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1章

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「お店、なかなか見つからないですね」

 寂しそうにそう呟く相川君を尻目に、心の中で盛大なガッツポーズを決めた。
 5、6軒のお店を回ったけれど、金曜の夜ということもあって空席がなく断られ続けている。
 これは、なかなかいい流れ。あと一息。

「今日は諦める?」

 可能な限り眉を下げ、あくまでも残念そうに提案する。切な気な表情の相川君に罪悪感が湧かないわけではないけれど、また文哉を連れてお店に遊びに行くから許してほしい。

「まぁ、金曜だもんな。そう簡単には見つからねぇか」
「金曜だもんねー」

 文哉のナイスアシストにより、「そうですよね」と相川君も諦めモードに入った。

 ごめんね。本当にごめん。でも僕は自分が一番かわいいから今回だけは許して。

 上がる口角を必死に隠して、「今日は解散する?」と言おうとすると、

「じゃあ、俺ん家でやる?」

 と藤咲綾人が微かに首を傾けた。
 3人の注目を浴びた藤咲綾人は、それを気にとめる素振りすら見せずに、「食べ物は買わないとないけどな」と続けた。

「いいんですか!?」

 その言葉に誰よりも早く反応した相川君の声色は、先ほどとは打って変わって明るい。

「いいよ、よくするし」
「でも、4人はちょっと多いんじゃない?ほら、隣の人に迷惑かかるかもだし……」
「そんなに騒がねぇだろ」

 「な?」と肩に回された煩わしい腕を振り払い、にっこりと笑みを浮かべた。

 ここで騒ぐと言ってしまえば非常識だし、騒がないと言ってしまえば宅飲み確定だ。正直詰んでいる。
 こんなはずじゃなかったのに。今日は、おいしい料理を食べて、おいしいお酒を飲んで、可愛い後輩に癒されて終わるはずだったのに。それで、昨日の出来事をなかったことにするはずだったのに。なぜ、この悪魔のような男と再び顔を合わせ、コイツの家でお酒を酌み交わさなければならないんだ。
 それでも、この場を切り抜けることができるような言葉を思いつくほど優秀な脳は持ち合わせておらず、顔面に張り付けた笑みを引きつらせながら、「そうだね」と答えることしかできなかった。



 

 そんな流れで、二度と足を踏み入れることはないと思っていた部屋に、半日ぶりに訪れることとなった。

 朝に見た時とは違い服の散らばっていないその部屋はモノトーンでまとめられていて、いかにも女子受けの良さそうな内装をしている。もちろんベッドの乱れもなく、どちらかが口を滑らせてしまわない限りは今朝この場所で何があったかなんて分かるわけがない。

 だから、きっと大丈夫。

 僕は知っている。こういう時は、焦らずに平常心でいるのが重要だ。あれこれ隠そうと変に焦る程墓穴を掘ってしまう。
 小さく深呼吸をし、部屋の中央に置かれたガラステーブルにコンビニで買った袋を置いた。すると、突然肩に伸びた手に大袈裟なほどに身体が揺れた。

「お前、何飲むの?」

 片眉を上げ、随分と愉快そうな表情を浮かべる藤咲綾人を頬を痙攣させながら振り返る。その手元にはハイボールが握られていた。
 
 うわ、僕の嫌いなお酒。

 20歳になって初めて参加した飲み会で、先輩たちからお酒の味を覚えろとか何とか言われて強引に飲まされたハイボールの苦さたるや。もう二度と飲みたくない。先輩曰く、缶のハイボールの方が苦みが強いらしいし、この人の味覚はくるっているに違いない。

「那生はこれだろ」
 
 以前、先輩から一口もらったハイボールの味を思い出し、顔を歪めていると、隣から缶チューハイが差し出された。そのアルコール度数が低くて甘く飲みやすい、いつも飲んでいる桃味のお酒に手を伸ばした。

 さすが文哉。分かってる。

「ありがとー。僕これが一番好きー」
「よくそんな甘いもん飲めんな」

 茶々を入れる藤咲綾人を無視して、買ってきた食べ物を袋から取り出す。
 誰が何と言おうと、僕にとって一番おいしいのは甘いお酒だもん。ハイボールなんて好む人には分からないかもしれないけど。

