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国境越え(その2)

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「くそっ!」

  到達前に見つかってしまったことに毒づくマルクス。その少し前を走るレミは向かう先を若干左に変更する。追従するマルクスもすぐにその意図を察して右前方に向きを変えた。その理由は丘の上で彼らを待つエリオがハークマイン兵に見つからないようにするためだ。

「はぁぁぁぁぁぁ!」

  マルクスが声を上げて残り二十メートルを駆け上がったのも自分へと注意を向けるため。後方から付いてくるザックを気遣ってのこと。

  丘の上に飛び出したレミとマルクスに兵士が駆け寄ってきた。ふたりは逃走も抵抗もすることなく手を上げて立ち止まる。

  騒ぎを聞きつけたライスーン兵たちも丘の上の人影が集まる場所に向かって寄ってくるのだが、その際に著しく速度の落ちたザックが丘の中腹を越えたあたりで発見されてしまった。

「あいつを捕まえろ!」

  近くのライスーン兵がザックに向かっていく。急勾配を全力で駆け上がってきたザックとは違い、兵たちは丘を斜めに進むため勾配がなだらかだ。グングンとザックに迫っていく。

「ザック、頑張れ!」

「もうひと息よ」

  しかし、マルクスとレミの声援むなしく、ザックはゴールから十五メートル手前で取り押さえられてしまった。

  それから十数秒たったところで再び月が顔を出し、薄明かりが丘を照らす。

「これはいったいなんの騒ぎだ?」

  見下ろしながらハークマイン兵がザックを押さえる兵に問いただした。

「この件は極秘事項のため内容をあかすことはできない。ただ、そ奴らは我が国に脅威を与えかねない陰謀を企てたとして指名手配された者たち。我が国で裁きを下す必要があるため引き渡してもらいたい」

「なにが陰謀だ。俺は仲間を連れて故郷のニーヤ村に帰るところだったんだ。それのなにが悪いっていうんだ」

  押さえつけられたザックがやり取りに割って入る。

  ライスーン兵の返答との相違があるため、今度はザックに質問した。

「故郷はニーヤ村か。であるならば貴様はこの国の生まれということか」

「そうだ」

「なんの話をしている? そんなことよりもそちらの二名も早く引き渡してもらおう」

  ライスーン兵はふたりの身柄を要求し、ゆっくりと丘を上がってきた。

「なにが陰謀だ。そんなのでっち上げだ」

「そうよ。いったいあたしたちがなにをしたのか言ってみなさいよ。あたしたちは彼の故郷に遊びに行くだけなんだから」

「黙れ罪人。外患罪がいかんざいで貴様らは重い罰が下ることになっているんだ」

  その言葉を聞いたハークマイン兵はライスーン兵たちに向かって叫んだ。

「ライスーン王国の兵士たちよ、それ以上近づいた場合は我が国への侵略行為とみなし、防衛のための攻撃を敢行する」

  そう叫ぶ彼が手を上げると同時に弓兵が躍り出た。

「どういうことだ。我らは国外逃亡を謀ろうとしている者たちを捉えにきただけ。そもそもハークマイン王国が我が国の犯罪者を保護する理由はないはず」

  その訴えに対して彼は言った。

「さきほど彼らに対して『外患罪がいかんざい』と言っていたな。それはつまり、我らハークマイン王国が彼らと通謀つうぼうし、ライスーン王国に害を成す陰謀を企てているということ。確たる証拠があるのか? その発言、国際問題になりかねんぞ」

  確たる証拠と言われても、彼らは詳しい内容を聞かされてはいない。

「どうした? 我が国と彼らが結託してライスーンに武力的侵略おこなうという証拠を示してもらおうか」

  弓につがえられた矢を向けられたライスーン兵たち。一触即発のこの状況の中で熟考した兵は撤収を指示した。

「おい、待てよ。ザックを置いていけ!」

  マルクスの言うことなど聞いてくれるはずもなく、ザックは連れていかれてしまう。

「ねぇちょっと。ザックはこの国出身なのよ。どうにかしてよ」

「ここから先は王国領土外。中立領域とは言え我が国に関係ないことで争いを起こせば、王や民に迷惑がかかる。なにかの犯罪がらみであるとライスーン王国兵が主張することをかんがみれば、このことは慎重に進めなければならん」

  ライスーン側が賢者の石のことをあかせないように、エリオたちも口にはできない。もしそのことを知られてしまえばどういった扱いを受けるのか。良くも悪くも賢者の石を巡って事件が起こることだけは彼らも予想できる。

「出身国がハークマインでも彼はライスーンの民。これ以上はどうにもできん」

  再び雲が月明かりを遮っていく。連れていかれるザックの背中が闇に溶け込むのを見てレミは手を伸ばした。それは、外患罪がいかんざいなどという国家に対する裏切り者として扱われたならば、どれほどの仕打ちを受けるかわからないと考えたからだ。

  エリオに賛同した後悔の念が心を染めようとしたとき、黒い影がレミの視界の端をかすめた。

  その影は兵が持つランタンの光の隙間をぬって進み、それと意識しなければ気が付かない。レミがそれを明確に認識したときには丘を下るライスーン兵たちの奇声とランタンが割られる音がし、自然が生み出した闇に灯る人工の光が失われた。

  闇の深度が上がって風が草木を波打たせる音だけがその場を支配すると、そこでようやく他のライスーン兵たちが異変に気付く。

「早く上がってきて!」

  このレミの言葉は、闇夜を駆け下ってザックを助けたエリオに向かって叫ばれたモノ。そのエリオはザックの手を引いて丘を登りきり、無事にハークマイン領土へと足を踏み入れた。

「やった!」

  腕を後ろで掴まれながらもマルクスは喜びをあらわにする。

「おい、静かにしろ」

  そんな注意を受けつつも、四人は国境を越えて逃げ切ったことを喜んでいた。

  丘を見上げるライスーン兵に向かって、弓兵はまだ狙いを定めて待機している。

  たなびく雲から再び現れた月明かりに、ズラリと並んだ弓兵の矢が鋭く光る。それを見たライスーン兵は口惜しく思い歯噛みしながら丘を下りていった。

  そのさまを見たエリオたちがいっせいに息を吐いたとき、エリオたちを発見したことを伝える信号弾が夜空に打ちあがって闇夜を照らす。

  その光に照らされる彼らに、この場の責任者らしき者が言った。

「私はハークマイン第三地区国境警備兵隊長のサクバーン=トーセンだ。通常であればこんなことはないのだが、事態が事態なだけに事情聴取させてもらう」


「はい」

  エリオが手を上げたのを見て仲間たちも同じく手を上げて抵抗する意思がないことを示す。警備兵に武器を預け、指示に従って国境管理の砦に向かった。
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