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隙間の彼 -色彩編-
送別の彼
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送別の彼
須堂実幸、春。
街中の桜の花も目一杯に咲き乱れ、暖かい風をまとってその枝を揺らしている。
僕は宮下と橋本を誘って、うち――いまでは原瀬が住んでいる部屋の近所のファミレスに来ていた。もちろん原瀬と一緒に。
僕の隣には原瀬。二人してドリンクバーのホットココア。向かいに座る宮下と橋本も二人でお揃いのようにブラックコーヒーのホットを持ってきていた。
大学生になった二人に会うのはあの一件が初めてで、今回が二度目。ほんのすこし会わなかっただけで大人っぽく見える。それは二年生に進学した原瀬も同じだった。一年前の出会いが懐かしい。
この集まりが決定したとき原瀬に、
「いい大人なんだからちゃんとしたレストランでも予約したらいいのに」
と言われたが、
「ファミレスだって立派なファミリーのレストランでしょ」
なんて言い返した。そうしたら原瀬は変な風に眉をしかめてこう言った。
「いつから家族なんですか俺たち四人って」
もうとっくに年齢だけ大人になった僕は、一年経っても成長していないらしい。
***
「本日は、君たちに報告がある」
それらしくオホン、と咳ばらいをする。同時に店員さんがやってきてパンケーキのいちばん大きいやつを運んできた。なんてタイミングだ。
「わぁ、すごいですねこれ。はちみつの匂いすごい」
宮下はそのパンケーキに目を輝かせて、手にはもうフォークとナイフを持っていた。橋本はソファの背もたれに身体を預け、喜ぶ宮下を嬉しそうに見ていた。原瀬は取り分ける用のお皿を各々に配っている。おい、人の話を聞けよ。
「おい、人の話を聞けよ」
心の声とまったく同じことを発してやったが、この甘い粉の塔を目の前にした十代の若者たちはまったく聞いていないようだった。誰がこんなものを頼んだんだよ、と悪態をついたが、原瀬が切ったパンケーキを僕の目の前に置いてくれたとき、頼んだのは僕自身だったことを思い出した。
どうやら学生諸君は腹が減っていたらしく、五分もかからずぺろりと平らげてしまった。こんなことならピザでもなんでも頼めばよかったのに、と思ったのも束の間、すでに橋本がオーダーを店員さんに伝え終えたところだった。どうにも最近の僕は、すこし離れたところで生活していたせいか彼らの行動を読めなくなっている。
「いいかい、話をしても」
「どうぞ」
一応、宮下と橋本に訊いたつもりだったが、隣で原瀬が返事をしてくれた。それに数秒遅れるようにして向かいの二人も頷いた。
「えー、報告なんですけど、オホン。このたび僕、須堂実幸は実家に帰ることになりました」
原瀬には伝えてあったから驚かないまでも、宮下と橋本は初耳だろうからさぞかしびっくりすることだろう‥‥と思ったのだが、彼らはいつになくドライで、驚愕しているようすもない。さては原瀬が先に伝えてしまったのか?
ちらりと隣の原瀬を見ると、ココアを飲み干して僕のほうを見ていた。
「おかわり要ります?」
「いや、もしかして君、言った?」
向かいの二人を指しすこし声音を低くして問うと、原瀬は真面目な顔でこくりと頷いた。
「ええー、なんだよ。重大発表にしたかったのに」
「先生、僕らを放っときすぎなんですよ」
宮下が言った。それに橋本がフッと鼻で笑い、続ける。
「違うよ、原瀬を、だろ」
え、なに? こいつらいつのまに仲良くなってんの?
