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さわこさんと、春の装い

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「ホント……無事にみんなで帰ってこれて何よりだったけどさ……」

 居酒屋さわこさんの開店準備をしておりますと、バテアさんが苦笑なさっておいででした。
 それもそのはず、と申しますか……

 先日、私が暮らしていた世界へ仕入れに出向いた際に、同行していたミリーネアさんが突然いなくなってしまったのでございます。
 ミリーネアさんご本人的には
『ちゃんと一言残した』
 というおつもりのようなのですが、歌っていない時は極めて小声なミリーネアさんですので、その声は私とバテアさんには届いていなかったものですから……

「まぁでも、無事帰ってこれましたし、それはそれで……」

 これに関しては、私も苦笑を帰すのがやっとでございました。

 厨房で、料理の仕込みをしている私。
 カウンターで、お客様にお出しするお酒を確認しているバテアさん。

 そんな私達の視線の先では、いつもの店内の端で、ミリーネアさんが三味線と小型ハープを磨いておられました。


 ♪ 黒い衣装のその男~

  ♪ 黒いパンサーと人は呼ぶ~


 机上に置いたノートを確認しながら、そんな歌を口になさっておいでです。

「……あの日からさ、ミリーネアってば妙な歌を口ずさむようになったけど……さわこの世界で見聞きしてきたことなのかしらね?」
「えぇ、おそらく……」

 ちなみに……今、ミリーネアさんが口になさっておいでなのはショッピングモールの中にございます映画感のポスターのことだと思われます。
 ちょうど、そんなアメリカの映画がはじまったばかりだったはずですので。

 そんなミリーネアさんの横には、風船がうかんでいます。
 この赤い風船ですけど、ショッピングモールで配布されていたのを、ミリーネアさんがもらってきたものなんですよね。

 かなり小柄なミリーネアさんですので、ひょっとしたら子供と間違って渡されたのかも知れません。

 ですが

 ミリーネアさんは、この赤い風船がいたくお気に入りのようでして、こうしてお店で歌を歌う際には必ず横に携えておいでです。

 ……ちなみに、中のガスはすっかり抜けていまして、本当ならこうして浮くはずはないんです。
 なぜ、今、こうして浮いているかといいますと……えぇ、バテアさんが魔法でこっそり浮かせてくださっているんです。

 こちらの世界に戻ってきた翌日には、すっかりしぼんでしまった風船。
 それを見たミリーネアさんってば、
『もう一回もらいに行く』
 と、言い出されまして、バテアさんに懇願しまくられたんです。

 それを受けて、バテアさんが

『とにかく風船が浮かべばいいんでしょう?』

 そう申されて、こうしてくださったのですが……ミリーネアさん的にはこれでご満悦だったようでして、今も時折風船を見上げては、笑顔を浮かべておいでです。

 そんなミリーネアさんの様子を拝見しながら、私とバテアさんは開店準備を進めておりました。

◇◇

 ここ、辺境都市トツノコンベ一帯には、春の足音が駆け寄って来ております。

 あれだけあった雪が、今ではすっかりなくなっておりまして、遠くの山脈も、あちこちに山肌が浮き上がりはじめております。

 街道の積雪もなくなり、外部から街へいらっしゃった冒険者の方々の姿をお見かけすることが多くなってきております。

 春の訪れとともに、少し気になっていたのですが……

 一緒に暮らしておいでの、リンシンさんとミリーネアさんのお2人なのですが、春が来て、どこか別の場所へ旅に出たりなさるのかな……と……

 リンシンさんは、各地を旅しながら狩猟や依頼をこなして生計をたてておいででしたし、ミリーネアさんも各地を旅する吟遊詩人でございます。
 いつかは、この街を旅立たれる……そうわかってはいるのですが、そのことを想像してしまいますと、どこかとても寂しく思えてなりません。

 ただ……幸いなことに、

「……私は、もうしばらくいる。さわこが契約してくれるし、シロ達もいるし」
 リンシンさんはそう言って笑ってくださいました。
 
「あっちの世界、楽しい。もっとあっちの世界を知りたい」
 ミリーネアさんも、そう言ってくださっています。

 そんなわけで、お2人ともしばらくは今までどおり、ここにいてくださるご様子です。

「これからもよろしくお願いいたしますね」

 私は、そんなお2人に笑顔で挨拶をさせて頂いた次第でございます。

◇◇

 月が変わり、私の世界の3月になりましたので、お店からだるまストーブが姿を消しました。
 もともと、室温調整魔石のおかげで店内の温度はそこまでは寒くありませんでしたので、体感温度的にはそんなに差はございません。

 ただ、この冬の間中お店の真ん中に鎮座していただるまストーブだけに、
『あぁ、あったかくなったから片付けたんだね』
『なんか、ここにあれがないと少し寂しいね』
 そんな、だるまストーブが姿を消したことを惜しむ声をお聞きすることが増えているのも事実でございます。

 同時に、
『この寒い中、わざわざご来店くださいましてありがとうございます』
 という感謝の気持ちをこめて行っておりました、日本酒一杯無料サービスも終了した次第です。

 以後は、感謝の気持ちをこめた挨拶で、これにかえさせていただこうと思っております。


 また、居酒屋さわこさんのメニューも、少しずつ春の装いを取り入れております。

 シロ達白銀狐の皆さんのおかげで、少し前から春の山菜などを入手することが出来るようになったものですから、それらをメニューに加えていたのですが、雪解けとともに春の山菜を入手出来る量がどんどん増えているんです。

 その収穫量があまりにも多くなり始めたものですから、最近では、リンシンさんに加えまして、エミリアとショコラ、そのお友達で、街中で喫茶のお店を切り盛りしているマリーさんという女性まで山菜採りに加わっておられます。

 今の私は、皆さんが収穫してきてくださった、この世界の春の山菜を使ったメニュー作りにおわれておりますので、なかなか同行することが出来ずにいるのですが、いつかご一緒してみたいと思っております。

 この春の山菜を使用しまして、

 菜の花の辛子和え
 クッカドゥウドルとサルトイモの煮付け
 イカとサルトイモの煮付け
 イカと春キャルベツのぬた和え

 こういった物を、居酒屋さわこさんの春のメニュー第一弾として、メニュー表を作成して壁に貼り付けているのですが、

「おぉ、また酒が進みそうなメニューだな」
 ドワーフで、いつもはバーテンをなさっておいでのオマチさんが、早速全メニューを御注文くださったものですから、
「はい、よろこんで」
 私も、笑顔でお返事させて頂いた次第でございます。

 こうして、新しいメニューが加わった影で、この冬ずっとカウンターの上で頑張ってくださっていたおでん鍋も姿を消しました。

 昨年のクリスマスの頃は、このおでん鍋の周囲にはエンジェさんのクリスマスツリーと、座布団で丸くなっているベルの姿が並んでいたのが、ここ居酒屋さわこさんならではの光景だったのですが……今では、エンジェさんが付喪神化したためツリーはなくなり、ベルも元気に動き回るようになったため、そこに座布団もなくなったものですから、これでおでん鍋まで姿を消してしまったものですから居酒屋さわこさんのカウンターも一心した感じになっております。

 それにともないまして、厨房の中から見える光景も少し変化した感じです。

 そんな店内を、厨房から見つめていた私は、
「さぁ、装いも新たにがんばらないと」
 そう、気合いを入れ直していた次第でございます。

ーつづく
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