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三章 消えた精霊王の加護

39話 パン屋のシャロム

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「アビリオさん、スオンさん。今日はどうかよろしくお願いします」

赤茶色の髪をしたグランドンより程ではないが少し体格の良い職人風の男性、ハラスに唯一あるパン屋『麦屋』の店主シャロムが2人に深々と頭を下げながら言った。

この日、仮拠点にシャロムを呼んだのはギルド『七曜の獣』で焼いている天然酵母を使ったふわふわの柔らかいパンの作り方を教えるためだ。

そのパンをシャロムの店を通して今まで世話になったハラスの住民達に食してもらいたかったのとイアソンから新人騎士達に美味いパンを食わせてやりたいという要望があったからである。

シャロムの店の裏庭にはパンを焼く為の石窯があるので店でパン作りを指導した方が本当は良いのだが彼の店にはまだギルドで焼いているパンの作り方を教えたく無い者がいるので手始めに生地作りの指導を仮拠点ですることにした。

今ハラスの外に出没しているオークは夜行性なので昼間の見回りはイアソンが連れてきた新人騎士数人に任せスオンよりもパン作りが上手いアビリオも指導する側として参加する。

アビリオとスオンの2人にパン作りを教えた張本人のエイリは幼児が指導に口出しするのはとても不自然な光景なので食堂で『スティリア』の文字に訳したレシピノートを見ながらミニ黒板で文字の勉強をしつつ3人のパン作りの様子を観察することにした。

「うちのギルドではこのパン種を使ってふわふわのパンを焼いています」

アビリオが瓶の中で酵母液と小麦粉を混ぜて発酵させたパン種をシャロムに見せた。

「凄く…ボコボコと音を立ててますがこれでパンを作って大丈夫なんですか…?」

今まで重曹を使って膨らませた硬いパンしか作ったことがなかったシャロムには天然酵母を使ったパン種は未知の領域のようだ。

「これは酵母というパンを膨らませる精霊のようなものでしてこれがふわふわのパンの素になるんです」

スオンが酵母菌を精霊に例えてシャロムに説明した。

「精霊のようなものですか…ちなみにこれは何で作られているのですか?」

「パン種の製造方法はまだ秘密です。なにせ『愛し子』様のレシピですからまだ公に出来ないのですよ」

スオンがいう『愛し子』様のレシピ、エイリは『愛し子』の娘なので嘘は言っていない。

酵母の作り方も本当ならこの日のうちシャロムに教えた方が楽なのだがやはりエイリはある者に絶対教えたくないのでシャロムがパン作りを覚えても当分はギルドで作ったパン種をパン屋に届けてパンを焼いてもらう予定でいた。

こうして3人のパン作りはスタートした。

この日はシンプルな白い小麦粉のパン作りの作り方をシャロムに指導する。

天然酵母を使ったパンとシャロムが普段焼いているパンの作り方は生地を膨らませる素どころか根本的に違う。

パン生地を捏ねるときも天然酵母のパンは小麦粉に含まれるグルテンがでるように強く練るように捏ねなければふわふわのパンにならない。

一方で重曹を使ったパンの場合は逆にグルテンがでるように強く捏ねてしまうとカチカチのパンに仕上がってしまうので優しくまとめるようにして捏ねる。

その為シャロムはパン生地を捏ねる作業の際には何度もこんなに強く捏ねて大丈夫なのですか?と恐る恐る確認しながら捏ねていた。

捏ねたパン生地を一次発酵させている間、某料理番組のように朝のうちに捏ねて用意していた一次発酵済みのパン生地をシャロムに見せた。

先程捏ねた生地が発酵し膨らむとこうなることを知ったシャロムは驚いていた。

シャロムにパン生地をガス抜き、生地を丸めて成型をしてフライパンに敷き詰める作業を教えた。

二次発酵をさせている間はシャロムに普段の重曹のパンの材料を聞いて重曹の苦味を緩和する改善点として酢かレモン汁を水に混ぜて使うと良いと2人はアドバイスし試しに別のフライパンを用意してそれを焼くと普段の重曹パンよりとても食べやすいものが出来上がった。(食べ易くなる重曹パン作りはエイリと事前に2人と打ち合わせ済み)

