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 婚約破棄、できなかった。
 領地に来るときは一人で馬車に乗ってきた。それが今度はリアム様と二人きりで馬車に揺られて王都へと向かってる。
 リアム様はルビーと戯れていて、私は手を膝に置いたまま外を見つめる。
 リアム様と同じ空間にいるなんて恥ずかしくて耐えられない。外の景色を見て気でも紛らわせてないと。

 リアム様の心がわからない。
 あんなこと、なさるなんて。

 冷静になると、あのままメイドが来なければどうなっていたのか。考えるだけで恐ろしい。最後までされなかったのは不幸中の幸いだ。
 最後までされてしまって、快感を覚えてしまったらと思うとゾッとする。
 それでも、あの気が遠くなるような快感を忘れられそうにない。こんな状態で、私は貞淑な修道女としてやっていけるのだろうか。不安が募る。

「シルヴィア」
「っ、は、はいっ!」

 突然名前を呼ばれて慌てて返事をする。リアム様と目が合うと、リアム様は困ったように眉を潜めていた。
 その顔になんだか気恥ずかしくなって俯く。ああ、しかも身体が震えてきた。もうなにを言われるのか恐ろしくてたまらない。

「……そんなに俺が怖い?」
「え?」

 今、リアム様はなんと言った? 私がリアム様を怖がってる?

「そ、そんな、こと……」

 ない、って言い切れない。
 だって、リアム様だけ。私の心をこんなに引っ掻き回すのはリアム様だけなのだ。そんな人が恐ろしくないなど、どうして言えるのだろう。
 リアム様が私の身体に触れたとき、最初は確かに恐ろしかった。だけどそれはリアム様ではないからと思っていたから。私の身体に触れているのがリアム様だと分かれば、私の心の本質はリアム様に触れてもらえて嬉しかった。けれどやはり同時に恐ろしかったことも事実。
 リアム様の手が私の手に重ねられて、びくりと身体が震える。すると、リアム様はその手を見つめたまま、ギュッと私の手を掴んだ。

「っ、俺は、悪いことしたとか、思ってないから……」

 ずきんと胸が痛む。その通り。リアム様は悪くない。リアム様は婚約者としての権利を行使しただけ。
 婚約破棄は私が一方的に申し入れたもの。まだ公にはなっていない。リアム様が私で遊ぼうと思ったことも当然。許されること。

「はい……。わかっております」

 だから、あらためてリアム様から言われなくてもわかってる。

「シルヴィアは……。いや、いい。聞きたくない」
「……?」

 なにを聞きたくないのだろう。
 リアム様は首を振って、私の手の上から自分の手を退かす。私の手の上からリアム様の手がなくなって、少しだけ寂しく思った。


 リアム様と私が湯浴みをしてさっぱりしたあと、お母様は案の定大激怒だった。
 それはそうだろう。自分の娘が婚約破棄をした相手と言葉に出せない破廉恥な真似をしていたのだから。

「信じられないわ、自分の娘があんな真似をするなんて」
「申し訳ありません、お母様……」

 お母様に責められてずきりと胸が痛む。
 けれど、私が叫んで助けを求めてしまったら、リアム様が暴漢として捕らえられた可能性が高かった。
 私は、どうすることが正解だったんだろう。
 考えながらちらりとお母様の隣を見る。
 どうしてここにユディット子爵がいるんだろう。彼は、言ってはなんだけど部外者ではないのかしら。そもそもどうしてユディット子爵は我が家に来ていたのだろう。
 それを指摘するにも、なんだか指摘できずに、部屋にはリアム様と私、お母様とユディット子爵がいる。

「グレイ夫人。責めるなら俺にしてくれない? 俺が勝手にしたことだし」
「ですが、殿下……」
「それに、シルヴィアは俺の婚約者だよ? そんなに怒られることでもないことだと思うけどな~?」

 リアム様はにこにこと笑みを崩さずにお母様へと言う。私はなにも言えずにただひたすら俯いてるだけ。なにか言わなくちゃって思うのに声が出てこない。
 リアム様はこう言ってくださるけど、お母様が怒るのも無理はない。
 自分の不出来な娘が婚約破棄をして戻ってきたと思ったら、部屋で婚約破棄をしたはずの男とはしたない真似をしていたのだから。
 申し訳なくて頭が上がらない。
 お父様だって、こんなことを知ったら失望するに違いない。いずれお父様に知られてしまうだろうけど、今からそのときが怖くてたまらない。
 私は本当になんていうことをしてしまったんだろう。

