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2章
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しおりを挟むそう言ってのけた高橋さんはジョッキに残っていたビールを一気に煽った。空になったグラスを太田さんが受け取り、スマホでオーダーをする。
「俺が教えるんですか」
小馬鹿にするように半分笑った藤咲綾人がこちらを見て、高橋さんにすぐに視線を移した。
男らしさを学ぶ? 藤咲綾人から学べるのは、男らしさなんかではなく遊び方だ。そもそも僕の振られる原因の8割は生まれ持った顔と身長の低さにある。誰かに教えてもらったところで、どうにかなるものではない。どうにかなるのなら、とっくに対策をしている。一時は、少しでも男らしい見た目に近づけるように、筋トレに励んでいたこともある。けれど、「顔に似合わない」とか「バランスが悪い」とか、当時の彼女にはもちろん、家族にも不評だった。どうやら僕の顔と鍛えた体は相性がすこぶる悪いらしい。
「そうだよ! お前以外に誰がいるってんだ、なぁ?」
太田さんは肩に回された腕をはがしながら、「こいつ酔ってるんだよ、ごめんね」と謝った。
「はは、大丈夫ですよ。楽しいですし」
「ありがとう。……でも、まぁ丁度いいんじゃない。藤咲モテるし、聞いてみたら? 極意」
「ちょっと! 太田さんまでそんなこと言わないでくださいよ!」
「いいですよ、極意」
こちらを見る藤咲綾人の目がすっと細まる。そのまま、下から上へとねっとり視線を動かす姿に、堪らず箸を皿に打ち付けた。
「絶っっっ対いや!」
来る者拒まず去る者追わずをモットーに近づくすべての人間をヤリ捨ててきたような男から教わる極意? 嫌な予感しかない。
身の危険を感じ、そっと体を端に寄せた。
「遠慮すんなよ、どうせなら2人で飲みなおすか?」
「はぁ!?」
「そうだぞ立花ぁ。遠慮してたらなぁ、彼女できないぞ」
藤咲綾人の飲みなおすの意味を知らないからそんなことが言えるんだ。新しく届いた満タンのジョッキを片手に豪快に笑い飛ばす高橋さんに非難の目を向けながら、1週間前の悪夢を思い出した。3日にわたり繰り広げられた行為の鮮明な映像が脳内に流れ込み、体を震わす。
あんな地獄、2度とごめんだ。今日は何が何でも絶対に1人でお家に帰って、明日のバイトに備えて休むんだ。健全な1日を過ごすって決めている。
「だから、しばらく彼女はいらないんですって」
「そんな寂しいこというなよ。遊べるのなんて今のうちだからな! 1年後には就活、更に1年後には卒論が待ち構えてるんだぞ! 遊べる最後のチャンスなんだからな!」
「わぁ、急に現実的」
今にも泣きだしそうな表情で叫ぶ高橋さんに思わず顔を顰める。
人生の夏休みも甘いだけではないんだな。
でも、そうは言ったって恋愛に対して億劫になっていることに変わりはない。これ以上同じ理由で振られてしまえば、僕のわりかし丈夫なメンタルにも傷が付きそうだ。例の飲み会で決心したように、しばらく恋愛とは距離を置きたい。
「顔以外で好きなってくれる人が現れるまで恋愛はいい、だったっけ?」
「へ?」
「あれ、違った?」
焼き鳥をお酒で流し込む太田さんに「いやぁ」と肯定とも否定ともとれる言葉を返した。
合っている。合ってはいるけれど、記憶を飛ばす寸前の言葉をほぼ素面で聞くのはなんだか恥ずかしい。というか、実際に恥ずかしい発言な気がする。自意識過剰にも程がある。ナルシストと言われても反論はできない。そういうつもりで言ったわけではないのに。
「なんだそれ」
そう言って頬杖をつき、こちらを見る藤咲綾人をわけもなく睨みつけた。
「確かに、立花可愛い顔してるよね。女の子だったら口説いてたと思うよ」
「え!? ちょっと! やめてくださいよ!」
「冗談だよ」
「あ、当たり前じゃないですか!」
そういったことを言われたことはある。というか、頻繁に言われる。可愛い、女の子みたい、は日常茶飯事で、女の子よりも可愛いと言われたことも少なくない。この顔に一切のコンプレックスがないと言えば嘘になるけれど、顔に言及されるだけで嫌悪感を抱くほど嫌いなわけでもなく。可愛がってもらえる要因と気づいてからは、この顔も悪くないのかもしれないと、なかなかポジティブに捉えられるようになっていたのに。それなのに。これまでは誉め言葉や冗談として受け流せていた何気ない発言も、あの出来事を経た今では笑いとばすことが難しくなっている。
だって、食われちゃったわけだし。
ちらりと隣を盗み見る。頬杖をついたまま、片方の眉をわずかに上げたその男に顔を顰め、残っていたカシオレを一気に飲み、立ち上がった。
「ちょっとトイレ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
恋愛対象になるかはともかく、同性から性的欲求を向けられることが判明した今、からかいの延長戦のように掛けられる言葉が本当に冗談なのか見極めるすべを身に付けなくてはならない。何気ない日常会話の中でさえも気を張らなくてはいけなくなってしまったことも、自身の身体の平穏を案じてびくびくしながら食事をしなければいけないことも、どれもこれも全てあの男のせいだ。酔った勢いなのか、男を抱きたい気分だったのか知らないけれど、関係のない僕を巻き込まないでほしかった。
