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「僕の初恋はね、僕がまだ伯爵家に迎えられる前のときなんだ」
そう言ってイデアルさまは話し始めた。
小さい頃はお金がなくて、なにをするにも困っていた。たぶん、ヴィティが想像してるよりも汚い生活だったと思う。
僕の母は身体が弱くてね、僕がまだうんと幼い時は働けていたんだけど、徐々に身体が動かなくなった。だから、もう僕がお金を稼ぐしかなかったんだ。近所の傭兵部隊の武器磨きとか、靴磨き、雑用、なんでもやったよ。
傭兵たちにはよく世話になった。僕が軍神と呼ばれるようになったのも、彼らのおかげなんだよ。
まあ、感謝をする気にはならないけど。
どうして? だって、彼らは僕に十分な賃金を与えずにこき使ってたんだよ。そのうえ、世話になったって、八つ当たり気味に殴られたりしてたって意味だからね? 感謝なんて絶対しないよね。
ヴィティは意味がわからなければそのままでいて。
とにかく、僕はあの傭兵団たちには恨みしかないってこと。
その日はとにかくお腹が減ってた。それから傭兵たちにやられた傷も疼いてた。
母は最近寝ていてばかりで、食事もろくに取れやしない。心のどこかでもうすぐ終わり、そんなことを思ってた。
「母さん、今日は少しだけだけど、塩が手に入ったんだ。いつもより味のついたスープだよ」
「イデアル……。ああ、ありがとう……」
お礼を言う母の身体からは生きる気力が感じられない。
まだ母が働けていた頃、母はよく夢を見ていた。いつか僕の父である伯爵様が、僕たちを迎えに来る、なんていう夢を。
貴族なんて僕ら平民をただの道具や玩具、人間以下にしか見ていないのに。
母にはそんなことを言えない。
滅多に手に入らない塩で味付けされた、クズ野菜スープを飲みながら、母は笑みを浮かべる。
幼いながらも母が美しい顔をしているのだと知っていた。だから、あえて泥をかぶり、顔を汚しているのだと。例に漏れず、自分の顔も整っているのだと。
まだ幼い僕に手を出す奴はいないけど、成長すればそのうち僕は男たちに組み敷かれるだろう。下手をすれば、大人の女にも。そのときはきっと一番最初は傭兵たちの中の誰かだ。
でも、そうやって暮らしていくしかない。
それしか、僕の生きる道はないのだから。
母にスープを飲ませて、傭兵団に行くと、一番最初に殴られた。
「イデアル! テメェ、オレ様の剣を磨き忘れただろう!」
「っ、え、そんなはずは……」
「この役立たずがッ!」
そんなはずはない。依頼された分はきちんと終わらせたはずだ。
そう思い、僕を殴った傭兵を見ると、その後ろにはニタニタといやらしい笑みを浮かべてる奴らがいる。
なるほど、あいつらのせいかと分かった。
そうなれば僕にできるのは丸くなって、ただ痛みに耐えること。
そしてジッと見つめる。どうやって殴れば効果的なのか、どうやって殴らせれば痛みを軽減できるのか。
我慢して、我慢して、倒れた。
「ねえ、大丈夫?」
倒れたあとは道端に捨てられたらしい。
顔を上げると、高そうなドレスを着た少女が目に入った。
少女はきょとんと首を傾げながら、つんつんと僕を突く。その手が鬱陶しくて、払った。
「やめてよ」
「大丈夫?」
こてりと首を傾げる少女を睨みつけようとして、彼女をはっきりと見た。
驚いた。生まれて初めて、こんなに可愛い子を見たから。そりゃ僕だって十分整った顔をしているけど、目の前の子は僕と同じくらい、整った顔をしていた。
「痛いの?」
「っ、触らないで!」
「痛いから?」
「そうだよ! こんなの痛いに決まってるだろ!」
なお触れようと手を伸ばしてきた少女の手から自分を庇うように抱き締める。
みすぼらしくて汚らしい姿をした自分を見られることが恥ずかしかった。彼女はとても綺麗だから特に。
「ふぅん」
「なんで隣に座るんだよ!」
「だって、迷子なの」
「迷子って……」
「お母さまに美味しいものを食べさせてあげようと思って、家を出たの。そしたら迷子になっちゃった」
彼女は淡々と、なんでもないことのように言うけど、ここは王都でも治安の悪い場所。綺麗に着飾った美少女が、ここに来るまでよく拐われなかったな。
「お母さまはね、可哀想なの。だから、元気になって欲しいの。でも、ここって美味しいものは買うしかないの。森もないし、どうしたらいいかわからないの」
「家に帰ればいいだろ」
「うん。でも、迷子だから、少しだけ。わたし、同い年の男の子と話したのって初めてだし」
「ふ、ふーん」
悪い気はしなかった。
こんな美少女の初めてになれるんだから。
