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第二章
#27
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朱楼閣のある高台から町に降りた頃には、むしゃくしゃした気分も少し落ち着いており、エリックは遅めの昼食を摂ることにした。
適当に選んだ小さな食堂は、昼時をとうに過ぎていることもあり、エリック以外に客の姿はない。
供された食事は素朴でありながら美味と賞するに相応しく、食べ終える頃には不機嫌もどこかへ去った後だった。
しかし、怒りが収まった後に残ったのは、気持ちが沈み込むような憂鬱で・・・
「はあ・・・」
思わず盛大なため息が漏れる。
期待が大きかっただけに、落胆の度合いは相応なものだった。
これでようやく、自分の身は自分で守れるくらいの力を取り戻せると、延いては、自分をこんな境遇に追いやってくれた元凶ともおさらば出来ると思ったのに・・・
エリックはもう一度、遠慮なく盛大なため息を漏らす。
それに対して、苦笑を浮かべながら問う声があった。
「どうしたんだい、お兄さん。元気ないじゃないか」
項垂れた顔を上げると、声の主はカウンター席に座るエリックの真正面に立っていた。
真っ先に目がいくのは、その肉体に纏ったはちきれんばかりの筋肉である。
まさに偉丈夫と称するに相応しい、この食堂の店主は、厳つい見て呉れとは裏腹に柔和な表情でエリックを見つめていた。
「ああ、実は・・・」
その優しげな雰囲気と口調に促されて、エリックは事情と心情を吐露した。
お喋りな性質ではないエリックも、先刻の腹に据えかねる体験のせいでつい長々と話してしまったが、食堂の店主はその全てを聞き留めてくれた。
「なるほど。それは大変だったねえ」
話し終えたところで、鷹揚に頷きながら労りの言葉を贈ってくれる辺り、この食堂の店主、相当人が好いようである。
「驚いただろう? あの値段だもんねえ。払えないのも無理ないよ」
二度三度と頷く表情は、怒りを通り越して、呆れを通り越して、諦めの域にまで達しているようだった。
「朱楼閣の店主やっているあの人は、元々どこかの貴族のご子息だったらしいんだけど、放蕩が過ぎて勘当されたらしいよ。・・・有り得ないくらいのお金をもらって、ね」
あの豪勢に過ぎる店構えが親から得た金で建てたものだと知って、エリックの中で朱楼閣の評価は地の底にまで落ちた。
既に印象は最悪ではあったが・・・
「この町には他に刻印師はいないのか?」
だめ元で尋ねてみるが、食堂の店主は首を横に振る。案の定、想像通りの反応だ。
「この町から少し離れたところにある村に、ゼム爺さんっていう刻印師はいるけれど・・・あの人ももう年だからねえ」
そのゼム爺さんとは、あの手が震えまくってた刻印師の爺さんで間違いないだろう。
正直、あの爺さんだけは御免被りたい。
刻印の効力は永久的に続くものではない。使っていく内に、時間が経つ内に徐々に失われていくものだ。
この町の住人たちや周囲の村々は、その辺りは一体どうしているのだろうか?
食堂の店主の口振りから察するに、朱楼閣の刻印師に易々と依頼できているようには思えない。
いや、それよりも先にエリックが気になるっているのは・・・
「朱楼閣の刻印師っていうのは、そんなに腕がいいのか?」
あれだけ法外な値段を付けるのだから、かなりの腕を持つ刻印師を雇っているのだろうか。
だとしたら、エリックも少しだけ興味はあるのだが、それに対して食堂の店主は小さく肩をすくめて鼻先で笑う。
「決して悪くはないんだけど、特別いいわけでもないかな。あれなら、リセトさんの方が腕は断然上だね」
「・・・リセトさん?」
何の前触れもなく、突然出てきた人物の名前に、当然エリックは反応した。
すると、食堂の店主は「しまった!」とばかりに手を口で押さえたが、既に遅い。
しばし、二人の間に流れる沈黙。
エリックが問いかけるような視線でじっと食堂の店主を見つめていると、観念したのか彼は口を塞いでいた手を外して、話し始めた。
「実はね、この町には一人、刻印師がいるんだよ」
顔を寄せて、囁くような小声で告げられた言葉にエリックは驚いた。
「はあ? なら、最初からそう言えばーーー」
思わず声を上げると、食堂の店主が口に人差し指を当てて声の大きさを咎める。
「・・・何でさっき言わなかったんだ?」
エリックも倣うように小声で尋ねると、ため息を吐きながらの答えが返ってくる。
「表向きに堂々と名乗れない事情があるんだよっ」
何やら拠ん所ない事情があるらしいが、それについて追求するつもりはない。エリックが知りたいのはーーー
「その、リセトさんって刻印師の腕前は?」
質問に対して、食堂の店主は答える代わりに一本の包丁を取り出して見せてきた。
刃のところに刻まれた刻印を指さしながら、「安全処置済み」と一言を付け加える。
刻印師の腕前は、施した刻印を見れば大体分かるものだ。
その判断基準に照らし合わせれば、この包丁に刻印を施したリセトという人物は相当な腕前を持っているようである。
更に安全処置ーーー包丁や農具など日常で使う道具が使用目的のみに効果を発動し、扱う者が誤って怪我を負わないように施せるのは、一流の刻印師でなければ無理な話である。
そうと分かれば、エリックが次に口にする言葉は一つしかなかった。
「で、そのリセトさんは何処にいるんだ?」
食堂の店主は盛大なため息を吐きだして、緩くかぶりを振った。訊いてくるだろうことは想像していたし、こうなってしまったのは自分の迂闊さが原因だと、観念した様子である。
「いいかい? 絶対に他言無用で頼むよ」
念を押す言葉に頷いて了承すると、食堂の店主は何よりも知りたい情報をそっと耳打ちしてくれた。
適当に選んだ小さな食堂は、昼時をとうに過ぎていることもあり、エリック以外に客の姿はない。
供された食事は素朴でありながら美味と賞するに相応しく、食べ終える頃には不機嫌もどこかへ去った後だった。
しかし、怒りが収まった後に残ったのは、気持ちが沈み込むような憂鬱で・・・
「はあ・・・」
思わず盛大なため息が漏れる。
期待が大きかっただけに、落胆の度合いは相応なものだった。
これでようやく、自分の身は自分で守れるくらいの力を取り戻せると、延いては、自分をこんな境遇に追いやってくれた元凶ともおさらば出来ると思ったのに・・・
エリックはもう一度、遠慮なく盛大なため息を漏らす。
それに対して、苦笑を浮かべながら問う声があった。
「どうしたんだい、お兄さん。元気ないじゃないか」
項垂れた顔を上げると、声の主はカウンター席に座るエリックの真正面に立っていた。
真っ先に目がいくのは、その肉体に纏ったはちきれんばかりの筋肉である。
まさに偉丈夫と称するに相応しい、この食堂の店主は、厳つい見て呉れとは裏腹に柔和な表情でエリックを見つめていた。
「ああ、実は・・・」
その優しげな雰囲気と口調に促されて、エリックは事情と心情を吐露した。
お喋りな性質ではないエリックも、先刻の腹に据えかねる体験のせいでつい長々と話してしまったが、食堂の店主はその全てを聞き留めてくれた。
「なるほど。それは大変だったねえ」
話し終えたところで、鷹揚に頷きながら労りの言葉を贈ってくれる辺り、この食堂の店主、相当人が好いようである。
「驚いただろう? あの値段だもんねえ。払えないのも無理ないよ」
二度三度と頷く表情は、怒りを通り越して、呆れを通り越して、諦めの域にまで達しているようだった。
「朱楼閣の店主やっているあの人は、元々どこかの貴族のご子息だったらしいんだけど、放蕩が過ぎて勘当されたらしいよ。・・・有り得ないくらいのお金をもらって、ね」
あの豪勢に過ぎる店構えが親から得た金で建てたものだと知って、エリックの中で朱楼閣の評価は地の底にまで落ちた。
既に印象は最悪ではあったが・・・
「この町には他に刻印師はいないのか?」
だめ元で尋ねてみるが、食堂の店主は首を横に振る。案の定、想像通りの反応だ。
「この町から少し離れたところにある村に、ゼム爺さんっていう刻印師はいるけれど・・・あの人ももう年だからねえ」
そのゼム爺さんとは、あの手が震えまくってた刻印師の爺さんで間違いないだろう。
正直、あの爺さんだけは御免被りたい。
刻印の効力は永久的に続くものではない。使っていく内に、時間が経つ内に徐々に失われていくものだ。
この町の住人たちや周囲の村々は、その辺りは一体どうしているのだろうか?
食堂の店主の口振りから察するに、朱楼閣の刻印師に易々と依頼できているようには思えない。
いや、それよりも先にエリックが気になるっているのは・・・
「朱楼閣の刻印師っていうのは、そんなに腕がいいのか?」
あれだけ法外な値段を付けるのだから、かなりの腕を持つ刻印師を雇っているのだろうか。
だとしたら、エリックも少しだけ興味はあるのだが、それに対して食堂の店主は小さく肩をすくめて鼻先で笑う。
「決して悪くはないんだけど、特別いいわけでもないかな。あれなら、リセトさんの方が腕は断然上だね」
「・・・リセトさん?」
何の前触れもなく、突然出てきた人物の名前に、当然エリックは反応した。
すると、食堂の店主は「しまった!」とばかりに手を口で押さえたが、既に遅い。
しばし、二人の間に流れる沈黙。
エリックが問いかけるような視線でじっと食堂の店主を見つめていると、観念したのか彼は口を塞いでいた手を外して、話し始めた。
「実はね、この町には一人、刻印師がいるんだよ」
顔を寄せて、囁くような小声で告げられた言葉にエリックは驚いた。
「はあ? なら、最初からそう言えばーーー」
思わず声を上げると、食堂の店主が口に人差し指を当てて声の大きさを咎める。
「・・・何でさっき言わなかったんだ?」
エリックも倣うように小声で尋ねると、ため息を吐きながらの答えが返ってくる。
「表向きに堂々と名乗れない事情があるんだよっ」
何やら拠ん所ない事情があるらしいが、それについて追求するつもりはない。エリックが知りたいのはーーー
「その、リセトさんって刻印師の腕前は?」
質問に対して、食堂の店主は答える代わりに一本の包丁を取り出して見せてきた。
刃のところに刻まれた刻印を指さしながら、「安全処置済み」と一言を付け加える。
刻印師の腕前は、施した刻印を見れば大体分かるものだ。
その判断基準に照らし合わせれば、この包丁に刻印を施したリセトという人物は相当な腕前を持っているようである。
更に安全処置ーーー包丁や農具など日常で使う道具が使用目的のみに効果を発動し、扱う者が誤って怪我を負わないように施せるのは、一流の刻印師でなければ無理な話である。
そうと分かれば、エリックが次に口にする言葉は一つしかなかった。
「で、そのリセトさんは何処にいるんだ?」
食堂の店主は盛大なため息を吐きだして、緩くかぶりを振った。訊いてくるだろうことは想像していたし、こうなってしまったのは自分の迂闊さが原因だと、観念した様子である。
「いいかい? 絶対に他言無用で頼むよ」
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