最期の時間(とき)

雨木良

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有縣 勝蔵・民子 3

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(…ん?…あれ?…ここは…私の部屋?)

ゆっくり開いた瞳に、うっすらと写ったのは見慣れた天井だった。民子は自分の寝室のベッドの上で目覚めた。 

「民子!大丈夫か?」

声がして右に首を向けると、微笑んでいる勝蔵と、その後で涙を拭っている一博の姿が目に入った。

「…あれ?私、確か台所で…。」

「あぁ、そうだよ。倒れた音に気が付いた親父がお袋を抱き上げてベッドまで運んだんだ。鞄に入っている薬も飲ませてくれた。」

民子は一博の言葉に驚き、目を丸くした。腰が痛い勝蔵が自分を抱えて運んだこと、それに自分が飲んでいる薬を把握していること…民子は勝蔵の顔を見つめた。

「…疑ってんだろ?」

ニヤニヤしながら聞く勝蔵に、民子はゆっくりと首を横に振った。

「あー、あれだ!火事場のなんちゃらだ。まぁ、母さんがこうなったのは初めてじゃないだろ?あの時も薬は鞄の内ポケットに入れてたし。…俺はまだボケてないぞ。」

「わかってますよ。…ありがとうございます。」

涙を流す民子に、勝蔵は照れ臭くなり、目線を逸らした。

「とはいえ、ベッドに無事に運べたら一気に痛みが襲ってきたらしいんだ。俺はその直後に家に着いてさ、正直俺も驚いたよ。自分の部屋で横になってろって言ったんだけど、お袋の側にいるって聞かなくて。」

「…余計なこと言いやがってよ。…ちょっとトイレ。」

一博の言葉に恥ずかしさが増し、この場にいたくない勝蔵は腰を押さえながらトイレへと向かった。

勝蔵が出ていった襖を眺めながら民子は微笑んだ。

「…優しいわね、父さんは。」

「あぁ。…なぁお袋、親父にはどこまで話したんだ?」

「…まだ何も。」

民子は首を横に振りながら答えた。民子の表情を見て、相当悩んでいたことを察した一博は頷きながら答えた。 

「そりゃあ…そうだよな。中々話せないよな。あ、一応さ俺が実家に来た理由は、腰痛が酷いっていうから、様子を見に来たことにしといたからさ。…親父、正直に話したらやっぱりショック受けるよな?」

「…わかんない。わかんないけど、私からは上手く話す自信がないわ。どう伝えたらよいの、余命一ヶ月って…。」

スー、ガタン。襖が開いて、勝蔵がトイレから帰ってきた。その瞬間、二人は口を詰むんだ。

「いてててて。母さん、薬どこだったっけ?」

「大丈夫ですか?…今日、病院で貰ってきた薬がありますから。ちょっと待っててください。」

民子は慌ててベッドから起きて、鞄を置いている居間へと向かった。

勝蔵は腰を押さえながら民子のベッドに腰掛けた。

「…親父。」

「ん?」

「お袋の薬の場所は覚えてて、自分の薬の場所は忘れちまうのか?」

一博の問い掛けに、勝蔵はフンッと視線を逸らした。

間もなく、民子が薬と水を持って部屋に戻ってきた。民子は、飲む分量だけの錠剤とグラスを勝蔵に渡した。

「…母さん、この薬、さっき今日病院に行ってきたって言ってたけどどういうことだ?」

「…お父さんが余りに腰が痛そうだったんで、先生に相談に行ったんですよ。それから、腰の治療をしたいので、近い内にまた診療に来てほしいって先生が言ってましたよ。」

勝蔵は納得したように頷き、渡された錠剤を飲み干した。そして、手に持ったグラスを見つめながら呟いた。

「…もっと早く病院行ってりゃ、腰もここまで酷くならなかったかもな。…こんな腰のままじゃ、これから母さんと色んな所に旅行に行く計画が遂行できないよな。…直ぐに治すから、心配させてすまんな。」