お客さんの談笑と注文を繰り返す店員さんの声を聞きながら、僕の人生を狂わせたと言っても過言ではない男を思い出す。浮かび上がるものは顔を歪ませ、人を見下す表情ばかりで。自然と湧き上がる怒りを一人沈めた。
無駄に顔がいいのが尚更ムカつくんだよな、本当。観賞用としては最高なのに、口を開けばあれだもんな。もったいない。
ブツブツと文句のような何かを垂れ流し歩いていると「那生ー」と僕を呼ぶ声が聞こえてくる。はたと顔を上げて辺りを見渡すと、規則的に並べられた卓の2つ先。少し離れたところで高く上げた両手をぶんぶんと振る女の子を見つけた。見覚えのあるその姿に駆け寄った。
「葵ちゃーん!」
新歓で女の子を両の脇に侍らせていた藤咲綾人に呆然としていた僕の向かいで呆れた表情を浮かべていたのをきっかけに仲良くなったサークルの同期だ。同学年の中では1番仲が良く、飲み会でもよく話していた。以前聞いた話によれば、どうやら藤咲綾人と高校が同じだったらしい。
その頃から、モテていたらしいあの男の周りはいつも複数の女の子が集まっていて、葵ちゃん曰く「通行の邪魔」とのことだ。確かに藤咲綾人が動いただけで、その周辺の女の子まで移動している、さながら人間磁石のようなあれを、廊下で繰り広げられるのはさぞ迷惑だっただろう。
そんな、あっさりとした性格の彼女に近づけば、「久しぶりー」と少し高めのテンションで話しかけられる。
「ねー久しぶりー! 最近全然サークルの飲み来てくれないから寂しかった。いつぶりだっけ?」
斜め上を見上げ「うーん」と唸る様子を見ながら、最後に話したのはいつだったかと記憶を辿る。
僕同様に、飲み会の出席率の高かった葵ちゃんが、ここ最近はめっきり見えなくなり、先輩たちもどうしたのかと噂していた。葵ちゃんと仲のいい唯さんが言うには、「元気にしている」とのことだったから特別心配はしていなかったけれど、実際元気そうな姿を見ると安心する。
「2ヶ月くらい? 彼氏が束縛激しくてさぁ。まぁ別れたんだけどね」
嫌そうな、でもどこかすっきりとした表情を浮かべる姿に相槌を打ち、その場に項垂れる。
「僕も先週彼女と別れた」
「そうなの? 仲間ー」
「いぇーい」と差し出された同期の手にタッチする。小気味よい音を立てたところで、葵ちゃんの正面に座る女の子と目が合った。
「え、2人とも軽くない? 振った側の葵はともかく、そっちの人は? 振った側?」
「那生ね、サークル一緒なの。可愛いでしょー」
「振られた側の那生でーす」
「あ、彼氏募集中の咲良でーす」
少し困った様子で真似をする咲良ちゃんに「よろしくね」と軽く手を振る。
「那生また振られたの? 話聞きたい。どうせ高橋さんたちと飲んでるんでしょ? ちょっとだけ話そ。咲良、いいよね?」
「いいけど」
隣の席をぽんぽんと叩く葵ちゃんに「また、って何。またって」と目を細める。
確かに、いつも振られる側だけれども。そんな言い方ってない。
むくれた顔で腰を下ろして、テーブルに立てた両手に顔を乗せる。
「てか葵ちゃん振った側なの? 仲間じゃないじゃん」
「いやぁ、だってさ? サークル行くな、飲み行くな、最終的にはバイトも行くなって言われて? じゃあお前が金くれるのかって話だよね」
「うわぁ、最悪」
束縛。されたことないけど、そんな感じなのか。どちらかといえば、これまで付き合った女の子たちも、もちろん僕自身も束縛とは無縁の方で。ご自由にどうぞタイプだったせいか、想像しただけで顔が歪んでしまう。まぁ、束縛とかそういう以前の問題を抱えているわけだし、僕は。
元カノの束縛がなかったのだって、僕が女の子とそういう雰囲気にならないっていうことを理解していたからだと思うし。実際、ただの飲み会だろうがサシだろうが、結局はただの楽しい飲み会で終わることが多かった。付き合っているときだって、清く正しくとまではいかずとも、友達の延長戦のような感じだったし、男として見られてなかったんだろうなぁ。
こぼれ出る溜息を飲み込む。
「それは相手が全部悪いよ」
「だよねー」
「ねー」と互いに合わせて傾けた僕たちに非難の声を上げたのは、咲良ちゃんだった。
「2人とも束縛嫌なの?」
「絶対やだ」
「僕も」
信じられない、とでも言いたげな表情でこちらを見る。その様子だけで、これまでの恋愛遍歴、というか恋愛観がうかがえる。きっと、僕や葵ちゃんとは正反対のタイプなんだろう。
「何で!? 束縛は愛だよ! 最大の愛情表現だよ!」
箸を握り締め、熱く語り出しそうな気配をまとった咲良ちゃんに顔をぐしゃりと歪ませ、「うわ、出た」と呟く隣を見た。その視線に気付いた葵ちゃんが、小さく手招きをする。
「出た、って何?」
「この子さぁ、いっつも束縛激しいで振られんの」
予想通りの言葉に、思わず「あちゃー」と声が漏れる。
束縛をしてしまう気持ちは分からないけれど、いつも同じような理由で振られる辛さは痛いほど分かる。そんないろんな意味のこもった「あちゃー」を聞き逃さなかった咲良ちゃんが「ちょっと!」と声を上げた。
「2人とも聞こえてるからね! 那生くんもあちゃーって何あちゃーって!」
「ごめんごめん」
思わず、葵ちゃんと同じ表情になっていた顔を慌てて緩ませ、へらりと笑う。少し落ち着きを取り戻したのか、手が白くなるほど握り締めていた箸を皿に戻し、一つ深呼吸をする。
「大体ね、2人みたいな人がいるからこっちの束縛も激しくなるのよ」
「えー?」
実際に束縛されていた葵ちゃんはともかく、僕も?