「那生甘党だし酒弱いもんな」
「そんなに弱くないもん」
「昨日も潰れた、って言ってたろ」

 からからと笑う文哉にむくれる。
 
 お酒が弱いわけじゃない。強くはないけれど、弱くもないはず。ただ、周りに促されるままに飲んでしまうから、自分のペースをつかめないだけだ。昨日だって先輩たちが「飲んで忘れろ」って言うからどんどん飲んじゃっただけ。そういう人がいなければ、酔うなんてことない……はず。
 僕がお酒に弱いか弱くないかは置いといて、昨日の今日だし、自粛しなければならない。お酒が抜けたのも昼過ぎで、おまけにお店ですでに3杯飲んじゃったし。

「あぁ、確かにべろべろだったな」

 会話に割り込んだ藤咲綾人を振り返る。
 僕の視線に気づいているくせに、こちらを見る素振りすら見せないその姿に顔を顰めた。
 
「藤咲君もいたんだ」
「いたっていうか――」
「あーっ!」

 僕の声に驚き、肩を大きく震わせた文哉の手から缶が転がり落ちた。心の中で謝りつつ、藤咲綾人を睨む。
 
 今、何言おうとした!? 僕の友達の前で何言おうとしたの!

 一瞬、こちらに視線をよこした藤咲綾人は、すぐに逸らし、何食わぬ顔で足元に転がる缶を拾っている。それを受け取った文哉の非難の目が僕に向かう。
 
「急に大声出すなよ」
「ごめーん、虫いたかと思って」
「ビビんだろ、もー」

 「へへへ」と笑う僕の頭を軽く小突いた文哉は、キッチンから戻ってきたオレンジジュースを注いだコップを持つ相川君に声をかけた。その隙を見計らい、藤咲綾人に近づき、服の袖を引っ張っる。怪訝な顔をしつつも身を屈ませた藤咲綾人の耳元に顔を寄せた。
 
「ねぇ、余計なこと言わないでよね!」
「余計なことって?」
「分かるでしょ!」

 2人に聞こえないよう囁くように言う僕に合わせてボリュームを下げた藤咲綾人のとぼけた発言に、二の腕をバチン、と叩いた。その場所をさすりながら、僕を見下ろした藤咲綾人の口角がわずかに上がり嫌な予感がよぎる。
 
「あぁ、酔った勢いでヤッ――」
「わぁーっ!」

 2人にも聞こえるくらいの声量で発された言葉を遮るように、再び大きな声を上げた。ついでに余計なことしか言わないその口を叩こうとあげた手は難なく躱され、不発に終わった。
 
「今度は何!」
「ごめん、ちょっとびっくりしただけ……」
「あんま大きい声出すなよ。藤咲君に迷惑かかるだろ」

 「ごめんな」と謝る文哉に「気にすんなよ」と藤咲綾人が返す。
 気にするなもなにも、全て自分が悪いだろ。そう思いつつも口に出すわけにはいかず、一応「ごめんね」と声をかけた。
 

 その後も、藤咲綾人は僕をからかうように、何度も何度も昨日の出来事をほのめかすような発言を繰り返した。そのたびに、奇を衒った言動をする僕に突き刺さる文哉と相川君の視線が痛い。けれど、羞恥心に負けてそれを辞めても僕の名誉が傷ついてしまうだけだ。それでも、文哉はともかく相川君には頭のおかしな人と思われるのは嫌で、「酔っちゃたのかも」と誤魔化した。
 「お酒って怖いんですね」としみじみと呟く相川君の真っすぐな瞳と、「はじめはあんな風になるなよ」と注意する文哉に涙が溢れそうになる僕を見ながら、バレないように肩を震わせる藤咲綾人を睨みつけていた僕は、とうとう我慢できずに、

「ちょっと外の空気吸ってくる」

 と、その場を離れた。心配そうな表情を浮かべた文哉が「ついて行こうか」と言ってくれたけれど、相川君と藤咲綾人を同じ空間に残すわけにはいかないのでそれを断り、1人ベランダに出る。

