57 / 60
齟齬の彼
四、
しおりを挟む
ーーーーー
「潤一さん‥‥?」
夜半の突然のチャイムに訝しんで扉を開けたのは、原瀬だった。須堂先生の部屋にやってきたのだった。
「ごめんね、急に」
髪は生乾きで表情も虚ろげな来客者に、原瀬は一瞬幽霊かと思ったが、そんなわけはないと宮下を招き入れた。
「どうしたんですか」
脱衣所から新しいタオルを持ってきて宮下に渡す。
「ちょっとね」
宮下はタオルを受け取ると、慣れた足取りで部屋の奥へと進んでゆく。
「先生とは会ってる?」
「いや、あんまり帰ってこないですよ。あんまり、っていうかまったく。連絡もほどほどにしてます」
「へぇ、なんで?」
「えー‥‥なんでって。俺的には毎日だって連絡とりあってもいいんですけど、あんまり触れ合ってると本当に触れたくなるから自制してるんだって言ってましたよ先生」
あの人らしいや、と宮下は笑う。と同時に、羨ましいとさえ思った。自分たちではなし得なかった関係がそこにあると思ったからだ。
「‥‥もしかして橋本さんとなにかありました?」
その問いを誤魔化すように宮下はタオルで頭を掻いて、大きな溜息をついてソファに腰かける。
「ーーここまでどうやって来たんですか?」
宮下の答えたくなさそうな雰囲気を察知した原瀬は質問を変えた。このまま沈黙に陥ってしまうのが怖くなったというのもあるが、単純に宮下がこんな夜半にここまで来た術を知りたくもあった。
「歩いてだよ」
「ええ? 大丈夫でした?」
なにが? と宮下は原瀬を見あげる。
「いや、だって....」
宮下の格好を見れば、風呂あがりで家を出てきたことは容易に想像できる。持ち物もろくに持たずに着の身着のままでここへやってきたということは、なにかあったに違いない。そんな状態の宮下が暗がりを歩いてきたとなると、そんな遠くはないにしても心配せずにはいられない。
だが、原瀬には思い当たる節があった。宮下にそれをぶつけてもよいか悩む。もし違った場合、新たな不安要素を与えてしまうことになる。
「なにか飲みますか」
原瀬が訊ねると、宮下は頭にかけたタオルを揺らしながらちいさく船を漕いでいた。時間も時間なので、眠いのだろう。
原瀬は宮下の隣に座り、その細い肩を叩く。
「潤一さん、横になっていいですから」
「ん」
宮下は原瀬にしなだれかかり、そのままぐいと肩を押し倒した。
「潤一さん? 寝ぼけてます?」
原瀬は覆いかぶさってくる宮下を押し返そうとするが、駄々をこねる子どものように眼前の男は原瀬に抵抗する。
「僕ばっかりどうして」
大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、声を震わせる宮下。
「潤一さん、橋本さんに言いたいことがあるなら、橋本さんに言ってくださいよ。俺に八つ当たりしないでください」
この言葉に、宮下は表情を一気に歪めて泣き出してしまった。原瀬はいつぞや、この部屋で自らも泣き崩れてしまった苦い思い出を呼び起こしてしまった。泣かせるつもりなんてなかったのに。
「結城はずるいんだよ、一方的に僕に文句を言うんだ。僕だって結城と話したいのに、僕ばっか悪いみたいに言うんだよ。確かに僕も悪いところはあるけど、結城だって同じくらい悪いはずなんだよ」
大きくしゃくりあげる。原瀬は、呼吸を落ち着けるように熱くなった背中をさすってやる。
「それを、俺に言っちゃダメなんですよ。潤一さんから本人に話さないと意味が無いんです。同じことをあの人にも言ったのに」
そこで宮下は顔をあげる。目元も鼻も頬も赤く腫らした顔に、思わず原瀬はその身体を抱き寄せた。
「あー‥‥黙ってるつもりだったのに‥‥」
「え?」
「俺、橋本さんにも相談を受けてたんですよ、実は。言うなよ、って言われてたんですけど‥‥」
ぐ、と宮下は原瀬を突き放し、気まずそうな顔を覗き込む。
「会ってたの? 結城と」
「いや、電話で‥‥」
「僕の知らないところで?」
「橋本さんにもいろいろあるんですよ。潤一さんと話したいのになかなかタイミングが合わなくて、いっぱいいっぱいになってて――」
「僕だってそうだよ! 僕だって結城のことを原瀬くんに相談したいなと思ったけど迷惑かもしれないからやめたんだよ‥‥なんで結城は‥‥」
宮下は肩を落とす。
「潤一さん‥‥」
「僕の知らないところでこそこそやめてよ‥‥原瀬くんのところに来たのは間違いだった」
そう吐き捨て、原瀬の制止も振り切って部屋を出て行った。
ーーーーー
「潤一さん‥‥?」
夜半の突然のチャイムに訝しんで扉を開けたのは、原瀬だった。須堂先生の部屋にやってきたのだった。
「ごめんね、急に」
髪は生乾きで表情も虚ろげな来客者に、原瀬は一瞬幽霊かと思ったが、そんなわけはないと宮下を招き入れた。