彼女は僕の隣に座って、どこか遠くを見ながらぼーっとしてる。
「ね、ねえ、どうやって帰るつもり?」
「どうしよう。でもね、きっとわたしはいないほうがいいの」
「なんでさ」
「だって、お母さまはわたしのせいで……」
彼女の言葉が途切れる。どうしてだろうと顔を上げて、血の気が引いた。
「おいおい、仕事サボって逢引とはよぉ~、いい身分じゃねェか」
「しかも可愛いな……。売れるんじゃねぇのか?」
そう言って笑うのはいつも僕を馬鹿にし、下卑た目を向ける男たち。その視線は僕から少女へと変わっている。
まずい、と思った。けれど彼女は無表情に男たちを見上げたまま動かない。
自然と、彼女を庇うように前に出た。
「なにしてんの、逃げろよ」
「うん……。でも、わたしがいないほうがお母さまもお父さまも……」
「馬鹿! そんなわけないだろ!」
囁くように小さい声で怒鳴りつける。この場に彼女がいてもろくなことにはならない。それどころか酷い目に合うだけだ。僕も、少女も。
男の大きな手が僕たちへと迫ってきた。
反射的に彼女の身体に触れようとする手を叩き落とす。
「てめぇッ!」
「っぐ!」
「……え?」
腹を蹴られた。驚いた様子の少女の顔が見える。そんな様子もなんだか可憐で、こんな状況でなければ見惚れていたと思う。
でも、今はそんなことより彼女を守らないと。
──守れるのは僕しかいない。
それなのに非力な僕の力は男たちを止めることができなくて、彼女の細い腕が男の大きな手に捕まれた。
「きゃあっ!」
「やめろ! その子は関係ないだろ!」
「うるせえ! お前こそ黙ってろ!」
「うっ……」
さらに腹を蹴られて蹲った僕を足蹴にして、男たちは彼女を品定めするように、ジロジロと下品な視線を彼女に向ける。
腕を引っ張られて地面から浮いてる彼女は苦しそうに顔を歪めていて、その顔に胸が締め付けられる。
ダメだ、こんなのダメだ……!
「この……!」
「うぉっ!」
彼女を掴む男の足を身体全身で掴んだ。つんのめった男はその拍子に少女の手を離して、彼女の身体が地面に落ちた。
パク、と彼女の口が開いて、けれど何も言わずに少女の瞼は落ちていく。そしてそこに広がる赤い色に、目の前が真っ暗になった。
「うぁ、ゔぁあああああっ!」
たぶん、そう。自分の世界にはない美しいものが彼女だった。
あの子の影のあるところも、理由だったと思う。
僕は惹かれて、けれど守れなかった。
そう言ってイデアルさまは話し始めた。
小さい頃はお金がなくて、なにをするにも困っていた。たぶん、ヴィティが想像してるよりも汚い生活だったと思う。
僕の母は身体が弱くてね、僕がまだうんと幼い時は働けていたんだけど、徐々に身体が動かなくなった。だから、もう僕がお金を稼ぐしかなかったんだ。近所の傭兵部隊の武器磨きとか、靴磨き、雑用、なんでもやったよ。
傭兵たちにはよく世話になった。僕が軍神と呼ばれるようになったのも、彼らのおかげなんだよ。
まあ、感謝をする気にはならないけど。
どうして? だって、彼らは僕に十分な賃金を与えずにこき使ってたんだよ。そのうえ、世話になったって、八つ当たり気味に殴られたりしてたって意味だからね? 感謝なんて絶対しないよね。
ヴィティは意味がわからなければそのままでいて。
とにかく、僕はあの傭兵団たちには恨みしかないってこと。
その日はとにかくお腹が減ってた。それから傭兵たちにやられた傷も疼いてた。
母は最近寝ていてばかりで、食事もろくに取れやしない。心のどこかでもうすぐ終わり、そんなことを思ってた。
「母さん、今日は少しだけだけど、塩が手に入ったんだ。いつもより味のついたスープだよ」
「イデアル……。ああ、ありがとう……」
お礼を言う母の身体からは生きる気力が感じられない。
まだ母が働けていた頃、母はよく夢を見ていた。いつか僕の父である伯爵様が、僕たちを迎えに来る、なんていう夢を。
貴族なんて僕ら平民をただの道具や玩具、人間以下にしか見ていないのに。
母にはそんなことを言えない。
滅多に手に入らない塩で味付けされた、クズ野菜スープを飲みながら、母は笑みを浮かべる。
幼いながらも母が美しい顔をしているのだと知っていた。だから、あえて泥をかぶり、顔を汚しているのだと。例に漏れず、自分の顔も整っているのだと。
まだ幼い僕に手を出す奴はいないけど、成長すればそのうち僕は男たちに組み敷かれるだろう。下手をすれば、大人の女にも。そのときはきっと一番最初は傭兵たちの中の誰かだ。
でも、そうやって暮らしていくしかない。
それしか、僕の生きる道はないのだから。
母にスープを飲ませて、傭兵団に行くと、一番最初に殴られた。