「ですが、娘からは婚約破棄をしたと……」
「だから」

 リアム様がお母様のお言葉を遮るように言葉を放つ。なんだかその言葉には苛立ちが込められているような気がした。お母様もそれを感じ取ったのか、ハッとして口を閉ざす。

「それがただのすれ違いだって言ってるのは聞こえない? それとも、こうして俺とシルヴィアが仲直りして、なにか不都合でもあるのかな?」

 そう言ってリアム様は冷笑をお母様たちへと向ける。向けられていない私でさえゾッとしたのだから、向かい合って座ってるお母様とユディット子爵もなにか恐ろしいものを感じ取ったのだろう。顔色が少し悪くなってる。
 リアム様が怒ってる姿なんて、あまり見ないから余計恐ろしく思える。
 殿下は喜怒哀楽の表現がいつもはっきりしていてわかりやすいのだけど、リアム様は基本笑っているか、ムスッとしている(私の前でだけ)かだから、こんなにはっきりと怒りを見せるのは珍しい。
 なにがそんなに気に障ったのだろう。やはり、私から婚約破棄を言い出したのがリアム様の自尊心に傷をつけてしまったのだろうか。それなら納得できる。

「そもそも、どうしてここにユディット子爵が? 俺の記憶違いじゃなければ、彼はシルヴィアの父でもなければ兄でもなかったと思ったけど」

 リアム様は続けて私が気になっていたことを指摘した。指摘されたユディット子爵はここで自分が出てくるとは思わなかったのか、肩を跳ねさせて脂汗を滲ませている。
 どうしてそんなに焦っているのかしら。その様子に首をかしげる。
 さすがにリアム様に指摘されたことに怖がっているのかもしれない。

「い、いえ、私は……」
「まさか、とは思うけど、シルヴィアの新しい婚約者とか言わないよねぇ?」

 それはないのでは?
 リアム様の言葉に目を丸くする。私がリアム様に婚約破棄を申し入れたのはつい先日。領地へは二日かけて来たから……あれ? リアム様はどうやって領地に来たのだろう?
 領地と王都は馬車で来ると二日はかかると思うのだけど。早馬でも最低一日はかかる距離。そんな距離を走ってきたのかしら。
 疑問はあるけど、婚約破棄を申し入れてからたったの三日。それまでに新しい婚約者が用意されてるはずがない。それに確かユディット子爵は奥様を亡くされているけど、私と同じ年頃の子供がいたはず。どちらかというと、その方との婚約話が持ち上がるのでは?
 そもそも身体に傷があり、エスタ様と殿下のご結婚後は修道院に入ることを決めてる私に持ち上がる話ではないのだけど。

「まっ、まさか! リアム殿下の婚約者殿を奪うなど! 滅相もございません!」
「だよね~! そもそも俺とシルヴィアは正式に婚約破棄をしたわけじゃないし、ただのすれ違いでこうなっただけなのに新しい婚約者候補がもういるとかあり得ないよね~! シルヴィアはずっと王都にいたんだし、シルヴィアに限って婚約者に不義理なことするはずないし。まあもしあったとしたらユディット子爵がシルヴィアに夜這いを働くとかそういう可能性だけど、まさかね~。……ありえないよね?」
「はっ、はいぃっ! もちろんでございます!」
「だよね!」

 明るい声とは正反対に怯えた声。
 リアム様が私のことを不誠実なことをしない女だと思っていただなんて、そんな評価をされていたことに驚く。リアム様は私のことなんて興味がないと思ってた。
 お母様は何故だか俯いて顔面蒼白になっていらっしゃる。
 なんなのだろう、この状況。リアム様とは一切目が合わない。意図的に私とは視線を合わせないようにしている気がする。

「じゃあ、この話はこれで終わりでいいね。グレイ侯爵夫人」
「で、ですが、リアム殿下……」
「くどい。これ以上なにか文句があるなら、グレイ侯爵を通せ」
「っ!」

 リアム様に睨まれてお母様が押し黙った。
 私はその様子を見ているだけ。当事者のはずなのに、なんだか蚊帳の外な気がして気が沈む。

「じゃあシルヴィア。王都に帰るよ」
「えっ……?」

 突然話を振られてリアム様を見つめる。リアム様に目を逸らされた。いつものこと。ずきりと胸が痛むけど、もう慣れた痛み。
 私、王都に戻るの? 王都に戻る必要はないかな、と思ってたのに。王都に戻ったら否が応でもリアム様が女性といらっしゃるところを見なければならなくなる。
 領地にいればそんなこともなくなるのに。

「……帰らないなら、最後までするよ」

 耳元で囁かれて、肩が震える。自分でも顔色が変わったと思う。

「か、えります……」


 こうして、私はリアム様と一緒の馬車に乗せられて王都へと戻ることになったのだ。
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