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1巻

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 お通し 本日、お店を畳むことになりました




「ふうっ……。今日でこのお店も、お仕舞いですね……」

 父との思い出、そして足を運んでくださったお客様との思い出がたくさん詰まった『居酒屋酒話さけばなし』――その看板を見上げて、私は一つ、大きな溜め息をつきました。


 ……突然、失礼いたします。初めまして、私、陸奥むつさわこと申します。


 いきなり大きな溜め息などついて、申し訳ありません……
 実は本日の営業終了をもって、父の代から四十年以上切り盛りしてきた大切なお店『居酒屋酒話』を、ついにたたむことになったのです。
 こうして看板を見ていると、さまざまな思いが胸に去来しますね……
 私が生まれてすぐに母と離婚した父は、幼い私の面倒を見ながら一所懸命にお店を守ってきてくれました。そんな父の背中を見て育った私も、気づいた頃には仕込みの手伝いを始め、見よう見まねで包丁を握り、料理を覚え、接客を覚えてまいりました。
 幼い時分こそ、母がいない寂しさを感じていましたが、不器用ながら心優しい父に支えられ、温かなお客様方に囲まれながら、何不自由なく生活してきました。
 ところが五年前、父が病気で他界してしまったのです。亡くなった父の意志を胸に、私が女将としてお店を引き継いだのですが……
 ――力及ばず、と申しますか……
 とうとう経営に行き詰まり、お店を閉じることになってしまったのです。
 ――借金してまで店は続けるな。
 そんな父の遺言に従い、貯金が底をつく前に、私はやむなく決断いたしました。
 この不甲斐ない私を、父は許してくれるでしょうか。
 大好きだった、父の優しい笑顔がまぶたの裏に浮かびます……


 駅の裏口とはいえ、お店の立地はそんなに悪くはありませんでした。
 ですが、近所にはチェーンの安い居酒屋が乱立し、更に最近流行りの『がぁるずばぁ』(?)というのでしょうか、女性が大変濃厚なサービスをなさるお店なども相次いで進出してきました。私のような三十路を少々超えた、特に美人でもない女しかいない上、濃厚なサービスなどないごくごく普通の居酒屋は、どんどんすたれていくしかありませんでした。
 父が店主だった頃、『居酒屋酒話』の周囲には大衆酒場が軒を連ねておりまして、昔ながらの街といった風情で、仕事帰りの方々がハシゴをしながら毎晩遅くまで呑み歩いている界隈かいわいでした。けれど、若い方々のお酒離れや折からの不況のあおりを受けて、とうとう立ち行かなくなってしまった次第でございます。
 幸い、お店を手放したことでそれなりのお金を工面くめんすることができました。
 このお金で、どこか別の場所で居酒屋を――
 そう考えもしたのですが、いまだ決断することができずにいます。
 何しろ、私の代になってからの『居酒屋酒話』の経営の傾き具合は、なんというか、半端はんぱではありませんでした……
 ですから、私にはお店を経営する才能がないのだと、完全に自信を失ってしまったのです……もう、一人では立ち直れないのではないかというほどに……


 元々料理が大好きで、専門学校にも通って調理師免許も取得しました。父の教えもあってそれなりに自信を持っていたのですが……なかなかうまくいかないものですね。
 とりあえず、今住んでいる街の中心部近くのアパートは少々家賃が高いので、どこか別の場所へ転居して、一度気持ちを整理したいと思っている次第です。


    ◇◇◇


 先行きも定まらぬまま、『居酒屋酒話』を畳んだ翌日。
 私は不動産屋を回り始めました。
 やはりというか、今暮らしているアパートの近隣に安い賃貸物件はありません。
 この界隈で安さを優先して探しますと、築年数二十年以上の古い物件しか出てこないのです。
 ただ、郊外の物件であれば、それなりに新しくて手頃な物件があるようでした。

「……そうですね、田舎でのんびりするのもいいかもしれませんね」

 そう思い立った私は、今住んでいる場所から電車で二時間ほどかかる場所にある、田舎の物件に引っ越すことを決めました。
 近所にはコンビニやスーパー、病院もあるようで、街まで二時間という距離を除けば、そこまで不便なところはなさそうでした。

「では、よろしくお願いいたします」
「はい、承りました」

 私は不動産屋の少々年配の女性と契約を交わしました。
 こうして次の週末、新天地へ引っ越すことになったのです。


    ◇◇◇


 その週末がやってきました。
 新天地で気持ちも新たに……のはずが、今、私は大量の荷物とともに森の脇にある昔ながらのバス停で途方に暮れております。
 一体全体、どうしてこんなことに……


