花緑青

砂詠 飛来

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花緑青

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  四、

「次期里長、失格だな」

 傷を負い血が止まらない左腕を押さえ、暗闇と冷たい雨のなか、鴉羽は呟く。

 敗色が濃厚となり、前線から撤退した鴉羽たちだったが、逃げている最中、道中に潜んでいた刺客に深手を負わされてしまった。

 仲間とはぐれ、鴉羽は見知らぬ山道を歩いていたのだった。

 自分がどこを彷徨っているのか判らず、薄れゆく意識のなか、明かりが灯る古い小屋を発見した。

 最後の力をふりしぼり、木の戸を打ち鳴らそうとしたとき、鴉羽の意識はぶっつりと途切れてしまった。

 *****

 手脚に暖かさを感じ、鴉羽は目を覚ました。

 薄汚れた天井、揺れる囲炉裏の炎――

 傍らでは、青年が座ってなにか作業をしている。

「‥‥トキ?」

 なにか紺の布を繕っていた青年――鴇丸が顔をあげ、横たわる鴉羽を見た。

 白い肌と錫色に輝く髪、大きな瞳。

 大人の男に成長しつつも、あの頃の華奢な面影が残っている。

「すこしは暖まったかな」

 鴇丸は手を伸ばし、鴉羽の手に触れた。

「トキ‥‥」

「お前は馬鹿か」

「は」

「ここが僕の小屋だったから良いものの、もし敵の住処だったらどうするつもり? 殺されてたよ」

 持っていた針で鴇丸は、ちくりと友人の手の甲を刺した。

「痛っ」

「こんなことでは先が思いやられるな、次期里長さん」

「お前‥‥」

 驚きのあまり声もうまく出せない鴉羽をよそに、鴇丸は喋り続ける。

「鴉羽の装束、破れていたからいま縫ってるよ。お前は身体が大きいからな、これが直って乾くまでは、小さいかもしれないけれど僕の着物で我慢してくれる?」

 言われて鴉羽は、自分の身体を見やる。

 なるほど、見覚えのない着物に袖を通している。

 怪我をしていた左腕には包帯が巻かれていた。

「傷口が開くといけないからあまり動いては駄目だけれど、飯は食わんとな。粥をこしらえてあるから、冷めないうちに食べて」

 鴇丸は腰を浮かせて、鴉羽を起こしてやろうと手を差しだす。

 その手を見、

〝退いて〟

 あのときの闘いが、ふいに鴉羽の脳裏によぎる。

 しかし、粥の美味そうな香りで、それはすぐにかき消された。

 鴇丸の手は、相変わらず冷たかった。




   五、

「戸が激しく揺れたからなにかと思って見にいったら、鴉羽が襤褸ぼろのようになって倒れているから驚いたよ」

 さじで粥をすくい、ふうふうと冷ましながら鴇丸が言う。

 息を吹きかけるたび、白い頬がわずかに膨らんで、幼い頃の面影が鮮明になる。

「襤褸って‥‥非道い言いようだな。それより、どうしてすぐに俺だって判ったんだ?」

「判るさ。鴉羽のことなら」

 ん、と匙を差しだす鴇丸。

 その真っ直ぐな瞳に、鴉羽は胸が痛む。

「‥‥この数年、俺はお前に嫌われていると思っていた」

「どうして?」

「いや――だって、黙って里を去るし、居場所も教えてくれないし、この戦へも協力してくれないし、もしトキが参戦してくれたなら、勝っていたかもしれない」

「どうだかね。別に鴉羽のことを嫌っていたわけじゃない。僕にもいろいろとあるのさ。それより粥、早く食ってくれよ」

 ずい、と唇に押しあてられる匙。

「トキ! 二十後半にもなる男に、その食わせ方はどうなんだ! 俺は怪我をしただけでな、別に‥‥」

「そう、怪我だよ。いま右腕しか使えないんだから、危なっかしいでしょ」

「だからってな!」

 匙を持つ鴇丸の手をつかみ、鴉羽は逃れようとする。

「暴れないで。なにをいまさら恥ずかしがってるの。鴉羽、気づいてないかもしれないけれど、左脚も折れてるんだよ。じっとしてなって」

 そう言われて、脚も手あてされていることに初めて気がつき、急に動けなくなった。

 もう逃げられないようにと、鴇丸は膝でにじり寄り、再度、匙を差しだしてくる。

「‥‥ん」

 鴉羽はおとなしく粥を頬張る。

「不味くても、ちゃんと食えよ」

「不味くなんか、ない」