「ねぇ、原瀬。僕たちって付き合ってるんだよね?」
ふいに不安になって原瀬に詰め寄るが、眼前の恋人はほんのわずかに頬を赤らめてちいさく顎をひいた。
「君らがそんな仲良しなら僕もう要らないじゃん」
「先生。もう判りましたから、僕らが悪かったですって」
本気で僕が怒ったように見えたのか、宮下が申し訳なさそうな声を出した。
「潤一さんたちに喋ったのは俺ですから、潤一さんは悪くないですよ」
なんだよ、みんなして僕を慰めにかかって。これじゃあまるで僕のほうがガキじゃないか。やっとこうしてみんなで会う時間が取れたのに、なんだか僕ばっかりが仲間外れで楽しくない。しかも、これから僕はこの都会を離れる。もっと彼らと距離ができてしまう。
「先生、続き話してください」
テーブルの下で僕の手を握った原瀬が優しく囁いた。
会えなくて寂しかったのは僕だけじゃない、原瀬もそうなのは判っている。なにを僕はひとりで騒いでいるのか。
***
先ほど注文したピザやらなにやらも届いたのだが、拗ねかけた僕を見て原瀬たちは授業を受けるときのようにじっと黙って僕に続きを話すように促した。
「さっきも言ったけど、僕は教師を辞めてここを離れて、実家に戻ることにしました」
「実家はなにをやってるんですか」
宮下と橋本は、僕が実家に戻るということしか聞いていなかったらしく、純粋に質問をしてくれているようだ。主に宮下が。
「ちいさい書店だよ。本当にちいさい。学習塾くらいの。最初は爺さんが始めたんだけど、いつのまにか父が継いでいて、その父も病気でついに危ないってんで、僕に声がかかったの」
「いまだにそういうのって世襲制なんすね」
ぽつりと橋本が言う。
「まぁ、そういうことだから。僕はこれから教師じゃなくて書店の店主になります。よろしくね。一緒に学習塾もやってるから先生っちゃあ先生なんだけど」
「学習塾?」
淡い茶色の髪を揺らして宮下が首を傾げる。
ピザに手をつけているのは橋本だけで、宮下も原瀬も真剣に聞いてくれているようだ。
「いまどき本屋さんだけじゃやってけないのよ。ついでに近所の子どもたちを集めて塾みたいなことやってるんだ。寺子屋みたいな。田舎なんて塾とか習い事ってそんなに充実してないからさ。学校では習えないような勉強の仕方とか教えたりね」
「親孝行で素晴らしいですね、先生。でも、遠くに行ってしまうのはなんだか寂しいですね」
宮下は本気で寂しがってくれているようだった。僕が別の学校に異動になったときもいちばん判りやすく落ち込んでいた。
「俺も一緒に行きたいって言ったんですよ」
語気を強めた原瀬が僕を睨みながら言う。
「そうなんだよ、学校を辞めて僕の田舎に一緒に帰るって言ってくれたんだけどね。一応高校は卒業してもらわないとさ。親御さんのこともあるし」
ここまで言って、しまったと思った。原瀬とご両親の関係を宮下と橋本は知らないかもしれない。おそるおそる原瀬と向かいの二人を交互に見る。
「一緒に来てほしいって言ったのは先生のほうなのに。こういうときだけ教師面するのズルくないですか」
「あはは、そこは教師っていうか大人ですもんね、先生」
僕の心配なんて要らなかったのかも、と思うほど何事もなく会話が進んでいる。宮下が笑っている。
「でもいまだにあの部屋の家賃は先生が払ってるんですよ。俺なにもできてないのがどうにも厭で。だからバイトしようと思ってるんです」
「え?」
それはさすがに初耳だった。僕になにも相談せずにいろいろ決めているなんて思わなかった。
「どこで、とか決まってるの?」
僕の訊きたいことを宮下が言ってくれた。
「ここから二駅くらい行ったところに喫茶店があるんですよ。チェーン店とかではないんですけど、落ち着いてて良いお店で。ちょうどバイト募集してるらしくて、もう来週から働きます」
「へえ、喫茶店かぁ、いいなあ。場所教えてね。僕も行ってみたい」
「俺も一緒のときじゃないと行かせないからな」
いままで黙々とピザを頬張っていた橋本が入ってきた。いやホントに君たち仲良くなってるじゃん。
「バイトなら、俺たちだって大学近くのコンビニで始めてるもんな」
「結城ってば、なんでもかんでも僕と一緒にするんだもん」
わずかだけど背も伸びて、学生服じゃないってだけでやたら大人びて見えて、かと思えば甘味で喜んでいるし、でも自分の手で稼ごうとしているのはもう立派な大人で、ほんの一年ばかり関わってきただけなのにこの子たちの成長している姿を見て――
「先生?」
原瀬が僕の顔を覗き込んでいるらしい。ぼやけた視界では、愛しい人の表情が判らない。
「まだ拗ねてるんですか?」
泣き顔を見られたくなくて俯いてしまう。
「なんにも変わってないのは僕だけなのかな、ってちょっと寂しくなっちゃった」
