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1巻

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 さて、私も一つ食べてみましょう。
 お箸が大根にすっと入っていきますので、よい塩梅に仕上がっているようですね。
 はふはふと一切れ食べると、大根の旨味と味噌ダレが程よく絡み合いながら口の中に広がっていきます。
 更に辛口のお酒を呑んで……はい、目の前でバテアさんの食べる勢いが俄然がぜん止まらなくなるのもよくわかります。

「うん……美味しいですねぇ」

 私はにっこり微笑みました。
 やはり美味しいお酒と料理ですね。これさえあれば、誰の顔もにっこり笑顔になるものです。
 その後、私とバテアさんはふろふき大根ときんぴらを肴にして、何度も乾杯を交わしました。
 バテアさんは、ご自身のこと、この世界のことを陽気に語ってくださり、私もそのお話を大変楽しく聞かせていただきました。
 いろんな場所を旅されているバテアさんのお話はとても不思議なものばかりです。
 例えば、私の世界の薬草を使うと、火属性の魔法能力を高める魔法薬を作ることができるんだそうです。
 また、とある世界では、薬草採取の時に『どらごん』に追い回されたとか……!
 私にとっては夢のような世界のお話を、面白おかしく語ってくださるバテアさん。
 少し前まで途方に暮れていた私ですが、こうしてとても素敵な方と巡り合えた偶然に感謝の念が絶えません。
 私はその後も、バテアさんのお話をずっと笑顔で聞き続けていたのでした。


 そして、何度も何度も杯を交わした結果……
 私とバテアさんは、二人がかりで一升瓶を十本……朝までに空にしていたのです……


    ◇◇◇


「う、う~ん……」

 目覚めた私の視界には、知らない天井がありました。
 どうやらベッドらしき場所で、横になっているようです。
 ベッドの脇にあるカーテンを少し開けると、すでにお日様が高くなっていました。

「あ、いけない……仕込みをしないと……」

 そう呟きながら立ち上がりかけた私は、ハッとなりました。

「……あ、そっか……。もう、お店はないのでした……」

 お店はもうない。
 その寂しさを、ここ数日、毎朝感じていた私。
 ……ですが、今の私は不思議と晴れやかな気持ちになっていました。
 そうです、私は昨日、まったく新しい世界にやってきたのです。
 隣に視線を向けると、私をここに導いてくださったバテアさんの美しい寝顔がありました。
 ……はい、だんだんと思い出してきました。
 朝まで呑んだ私達は、そのまま同じベッドで倒れ込むように眠ってしまったのです。
 バテアさんはまだ寝息を立てています。


 なんにしても、一人きりでないというのは、心強いものですね……


 バテアさんの寝顔を見ながら私はふふふと笑みを零し、それから何気なく、自分の体へと視線を向けたのですが……

「……あ、あれ? ……な、なんで!?」

 思わず目が点になってしまいました。

「な、なんで私、裸なのですか!?」

 ……なんといいますか、ただの裸ではなく……ぜ、全裸でした……
 そこで私は、幼なじみのみはるによく言われていた言葉を思い出しました。

『さわこってお酒に強いんだけど、限界を超えると服を脱ぎ始めるのがねぇ』

 って……慌ててベッドの周囲を見回してみますと、私の服があちこちに散乱しています……
 はわぁ……。や、やってしまったぁ……
 私はバテアさんを起こさないようにベッドから抜け出ると、周囲に散らばった服を掻き集めて慌ててそれを身につけました。


 き、今日からは、気をつけないと……


 そう、固く誓いながら。


    ◇◇◇


 きちんと服を着直して……
 私は気持ちも新たに台所に立ちました。
 朝食の準備をしましょう。居候の身ですから、それぐらいはやらせていただきます。
 シンプルにわかめの味噌汁と御飯、それに厚焼き卵を作ることにしました。
 この世界には電気というものがないらしく、電気釜が使用できません。
 とはいえ、居酒屋を経営していた際には、いつも土鍋で御飯を炊いていたので問題はありません。コンロはありますしね。
 そういえば、昨夜、私が不思議に思ったこのコンロについてバテアさんにお聞きしたところ、『魔石コンロ』というのだそうです。
 仕組みとしましては、火属性の魔石がセットされておりまして、その力で炎が発生するということでした。
 ……自分で言っていてあれですが、いまいち意味がよくわかりません。
 なんなのでしょうか、その『ひぞくせいのませき』というのは……
 と、とにかくですね、その火属性の魔石のおかげでこうしてコンロが使用できるのですから、ありがたいです。