「どうしたんですか」
脱衣所から新しいタオルを持ってきて宮下に渡す。
「ちょっとね」
宮下はタオルを受け取ると、慣れた足取りで部屋の奥へと進んでゆく。
「先生とは会ってる?」
「いや、あんまり帰ってこないですよ。あんまり、っていうかまったく。連絡もほどほどにしてます」
「へぇ、なんで?」
「えー‥‥なんでって。俺的には毎日だって連絡とりあってもいいんですけど、あんまり触れ合ってると本当に触れたくなるから自制してるんだって言ってましたよ先生」
あの人らしいや、と宮下は笑う。と同時に、羨ましいとさえ思った。自分たちではなし得なかった関係がそこにあると思ったからだ。
「‥‥もしかして橋本さんとなにかありました?」
その問いを誤魔化すように宮下はタオルで頭を掻いて、大きな溜息をついてソファに腰かける。
「ーーここまでどうやって来たんですか?」
宮下の答えたくなさそうな雰囲気を察知した原瀬は質問を変えた。このまま沈黙に陥ってしまうのが怖くなったというのもあるが、単純に宮下がこんな夜半にここまで来た術を知りたくもあった。
「歩いてだよ」
「ええ? 大丈夫でした?」
なにが? と宮下は原瀬を見あげる。
「いや、だって....」
宮下の格好を見れば、風呂あがりで家を出てきたことは容易に想像できる。持ち物もろくに持たずに着の身着のままでここへやってきたということは、なにかあったに違いない。そんな状態の宮下が暗がりを歩いてきたとなると、そんな遠くはないにしても心配せずにはいられない。
だが、原瀬には思い当たる節があった。宮下にそれをぶつけてもよいか悩む。もし違った場合、新たな不安要素を与えてしまうことになる。
「なにか飲みますか」
原瀬が訊ねると、宮下は頭にかけたタオルを揺らしながらちいさく船を漕いでいた。時間も時間なので、眠いのだろう。
原瀬は宮下の隣に座り、その細い肩を叩く。
「潤一さん、横になっていいですから」
「ん」
宮下は原瀬にしなだれかかり、そのままぐいと肩を押し倒した。
「潤一さん? 寝ぼけてます?」
原瀬は覆いかぶさってくる宮下を押し返そうとするが、駄々をこねる子どものように眼前の男は原瀬に抵抗する。
「僕ばっかりどうして」
大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、声を震わせる宮下。
「潤一さん、橋本さんに言いたいことがあるなら、橋本さんに言ってくださいよ。俺に八つ当たりしないでください」
この言葉に、宮下は表情を一気に歪めて泣き出してしまった。原瀬はいつぞや、この部屋で自らも泣き崩れてしまった苦い思い出を呼び起こしてしまった。泣かせるつもりなんてなかったのに。
「結城はずるいんだよ、一方的に僕に文句を言うんだ。僕だって結城と話したいのに、僕ばっか悪いみたいに言うんだよ。確かに僕も悪いところはあるけど、結城だって同じくらい悪いはずなんだよ」
大きくしゃくりあげる。原瀬は、呼吸を落ち着けるように熱くなった背中をさすってやる。
「それを、俺に言っちゃダメなんですよ。潤一さんから本人に話さないと意味が無いんです。同じことをあの人にも言ったのに」
そこで宮下は顔をあげる。目元も鼻も頬も赤く腫らした顔に、思わず原瀬はその身体を抱き寄せた。
「あー‥‥黙ってるつもりだったのに‥‥」
「え?」
「俺、橋本さんにも相談を受けてたんですよ、実は。言うなよ、って言われてたんですけど‥‥」
ぐ、と宮下は原瀬を突き放し、気まずそうな顔を覗き込む。
「会ってたの? 結城と」
「いや、電話で‥‥」
「僕の知らないところで?」
「橋本さんにもいろいろあるんですよ。潤一さんと話したいのになかなかタイミングが合わなくて、いっぱいいっぱいになってて――」
「僕だってそうだよ! 僕だって結城のことを原瀬くんに相談したいなと思ったけど迷惑かもしれないからやめたんだよ‥‥なんで結城は‥‥」
宮下は肩を落とす。
「潤一さん‥‥」
「僕の知らないところでこそこそやめてよ‥‥原瀬くんのところに来たのは間違いだった」
そう吐き捨て、原瀬の制止も振り切って部屋を出て行った。
ーーーーー
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
私の事を調べないで!
さつき
BL
生徒会の副会長としての姿と
桜華の白龍としての姿をもつ
咲夜 バレないように過ごすが
転校生が来てから騒がしくなり
みんなが私の事を調べだして…
表紙イラストは みそかさんの「みそかのメーカー2」で作成してお借りしています↓
https://picrew.me/image_maker/625951
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる