婚約破棄された令嬢は公爵閣下を襲う

りんごちゃん

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 ──子どもが欲しかった。

 我が伯爵家は家族との繋がりが薄い、ある意味貴族らしい家だった。
 本の中で、母は毎夜一緒に寝てくれるものだと知った。父は抱き上げ額にキスをくれるものだと知った。兄は一緒にままごとをしてくれるものだと知った。食事は家族で囲んで食べるものだと知った。
 そのどれもが我が家にはないものだった。
 だから私が結婚したら、私だけでも母としての愛をたっぷり与えようと思った。赤ちゃんのときから私の腕の中で育てようって心に決めていた。

 夢を持っていた。結婚に。

「フィン、君との婚約を破棄する」
「……うそ」

 王太子夫妻が主催する夜会の片隅で、私は婚約破棄を宣言された。
 婚約者との間に愛があったかはわからない。
 けれど私は彼を慕っていたし、彼も私を嫌ってはいないと信じていた。
 彼の腕には愛らしい女性がいて、彼女は私を見て勝ち誇ったように笑っている。

「すまない。君のことは嫌いじゃないけれど、本当の愛を知った今、君との婚約を続けられない」
「ごめんなさい、フィン。あなたの婚約者を好きになってはいけないと思っていたのに、想いを我慢することができなかったの」

 彼女は友人だった。彼を婚約者として紹介したのは私。
 ああ、奪われたのだとわかった。
「すまない」「ごめんなさい」二人に謝られて、私はどうすればいいの?

「婚約破棄されて、わたくしはどうすればいいの……?」

 つぶやいた声はあまりにも小さかった。
 婚約破棄されたと知ったら、私の父は、母は、きっと私を見捨てる。
 私はもう十八。来年には結婚を控えていたというのに、今の時期に婚約破棄をされても新しい婚約者を見つけることなんてできない。私と釣り合いの取れる人なんてみんな婚約してしまっている。
 そうなれば私はもう子どもを作ることのできないような歳を取って妻を亡くした人の元に嫁がされるか、修道院に入れられるか。
 どちらにしても、私は子どもを産むことができない。

 二人は茫然としている私を置いて、夜会のホールに戻ってしまう。

 子どもを産めない。家族が欲しかった。
 赤ちゃんをこの腕で抱きたかった。
 彼となら幸せな家庭を作れると思ったのに。

「君、大丈夫?」

 立ち竦む私にかけられる声。

 その声に、私は──。

 子どもが欲しかった。
 都合のいいことに、私に声をかけた人は社交界では有名な遊び人で、私はそれを利用した。
 頭がおかしくなっていた。長年の婚約をなかったことにされて、自暴自棄になっていた。そうとしか思えない行動を私は取った。

「君はアステラス伯爵のご令嬢だね」
「……ええ。フィンと申します」
「先ほどのは、」
「見られていましたのね」

 婚約破棄をされる現場を見られていた。その事実にカッと顔が赤く染まる。けれど、同時に都合がいいと思った。
 この人を、利用する。
 王太子殿下の従兄弟で、王太子妃の又従兄弟。アルテミス公爵家当主ジュラール様。
 若くして公爵閣下になった彼の軽薄な噂は貴族であるならばみんな知っている。まるで花を渡り歩く蝶のように女性たちの間を渡り歩く噂は今の私には都合のいいもの。

「君のように魅力的な女性と婚約破棄するだなんて、ダネルも馬鹿だな」
「魅力的、でしょうか……」
「ああ、もちろん。フィン嬢はとても魅力的な女性だよ。ダネルももったいないことをする」

 そう言ってアルテミス公爵様は私の指先にキスをする。
 噂通りの人。それなら私の心も痛まない。

「アルテミス様、わたくしを、慰めてください……」

 そう言って彼の腕の中へと飛び込む。自分が大胆なことをしているというのは理解していた。けれど夜会が始まってから最初に飲んだワインは私に勇気をくれる。それとも庭園に咲く薔薇たちの甘い香りのせいか。どちらでもいい。
 もっと大胆に。
 私はこの人から子種を搾り取ろう。
 幸か不幸か、私は子作りの方法を知っていた。そして目の前の男性が性技に長けた人物だと知っていた。
 条件は整っていた。

「……部屋に、行く?」

 そっと肩に回された腕。アルテミス様が耳元で優しく囁く。
 私はその問いにこくんと頷いた。

 城にはいくつかの客間が用意されている。
 それはきっと、こういうときのためのもの。
 知ってはいたけど、使うことのないと思っていた場所に私はいる。

「フィンと呼んでもいいかな? 私のことはジュラールと」
「はい、ジュラール様……」

 ドキドキと心臓が痛いほど脈打っていた。
 これから私ははしたなく、いけないことをしようとしている。そしてそれは目の前の男性も承知の上だ。
 婚約破棄された直後にこんなことしようとしているだなんて笑ってしまう。
 けれど、だけど。私が子どもを作れるのはもうこの時間しかないだろう。
 幸い男性に好かれるような身体つきをしていると思う。肉付きのいい、娼婦のような身体。そう言って私をなじった令嬢もいた。
 すでに元婚約者であるダネル様は侯爵家の人間で、整った凛々しい顔をしていたから、未婚の令嬢にも人気で、婚約者である私はやっかまれていた。
 でも、そんなことはもうないんだ。

「フィン、誰のことを考えているの?」
「あっ……」

 露わになっている肩をジュラール様の指が撫でる。
 よく知らない男性に触れられている。そう考えるとびくりと身体が震えた。
 こわい。けれど、これを逃したら私はもう一生自分の赤子を抱けない。

「震えているね」
「ジュラール様……」
「そうだね、少し座って──」

 そんなの、だめ。
 ジュラール様の言葉が終わる前に、背伸びをしながら彼の顔を掴んで唇を重ねた。

「いや、です。わたくしを抱いてください、ジュラール様」

 ゆっくりと話す時間を設けてしまったら、きっともうジュラール様と甘い雰囲気にはなれない。
 ジュラール様以外の人を捕まえようにも、勢いてもなければ普段の私はこんなことできないだろう。
 今だけ。今だけが、私が孕むことのできる唯一の機会。
 はじめてのキス。甘い味なんてしない。ただジュラール様の、他人の味がする。不快で、だけどどこか私に現実を忘れさせてくれるそんな味。物語の中でしか知らなかったキスは、現実とは全然違った。
 ごくりと息を飲んだジュラール様が驚いたように口を開く。

「っ、フィン、君は」
「おねがい、ジュラールさま……。悲しいこと、忘れさせてください」

 そう言いながら、ジュラール様の腕の中で媚びを売るようにそのたくましい身体に自分の豊満な身体を擦り寄せた。
 ああ、私、少し酔っていたのかもしれない。自分がこんな大胆なことができるなんて知らなかった。
 もしくは、本当に私には娼婦の才能があったのかもしれない。
 ジュラール様の手を取り、薄い腹へと導く。

「わたくしをめちゃくちゃにして……」
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