 お鍋に水を張り、底に出汁昆布を沈ませてしばらく寝かせておきました。
 昆布を入れたままお米を炊くと、香りが出て旨味が増すんです。
 お米は、私が持ってきた『あきたおとめ』を使用することにしました。
 研いだお米をしばらく水に浸したあと、その水を切って土鍋に移します。
 お米を昆布入りの水に入れて火を着けましたら、水が沸騰するまでは強火で。
 しばらくして沸騰してきたら、中火まで火力を落とします。
 沸騰状態を保ちながら徐々に弱火にしていくのがポイントですね。


 御飯が炊けるまでの間にお味噌汁を作りましょう。
 あまり材料がありませんので、乾燥わかめと昨日の大根の残りを使用することにしました。
 土鍋の隣で、水を張った片手鍋を火にかけます。
 食べやすい大きさに刻んだ大根を加え、大根がいい案配になりましたら、出汁入り味噌で味を調ととのえていきます。
 最後に、乾燥わかめを適量入れれば完成。
 お店で出していたお味噌汁は、自分で配合した合わせ味噌に、削り鰹と昆布から取った出汁を合わせて作っていたのですが、どちらも持参しておりませんので、今日は市販品で代用した次第です。


 さて、土鍋の御飯もほぼ炊き上がりました。
 私は、最後に再び強火にすると、「一……二……三……四……五」と五秒数えてから火を消しました。この五秒の強火で、美味しいお焦げができるというわけです。
 電気釜では味わえない、土鍋調理の醍醐味ですね。
 あとはこれを蒸らすだけです。


 十分少々蒸らす時間が必要ですので、その間に今度はだし巻き卵です。
 幸いバテアさんの家に卵がありましたので、それを使わせていただくことにしました。
 卵を四個ボールに入れ、水を少しと白だしを加えたら、砂糖をひとつまみ。それを三本の菜箸さいばしでかき混ぜていきます。
 お箸を三本使うことで、材料がより混ざり合い、空気が含まれてふっくら焼けるんです。
 よく混ぜたら、先程までお味噌汁を作っていたコンロの上に卵焼き用のフライパンをのせ、サラダ油を引いて加熱していきます。
 フライパンから軽く煙が立ち上り始めたら頃合いです。
 卵を徐々に流し込み、固まったら巻いて、そこへ卵を追加して、と繰り返していきます。


 作業をしていると、バテアさんが起きていらっしゃいました。
 昨夜酒盛りをしたテーブルの椅子に腰かけたバテアさんは、そこから眠たそうな顔をしたまま私の様子を見ておられました。

「さわこってば、見た目と違ってずいぶん器用なのねぇ」

 ……え~っと、若干引っかかる単語がなきにしもあらず。なのですが、手元の卵焼きが佳境にあるので、スルーしていきましょう。
 良い感じに卵が焼き上がりましたので、皿へ移してから包丁で適当な大きさに切ります。
 と同時に、ちょうどお米の蒸らしも終了ですね。

「さぁ、お待たせしました。朝御飯ができましたよ」

 私は、バテアさんに笑顔でそう言いました。


    ◇◇◇


 私は、御飯とお味噌汁を、持参してきたお茶碗などによそっていきました。
 それをバテアさんがテーブルまで運んでくださいます。
 最後に、だし巻き卵をのせたお皿をテーブルに運び終えると、私も椅子に座りました。

「じゃ、いただくわね」
「はい、いただきましょう」

 さあ食べましょうというところで、バテアさんの手がぴたりと止まりました。

「……ちょっとさわこ、作ってもらっておいてなんなんだけど……これって米?」
「えぇ、そうですけど……私の世界から持参してきたお米を炊いたのですが、何か問題でもありましたでしょうか?」
「米って家畜の餌にしか使われてないのよ?」

 バテアさんはそう言いながら顔をしかめています。
 なんと、そうでしたか……。こちらではお米は家畜の餌扱いなのですね。日本人としては残念なお話です……
 でも、そんな不満げなバテアさんに対して、私はにっこり微笑んでみせました。