 しばらく黙って粥を食べ、再び横になる。

「寝てな。よく休んだほうがいい」

 鴇丸は衣の繕いを再開し、優しく言った。

「トキは‥‥寝ないのか。もう夜半だぞ」

「もうすこししたら寝るさ」

「悪いな、トキ。本当に――」

 それだけ言うと、静かに目蓋を閉じた。

 久しぶりに落ち着いて眠ることができた鴉羽は、夢現ゆめうつつに幼い頃のことを思い出していた。

 十五歳の誕生日をまもなく迎えるかという頃、里長や大人たちが里長の屋敷に集まり、

「子どもは外に出ていなさい」

 と締め出されてしまったことがあった。

 いま思えば、それは次期里長を決めるための会議かなにかだったのだろう。

 鴉羽と鴇丸は、久々に修行から解放された。

 近くの野山を駆けまわったり、小川で水遊びなどをした。

 この時は、次代を担う若者ではなく、無邪気な少年の顔で笑っていられた。

 冷たく透き通る小川に膝まで入り、魚を捕まえる。

「トキは器用でいいな」

 鴉羽は、次々と魚を捕まえる鴇丸を見て言った。

「魚の動きとか習性を知っていれば、簡単だよ」

「俺は魚じゃないし、習性なんか判るかよ」

「相手を観察することは、忍者として必要なことだぞ」

「ふうん?」

「‥‥ただ捕まえようとするんじゃなくて、捕まえやすいように誘導するんだ」

 言っている間にも一匹捕まえては、水のなかに返す。

「なんで返しちゃうんだよ。どうせなら食べようぜ」

「僕は食べるために捕まえてるんじゃなくて、捕まえるのが楽しくてやってるの」

「どっちにしろ、魚からしてみれば地獄だろう」

「そうやって思えるなら、魚の習性にも想いを馳せてほしいな」

「別に俺は魚に想いを馳せてるわけじゃ‥‥」

「次は、もっと大きいのを狙う」

 鴇丸は水面を揺らさないよう、ゆっくりと魚を追う。

 その姿を見た鴉羽は、ふいに鴇丸の背後にまわり、

「わっ!」

 と、その華奢な背中を押した。

 声をあげる間も無く、鴇丸は小川へ倒れ込む。

 水面から上半身を出し、声を荒げる。

「鴉羽! なにするんだ!」

 水滴と相まって、鴇丸の錫色の髪は、きらきらと輝きを増す。

「魚じゃなくて俺と遊べよ、トキ」

「―――」

 一瞬の間ののち、鴉羽は激しく身体を水に打ちつけるように倒れた。

「仕返しだ!」

 水面下で、鴇丸が鴉羽の脚を取り、転ばせたのだ。

 ずぶ濡れの鴉羽を見て、鴇丸は腹を抱えて笑う。

「この‥‥!」

 鴉羽はすぐさま立ちあがり、

「やったな!」

 鴇丸に目がけて水を浴びせた。

 舞う水飛沫、こだまする二人の笑い声。

 笑い、はしゃぎ疲れた二人は、川べりの草原に大の字になって空を見あげた。

 鴉羽は横目でちらりと親友を見る。

 白い肌――首筋に張りつく錫色の髪。

 わずかに濡れる睫毛。

 水分を含み、しっとりと重たくなった着物がその身体の細さを際立たせている。

 いままでに感じたことのない気持ちが、体中をかけめぐり頭のてっぺんへ抜けてゆく。

 瞳に映った親友の姿は、触れたら壊れてしまう硝子のように思えた。

 それでも、触れてみたいとも思った。

 うまく言葉にできない想いを飲み込むように、拳を硬く握りしめる。

 視線を空に戻し、それ以上は考えないようにした。

 が、風のそよぐ音に混じって鴇丸の呼吸が聴こえてきそうで、黙っているのも苦しくなる。

 それでも、なにも言えずにぼうっと時の流れるに任せた。

「腹が減ったな」

「あぁ」

 どちらともなく、口を開いた。

 鴇丸は、ばっと身体を起こして、

「なにが食いたい?」

「そうだなぁ」

「里に戻ったら、なにかつくってあげるよ」

「本当か? じゃあ、握り飯がいいな」

 満面の笑みで言う鴉羽の顔を見て、鴇丸の頬も緩む。

「じゃあ、早く帰ろう」

 鴇丸は立ちあがると、鴉羽に手を差しだした。

「ああ」

 その手を取り、鴉羽も立ちあがった。

 草原と水の匂い。

 握った鴇丸の手の温度――

 *****

 眠っている鴉羽の目には、涙が光っていた。

 鴇丸は、その雫を、白い指先でそっとすくった。
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