徒花の彼

砂詠 飛来

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齟齬の彼

四、

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「潤一さん‥‥?」

 夜半の突然のチャイムに訝しんで扉を開けたのは、原瀬だった。須堂先生の部屋にやってきたのだった。

「ごめんね、急に」

 髪は生乾きで表情も虚ろげな来客者に、原瀬は一瞬幽霊かと思ったが、そんなわけはないと宮下を招き入れた。

「どうしたんですか」

 脱衣所から新しいタオルを持ってきて宮下に渡す。

「ちょっとね」

 宮下はタオルを受け取ると、慣れた足取りで部屋の奥へと進んでゆく。

「先生とは会ってる?」

「いや、あんまり帰ってこないですよ。あんまり、っていうかまったく。連絡もほどほどにしてます」

「へぇ、なんで?」

「えー‥‥なんでって。俺的には毎日だって連絡とりあってもいいんですけど、あんまり触れ合ってると本当に触れたくなるから自制してるんだって言ってましたよ先生」

 あの人らしいや、と宮下は笑う。と同時に、羨ましいとさえ思った。自分たちではなし得なかった関係がそこにあると思ったからだ。

「‥‥もしかして橋本さんとなにかありました?」

 その問いを誤魔化すように宮下はタオルで頭を掻いて、大きな溜息をついてソファに腰かける。

「ーーここまでどうやって来たんですか?」

 宮下の答えたくなさそうな雰囲気を察知した原瀬は質問を変えた。このまま沈黙に陥ってしまうのが怖くなったというのもあるが、単純に宮下がこんな夜半にここまで来た術を知りたくもあった。

「歩いてだよ」

「ええ? 大丈夫でした?」

 なにが? と宮下は原瀬を見あげる。

「いや、だって....」

 宮下の格好を見れば、風呂あがりで家を出てきたことは容易に想像できる。持ち物もろくに持たずに着の身着のままでここへやってきたということは、なにかあったに違いない。そんな状態の宮下が暗がりを歩いてきたとなると、そんな遠くはないにしても心配せずにはいられない。

 だが、原瀬には思い当たる節があった。宮下にそれをぶつけてもよいか悩む。もし違った場合、新たな不安要素を与えてしまうことになる。

「なにか飲みますか」

 原瀬が訊ねると、宮下は頭にかけたタオルを揺らしながらちいさく船を漕いでいた。時間も時間なので、眠いのだろう。

 原瀬は宮下の隣に座り、その細い肩を叩く。

「潤一さん、横になっていいですから」

「ん」

 宮下は原瀬にしなだれかかり、そのままぐいと肩を押し倒した。

「潤一さん? 寝ぼけてます?」

 原瀬は覆いかぶさってくる宮下を押し返そうとするが、駄々をこねる子どものように眼前の男は原瀬に抵抗する。

「僕ばっかりどうして」

 大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、声を震わせる宮下。

「潤一さん、橋本さんに言いたいことがあるなら、橋本さんに言ってくださいよ。俺に八つ当たりしないでください」

 この言葉に、宮下は表情を一気に歪めて泣き出してしまった。原瀬はいつぞや、この部屋で自らも泣き崩れてしまった苦い思い出を呼び起こしてしまった。泣かせるつもりなんてなかったのに。

「結城はずるいんだよ、一方的に僕に文句を言うんだ。僕だって結城と話したいのに、僕ばっか悪いみたいに言うんだよ。確かに僕も悪いところはあるけど、結城だって同じくらい悪いはずなんだよ」

 大きくしゃくりあげる。原瀬は、呼吸を落ち着けるように熱くなった背中をさすってやる。

「それを、俺に言っちゃダメなんですよ。潤一さんから本人に話さないと意味が無いんです。同じことをあの人にも言ったのに」

 そこで宮下は顔をあげる。目元も鼻も頬も赤く腫らした顔に、思わず原瀬はその身体を抱き寄せた。

「あー‥‥黙ってるつもりだったのに‥‥」

「え?」

「俺、橋本さんにも相談を受けてたんですよ、実は。言うなよ、って言われてたんですけど‥‥」

 ぐ、と宮下は原瀬を突き放し、気まずそうな顔を覗き込む。

「会ってたの? 結城と」

「いや、電話で‥‥」

「僕の知らないところで?」

「橋本さんにもいろいろあるんですよ。潤一さんと話したいのになかなかタイミングが合わなくて、いっぱいいっぱいになってて――」

「僕だってそうだよ! 僕だって結城のことを原瀬くんに相談したいなと思ったけど迷惑かもしれないからやめたんだよ‥‥なんで結城は‥‥」

 宮下は肩を落とす。

「潤一さん‥‥」

「僕の知らないところでこそこそやめてよ‥‥原瀬くんのところに来たのは間違いだった」

 そう吐き捨て、原瀬の制止も振り切って部屋を出て行った。

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