神殺しの英雄

淡語モイロウ

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第一章

#13

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 エリックが脅迫という手段を以て男を尋問しているのと同じ頃。森の一角にて月夜を見上げる一人の男がいた。
 ぽっかりと開けたその場所には遮るものは何もなく、月の光が直に降り注いでおり、夜の時間とは思えないほど明るい。
 その柔らかく神秘的な光が、男の身に纏う衣装の豪華さをより際立てていた。
 光沢のある純白の布地は、一目見ただけで選ばれた身分の者しか身につけることが出来ないであろうと、誰もが理解出来る特上品。
 銀糸で精緻に刺繍を施された意匠は、その服を手がけた者の技量の高さを窺い知るには充分すぎるほどの、芸術の域に達している。
 しかし、どれだけ上等で価値があろうとも、服は所詮服でしかない。
 自ら着衣する者を選べないからこそ、悲劇のような有様を呈していた。
 真ん丸に膨れ上がった腹囲。足りなさすぎる背丈に短すぎる手足。肉厚でぼってりとした二重顎・・・
 デブである。どこからどう見てもデブの肥満体である。
 それが似合わないにも程がある豪奢な衣装を身に纏っているのは、何かの悪い冗談のように思えてしまう。
 少なくとも、この服を手掛けた服飾師が目にしようものなら衝撃的すぎるあまり卒倒確定・・・とても見せられるものではなかった。
 自身が太っていることに無自覚な肥満男は、首と胴回りの窮屈さに若干の不満を抱きつつ、夜空に浮かぶ満月を見上げている。
 その脳裏に去来するのは、領主を継いでから今日まで過ごしてきた日々の記憶。
 この辺境地を治めていた前領主が亡くなり、まず親族間で問題となったのが、誰を後釜に据えるか、である。
 前領主には跡継ぎがいなかったので、親族の中から選ばなければいけなくなったが、誰も進んで立候補する者などいなかった。
 人もいない、大きな街もない、娯楽もロクにない。
 あるのは豊かすぎる大自然と平穏だけ、という田舎地方を治める退屈な役割を担いたいと願い出る物好きがいるわけもなく。
 身内同士でその役割を押しつけ合うようなことが続いたが、領主不在の空白が一向に埋まらないことにしびれを切らした御達しが届いたため、標的にされたのが自分である。
 そもそも、前領主との血の繋がりなど無いに等しい。なのに、味方になってくれる近い身内は既にこの世におらず、有り余る遺産で遊び呆けていたというだけで適任だと判断されたのだ。
 当然、冗談ではないと猛反発したものの、多数決という数の暴力で無理矢理、強引に、強制的に決定された。反駁する声は頑として認められず、中央大陸の中枢機関から正式に任命されてしまい、完全に押しつけられる形でこの地を治める領主という、聞こえだけは立派な立場を手に入れることとなったわけだが・・・
 実際に務めてみると、その不便さは想像を超えるものであり、愕然とした。
 まず、住まいにしても、何であんな人気のない平野のど真ん中に建っているのか・・・ここに居を構えようと考えた初代の領主は乱心でもしていたんじゃないかと、本気で思った。
 更には大都市ほどではなくとも、発展した都会地方にだって少しはありそうな娯楽享楽を提供する場がほぼ皆無であるということ。
 探せば多少はあるかもしれないが、そもそも領主の住まう居城から町までの距離がありすぎて、愉しむ前に移動だけで疲れてしまう。
 とんでもないところに来てしまったと、この地にやって来た当初は不平不満だらけで、しばらくは鬱屈した毎日を送っていたものである。
 だが、そんな日々にもやがて飽き果てて・・・
 それならばいっその事、この辺境地の秘匿性を活かして愉しんでやろうと、気持ちも考えも開き直ることを決めた。
 そうして今夜、この森で催しが開かれることとなったのである。
 まず手始めに、近辺の村々から拐かしてきた娘の何人かを獲物に見立てて森に放ってみた。
 厳選した美しい獲物たちは、捕らえた時点で好きにしていいという規定を設けてある。
 この秘密の狩りに参加している自分の信奉者たちーーいずれもこの辺境地で退屈を持て余していた豪商豪農たちは、喜び勇んで出かけていった。
 今頃、森のどこかで愉快な出来事が巻き起こっていることだろう。
 その背徳的な光景を想像しながら、自分も一つ趣向を凝らした遊びをしようか。
 つい先程まで考えていたのだが、果たしてその気持ちはどこにいってしまったのだろう。
 何気なく視線を上向かせた先ーーー夜空に浮かぶ満月は、あまりにも美しかった。
 この催しを開くにあたって、情緒や雰囲気にもこだわり満月の夜を選んだのだが、まさか主要となる遊びより夢中になるとは思わなかった。
 否、それだけではない。
 趣向を凝らしたこの催しより、自分の気を逸らしているのはもう一つのーーー
 懐に手を入れて、一冊の本を取り出した。
 それは、異様な本だった。
 分厚い重厚な装丁の、やや年季が入っている本には幾重にも布が巻き付けられている。
 包帯ほどの平たい布には、赤い顔料で文字なのか文様なのか、何とも判断付け難い羅列がびっしりと書かれており、それはまるで本を開くことを禁じているように見せていた。
 旧知の仲である御用商人の一人が、知り合いの骨董商から譲ってもらったという代物で、珍しい物好きの自分へと謹呈してくれたものである。
 人から人へと渡り、この手に至るまで、誰もこの本を開いた者はいないという。
 只の布、である。本に巻き付けられている緊縛は、触った感じから、硬くも何ともない布の手触りを伝えてくる。
 だというのに、どれほど力を込めても引きちぎることも出来ず、刃物で切り裂こうにも刃の方が負けてしまう始末だった。
 明らかに普通ではあり得ない。何らかの異常な力ーーー言霊の力で封じられるほど、この本が危険な代物だということを、言葉で説明するよりも如実に物語っているようなものだった。
 だが、決して見ることの出来ないという事柄ほど、知りたくなるというのが人間という生き物の性である。
 現在の本の所持者もまた、例に漏れず、恐れの念を抱くよりも好奇心の方が勝っていた。
 一体、この本にはどんな内容が書かれているのだろうか。
 手に入れて以来、日に日に興味は自らの体のように胸の内で大きく膨らんでいた。
 首を僅かに動かし、向けた視線の先ーーー
 この場の中央には十人以上が席に着けるだろう長いテーブルがある。
 染み一つない純白のテーブル掛けが引かれた上には、磨き抜かれたグラスと高級葡萄酒の瓶。そして燭台に灯された蝋燭の火を見つめながら、ふと思う。
 火ならば、どうだろうか。
 一歩間違えば本ごと燃やしてしまうかもしれないと危惧する気持ちは、しかし、試してみたいという欲求に打ち消された。
 思い立ったことを実行に移すべく、のっそりと鈍重に歩きだそうとした時ーーー
 聞こえてきた喧噪は、上機嫌を一変させて不快な気分をもたらすものだった。
 この森までの護衛を任せている者たちが、何やら騒いでいるようだ。
 金さえ払えば護衛だけでなく拐かしや雑用まで何でもやる。
 ついこの間、結託して大量辞任した生真面目で頭の固い衛兵たちよりは使い勝手がいいが、所詮は底辺の身分の者たちだ。その性根はどこまでも卑しく野蛮だ。
 これだから、下賤者は好かないのだ・・・
 ぶつぶつとぼやきながら、領主と呼ぶにはあまりにも相応しからぬ男は、その場より騒ぎの聞こえる方へ歩き出した。
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