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「そのようなことがあったのですね。きっと王子も驚かれたことと思いますが、貴女も驚いたでしょう」
「カエルのおぞましさに慄いたけれど、あんな憎たらしい生き物の中身が王子さまだと最初から知っていたのなら、叩きつけたりしなかったわ。でも、いま思えば素晴らしい出逢いだったのよ。わたしはこうして、誰かの妻となったのだし、ハインリヒのように魅力的な従者にも恵まれて」
どこまでもこの娘は自らのことしか考えていらっしゃらないようです。王子の姿が見目麗しかったから婚姻したなどとくだらない理由で、わたくしたちの穏やかな生活を崩してしまったのですから。
王子のような可憐な夫を持ちながら、わたくしと褥をともにしようなどと、これから国を治める王子を支えるには相応しくないのです。気味が悪いからと恩人であるカエルに暴力をふるうなどあってはいけないのです。
わたくしはこれから、この女子をどのように懲らしめてやろうか、本気で考えなければなりません。いままでのように小娘だからと手加減なぞせず、腰が砕けるほどの甘い言葉をさんざん与えて、ここぞというときに突き放すのです。そのあとにまた愛でてやれば、この女子は簡単にわたくしに靡くことでしょう。所詮は年端もゆかぬただの女子です。
そうして手玉に取り、王子もろとも痛感させるのです、わたくしの重要さを。いまはまだ姫に従順な夜伽の相手ですが、真相を知り怒りを膨らませたわたくしは、きっと手加減はできないことでしょう。
さすればこの小娘はきっと、わたくしに恐れをなして自らの城に逃げ帰るのです。そうなれば、この城に――王子とわたくしに平穏が戻るのです。婚姻関係を結んだにも関わらず、夫を支えずに逃げ出したと知れれば、姫はきっと外を出歩けなくなるに違いありません。どこかの殿方と結婚することもかなわなくなるのです。
姫がひとりでなにやら語り始めましたが、わたくしはまともに聴きませんでした。ふいに、ある厭な予感がよぎったからです。このままのわたくしの方法では、姫を簡単に追放することはできないかもしれないからです。王子という夫がありながら、従者のわたくしと関係を持ってしまったと知られれば、追放されるのは仮にも王族である王女よりも、ただの従者でしかないわたくしかもしれません。
どうにかして、王子には王女がわたくしを誑かし、関係を迫ってきたと信じていただかなければならないのです。きっとこの高慢ちきな娘は、わたくしを一方的に悪者にしようと喚くことでしょう。一歩間違えれば、わたくしが罪人になってしまうおそれがあります。
いまの王子は姫にすっかり心酔していらっしゃるので、わたくしを切り捨てておしまいになるかもしれません。ふと、このように思い至ってしまったので、いま隣に女が酔い痴れるように横たわっていることに臆してしまいました。王子を想うあまり、わたくしは随分と浅はかだったかもしれません。
「王子も可哀想なお方、カエルなんてものに姿を変えられてしまって」
姫の声は妙に落ち着いているようでした。
「ねぇ、どうしてわたしがカエルを人間の姿に戻せたと思う?」
「え」
「わたしはね、知っていたのよ、呪いの解き方を」
「確かに、王子は遠い山に住む魔女に呪いをかけられて‥‥」
「あはは、遠い山、ねぇ。本当に遠いのよあの山」
姫は半身を起こし、肩にかかる美しい髪を細い指で梳くのでした。
「なにをおっしゃっているんですか」
「呪いの解き方なんて、ただの王族の娘が知っていると思って?」
姫の言っている意味が判りませんでした。ただ、背筋がぞくりと寒くなり、鉄の帯がキリキリときつくなったのを感じました。
「魔女は気に入った美しいものを醜いものに変えてしまうのが好きなの。そして、しばらくしたら醜くなった〝それ〟を手元に置いて自分のものにするのよ。でも、変えたのはいいけれど醜すぎたのよ。魔力が強すぎたの。あまりにも醜いものだからすぐに手放してしまったわ。だから魔女は新しい玩具が欲しくなった。
――このわたしがなにも考えずにあの菩提樹の泉のほとりで遊んでいると思って? ふふ、確かに王子様は美しいけれど、それだけね。なにも面白くなかったわ。王子のつまらぬ相手をしていたら、代わりにあなたが現れたのよ、ハインリヒ。あなたは素晴らしい玩具よ」
姫の口から紡がれる言葉こそ、呪いそのものだと思いました。姫の言葉を必死に理解しようとしても、髪を梳く妖艶なその姿に、釘づけになってなにも言えなくなってしまうのです。
「魔女は、わたしなのよ」
姫がわたくしにそっと口づけをしました。ガシャン、と金属が床に落ちる音だけがしました。
気がつくと、どこかで見たことのある、いやらしくぬめりを放つ水かきの手が眼前にありました。身体もどうにも重たい。腹のほうに温もりを感じ、そちらを見やると薄く白く透ける布が敷かれていました。
視界の端に、やたら見覚えのある鉄の帯が転がっているのが見えます。ふいに頭上がこそばゆくなったのでそちらに視線をやれば、きらきらと光るたくさんの金色の糸がふわりふわりと揺れていました。これは、姫では――声を出そうとしたわたくしに、細く白いしなやかな指が降ってきました。
「これであなたはわたしのもの。でも、あなたはいろいろと知りすぎたわ。余計なことを話さないようにあなたの声も醜いものにしたわ」
ああ、なんと。王子を想うあまり、魔女の毒牙にかかってしまうなんて、わたくしはなんと愚かなことか。我が王子、どうかわたくしに失望しないでください――
わたくしは、ゲコゲコと鳴くばかりで、もう二度と人の言葉で嘆くことができなくなっていたのでした。