「きっとご満足いただけると思いますので、騙されたと思って一口食べてみてくださいな」

 昨日のふろふき大根やきんぴらを喜んで食べられていたバテアさんを見る限り、私と味覚が異なるということは考えにくいです……。ですから、きっと喜んでいただけるはず、と私は自信をもって返しました。

「う~ん、まぁ、せっかくさわこが作ってくれた料理だし……。そりゃ食べるけどさ……」

 渋々といった表情で、バテアさんは御飯を口に運びました。
 そして、次の瞬間――

「んぁ!?」

 御飯を口に入れたバテアさんは、いきなり目を丸くして立ち上がりました。

「な、なんなのこれ? 本当に米なの!? 家畜の餌にしかならないあの米が、なんでこんなに美味しいのよ!?」

 バテアさんはそう言いながら、立ったまますごい勢いで御飯をかき込んでいます。
 食べたものが美味しいと立ち上がる、というのがバテアさんの感情表現のようですね。


 それにしても、やはりお米も受け入れてくださいました。
 ……ひょっとして、私の世界のお米とこの世界のお米は種類が違うのでしょうか?
 それとも単に調理法の違いなのでしょうか?
 とにもかくにも、この世界にもお米があるらしいというのは朗報ですね。
 今度はこちらのお米で御飯を炊くことができるかもしれません。
 是非、実物を入手して試してみたいと思います。


 次にバテアさんは、お味噌汁と厚焼き卵をすごい勢いで食べ始めました。

「このスープもなんなの? こんな美味しいスープは初めてよ! それにこの卵焼きも! 酒場の卵焼きとは全然違うじゃないの! 甘くて美味しいっていうか、とろっとふわっとしてて……あぁもう、さわこ!」
「は、はい!?」
「とりあえず御飯のお代わりよ!」
「はい、喜んで」

 バテアさんが差し出したお茶碗を、私は笑顔で受け取りました。
 自分が作った料理を美味しいと言っていただけるのは、本当に嬉しいものですね。
 バテアさんのお茶碗にお代わりをよそって手渡すと、私も御飯を口にします。
 良い感じにお焦げもついていて、私は思わず笑顔になりました。


    ◇◇◇


 朝食を終えると、バテアさんは笑顔でこちらに向かって告げられます。

「じゃあ、アタシは薬草の採取に行ってくるわね」
「あら? バテアさん……転移は週に一回しかできないのでは?」
「あぁ、それは異世界に移動する上級転移魔法よ。今日はこの世界の北方の山に行くの。この世界の中で転移するくらいなら、大して魔力を消費しない低級転移魔法で移動できるのよ」
「はぁ……そ、そうなのですね……」

 バテアさんはそう説明してくださるものの、いまいち理解できません。
 そもそも、魔法というものの知識からして少ないですからね、私って……

「じゃあさわこ、店番よろしくね」
「は、はい! 一生懸命がんばります!」

 バテアさんのお言葉を受けまして、私は両手をギュッと握りしめて気合いを入れました。
 居候二日目にして店番を任されることになったのです。
 しっかりがんばらないといけませんね。
 魔法で出現させた転移ドアを潜っていくバテアさんを見送った私は、仕事着といたしまして着物を身につけました。
 引っ越しの荷物にありました着物箪笥の中に保存していたものです。
 なんと言いますか……今まで居酒屋でしか働いたことがない私は、いつもこれを着ていまして、この姿になると気合いが入るんです。

「よし、がんばるぞ!」

 淡い黄色の銀杏ぎんなん柄の着物を身につけた私は、両手をギュッと握りしめました。


 ……ちなみにこの着物、父が初めて私のために買ってくれたものなんです。


「父さん、私、がんばるからね」

 着物の襟を整えてやる気になった私は、まずお店の外に出て、扉に看板を掲げました。この看板、バテアさんの世界の言葉で「開店」と書かれています。
 バテアさんが私の頭の翻訳機能(?)を魔法で調整してくださったおかげで、こちらの世界の文字は一応読めるようにはなっているのですが、文字自体は見たこともないぐにゃぐにゃとしたものです。
 そんな状態で店番ができるのかと不安だったのですが、そこはバテアさんに昨日いろいろと聞いておいたので大丈夫です。『バテアの魔法雑貨店』の店番をするにあたって、私は事前にバテアさんから指輪を一つ預かっていました。


