけなかったはずだが・・・
 一列に順序よく並んだ人々を道標として、その先へと進んでいくとーーー
 たどり着いた先は、昨日エリックが昼食の際に訪れた、あの小さな食堂だった。
 実は隠れた有名な店だったのかと、入り口の隙間からそっと店内を覗いてみる。
 すると、そこには行列が発生した原因ーーー意外な人物の姿があった。
 結い上げた艶やかな黒髪。誰の目も惹きつけて止まない美貌。
 エリックが捜していた人物ーーーアレクトラである。
 行列は店内まで続いており、その終着点となっているのがアレクトラだ。
 笑顔で対応しながら、何やら色々と手渡されている。
 よく見れば、行列を成す人々は何かしらの道具を手に持っていた。
 大きな鍋であったり、農具であったり・・・とにかく、多くの人々が様々な持ち物を手に、流れ者の刻印師の許を訪れている理由は、まず間違いなくエリックと同じだろう。
 朱楼閣のぼったくり値段のせいで、町の住民や周囲の村々は大変迷惑している・・・そう聞いてはいたが、これほどとは思わなかった。
 ・・・いや、果たして、ここに並ぶ者たちの目的は、刻印の処置だけだろうか。
 長い行列に並ぶ人々を見ていたエリックは、ふとあることに気付いて、そう疑問を抱いた。
 並んでいるのは全員が男だ。一人残さず、余さず全て男のみである。
 その表情は一様に期待に目を輝かせて、妙にそわそわとしており、どこか落ち着かない様子だ。
 刻印を施してもらうのがそんなに待ち遠しいのだろうか。
 最初はそう思っていたが、耳を澄ますと、

「すげえ美人らしいよ」

「うひょー! 楽しみ」

 そう言った会話が聞こえてくる辺りから察するに、目的は刻印の処置以外にもう一つあるようだ。
 そんな下心丸出し連中に少々呆れつつ、改めて行列の長さを視認してから、エリックは嘆息する。
 今から並んでも、相当な待ち時間をくらうだけだろう。
 また明日に訪れてみようかと、その場から立ち去ろうとした時ーーー

「おらっ! 邪魔だ、退け!!」

 行列を割り裂いて、数人の男たちがこちらへ向かってやってくるのが見えた。
 見るからにガラの悪い連中ばかりである。先頭の一人は左目にざっくりと切り裂かれたような傷跡が目立つ。
 驚きと、小さな悲鳴を上げながら、並んでいた人々が散り散りになっていく。

「邪魔するぜ」

 そうして食堂の入り口までやってきた男たちは、遠慮することなく店内へと入っていった。
 エリックは先程と同様に、入り口の隙間から店内の様子を覗き見る。
 男たちは店の中にいた人々をも押し退けて、アレクトラの目の前に立ち並んでいた。

「あんたか? 流れ者の刻印師っていうのは?」

 そのうちの一人、左目に刃物傷を持つ隻眼の男が一歩前に進み出て、アレクトラに声をかける。

「だったら何よ?」

 エリックの位置からでは男たちが邪魔でアレクトラの姿が見えないが、聞こえてきた声色からは怯えているような様子はない。

「勝手なことされたら困るんだよなぁ。この町には、朱楼閣っていう立派な店があるのによぉ。あんたみたいなどこの馬の骨とも分からねえ奴に下手な刻印を施されたら、みーんなに迷惑かかるだろうが・・・なあ、そうだろう!?」

 問いかける大声は店内だけでなく、外にまでよく響いてきた。
 誰もその問いに賛同はしない。しかし、否定もしない・・・いや、出来ない様子である。
 そこでようやく、エリックはこのガラの悪い男たちの正体を理解した。
 この連中、昨日リセトに暴行を加えた朱楼閣の用心棒。
 だが、リセトも言っていた通り、用心棒と言うより見た目も素行もただのゴロツキとしか思えなかった。

「まあ、そういうわけで、とっととこの町から消えてくれねえか、なあ?」

 音量こそ抑えているものの、凄みを利かせる声色は、間違いなく恫喝のそれである。
 これに震え上がり、首を縦に振るかと思いきや、アレクトラの反応は誰も想像していないものであった。

「お断りよ」

 きっぱりはっきり、断固とした口調で言い放たれた言葉。

「あぁ?」

 隻眼の男が、声に明らかな不機嫌さを滲ませる。
 その目の前で、やおらアレクトラが立ち上がった。
 予想外の長身に驚き、やや圧倒されている様子が店内の空気から伝わってくる。

「さっき、その朱楼閣とかいう店で施してもらった刻印を見たけれど・・・何よ、あれ。書体は歪でぎこちない上に安全処置すら施していないなんて、ロクなもんじゃなかったわよ」

 怖じ気ることもなければ遠慮することもないアレクトラの物言いに、隻眼の男を含む朱楼閣の用心棒を名乗る連中は呆気にとられたように黙り込んだ。

「言霊は神様から人間への賜り物。それを多く広く使えるようにするのが刻印師の仕事であり使命。そんな当然のことすら忘れて、お金だけぼったくるようなやり方なんて刻印に携わる者として許される事じゃないわ。恥を知りなさい!」

