紺青の鬼

砂詠 飛来

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無量億劫

『宇治拾遺物語』巻十一(一三四)   日蔵上人、吉野山にて鬼にあふ事

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   一、

 これはね、ちょっと前に夢で見たことなんですけど‥‥つまらないぼくの話、ちょっとだけ聴いてもらえますか?

 えぇ、構いませんか?

 えへへ、ありがとうございます。

 それでね、夢の話なんですけれど。

 ぼくね、最近‥‥‥妙に怖い夢を見るんです。

 えぇ。

 え?

 いやいや、そういう怖いんじゃなくて、そう、こっち‥‥出るほうです。

 そう、お化けの類い。

 まぁ、お化けといってもね、ぼくの夢に出てくるのは鬼なんですけどね。

 鬼。

 角?

 ありませんよ。

 昔話なんかに出てくるああいう鬼じゃなくて‥‥金棒は持ってませんよ。

 まぁまぁ、いいじゃないですか。

 とりあえずは、ぼくの話を聴いてくださいよ。

 ──で、鬼ね。

 その鬼、七尺──二メートルくらいあるんですよ。

 ぼくの身長よりもうんと高い。

 そうですねぇ‥‥ちょっと昔の言葉を借りるなら‥‥


  身の色は紺青こんじょうの色にて、髪は火のごとくに赤く、くび細く、胸骨は、ことにさしいでて、いらめき、腹ふくれて、脛は細く有けるが‥‥


 といったところですかねぇ。

 とにかく大きくて、ぼくは腰を抜かしちゃって。

 その場に座り込んじゃったんです。

 その場、というのも、とてもジメジメした厭な感じのところ。

 どうやら、そこは山のなかのようなんです。

 夜半の、山の中腹、くらいでしょうか。

 ふいにね、その山が吉野山だということが、ぼくには判ったんです。

 脳内に、ふっと入ってきたんです。



   二、

 でも、なにがなにやらぼくには理解できない。

 そのうちに、例の鬼がね、こちらに向かって歩いてくる。

 なにやら泣いている。

 眼から血の涙を流して、どしんどしん、と地を踏んで歩いてくる。

 怖い、ですよねぇ‥‥。

 でも、ぼくは逃げない。

 逃げられない。

 その場から動けないんです。

 あまつさえ、僕はその鬼のほうへ歩いているようなんです。

 ああもう怖い。

 怖いけど、鬼のほうへ近づいている。

 夜ですから、あたりは真っ暗。

 でも、鬼の姿だけ、ぼうっと青い炎にまとわれて光ってる。

 ついに──

 鬼はぼくの足もとにうずくまり、よりいっそう大きい声で泣きはじめたのです。

「これ、なにをするのですか」

 ぼくは、つい鬼に言っていましたよ。

 自分でもこんなことを言うなんて、思ってもいなかったんですけどね。

 そして、鬼はこう言うのです、むせび泣いて。

「おれは四、五百年より前の、昔のひとだったが、とある奴のために恨みを残して、いまのこの鬼の姿になったのだ──」

 と、つらつらと語り始めたんです。

 これにぼくはびっくり。でも、静かに聴くしかありませんよ。

「鬼の姿となったおれは、願いのとおり仇敵を憑り殺し、子はもちろん、孫、曾孫、玄孫に至るまで残らず殺し尽くした──」

 なんと怖ろしい話でしょう。鬼の話は続きます。

「いまは、殺すべき者も居ない‥‥このうえは、奴らの生まれ変わった先までも調べて、憑り殺してやろうかと思ったが──次々と生まれ変わる場所は露ほども判らなんだ。ゆえに、殺すことも叶わぬ」

 ぼくは、だんだん、鬼に同情を覚えてきました。

瞋恚しんいの、この怒りの炎はいまもなお昔のように燃えても、怨敵の子孫は絶え果てて、然るに我ひとり、尽きもせぬ瞋恚の炎に身を焦がされ、やる方のない苦痛を受け続けておるのだ‥‥」

 そう泣いたときの鬼の眼には、血涙と、瞳の奥には、ちらりと人間の灯りが見えたのです。

 ──あぁ、この鬼には、まだひとの心があるのだ。だから、こうして恨む相手の居ないこの世を彷徨い、自分自身を恨んでいるのだ。

 ぼくはそう思いました。

「五百年余りを恨み生きたため、その恨みを溜めて、いまではこのような身となり、無量億劫むりょうおくごうの苦痛を受け続けることを、どうしようもなく哀しく思うのだ‥‥あの者のために恨みを残したのは、なんと言っても自分自身のためだったのだ」

 あの者──もしや、この鬼がひとであった時代の、想いびとでありましょうか。

「しかし、敵の子孫が絶え果てた後も、我が命は尽きることがない。もし、かねてこうなることを知っていたのなら‥‥よもや、このような恨みを残すことはなかったはずだ。こうなれば、この身が朽ちるまで、何年と何百年とかかろうと──生まれ変わりを見つけて憑り殺してくれようぞ」

 鬼をまとう青い炎が揺らぎます。血の涙も紺青の頬を伝います。

 鬼はそのように語り、涙を流して限りなく泣きつづけました。

 哀しげで痛々しいその慟哭は、夜の山、更ける星空まで届いたことでしょう。

 次第に、鬼の頭から炎が燃えだしてゆくのでした。

 鬼の慟哭、燃え上がる炎、伝う血涙、青い鬼火──

 ぼくは、その哀れな鬼の姿を見守るしかありませんでした。

 やがて、鬼は吉野の山奥へ静かに歩み入ったのです。



  三、

 いかがでしたか、ぼくのこの怖い夢は。

 怖いと言っても、怖いのはほんの序盤だけ。

 あとは、あの鬼が哀れでなりませんでしょう。

 暗い山の奥へ入ってゆく鬼の背中は、ぼくもとてもつらかったのです。

 でも、ぼくには、話を聴いてあげることしかできなかった‥‥。

 だから、ぼくだけでもあの鬼の罪滅ぼしをしてやろうと思うのです。

 あの紺青の鬼の恨みが、ついえることがなくとも、ぼくだけは、ぼくだけは──

 このぼくの決意を聴いてもらうために、ぼくが見た夢の話をあなたにお話ししたのです。

 ぼくの気持ち、判ってくれましたか?

 そうですか、それならありがたい。

 それでね、ぼくは手始めに‥‥って、あれ、どうしたのですか?

 どうしてぼくから逃げるのですか。

 どうしてそんな怯えた表情をするのですか。

 どうして──

 おや、なんですか、この、どしんどしんという地を踏む音は。

 なんですか、この青い火は。

「ようやく見つけた。これで最後の生まれ変わりだ」



 了


 引用:『宇治拾遺物語』巻十一(一三四) 
    日蔵上人、吉野山にて鬼にあふ事
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