「イデアル! テメェ、オレ様の剣を磨き忘れただろう!」
「っ、え、そんなはずは……」
「この役立たずがッ!」
そんなはずはない。依頼された分はきちんと終わらせたはずだ。
そう思い、僕を殴った傭兵を見ると、その後ろにはニタニタといやらしい笑みを浮かべてる奴らがいる。
なるほど、あいつらのせいかと分かった。
そうなれば僕にできるのは丸くなって、ただ痛みに耐えること。
そしてジッと見つめる。どうやって殴れば効果的なのか、どうやって殴らせれば痛みを軽減できるのか。
我慢して、我慢して、倒れた。
「ねえ、大丈夫?」
倒れたあとは道端に捨てられたらしい。
顔を上げると、高そうなドレスを着た少女が目に入った。
少女はきょとんと首を傾げながら、つんつんと僕を突く。その手が鬱陶しくて、払った。
「やめてよ」
「大丈夫?」
こてりと首を傾げる少女を睨みつけようとして、彼女をはっきりと見た。
驚いた。生まれて初めて、こんなに可愛い子を見たから。そりゃ僕だって十分整った顔をしているけど、目の前の子は僕と同じくらい、整った顔をしていた。
「痛いの?」
「っ、触らないで!」
「痛いから?」
「そうだよ! こんなの痛いに決まってるだろ!」
なお触れようと手を伸ばしてきた少女の手から自分を庇うように抱き締める。
みすぼらしくて汚らしい姿をした自分を見られることが恥ずかしかった。彼女はとても綺麗だから特に。
「ふぅん」
「なんで隣に座るんだよ!」
「だって、迷子なの」
「迷子って……」
「お母さまに美味しいものを食べさせてあげようと思って、家を出たの。そしたら迷子になっちゃった」
彼女は淡々と、なんでもないことのように言うけど、ここは王都でも治安の悪い場所。綺麗に着飾った美少女が、ここに来るまでよく拐われなかったな。
「お母さまはね、可哀想なの。だから、元気になって欲しいの。でも、ここって美味しいものは買うしかないの。森もないし、どうしたらいいかわからないの」
「家に帰ればいいだろ」
「うん。でも、迷子だから、少しだけ。わたし、同い年の男の子と話したのって初めてだし」
「ふ、ふーん」
悪い気はしなかった。
こんな美少女の初めてになれるんだから。
彼女は僕の隣に座って、どこか遠くを見ながらぼーっとしてる。
「ね、ねえ、どうやって帰るつもり?」
「どうしよう。でもね、きっとわたしはいないほうがいいの」
「なんでさ」
「だって、お母さまはわたしのせいで……」
彼女の言葉が途切れる。どうしてだろうと顔を上げて、血の気が引いた。
「おいおい、仕事サボって逢引とはよぉ~、いい身分じゃねェか」
「しかも可愛いな……。売れるんじゃねぇのか?」
そう言って笑うのはいつも僕を馬鹿にし、下卑た目を向ける男たち。その視線は僕から少女へと変わっている。
まずい、と思った。けれど彼女は無表情に男たちを見上げたまま動かない。
自然と、彼女を庇うように前に出た。
「なにしてんの、逃げろよ」
「うん……。でも、わたしがいないほうがお母さまもお父さまも……」
「馬鹿! そんなわけないだろ!」
囁くように小さい声で怒鳴りつける。この場に彼女がいてもろくなことにはならない。それどころか酷い目に合うだけだ。僕も、少女も。
男の大きな手が僕たちへと迫ってきた。
反射的に彼女の身体に触れようとする手を叩き落とす。
「てめぇッ!」
「っぐ!」
「……え?」
腹を蹴られた。驚いた様子の少女の顔が見える。そんな様子もなんだか可憐で、こんな状況でなければ見惚れていたと思う。
でも、今はそんなことより彼女を守らないと。
──守れるのは僕しかいない。
それなのに非力な僕の力は男たちを止めることができなくて、彼女の細い腕が男の大きな手に捕まれた。
「きゃあっ!」
「やめろ! その子は関係ないだろ!」
「うるせえ! お前こそ黙ってろ!」
「うっ……」
さらに腹を蹴られて蹲った僕を足蹴にして、男たちは彼女を品定めするように、ジロジロと下品な視線を彼女に向ける。
腕を引っ張られて地面から浮いてる彼女は苦しそうに顔を歪めていて、その顔に胸が締め付けられる。
ダメだ、こんなのダメだ……!
「この……!」
「うぉっ!」
彼女を掴む男の足を身体全身で掴んだ。つんのめった男はその拍子に少女の手を離して、彼女の身体が地面に落ちた。
パク、と彼女の口が開いて、けれど何も言わずに少女の瞼は落ちていく。そしてそこに広がる赤い色に、目の前が真っ暗になった。
「うぁ、ゔぁあああああっ!」
たぶん、そう。自分の世界にはない美しいものが彼女だった。
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