勝蔵がそう言って顔を上げると、後ろを向いて肩を震わせてる民子の姿が目に入った。

「…民子?」

「な、何でもないです!そうだ、洗濯物見てきます。」

民子は勝蔵に顔を見せずに、部屋を出ていった。

「一博、母さんどうしたんだ?」

勝蔵の問い掛けに、一博は言葉に詰まってしまった。

「…そうか。悪いのか?俺の身体。…只の腰痛じゃねぇのか?」

勝蔵は一博に本当のことを言って貰いたくて、鋭い目付きで問いただした。

「…腰痛だろ、ちょっと酷めの。とにかく明日にでもまた病院に行こう。」

「……………。」

勝蔵は一博から目を逸らした。

一方、総合病院の職員用の食堂では、片野医師が昼夜を取っていた。今日の日替わり定食のしょうが焼きを頬張っていると、目の前にポンとお盆が置かれ、視線を向けた。

「ここ、いいですか?」

「鵺野先生。お疲れ様。」

「昨日は、ありがとうございました。」

「いえいえ、私は何も。医者というのは、たまにはああやって仲間と話し合いをして、他人の考えを聞くことが大切だと思っています。私の考えは、あくまで私の考えなので正解とかではないですからね。」

「いえ、勉強になりました。」

鵺野医師は日替わりラーメンのスープを一口飲み、麺を啜った。

「そうだ、鵺野先生。今度は私の相談に乗っていただけますか?」

片野医師の言葉に、鵺野医師は麺を啜ったままフリーズした。片野医師は、箸を茶碗の上に置き、鵺野医師の目を見て話し始めた。

「今日、患者さんのご家族を呼んで、余命一ヶ月であることを告げました。ですが、患者本人は数年前から継続的に鬱病を発してまして、自暴自棄になることを懸念して、本人には告げないという選択肢をご家族に提案し、承諾されました。…どう思いますか?」

鵺野医師は、啜ってフリーズしてた麺を噛みきり、口の中の麺を呑み込むと、首を傾げながら聞いた。

「…どうって、どういう意味ですか?」

「…医者として、ご家族に『逃げ』の選択肢を与えてしまったのかと考えてまして。」

「『逃げ』?…ですか。」

「そうです。ご家族にとって、患者本人に告げることから逃げる選択肢です。それは、患者本人にとって、ご家族にとって、本当に最善なものだったのかと考えています。ご家族にとっては、逃げることで、一時的には落ち込んだり、自暴自棄になる患者本人を見ることがないかもしれませんが、ずっと演技をし続けなくてはなりません。ご家族自身だって、ただでさえツラいはずなのに。」

片野医師の言葉に、鵺野医師は頷きながら答えた。

「…そうですね。数日も経てば、限界がきてしまうかもしれませんね。…それに、患者本人の意志を尊重できてるかという疑問もあります。もし命の終わりを知れたら、残り少ない人生でやり遂げたいことが出てきて、後悔なく最期を迎えられたかもしれない。…ただ、本人に告げたら本当に自暴自棄になって、どうにもならない場合もあるとは思いますが…。」

「鵺野先生のおっしゃる通りです。この問いも正解は分かりません。本人に告げてみなくては正解が分からないんですよ。ただ、患者さんのご家族にとって、医者の言葉は重要です。医者から提案されたらそれが最善なんだ、正解なんだと考えてしまうものです。…すみません、ちょっと鵺野先生の意見も聞いてみたくて。あっ、どうぞ、麺が伸びてしまいますから食べてください。すみませんが、私はこれでお先に。」

片野医師はそう言うと、お盆を持って立ち上がり、頭を下げると、食器の返却口へと歩みを進めた。

鵺野医師は、遠ざかっていく片野医師の背中を見ながら麺を啜った。

「…うん、伸びてんな。」
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