 外に出ると、温い空気が肌に纏わりついた。それに顔を顰めながらも藤咲綾人にメッセージを送る。

『どういうつもり?』

 すぐに既読がつき、返事が返ってきた。
 
『何が』
『さっきの! 余計な事言わないでって言ったじゃん!』

 既読がついたまま何も返ってこなくて、部屋の中を窺おうとするけれど、カーテンに遮られて何も見えず、もう一度『聞いてる?』と送る。それにも、やはり返信はなく、深いため息をついた。
 ベランダの柵に腕を放り出し、顔を埋める。

 できることなら1日前に戻りたい。彼女に振られたと半泣きでお酒を煽っていたあの時間の幸せなことよ。……いや、あれはあれで心にくるものがあったけれど。それでも、今のこの状況に比べれば断然まし。
 時間を戻せるのならば、やけ酒なんて絶対しないし、するとしても先輩の家でするのに。そうすれば、あの藤咲綾人と一晩を共にする、なんていう不名誉な出来事も起こることはないのに。よりによって、何であんなに性悪な男に……。
 藤咲綾人も藤咲綾人だ。常に複数人の女の子からアプローチをされているというのに、よりによって何で僕。いくら背が低くて女顔だからとはいえ、歴とした男だ。仮に、女の子と間違えてお持ち帰りしてしまったとして、ブツを確認した時点でやめるでしょ、普通。

 首筋を伝う汗を拭った。戻りたくはないけれど、これ以上外にいると汗だくになってしまうため、諦めて部屋に戻った。
 カーテンを開けると、クーラーで冷えた空気に迎えられる。その涼しさに目を細めながら部屋を見渡すけれど、そこに文哉と相川君の姿はなく、藤咲綾人がスマホを片手に一人、缶を煽っていた。

「2人は?」
「帰った」
「帰った!?」

 素っ頓狂な声を上げた僕に視線が突き刺さる。

 藤咲綾人の言った通り、2人は本当に帰ってしまったようで、気配も荷物もどこにもない。スマホを見ても、なんの通知も来ていなかった。確かに相川君はまだ10代だし、遅い時間まで付き合わせるのわけにはいかないし1人で帰すのも不安だ。文哉が送っていくのも分かる。だからって、一言もなしに帰るのはひどすぎる。というか、僕も一緒に帰りたかった。この部屋から抜け出したかった!

 心の中で、僕を1人おいて行った文哉に文句を言いながら、いや待てよ、とハッとする。
 寧ろ、あの2人がいないなら僕がここにいる必要もないし、帰っていいのでは……?

 そうと決まれば即行動。部屋の端の方に置かれた鞄を手に取ろうと、しゃがみ込む。すると、腕を掴まれ、引っ張られた。

「帰んの?」

 振り返り、その言葉に頷くと、無駄に整った顔が顰められた。

「何で?」
「何で、って帰らない理由がなくない? 2人で飲むほど仲いいわけでもないし」

 掴まれた腕を払い鞄を肩に掛け、立ち上がろうとすれば、今度は鞄の肩ひもを引っ張られ、その場に尻もちをついた。お尻に鈍い痛みが広がり、後ろを振り返ってにらみつける。

「ちょっと、何!? 痛いんだけど!」
「あのメッセージ何?」

 僕の話になんて興味がないのか、そのまま自分の聞きたいことばかりを優先させている藤咲綾人に怒りを募らせながら、「そっちが昨日のこと2人に話そうとするからでしょ」と怒る。すると、「そっちじゃなくて朝の方」と言われ、講義の合間に送ったメッセージを思い出した。
 
『介抱してくれてありがとうございます。昨日のことはお互い忘れましょう。』というなんてことないメッセージの何が気になるのか。それとも、どうせもう話すこともないだろうから、と適当に考えた短い文面が気に食わなかったのか。

「何、ってそのままの意味だけど」
「ヤリ逃げする気か?」
「ヤリ……っ!?」

 想定外の言葉に顔がカッと赤くなる。
 
 この男は急に何を言い出すかと思えば、ヤリ逃げ!? 僕が!? 何のために!?