了
「カエルのおぞましさに慄いたけれど、あんな憎たらしい生き物の中身が王子さまだと最初から知っていたのなら、叩きつけたりしなかったわ。でも、いま思えば素晴らしい出逢いだったのよ。わたしはこうして、誰かの妻となったのだし、ハインリヒのように魅力的な従者にも恵まれて」
どこまでもこの娘は自らのことしか考えていらっしゃらないようです。王子の姿が見目麗しかったから婚姻したなどとくだらない理由で、わたくしたちの穏やかな生活を崩してしまったのですから。
王子のような可憐な夫を持ちながら、わたくしと褥をともにしようなどと、これから国を治める王子を支えるには相応しくないのです。気味が悪いからと恩人であるカエルに暴力をふるうなどあってはいけないのです。
わたくしはこれから、この女子をどのように懲らしめてやろうか、本気で考えなければなりません。いままでのように小娘だからと手加減なぞせず、腰が砕けるほどの甘い言葉をさんざん与えて、ここぞというときに突き放すのです。そのあとにまた愛でてやれば、この女子は簡単にわたくしに靡くことでしょう。所詮は年端もゆかぬただの女子です。
そうして手玉に取り、王子もろとも痛感させるのです、わたくしの重要さを。いまはまだ姫に従順な夜伽の相手ですが、真相を知り怒りを膨らませたわたくしは、きっと手加減はできないことでしょう。
さすればこの小娘はきっと、わたくしに恐れをなして自らの城に逃げ帰るのです。そうなれば、この城に――王子とわたくしに平穏が戻るのです。婚姻関係を結んだにも関わらず、夫を支えずに逃げ出したと知れれば、姫はきっと外を出歩けなくなるに違いありません。どこかの殿方と結婚することもかなわなくなるのです。
姫がひとりでなにやら語り始めましたが、わたくしはまともに聴きませんでした。ふいに、ある厭な予感がよぎったからです。このままのわたくしの方法では、姫を簡単に追放することはできないかもしれないからです。王子という夫がありながら、従者のわたくしと関係を持ってしまったと知られれば、追放されるのは仮にも王族である王女よりも、ただの従者でしかないわたくしかもしれません。
どうにかして、王子には王女がわたくしを誑かし、関係を迫ってきたと信じていただかなければならないのです。きっとこの高慢ちきな娘は、わたくしを一方的に悪者にしようと喚くことでしょう。一歩間違えれば、わたくしが罪人になってしまうおそれがあります。
いまの王子は姫にすっかり心酔していらっしゃるので、わたくしを切り捨てておしまいになるかもしれません。ふと、このように思い至ってしまったので、いま隣に女が酔い痴れるように横たわっていることに臆してしまいました。王子を想うあまり、わたくしは随分と浅はかだったかもしれません。
「王子も可哀想なお方、カエルなんてものに姿を変えられてしまって」
姫の声は妙に落ち着いているようでした。
「ねぇ、どうしてわたしがカエルを人間の姿に戻せたと思う?」
「え」
「わたしはね、知っていたのよ、呪いの解き方を」
「確かに、王子は遠い山に住む魔女に呪いをかけられて‥‥」
「あはは、遠い山、ねぇ。本当に遠いのよあの山」
姫は半身を起こし、肩にかかる美しい髪を細い指で梳くのでした。
「なにをおっしゃっているんですか」
「呪いの解き方なんて、ただの王族の娘が知っていると思って?」
姫の言っている意味が判りませんでした。ただ、背筋がぞくりと寒くなり、鉄の帯がキリキリときつくなったのを感じました。
「魔女は気に入った美しいものを醜いものに変えてしまうのが好きなの。そして、しばらくしたら醜くなった〝それ〟を手元に置いて自分のものにするのよ。でも、変えたのはいいけれど醜すぎたのよ。魔力が強すぎたの。あまりにも醜いものだからすぐに手放してしまったわ。だから魔女は新しい玩具が欲しくなった。
――このわたしがなにも考えずにあの菩提樹の泉のほとりで遊んでいると思って? ふふ、確かに王子様は美しいけれど、それだけね。なにも面白くなかったわ。王子のつまらぬ相手をしていたら、代わりにあなたが現れたのよ、ハインリヒ。あなたは素晴らしい玩具よ」
姫の口から紡がれる言葉こそ、呪いそのものだと思いました。姫の言葉を必死に理解しようとしても、髪を梳く妖艶なその姿に、釘づけになってなにも言えなくなってしまうのです。
「魔女は、わたしなのよ」
姫がわたくしにそっと口づけをしました。ガシャン、と金属が床に落ちる音だけがしました。
気がつくと、どこかで見たことのある、いやらしくぬめりを放つ水かきの手が眼前にありました。身体もどうにも重たい。腹のほうに温もりを感じ、そちらを見やると薄く白く透ける布が敷かれていました。
視界の端に、やたら見覚えのある鉄の帯が転がっているのが見えます。ふいに頭上がこそばゆくなったのでそちらに視線をやれば、きらきらと光るたくさんの金色の糸がふわりふわりと揺れていました。これは、姫では――声を出そうとしたわたくしに、細く白いしなやかな指が降ってきました。
「これであなたはわたしのもの。でも、あなたはいろいろと知りすぎたわ。余計なことを話さないようにあなたの声も醜いものにしたわ」
ああ、なんと。王子を想うあまり、魔女の毒牙にかかってしまうなんて、わたくしはなんと愚かなことか。我が王子、どうかわたくしに失望しないでください――
わたくしは、ゲコゲコと鳴くばかりで、もう二度と人の言葉で嘆くことができなくなっていたのでした。
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