 その日の朝、引っ越し業者にお願いして荷物を積みこみました。
 トラックを見送った私は、三十年と少々お世話になったアパートに向き直りました。

「長い間、お世話になりました」

 深々とお辞儀をしてお別れを済ませてから、最後にランチをいただいて、私は電車で引っ越し先へと向かったのです。
 ……そこで、私を待っていたのは、とんでもない事態でした。
 どういうわけか、私が契約したはずの部屋に、すでにどなたかが入居なさっていたのです。
 慌てて不動産屋へ電話してみたところ……どうもこのアパートの家主さんが、不動産屋を通すことなく空き部屋を勝手にお貸ししてしまったようでした。
 契約上は、この部屋は私に所有権がございます。
 ですが、一度住み始められた方には居住権が認められております。
 そのため、いますぐ出て行ってくださいということはできないようなのです。
 それに、もう住み始めている方にそのようなことを申し出る勇気も、私にはございません……


 オロオロしている私に追い打ちをかけるように、現場に到着した引っ越し業者の方が尋ねます。

「で、この荷物はどこに降ろしたらいいんですか?」

 その言葉を前にして、私はパニックに陥ってしまいました。
 何しろ、この田舎町に来たのは今日が初めてです。
 他に行く当てなどありません。
 不動産屋に連絡してみたのですが、すぐに対応するのは難しいというお返事でした。
 私がオロオロしておりますと、引っ越し業者の皆さんは大きな溜め息をつかれました。

「……悪いけど、そこら辺に置かせてもらいますね」

 そう言うや否や、荷物を近くにあったバス停の中へ次々と積み上げていかれます。

「あ、あの、困ります……そんな……」

 必死に止めようとしたのですが、引っ越し業者の皆さんは事務的に作業を終えられると、私に向かって書類を提示なさいました。

「はい、ここにはん
「え?」
「『え?』じゃなくて判子! こっちも仕事がつっかえてんだからさ、早く」
「は、はい……」

 元々押しに弱い私は、言われるがまま書類に判子を押してしまいました。
 結局、大量の荷物に囲まれた中、私は過ぎ去っていくトラックを呆然と眺めることしかできませんでした。


 そして……


 呆けたままバス停の中でぽつねんと立ち尽くす、私。
 幸い、このバス停はすでに廃線になっているらしく、バスは来ないようです。
 壁も天井もボロボロです。
 そんな建物の中で、私はしばらく立ったまま動けませんでした。

「……これから、どうしたらいいのでしょう……」

 前のアパートはすでに引き払っています。
 この町には土地勘もありません。
 何より、この大量の荷物をどうしたものか……
 私の頭の中を、様々な思いがかけ巡りますが、一向に考えがまとまりません。

「本当に……これからどうしたらいいのでしょう……」


「と**えず、そ*荷*、邪魔なn***?」


 ……はい?
 私は目を丸くしました。
 今、人の声がしたような……
 慌てて周囲を見回しました。
 すると……私のすぐ右隣に見知らぬ女性の姿があったのです。
 その女性は、濃い紫色のローブのような珍しい衣装を身にまとっておられます。
 そして頭にはローブと同じ色の大きなとんがり帽子。女性は私の荷物を指差しながら、何度も同じ言葉を口になさっているようなのですが……

「そ*荷*、邪魔なn***?」

 ……どういうわけか、女性の言葉がきちんと聞き取れないのです。
 どこかの外国語を話されているという感じではありません。聞いたこともないようなイントネーションと言いますか、何度お聞きしてもその言葉の音が認識できないのです。
 私が困惑した表情を浮かべていると、女性は腕組みしてしばらく考え込んだ後、おもむろに右手を伸ばして、指先を私の額にそっとあてました。
 すると、その指先がぽわっと少し光ったような気がして……

「……うん、これでどうかしら? 私の言葉、わかる?」
「あ、は、はい。今度はしっかりわかります」
「そう、ならよかったわ。この世界の言葉って、私の世界の言葉に似ているんだけど、微妙に違っているみたいねぇ。ま、魔法で調節できるレベルの差異でよかったわ」

 はい? ……私の世界? ……この世界? ……魔法で調整?
 あの……この女性は一体何をおっしゃっているのでしょうか……言葉の意味が理解できなくて、私はしばらく首をひねっていました。
 ほうける私を見ていた女性は、改めて私の荷物を指差しました。

「さて、言葉が通じるようになったところで改めて言わせてもらうけどさ、ここに荷物を置いてほしくないのよねぇ、私のゲートの出入り口だからさ」
「はい? ……ゲート

 思わず頓狂とんきょうな声を上げてしまいました。

「まぁそうね。この世界の普通の人間なら、そんな反応になっちゃうわよねぇ」

 女性は右手の人差し指をくるっと回しました。
 すると……どうでしょう。
 女性が指差していた段ボール箱がいきなり宙に浮かび上がり、左右に移動していったのです。
 段ボールがなくなった停留所の壁に、何やら光る魔法陣のようなものが浮かんでいます。
 ……おかしいです。
 引っ越し業者の方々が荷物を置いた際には、こんなものはなかったはずです。
 ひょっとしたら、この女性が何かしたせいで浮かび上がったのでしょうか?
 私は腕組みしたままその魔法陣をぼうっと見続けていました。
 すると、その女性が私の肩をポンと叩きます。

