紺青の鬼

砂詠 飛来

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其のに・青鬼の面、鬼堂の大杉

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     六、

 寺を出てゆくことになったのは、陽成のほうであった。

 駆け落ちが見つかった翌日には、陽成は寺を出ていた。

 陽光が強引に追い出したのである。

 かさねの心づかいにより、お梅は無事に子を産むまでは寺に居てもよいことになったが、子を産んだら速やかに寺を去ることを陽光と約束した。

 そして、陽成のことを捜さないとも約束を交わした。

 陽成がどこの寺へ行ったのか、お梅は知らない。

 お梅がすこしの間、寺にとどまることになったのを、陽成は知らない。

 陽成は、お梅の姿を見ることなく、修行に出た。

 それから、お梅は陽成のことを口にしなくなった。

 陽光は、直接口には出さないが、お梅のことを気にかけているのは違いなかった。

 はじめは厳しい顔をしていたが、お梅のお腹が大きくなるにつれ、お梅のことを気づかうようになっていた。

 そして、時は流れ、お梅は女の子を産んだ。

「お梅ちゃん、よくがんばったわね。可愛い女の子ね。きっと、お梅ちゃんに似て美人さんになるわ」

 乳をやるお梅に、かさねが言った。

「ありがとうございます‥‥」

 お梅は小さく返事をして、我が子を見る。

 我が子の顔に、ふと陽成の面影。

「もし、男の子だったら、うちの跡取りにさせていたかもしれないわ」

 かさねが言った。

「かさねさん‥‥! いけません、それは。本当なら、わたしはここに居られない身です。しばらくしたら出てゆかねばならないし‥‥だから、仏さまは男の子でなく、女の子をわたしに授けてくださったのでしょう」

「そうかい‥‥でも、無事に産まれてよかった。体調が戻るまで、しっかり休みなさい」

 すこし寂しそうにかさねが言った。



       七、

 赤子は、かえでと名付けられた。

 かさねは、このかえでをたいへん可愛がった。

 だが、陽光はそれ以上に可愛がった。

 若い母娘が居ないところで陽光は、

「このまま、寺に置いてやりたいな‥‥」

 と、こぼすことがあった。

「わたしもそう思いますが‥‥陽成には決められた娘さんがいるのでしょう? わたしはまだお会いしたことはありませんが」

「そのことなんだがな。実は、許嫁など居ないのだよ」

「えっ?」

 かさねは、たまらず驚く。

「陽成に許嫁なんておらん」

「嘘をついていたのですか?」

 陽光はつらそうに表情を歪ませ、

「そう。嘘だ。許嫁がいる、とでも言わなければ彼奴あやつは真面目に修行をしないだろうと思ってな。だが、無駄だった──」

「では、お梅ちゃんに本当のことを話して、この寺に居てもらってはどうですか。あのにはゆくあてがありません。それに、口には出しませんが、あの娘は陽成のことをいまでも想っているのですよ」

「そこなのだ」

「なにがです」

「あの娘がこの寺に居る限り、陽成は立派な僧にはなれん。つい、腑抜けてしまう」

「でも‥‥」

「寺を出てゆくこと、お梅も了承した。もう決めたのだ」

 陽光は、自らにも言い聞かせるように言った。



      八、

 幾日か経ち、お梅の体力も戻った。

 いよいよ、寺を出てゆくことになった。

 許嫁のことは、お梅には黙っていた。

 門前──

 かさねは、赤子を抱いているお梅の手に、充分な銭を握らせた。

「元気で、元気でやるんだよ」

 お梅は銭を拒んだが、

「道端で野垂れ死なれたら困るからね。無縁仏になってうちに戻ってくるかい? それはわたしが御免だよ。せっかく産んだ命、大切にしなさい。その銭は、かえでのためだからね」