首を傾げた。
「えーじゃない!」
「暇さえあれば異性にベタベタと……距離が近いのよ! パーソナルスペースどうなってんの!?」
心あたりのない指摘に葵ちゃんと顔を見合わせる。
確かに遠くはないけれど、決して近くもない。適切な距離を保っている。そもそも、座敷ならともかく椅子だから近づくにも限度があるし。いや、座敷だったとしても、周囲に勘違いされるほどのスキンシップは取らない。僕だって、そのくらいの配慮はできる。
「そんな近いかなぁ」
「近いわよ!」
「そう?」
咲良ちゃん曰く近いらしいこの距離と、隣の席の男女の距離を見比べてみる。けれど、やっぱり指摘されるほど異常な距離とは思えず、なるほどこれが、と頷く。
これで今まで振られてきたのか。
「この子ね、拗らせてんの。拗れすぎて判定ガバガバ。隣に座っただけで泣き始めるわよ」
「さすがに泣かない」
うわぁ、想像できる。
「てか、あんたの恋愛観はどうでもいいのよ」
「どうでもいいって何」
「そのまんまの意味」
「ひどい!」
「那生は何で別れたの?」
2人のテンポのいい掛け合いに耳を傾けていたところに、突然話の矢が自分を向き、目を瞬いた。話題を持ち出したグラスをあおる葵ちゃんはもちろん、直前まで口をとがらしていた咲良ちゃんにも興味津々な様子で僕を見ている。
そういえば、それを聞きたいと誘われたんだった。
何て説明しようかと、あかりさんに振られたときのことを思い返す。これまで程の未練はないとは言え、まだ1週間。傷が完治していたわけではなかったのか、どこからともなく溢れ出すやるせない気持ちを溜息に乗せて吐き出す。
「ねぇー聞いてくれるー?」
「何。また友達に戻ろうって言われた?」
「違う」
「じゃあ、男らしくしろ?」
「ちがぁう!」
葵ちゃんの遠慮のない言葉が胸に突き刺さる。
サークル同期の中では1番仲のいい葵ちゃんはこれまでの僕の恋愛遍歴を網羅している。まぁ、僕と仲がいいわけではなくとも、サークルの飲みに参加している人たちは、高橋さんの店内に響き渡る程の大きな声がいやでも聞こえるため知っているとは思うけど。僕が振られるたびに「シャキッとしなさい!」と豪快に慰めてくれる姿には助けられることも多い。たぶん、僕が持ち合わせるべき男前さの3割くらいは、葵ちゃんの中に宿っていると思う。
「じゃあ、何? まさかの喧嘩?」
「喧嘩なんてしたことないよ、唯一の自慢だもん」
言ってすぐ、果たして自慢になるのかと暗い気持ちが湧いて出る。
ないに越したことはないけれど、喧嘩する程仲がいいと先人たちも言っている。実際、喧嘩を乗り越えて絆が深まった、何てよく聞く話だ。
となると、これまでの交際はやはり友達の延長戦と言うか、その場の勢いというか。軽いノリで話を進めてしまう僕にも原因があるとは思うけれど。
「え、ないの!?」
「ないよー」
「私いっつも喧嘩別れなんだけど」
「え、それはそれですごいね」
喧嘩する間もなく振られる僕には未知の世界だ。
「だって、いっつも元カノとか友達の彼女と比べられるんだもん」
「あの子はこんな束縛しなかったーって?」
「そう! 俺のこと信用してないんだろ、とか、自分がするから俺のことも疑って――」
「すとーーっぷ! 自分の話にもっていかない!」
「だってぇ」
心の中にため込んでいたであろう鬱憤を次々と紡いでいるところを止められた咲良ちゃんが不満そうに顔を歪めた。
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