冬など寒くて天然酵母のパン生地が発酵できない時期はこの重曹のパンをシャロムにハラスで売ってもらうことにした。

天然酵母パンの二次発酵が終わったらそのままフライパンで生地を焼く。

パンをフライパンとはいえ焼いていると食欲をそそる良い香りが食堂どころか仮拠点の一階隅々にまで広がった。

「「パンのいいかおり!きょうはなんのパンなの?」」

パンが焼ける良い香りに誘われて猫耳姉妹が食堂に来た。

しかし、猫耳姉妹がシャロムの姿を見ると笑顔が凍りつきリコリスは警戒するような目つき、ルティリスは怯えた表情になった。

「リコちゃん!ルティちゃん!うちのバカ息子がいつもごめんね!お詫びにならないかもしれないけどこれから2人の為におじさんいっぱい美味しいパンを焼くからね!!」

シャロムが猫耳姉妹に謝罪しながら言った。

猫耳姉妹がシャロムを警戒するのは彼の息子ミクロが原因だった。

ミクロはエイリと同じ7歳でシャロムと同じ髪色の男児だ。

ギルド『七曜の獣』の仮拠点をハラスに構える前までミクロは父親のシャロムが町にある唯一のパン屋を開き住民達の主食となるパンを売り、シャロムも善良な店主だったので住民達はミクロを甘やかしていた。

それが『スティリア』を救った英雄ザンザスが結成したギルドが町に来たことで住民達の注目がミクロから英雄ザンザスとアビリオが大事に育てている猫耳姉妹に移ってしまったことに苛立ったミクロが主犯で雑貨屋と肉屋の息子達と一緒になって猫耳姉妹を虐めているのだ。

猫耳姉妹の本当の親がいないのをネタにミクロ達が「みなしご」「親に捨てられた子供のくせに」などと思い付く限りの悪口を言ってくる。

そしてそれを見たザンザス達、大人の住民達やシャロムが3人を叱ってもそれを逆恨み、英雄のギルドにいる子供を虐めた責任は親にいくものでそのようなこともありシャロムの店の売り上げも落ちたことでミクロの虐めが悪化してきていた。


町の外にオークが出現する前に一度エイリもアビリオと一緒にクロを散歩していた時、アビリオが少し離れている間にこの悪ガキ3人と遭遇したことがあった。

その時にもエイリが『七曜の獣』にいる子供という理由なのか「チビが良い気になるな」「お前も本当は捨て子のくせに」などと言ってきてアビリオが戻ってきて3人を叱る前に…。

「そんなことでリコ達のように泣くと思った?家の手伝いもせず年下の子供を集団で虐める馬鹿3匹を相手にする暇は無いんだけど」

とエイリは今まで散々妹のように可愛がっている2人を虐めた恨みを込めてたったこの言葉だけ3人に冷たく無表情で言うと余程エイリ雰囲気が恐ろしかったらしく3人は退散していった。

この日の夜、住民に話を聞いた3人の親が子供を引きずって謝りに来たがルエンに追い返されていた。

このようなこともありエイリはミクロに悪印象しか無かった。

シャロムに天然酵母のパンの作り方を教えれば将来はこのミクロが受け継ぐことになる。

エイリが天然酵母のパン作りを発案したことを知らない猫耳姉妹もミクロにこのパンの作り方を知ってほしくなかったのでアビリオに良くミクロの家にこの美味しいパンの作り方を教えないで欲しいとお願いしていた。

エイリも可愛い猫耳姉妹を虐めたミクロにこのパンの作り方を受け継いで欲しくなかったのでシャロムに教えるか否か悩んだ。

石窯で焼いた美味しい天然酵母のパンをハラスの住民にエイリは食べてもらいたかった。

パンを広めるならパン屋に作り方を教えた方が本当はいいのだが…。

いっそのことパン屋をすっ飛ばしてハラスの住民達に天然酵母とそれを使ったパン作りを教えようと思ったがそれではシャロムの店を潰すことになりかねない。

ミクロは悪ガキだがシャロムは以前まで毎朝まだ温かい雑穀パンを届けてくれたし向上心の高い職人なので店を潰すようなことにエイリはなって欲しくはなかった。

なのでまずは天然酵母を使ったパンはまだ公にしていない『愛し子』様のレシピだとシャロムに説明し、家族の誰にも生地の作り方を教えてはならないと言って様子を見ることにしたのだ。

「フライパンと石窯ではパンの完成はかなり違う物になると思いますのでシャロムさんが今日捏ねたパン生地は店の石窯でパンを焼いて練習してみてくださいね」

この日に捏ねたパン生地はシャロムの店のの石窯で焼く練習をしてもらうため持ち帰ってもらい明日石窯で焼けたパンを持ってきてもらいパンの確認することにした。

シャロムのパン作りの指導はまだ始まったばかりだ。


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