 凛然と言い放つアレクトラの言葉に、先程まで行列として並んでいた人々の数人から小さく拍手が上がる。
 しかし、隻眼の男にぎろりと睨まれると首を竦めた後、そそくさと逃げるように店から出て行った。
 そして、そのことがきっかけとなり、隻眼の男は我に返ったようだった。

「こ、の・・・! 好き放題言ってんじゃねえぞ!」

 怒りのままに拳を振り上げるのを見て、エリックが店内へ踏み込もうとしたがーーー
 どういうわけか、殴りかかった隻眼の男はアレクトラの脇を通り過ぎて壁に激突した。
 顔面から、しかも相当な勢いでぶつかったらしく、激突の瞬間は中々凄い音が響いた。

「アニキィ!」

「てめえ! アニキに何しやがる!!」

 どう見てもアレクトラが何かしたようには見えないのだが、隻眼の男をアニキと呼ぶ他の男たちーーーおそらく舎弟たちは激怒して食ってかかる。
 そんな様子を見て、アレクトラは小さく鼻で笑い、ひょいっと肩をすくめて見せた。
 明らかに馬鹿にしているとしか思えない仕草に、舎弟たちの怒りは堪えることなく爆発した。
 ひとりに対して一斉に襲いかかる四人の舎弟たち。
 だが、誰一人としてアレクトラに触れることは叶わなかった。
 掴みかかった手は空を切り、勢いのまま床へと横転する身体が四つ。
 アレクトラは何もしていない。ただ、ひらりと身を躱しただけ・・・店内に残って傍観していた人々の目にはそう映っただろう。
 しかし、エリックの目には違ったように見えていた。
 何もしていないように見えて、アレクトラはしっかりと手を打っていた。文字通りの意味で。
 ただ躱したように見せて、その実は攻撃を全ていなしていたのである。
 それもほんの僅かな動作、最小限の動きだけで。
 相手の力を全面的に利用した武道・・・護身術の類で、そんな武技があると聞いたことがある。
 何という名称かは忘れたが・・・
 アレクトラに向かっていった舎弟たちが全員床に伏して立ち上がらなくなるには、それほど時間はかからなかった。
 向かってくる者がいなくなったところで、やれやれとばかりに腰に手を当てて息を吐き出すアレクトラだったがーーー
 背後から感じた殺気に振り返ると同時に、傍らを銀色の閃光が通り過ぎていく。
 すれ違い様に足を引っかけたことにより、相手は勢いのまま床に倒れ込んだが、何事もなかったかのようにゆっくりと起き上がる。
 顔面を壁に強かに打ち付けた、隻眼の男だった。
 その目は完全に据わっており、手に刃物が握られているのを見て、アレクトラの身体に緊張が走る。
 それでも、怯えて震え上がるようなことはなく、向かってくるならやってやる、とばかりの姿勢でいるようだが・・・
 ーーーここまでだな。
 エリックは小さく息を吐くと共に胸中で呟いて、店内へと踏み行った。

「そこまでにしておけよ」

 そう言い放ち、今まさにアレクトラへ襲いかかろうとしていた隻眼の男の動きを止めた。
 素早く引き抜いた双剣の一本を、肩越しに向けることによって。
 肩を通り越して、顔のすぐ横にある白刃ーーーそこに鏡のように自分の顔が映し出されているのを見て、状況を察したのだろう。
 隻眼の男は降参だとばかりに刃物から手を離し、両手を頭上へ上げて見せた。
 それを見て、エリックが手にした双剣を引っ込めた途端ーーー
 振り向く動作と共に、殴りかかって来た。
 だが、まったくの想定内である。
 この手の連中が、大人しく引き下がるなどとは微塵にも思っていなかった。

「ぎゃっ!」

 無様で短い悲鳴を上げて、隻眼の男が床へひっくり返る。
 鼻面に拳の一撃。
 壁に強打した顔面への追い打ちに、隻眼の男は鼻血の出た顔半分を手で覆いながらエリックを睨みつける。
 しかし、一対一では勝ち目がないと悟ったのか、何やら不明瞭な捨て台詞を吐いてから、やや蹌踉よろける足取りで店を飛び出していった。
 その後を追うように、舎弟の男たちもふらつきながら出て行ったところで、アレクトラは先程よりも大きく、安堵の息を吐き出した。

「ありがとう、助かったわ」

 礼を言われるほどではないと思った。あれほどの実力があるのなら、アレクトラ一人でもどうにか出来た状況、相手だったろう。
 それなのに出しゃばった真似をしてしまったのは、ただのお節介ーーー女に刃物を向ける男が許せなかったという理由である。
 余計なことをしてしまったという自覚があるため、どう返答したものか迷っているエリックの顔を見て、アレクトラが目を瞬かせた。

「あら? あなた、昨日のーーー」

 目が合うと、嬉しそうに微笑みかけられる。
 何だかこそばゆい気持ちになり、エリックは逃げるように視線を逸らした。
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