花緑青

砂詠 飛来

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花緑青

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   六、

 幾日か経ったある夜、屋根を叩く雨音――

 何年かぶりに再会した鴇丸は、仲の良かった昔のように、いまも変わらず接してくれる。

 その優しさを信じ、鴉羽は、

「なぁ、トキ。一緒に里に帰らないか」

 ぽつりと訊ねてみた。

 布団に横になり、天井を見つめる。

 鴉羽の顔は、ひどくやつれ、血色も悪い。

 鴇丸は背を向けたまま、鴉羽の忍具の手入れをしている。

「トキ、聞いてるのか――」

「―――」

「おい」

 なかなか返事をしない鴇丸の背に、そっと手を伸ばす――が、鴉羽のその手は力なく床に落ちる。

 鴉羽は、ほとんど身体を動かすことができなくなっていた。

 怪我をした左腕に巻かれた包帯は、常に血が滲んでいる。

 高熱にうなされ、重く呼吸をくり返す夜をいくつも過ごした。

 折れた脚も、赤黒く腫れあがっている。

 だが、今夜はわりと落ち着き、普通に会話ができるまでになっていた。

「トキ」

「ん? どうした」

 鴇丸は、ようやく振り返った。

「俺はついに声まで出なくなったのかと、怖くなったじゃないか。ちゃんと返事をしてくれ」

「悪かったよ。雨で聞こえなかった」

 ――本当は聞こえていたんだろう

 鴉羽は言葉を飲み込み、再び天井を見やる。

「お前の粥、美味かったよ」

「そうか」

「あの時、お前がつくってくれた握り飯を思いだしたよ。また、つくってくれないか」

「そうだね。いつでもつくるよ、鴉羽のために」

「――里では、俺はもう死んだことになってるだろうな。戦にも敗れ、屍も見つからず‥‥逃げ帰ってどこかで野垂れ死んでると」

「不吉なことを言うのやめなよ」

「半分は事実だ。逃げ帰ってきたのは確かだからな」

「次期里長なんだろう? 生きて帰ればそれだけで充分さ」

 鴇丸は言う。

 それに対し鴉羽は、

「トキ、さっき聞こえていたろ? 一緒に里に帰らないか。俺の怪我が治ったら、一緒に――」

 さきほど飲み込んだばかりの言葉を口にしていた。

「僕は帰らないよ」

「あのときの、跡目争いのことを気にしてるのか」

「‥‥いや」

「俺は気になってるよ、あの日からずっと。トキに訊きたいこともある」

「?」

 鴉羽の顔を見る鴇丸。

「あの勝負、なぜお前は負けたんだ?」

「なぜ? 鴉羽のほうが強かったからだろう」

「いや、違うな」

「は?」

 ひゅう、と息を吐く鴉羽。

「あのとき、トキはずっと苦しそうな顔をしてた。疲れていただけとは思えない」

「‥‥‥」

「俺が里長の息子だからって気を遣ったのか?」

「そんなことで気なんか遣わないよ。僕は‥‥ただ、鴉羽のことを傷つけたくなかっただけだよ」

「―――」

「鴉羽を攻撃するのが、ひたすらに、つらかったんだ」

 鴉羽はなにか言いかけたが、突然、苦しみだした。

 血の滲む腕を押さえ、呻く。

「鴉羽!」

 鴉羽の高熱と倦怠感は、腕と脚の傷が化膿したのが原因だった。

「一緒に、帰ることは、無理そうだな‥‥」

「包帯、取り替えるから」

「まさか、俺を傷つけたくなくて、俺に負けた‥‥?」

 息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。

「でもな、俺は、傷ついたよ」

「薬、塗りなおすよ」

「トキが、俺に黙って、里を出たこと――それで俺は、傷ついた」

「ついでに脚のほうも取り替えて薬を塗るから」

「ガキの頃からずっと、一緒だった、のに。トキが里を出たと知って、なにかを失った気がした。今回の、戦についても、なにも、報せをくれなくて。それでもう一度、俺は失った気がした‥‥お前を」