手の甲でぬぐった涙を、原瀬が紙ナプキンで拭いてくれる。
「俺だって変わってませんよ。大学に入ったのはいいけどなにか目的があったわけじゃないし。ただ潤一の傍に居たいっていう不純な動機っすもん。まぁ、なにか見つけるために大学に行ってる、っていうことにしてます。目的を探すのが目的、みたいな」
橋本なりのフォローなのか本心なのかは判らないが、その優しさでさらに目頭が熱くなる。
「僕は結城と違ってちゃんとやりたいことのために大学を選びましたからね。こんな奴と一緒にしないでくださいよ」
三人の笑い声が僕の心を穏やかにしてくれる。
地元に戻ることを本当はすこし躊躇っていたが、今日彼らに会って話して良かった。これで決心がついた。
「原瀬」
「‥‥はい!」
突然名指しされて驚いたようすの原瀬だったが、僕のほうに身体を向けて頷いた。
「原瀬を迎えに行けるようにちゃんとした大人になるからさ。愛想つかさないでね」
「‥‥判ってますよ」
すこしはにかんで原瀬はさらに大きく頷いた。なんだこれプロポーズみたいじゃないか。
「宮下も橋本も、ありがとう。原瀬のこと頼むな。変な虫がつかないように」
「お礼を言うのは僕らのほうですよ。久しぶりに先生に会えてよかったです」
「困ったことがあったら相談してくださいよ。俺らも遠慮なく相談しますから」
ああ、ダメだ。歳のせいか涙もろくていけない。
みんな、新しい道で新しいものに触れようとしている。四人は同じところにはいないけれど、こうして僕たちはつながることができる。
ひとつの季節に、それぞれの方向を向いている。
いままでふざけた大人を見せてきたけれど、こんな歳になった僕だっていまからでも新しいことに挑める。
原瀬をこの手で迎えに行けるその日まで、歩んで行かなければ。
「たまには会いに来てもいいよね」
「もちろんです」
原瀬は涙をこらえて笑った。
了
須堂実幸、春。
街中の桜の花も目一杯に咲き乱れ、暖かい風をまとってその枝を揺らしている。
僕は宮下と橋本を誘って、うち――いまでは原瀬が住んでいる部屋の近所のファミレスに来ていた。もちろん原瀬と一緒に。
僕の隣には原瀬。二人してドリンクバーのホットココア。向かいに座る宮下と橋本も二人でお揃いのようにブラックコーヒーのホットを持ってきていた。
大学生になった二人に会うのはあの一件が初めてで、今回が二度目。ほんのすこし会わなかっただけで大人っぽく見える。それは二年生に進学した原瀬も同じだった。一年前の出会いが懐かしい。
この集まりが決定したとき原瀬に、
「いい大人なんだからちゃんとしたレストランでも予約したらいいのに」
と言われたが、
「ファミレスだって立派なファミリーのレストランでしょ」
なんて言い返した。そうしたら原瀬は変な風に眉をしかめてこう言った。
「いつから家族なんですか俺たち四人って」
もうとっくに年齢だけ大人になった僕は、一年経っても成長していないらしい。
***
「本日は、君たちに報告がある」
それらしくオホン、と咳ばらいをする。同時に店員さんがやってきてパンケーキのいちばん大きいやつを運んできた。なんてタイミングだ。
「わぁ、すごいですねこれ。はちみつの匂いすごい」
宮下はそのパンケーキに目を輝かせて、手にはもうフォークとナイフを持っていた。橋本はソファの背もたれに身体を預け、喜ぶ宮下を嬉しそうに見ていた。原瀬は取り分ける用のお皿を各々に配っている。おい、人の話を聞けよ。
「おい、人の話を聞けよ」
心の声とまったく同じことを発してやったが、この甘い粉の塔を目の前にした十代の若者たちはまったく聞いていないようだった。誰がこんなものを頼んだんだよ、と悪態をついたが、原瀬が切ったパンケーキを僕の目の前に置いてくれたとき、頼んだのは僕自身だったことを思い出した。
どうやら学生諸君は腹が減っていたらしく、五分もかからずぺろりと平らげてしまった。こんなことならピザでもなんでも頼めばよかったのに、と思ったのも束の間、すでに橋本がオーダーを店員さんに伝え終えたところだった。どうにも最近の僕は、すこし離れたところで生活していたせいか彼らの行動を読めなくなっている。
「いいかい、話をしても」
「どうぞ」
一応、宮下と橋本に訊いたつもりだったが、隣で原瀬が返事をしてくれた。それに数秒遅れるようにして向かいの二人も頷いた。
「えー、報告なんですけど、オホン。このたび僕、須堂実幸は実家に帰ることになりました」
原瀬には伝えてあったから驚かないまでも、宮下と橋本は初耳だろうからさぞかしびっくりすることだろう‥‥と思ったのだが、彼らはいつになくドライで、驚愕しているようすもない。さては原瀬が先に伝えてしまったのか?