 ヤリ逃げだなんて言葉は僕みたいにいれられた側が言うものであって、決して藤咲綾人のようにいれた側が言っていいものではない。それにヤリ逃げするのは誘った側の人間だ。僕は付き合っていないどころか話したこともない人を誘うことなんてしないし、そもそも男に興味はない。

「人聞き悪いこと言わないでよ!」
「だってそうだろ。1回ヤッてはいさようならがヤリ逃げじゃなかったら何?」
「き、昨日は酔ってたから、あんなことになっただけで、あんたなんかとするつもりなんてなかったから!」

 意地の悪そうな笑みを浮かべる藤咲綾人がわずかに近づいてきて、本能的に後ろに下がる。

「それに、あんただって男とする趣味なんてないでしょ! 僕だってそうだし、お互い忘れた方がいいじゃん! お酒飲んでやらかすなんてよくあることだし、なかったことにしようよ!」
「穴さえあれば性別とかどうでもいい」
「最っ低!」

 この人、穴があるかどうかで人を見てるわけ!? 何でこんな下半身ん脳を支配されたような人の元にあんなに女の子が集まるんだろう! ていうか、男でもいけるってこと!?

 ずっと揶揄われているだけかと思っていたけど、僕のお尻の平穏が奪われようとしているのかもしれない。もしかして、昨日酔っぱらっていたのは僕だけで、藤咲綾人は素面でヤッた可能性もある。そう考えると、今のこの状況は非常にまずいのかもしれない。

「ねぇ、あのさ、そっちがどうかは知らないけど、僕は女の子が好きだから! あんたとヤりたい人なんて男でも女でもたくさんいるだろうし、そっちとヤってくんない?」
「あんなに良い声で啼いてたくせに、今さら女抱けるわけ?」
「な、啼いてない!」

 にじり寄ってくる藤咲綾人から逃げるように後ろに下がっていると、もともと部屋の端にいたからか、すぐに背中に壁が当たった。それに気づいたのか一気に距離を詰め、あっという間に、藤咲綾人の陰に体が覆われた。

「啼いてただろ。何回も求めたの忘れたのかよ」

 その言葉に口を見開き正面を凝視した。そんなわけない、と言ってやりたいのにこの人が言うと何だか本当のことのように感じて、声も出せずにハクハクと口を動かすことしかできない。その様子を見た藤咲綾人が怪訝そうな表情を浮かべ、また一歩近づいてきた。

「まさか覚えてないわけ?」

 無言は肯定。何かを言わなければならないことは分かっているけれど、何も言えずに再び口の開閉を繰り返していると、その綺麗な顔に刻まれていた眉間の皺がより一層深まった。
 逃げなければならない。脳内で鳴り響く警報に突き動かされて、その場から逃げ出そうと試みる。しかし、その行動を許してはもらえず、一足早く動いた藤咲綾人の手によって壁に押し付けられた。押さえつけられた肩の痛みに顔が歪む。

「待って、昨日は酔ってたから記憶が曖昧で、」
「だから覚えてない、と」

 目を眇め、「へぇ」と抑揚のない声で相槌を打つ姿に委縮して、これ以上下がれないのに、どうしても距離を取りたくてできる限り背中を壁に押し付けた。すると、藤咲綾人がその距離を更に縮める。大して下がれていないのに近づかれてしまえば、その距離は鼻先がくっついてしまいそうな程にまでなっていた。

 あぁ、これはまずい。

 血の気が引くとはこういうことを言うのだろう。バクバクとうるさいまでに鳴る心臓も、力の入らない手足も、全力で僕に恐怖を訴えかけてくる。その身体に鞭を打ち、藤咲綾人の肩をグッと押しやった。

「ね、ねぇ近い! 離れて!」

 僕の全力でも、ガッシリとした体を押し返すことはできない。それでも抵抗を辞めるわけにはいかず、腕でダメならば、と足を追加した。

「俺の咥えてた奴が今さら何言ってんだよ」
「だから、僕は覚えて――うわぁ!」

 藤咲綾人の腹部あたりを突っ張っていた足を不意に引かれた。そのせいで、壁に押し付けていたはずの背は、ずるずると壁を伝い、床に押し付けられている。
 鋭い瞳に見下ろされ、口から短い息が漏れた。

「じゃあ、思い出させてやるよ」
 
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