 鴇丸は手あてを進める。

「ここ何年も、あの頃の、ガキだった頃のことばかり、思いだしていた。里なんかに縛られない、ただ、なにもかもが楽しかった、あの頃のことを」

「‥‥勝手に傷ついて、勝手に想い出に浸って、それで? 怪我して苦しんでる鴉羽にこんなこと言いたくないけど‥‥自分だけが傷ついて自分だけがつらいと、思わないで」

 鴇丸の声がわずかに低くなった。

「トキ」

「僕だって鴉羽のことを考えて考えて、それでこんな山奥に潜んでるんだ」

「じゃあ、トキも俺のこと、想ってくれてたって、ことか‥‥?」

「そうだよ」

 真っ直ぐに鴉羽を見つめ、鴇丸は言った。

 瞬間、顔を真っ赤にして、

「だ、だから‥‥っ、さっさと怪我を治せ! 里には、鴉羽が必要だよ」

「俺には、トキが必要だ」

 鴇丸の表情が強張る。

「ガキの頃の、楽しかったあの頃の、トキの笑い声が耳に張りついて、消えないんだ。俺は、トキしか要らない」

「そんな、ことを言ったら‥‥里長が哀しむ。跡目のことは、あの方も断腸の思いだったはずだ」

「父のことは、どうでもいい!」

 痩せて骨張った手で、鴇丸の腕をつかんだ。

「父も、里も、掟も、そんなのもう知らない。どうでもいいんだ。トキが居ない里なんか守っても意味が無い。いつか、トキが戻ってきて、くれるんじゃないかと、信じて待っていたんだ、だから‥‥厳しい修行にも、耐えてこれた‥‥ぐっ」

 鴉羽は激しく咳き込む。

「でも‥‥でも、トキが里に戻らないというなら‥‥あんな里、もう知らない」

 やつれた頬、抜けた髪、血に染まる手脚――

 鴇丸は鴉羽のそれらを見、目を伏せる。

「じゃあ‥‥僕がいままで、命を懸けて守ってきたあの里は、どうなる?」

「‥‥?」

 俯き、声を殺し、鴇丸の涙は鴉羽の血の包帯に落ちる。

「鴉羽が里に居ると思ったから、僕だって頑張ってこれたのに」

「なにを、言って‥‥」

「里を襲おうとする敵を、僕が退治していたんだ。里を守るために、ここで暮らした。戦の話を聞いたとき、どうにかして力になりたかった。でも、僕がここを離れれば、隙をついて里を狙う輩が現れる。それを防ぎたくて、戦には赴かなかった」

「トキが、守ってくれてた‥‥?」

「僕にできることといえば、こんなことくらいしか無いんだよ。忍の基礎を教えてくれた里長ちちのため、苦しい修行を共に乗り越えてきた鴉羽のため、僕は、命を懸けてきたのに‥‥鴉羽が里を捨てるというのなら、いままで僕がやってきたことは、一体なんだったの」

「トキ、どうして、一緒に帰れない? そこまで里や俺を、想ってくれてたのなら、里を二人で守ることも、できる、だろ」

「所詮、僕は孤児だ。本来、里を守るべきは鴉羽なんだ。生まれの知れぬ僕のような者が、いまさらのこのこと帰れない。掟だって守らなければならないんだ」

「トキは孤児なんかじゃない。俺の大切な兄弟であり、仲間であり、好敵手であり‥‥大切な‥‥」

 鴉羽は、痛みで悲鳴をあげる身体を無理に起こした。

「ずっとトキに嫌われてると、思ってた。でも、再会して、トキは変わらず俺に接してくれた。だから、俺は」

「僕なんかのために、里を捨てないでよ」

「トキの居ない里なんか、捨てる」

「里を守らない鴉羽なんて知らない!」

 思わず鴇丸は、鴉羽の頬をはたいていた。

 反動で倒れる鴉羽。

 苦しそうに呻く鴉羽を目の前にし、鴇丸の表情は歪むが、あふれ出る想いは止まらず言葉となる。

「里のために一生懸命な鴉羽が好きだった。久々に会えた鴉羽が怪我をしていて、ひどく心が痛かったけど、目の前に居てくれるだけで、うれしかった――」

 鴉羽は肩を揺らし、苦しそうに吸って吐いてをくり返している。

「里には、帰らない」

 ひとつ言い残し、鴇丸は小屋の外へ出た。

 深い雨雲と夕暮れが混じり、雨空は緑青色ろくしょういろに染まって見えた。




   七、

 重たい雨は、夜が明けるまで降り続けた。

 あの後、鴇丸は半刻ばかり外で頭を冷やし、全身をずぶ濡れにして小屋へ戻ってきた。

 錫色の髪が、雨粒できらきら光って眩しい。

 鴉羽は、倒れた姿のまま、事切れていた。

 大量の血を吐いた跡。

 その姿を観た鴇丸は、ぐったりと重く冷たくなった鴉羽を抱き起こし、ぎゅっと自らの胸にうずめて泣き明かした。

 戸の隙間から差し込む陽の光で目が覚める。

 もう二度と目を覚ますことのない鴉羽の、涙の跡が残るその頬に、静かに手を添えて鴇丸は言った。

「僕も同じだ。鴉羽が居ない里を守る意味なんて無いよ」

 瞑られた鴉羽の目元から、ひとすじ雫がこぼれた。


 了
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