ちらりと隣の原瀬を見ると、ココアを飲み干して僕のほうを見ていた。
「おかわり要ります?」
「いや、もしかして君、言った?」
向かいの二人を指しすこし声音を低くして問うと、原瀬は真面目な顔でこくりと頷いた。
「ええー、なんだよ。重大発表にしたかったのに」
「先生、僕らを放っときすぎなんですよ」
宮下が言った。それに橋本がフッと鼻で笑い、続ける。
「違うよ、原瀬を、だろ」
え、なに? こいつらいつのまに仲良くなってんの?
「ねぇ、原瀬。僕たちって付き合ってるんだよね?」
ふいに不安になって原瀬に詰め寄るが、眼前の恋人はほんのわずかに頬を赤らめてちいさく顎をひいた。
「君らがそんな仲良しなら僕もう要らないじゃん」
「先生。もう判りましたから、僕らが悪かったですって」
本気で僕が怒ったように見えたのか、宮下が申し訳なさそうな声を出した。
「潤一さんたちに喋ったのは俺ですから、潤一さんは悪くないですよ」
なんだよ、みんなして僕を慰めにかかって。これじゃあまるで僕のほうがガキじゃないか。やっとこうしてみんなで会う時間が取れたのに、なんだか僕ばっかりが仲間外れで楽しくない。しかも、これから僕はこの都会を離れる。もっと彼らと距離ができてしまう。
「先生、続き話してください」
テーブルの下で僕の手を握った原瀬が優しく囁いた。
会えなくて寂しかったのは僕だけじゃない、原瀬もそうなのは判っている。なにを僕はひとりで騒いでいるのか。
***
先ほど注文したピザやらなにやらも届いたのだが、拗ねかけた僕を見て原瀬たちは授業を受けるときのようにじっと黙って僕に続きを話すように促した。
「さっきも言ったけど、僕は教師を辞めてここを離れて、実家に戻ることにしました」
「実家はなにをやってるんですか」
宮下と橋本は、僕が実家に戻るということしか聞いていなかったらしく、純粋に質問をしてくれているようだ。主に宮下が。
「ちいさい書店だよ。本当にちいさい。学習塾くらいの。最初は爺さんが始めたんだけど、いつのまにか父が継いでいて、その父も病気でついに危ないってんで、僕に声がかかったの」
「いまだにそういうのって世襲制なんすね」
ぽつりと橋本が言う。
「まぁ、そういうことだから。僕はこれから教師じゃなくて書店の店主になります。よろしくね。一緒に学習塾もやってるから先生っちゃあ先生なんだけど」
「学習塾?」
淡い茶色の髪を揺らして宮下が首を傾げる。
ピザに手をつけているのは橋本だけで、宮下も原瀬も真剣に聞いてくれているようだ。
「いまどき本屋さんだけじゃやってけないのよ。ついでに近所の子どもたちを集めて塾みたいなことやってるんだ。寺子屋みたいな。田舎なんて塾とか習い事ってそんなに充実してないからさ。学校では習えないような勉強の仕方とか教えたりね」
「親孝行で素晴らしいですね、先生。でも、遠くに行ってしまうのはなんだか寂しいですね」
宮下は本気で寂しがってくれているようだった。僕が別の学校に異動になったときもいちばん判りやすく落ち込んでいた。
「俺も一緒に行きたいって言ったんですよ」
語気を強めた原瀬が僕を睨みながら言う。
「そうなんだよ、学校を辞めて僕の田舎に一緒に帰るって言ってくれたんだけどね。一応高校は卒業してもらわないとさ。親御さんのこともあるし」
ここまで言って、しまったと思った。原瀬とご両親の関係を宮下と橋本は知らないかもしれない。おそるおそる原瀬と向かいの二人を交互に見る。
「一緒に来てほしいって言ったのは先生のほうなのに。こういうときだけ教師面するのズルくないですか」
「あはは、そこは教師っていうか大人ですもんね、先生」