「かさねさん‥‥」

「それに、わたしらがゆくあてを探してやろうかと言ったのを、あんたは断った。それじゃあわたしの気が済まなくてねぇ。せめて銭を、とね」

「──ありがとうございます」

 お梅は銭を握りしめ、深々と頭を下げた。

「本当に大丈夫なのか」

 陽光が言った。

「ゆくあては自分で決めます。これ以上、陽光さまやかさねさんに迷惑はかけられません」

「ここまで迷惑をかけておいて、そう言うかね。まぁ、あんたがそう決めたのなら、もう、なにも言うことは無い」

 そう言うと、陽光は懐から護符を取り出し、赤子を包んでいる衣にそれを差し入れた。

 無言で赤子を見つめ、指で軽く頬をくすぐると、そのまま本堂へ向かって歩いていってしまった。

「昨夜、作っていたんだよ」

「ありがとうございます」

 眼に涙を浮かべ、お梅は再び頭を下げた。

「ずっとここにおいてやりたいけど、あんたがあのひとと約束したことなら、わたしは口出しできないからね──元気でやるんだよ」

「お世話に、なりました」

 改めて礼を言い、お梅は寺をあとにした。

 お梅は、安兵衛を頼ろうと思っていた。

 この村に居ることはできない。

 安兵衛なら、村の外でも生活してゆけるように、なんとかしてくれるだろうと思ったのだ。

 寺を出て、幾らも歩かないうちに、後ろから声をかける者があった。

 はじめは、遠くのほうから。

 お梅が振り返ると、僧のなりをした若い男が駆けてきた。

 陽成であった。

「お梅さん! 待って! 待ってくれ!」

「陽成さん⁉ どうしてここに? 修行は?」

 陽成は両の膝に手をつき、呼吸を整える。

 そのようすを、お梅は心配そうに見ている。

 しばらく荒い呼吸をくり返し、ようやく落ちついてから陽成は口を開いた。

「よかった、無事に産まれたのか」

 お梅の腕のなかの赤子を見て言う。

「えぇ──それよりも陽成さん、どうしたのですか?」

「お梅さんのことが心配で、来てしまったのです」

「修行は? 偉い大師さまのところで修行していたのでしょう?」

「ひと目、ひと目だけでもお梅さんと、この子の顔が見たくて、投げ出してきたのです」

「陽光さまに知られたら、きっとおいかりになりますよ!」

「そんなこと、構うものか! 愛しいひとと、愛しい我が子の顔を見ずにおれますか」

「そう、ですけど──」

「どれ、ぼくにも抱かせてください」

 お梅は困ったように陽成を見たが、ふっと微笑んで、

「仕方ありませんね。女の子ですよ。かえで、と名付けました」

 陽成に赤子を渡した。

「かえで──」

 すやすやと眠る我が子を見て、陽成は優しく声をかける。

「産まれてきてくれて、ありがとう」

 陽成は、かえでの衣の間から護符を見つけた。

「これは?」

「陽光さまが作ってくださったのです」

「父さんが?」

「はい」

「父さん‥‥」

 護符をしばらく見つめ、それをそっと元に戻した。

 かえでをお梅に返す。

「お梅さん」

「はい」

「あの寺を出てゆくのですか」

「──はい」

「どうしても?」

「陽光さまと、約束したので‥‥」

「──」

「──」

 互いに俯く。

 沈黙。

 ふいに、お梅が口を開いた。

「わたしは、もう逃げません。かえでのためにも逃げられません。自分たちで決めて生きてゆくと、陽光さまやかさねさんと約束し、決心してあの寺を出てきたのです。もう、逃げません」

「──」

 陽成は俯いたままである。

「陽成さん。きっと、立派なお坊さまに──」

 ここまで言った時、陽成がその場に座り込み、お梅の脚にとりすがった。

「お梅さん‥‥頼む。頼むから、ぼくと一緒に居てください。どこへもゆかず、ずっとぼくと一緒に居てほしいのです」

 陽成は泣いて懇願した。

「──修行はどうするのですか。陽光さまの想いはどうするのですか」

 お梅の声は冷たい。

「お梅さんは、ぼくよりも父さんとの約束をとるのですか‥‥」

「陽光さまには、たくさん迷惑をかけました。この子を産むのだって、かさねさんが助けてくれましたし、本当ならすぐにでもあの寺を出てゆかなきゃならないところを、かさねさんが、無事に産むまでは居てもいい、と言ってくれたのです」

「母さんが‥‥」

「ですから、もう、わたしは迷惑をかけられないのです」

「──お梅さんは、ぼくのことを嫌いになってしまったのですか」

「嫌いになるだなんて、そんなことはありません。いまでもお慕いしております」

「では──」

「わたしは、がっかりしているのです」

「え」

「駆け落ちの晩、わたしを置いていったこと。修行を投げ出し、いまここにあなたがいること。あなたには信念がなさすぎです。わたしを慕う一途な気持ちを、修行にもあてることはできないのですか」

「それは‥‥その‥‥」

「お慕いしているからこそ、がっかりしているのです」

「──」

 陽成は、ことばが出ない。

「陽成さん‥‥」

「──ゆかないでくれ」

 お梅の着物の裾をきつく握りしめ、声を震わせる。

「ゆかないでくれ。どこへもゆかず、ぼくの傍に居てほしい」

「修行はどうなさるのですか」

「修行なぞ知らん。もう、すべて投げ出す。あなたと一緒に居たい‥‥」

 ひとつ顔をしかめ、ひとつ息を吐いてお梅は、

「本当にその覚悟があるのなら、その旨を陽光さまに宣言してください」

「父さんに‥‥」

 陽成は顔をあげる。

「わたしと一緒に居たいと強く想うのなら、陽光さまとかさねさんの前で宣言してください」

「宣言‥‥」

「それができないようでは、わたしはあなたについてゆけません」

 お梅はぴしゃりと言った。

「わたしとかえでのために、なにもかも捨てられますか?」

 強く、しかし、胸を詰まらせて問う。

「ひと晩──ひと晩、時間をください。決断します」

 陽成はお梅の着物の裾を放し、言った。
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