「これは魔石が埋め込んである指輪よ。この魔石に、お店で扱ってる商品の情報を入れといたからさ、店番してる時に何か聞かれたら、この指輪に向かって知りたいことを念じてね」
「念じる……の、ですか?」
「そう、念じるの……試しにやってみる?」

 そう言われて、私はバテアさんの前で指輪を見つめました。

「そ……そうですね、それでは……お店にある治癒のお薬は……」

 そう念じてみると……魔石が淡い光を放ち始めました。更に次の瞬間、店内の棚のあちこちから、まるで吹き出しみたいなウィンドウがいっぱい飛び出してきたのです!
 どうやらこれは本当に飛び出しているわけではないようで、指輪をめた私にだけ見えているということでした。
 ウィンドウには、棚にある治癒効果のお薬の一覧が表示されていまして、その横には詳しい効能や値段なども記載されています。
 そして薬の名前の部分を指で触れると、棚の中の該当する薬が淡く光って、ここにありますよ、と教えてくださるのです。

「どう? これならかなり楽でしょ?」
「は、はい。とても助かります」


 ……と、そのような経緯があったのです。ですから、この魔石付きの指輪があれば、なんとかなるでしょう。……たぶん。


 私は、店内を見回していきました。
 たくさん並んでいる棚は、少し埃っぽい気がします。
 そうですね、まずはお掃除から始めましょうか。
 私は着物をたすき掛けにすると、荷物の中から取りだしたバケツとぞうきんを持って店内の清掃を始めました。
 掃除はもともと大好きですし、慣れたものなので苦にはなりません。
 こんな風に居酒屋でもしていた仕事をこなしていると、ここが異世界だということをしばし忘れて、没頭できますね。
 商品をよけながら棚を拭いていて気付いたのは、特に瓶詰めの商品が多いことです。
 瓶の中に液状の物体が入っているのですが……これが魔法薬なのでしょう。
 試しに魔石の指輪で内容を確認してみました。


『治癒薬コモン  軽易な治癒薬:擦り傷・切り傷などに効能』
『治癒薬UCアンコモン やや有能な治癒薬:擦り傷・切り傷・やけどなどに効能』


 ウィンドウの文字からはそのように読み取れました。
 こ、こ、もん……あんこ、もん……? 「C」とか「UC」の意味がいまいちよく理解できませんが、効能が記載されてありますので大体は理解できました。
 更に金色をしているいかにも高そうな瓶の内容を確認してみると――


『治癒薬LRレジェンドレア 欠損の修復・一定時間以内での蘇生・体力の全回復』


 ということでした。やはり見慣れない「LR」の表示。
 け、欠損って……指が取れちゃっても修復できるとか? 蘇生とは……亡くなっても生き返らすことができるとか、そういう意味でしょうか?

「……ま、まさか……ねぇ」

 私は、苦笑することしかできませんでした。
 そんな薬があるわけないじゃないですか……ねぇ……アニメや漫画じゃないのですから……
 でも、とにかくこの金色の魔法薬が超高価でして……元いた世界のお金に換算いたしますと、だいたいですが、一千万円以上するようです……ですので、その瓶の周辺は特に注意しながら掃除をしていきました。


 棚の清掃があらかた終わった時のことでした。


 カランカラン。


 店のドアにあるベルが鳴り、扉の開く音が聞こえてきました。

「いらっしゃいませ」

 私は振り向きながら、声をかけました。
 客商売をしておりましたので、その頃の名残とでも申しましょうか……少し声を張りすぎたかもしれません。

「あれ? バテアはいないの?」

 お店に入ってきたお客様は、一度私を確認した後、店内を見回しながらそう言います。
 その方は、どこかに遠出でもされるのか、けっこうな重装備をなさっています。
 重たそうなリュックを背負い、マントを羽織り、頭にターバンを巻かれています。
 お見かけしたところ、どうも猫系の亜人女性のようですね。お顔は人間のものですが、猫のようなお耳と尻尾が生えていらっしゃいます。
 私はたすき掛けを外しながら、お客様へと歩み寄りました。

「店主のバテアはただいま薬草採取に出かけておりまして、今は私が店番を仰せつかっております、さわこと申します」
「へぇ……あの気難しいバテアが人を雇ったのか……」

 そのお方は、私を見ながらそんなことをおっしゃいました。

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