僕の心配なんて要らなかったのかも、と思うほど何事もなく会話が進んでいる。宮下が笑っている。
「でもいまだにあの部屋の家賃は先生が払ってるんですよ。俺なにもできてないのがどうにも厭で。だからバイトしようと思ってるんです」
「え?」
それはさすがに初耳だった。僕になにも相談せずにいろいろ決めているなんて思わなかった。
「どこで、とか決まってるの?」
僕の訊きたいことを宮下が言ってくれた。
「ここから二駅くらい行ったところに喫茶店があるんですよ。チェーン店とかではないんですけど、落ち着いてて良いお店で。ちょうどバイト募集してるらしくて、もう来週から働きます」
「へえ、喫茶店かぁ、いいなあ。場所教えてね。僕も行ってみたい」
「俺も一緒のときじゃないと行かせないからな」
いままで黙々とピザを頬張っていた橋本が入ってきた。いやホントに君たち仲良くなってるじゃん。
「バイトなら、俺たちだって大学近くのコンビニで始めてるもんな」
「結城ってば、なんでもかんでも僕と一緒にするんだもん」
わずかだけど背も伸びて、学生服じゃないってだけでやたら大人びて見えて、かと思えば甘味で喜んでいるし、でも自分の手で稼ごうとしているのはもう立派な大人で、ほんの一年ばかり関わってきただけなのにこの子たちの成長している姿を見て――
「先生?」
原瀬が僕の顔を覗き込んでいるらしい。ぼやけた視界では、愛しい人の表情が判らない。
「まだ拗ねてるんですか?」
泣き顔を見られたくなくて俯いてしまう。
「なんにも変わってないのは僕だけなのかな、ってちょっと寂しくなっちゃった」
手の甲でぬぐった涙を、原瀬が紙ナプキンで拭いてくれる。
「俺だって変わってませんよ。大学に入ったのはいいけどなにか目的があったわけじゃないし。ただ潤一の傍に居たいっていう不純な動機っすもん。まぁ、なにか見つけるために大学に行ってる、っていうことにしてます。目的を探すのが目的、みたいな」
橋本なりのフォローなのか本心なのかは判らないが、その優しさでさらに目頭が熱くなる。
「僕は結城と違ってちゃんとやりたいことのために大学を選びましたからね。こんな奴と一緒にしないでくださいよ」
三人の笑い声が僕の心を穏やかにしてくれる。
地元に戻ることを本当はすこし躊躇っていたが、今日彼らに会って話して良かった。これで決心がついた。
「原瀬」
「‥‥はい!」
突然名指しされて驚いたようすの原瀬だったが、僕のほうに身体を向けて頷いた。
「原瀬を迎えに行けるようにちゃんとした大人になるからさ。愛想つかさないでね」
「‥‥判ってますよ」
すこしはにかんで原瀬はさらに大きく頷いた。なんだこれプロポーズみたいじゃないか。
「宮下も橋本も、ありがとう。原瀬のこと頼むな。変な虫がつかないように」
「お礼を言うのは僕らのほうですよ。久しぶりに先生に会えてよかったです」
「困ったことがあったら相談してくださいよ。俺らも遠慮なく相談しますから」
ああ、ダメだ。歳のせいか涙もろくていけない。
みんな、新しい道で新しいものに触れようとしている。四人は同じところにはいないけれど、こうして僕たちはつながることができる。
ひとつの季節に、それぞれの方向を向いている。
いままでふざけた大人を見せてきたけれど、こんな歳になった僕だっていまからでも新しいことに挑める。
原瀬をこの手で迎えに行けるその日まで、歩んで行かなければ。
「たまには会いに来てもいいよね」
「もちろんです」
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了
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