「じゃ、お邪魔したわねぇ」

 そう言うと、女性は魔法陣へ向かって歩き始めました。


 その時です。
 私は自分でも無意識のまま、女性の手を掴んでいました。
 女性はぽかんとした表情を浮かべて私を見ています。

「……アタシに、何か用なのかしらぁ?」

 怪訝けげんそうな女性に、私は言いました。

「あ、あの……お宅はお近くでいらっしゃいますか?」
「……まぁ……この魔法陣のすぐ向こうだけどぉ?」
「あの……初めてお会いする方に、このようなことを申し上げるのは非常に失礼だと重々承知しているのですが、もしよろしかったら数日の間、お邪魔させていただくわけにはいかないでしょうか?」

 私自身、なんでこんなことを願い出たのか、正直よくわかりません。
 ですが、この女性を逃したら後がない……そう思ったのです。
 私の言葉を聞きながら、女性はぽかんとした表情を浮かべていました。

「……あんた、面白いわね。こんなものを作り出してるアタシについてこようとするなんてさ」

 そう言うと、女性はぷっと噴き出して笑い始めました。
 その様子に、私は顔が真っ赤になるのを感じました。
 そうですよね……
 出会って数分しか経っていない相手。しかもその女性は、指先一つで段ボールの山を押しのけて、その向こうに発生させたゲートとかいうよくわからないものを通って、どこかへ行こうとされているところなのです。
 そんな相手に私は、お宅に少し住まわせてほしいと申し出たのですから……
 しかし、それほどまでにテンパっている、といいますか、切羽詰まっているのは事実です。
 とはいえ、もしもこのお方が男性でしたら、私は間違っても申し出なかったと思います。
 そ、その……この年でございますけれども、いまだに乙女でもございますし……


 胸もなく、顔立ちにも魅力が乏しいことは私自身が嫌というほど自覚しております。ですが、それでも、男性とそのような関係になりうるシチュエーションを自ら作り出すような破廉恥はれんちなことは……

「……ねぇ? ……ねえちょっとあんた、聞こえてる?」

 必死に思考を巡らせていた私の眼前に、いきなり女性の顔が大写しになりました。

「は、はいぃ!?」

 完全にきょかれた私は、その場で思い切り飛び上がってしまいました。
 驚く私を疑わしげに見つつも、女性は淡々と言います。

「荷物はここにあったものだけでよかったのかしら? 勝手に移動させたけどさ」
「はい?」

 私は一瞬ポカンとしてしまいました。
 そして周囲を見回し、びっくりして腰を抜かしそうになりました。
 先程までバス停の中を埋め尽くしていた私の荷物が、すべて消え去っていたのです。

「他にないんだね?」
「あ、は、はい。あれで全部です」
「じゃ、行きましょうか」

 そう言うと女性は私の手を掴み、平然とゲートの中へと入っていかれました。
 私も手を引かれるまま、その光の中へと入っていったのです。




 一杯目 日本酒と握り飯が大変に評判でございます




 ……えーっと。何をどう言えばいいのでしょうか。
 ゲートを抜けると、そこはどこかの不思議な部屋の中でした……
 かたわらに、私の引っ越し用の荷物が詰まった段ボールが山積みになっています。
 拍子抜けするほどあっさりと、私はゲートくぐり、この女性のお宅へと移動してしまった……と、いうことなのでしょう、ね……
 いまいち実感が湧かないまま周囲を見回していると、先程の女性が部屋を指差しておっしゃいます。

「あんたの世界で採取してきた薬草を片付けてくるから、そこら辺に座ってちょっと休んでてくれるかしら?」

 そうして部屋の隅にある階段を降りていかれました。


 一人になった私は、改めて室内を見回していきました。
 部屋はかなり広いです。
 壁はおそらく木のようですが……などはなさそうですね。
 部屋の中央にテーブルと椅子が置かれ、キッチンや本棚らしきものが壁際に並んでいます。
 私は、とりあえず椅子に座ってその周囲をぐるっと見回しました。
 そわそわしていると、程なく女性が下の階から上がってきました。
 そのまま別の部屋に入り、部屋着らしい、かなり露出度の高いチューブトップのブラと、ハーフパンツのようなものに着替えた女性は、私の前の椅子に腰掛けました。
 改めて真向かいで見ると、信じられないぐらいお美しい女性です。女の私でも見つめられるとドキドキしてしまいます。

「アタシはバテア。見ての通り魔法使いよ」
「あ、あの、私、陸奥さわこと申します……な、なんの変哲もない人間でございます」

 バテアと名乗られた女性に続き私も自己紹介をしたのですが、緊張しまくっていたものですから、思いっきり裏返った声を出してしまいました。
 まともに挨拶できなかったことを恥じて顔を赤くしていると、バテアさんはお腹を抱えながら笑い始めました。

「あんた面白い子ねぇ。初対面のアタシに居候いそうろうさせてくれって申し出る度胸はあるのに、挨拶するだけでこんなに緊張するなんてさ」

 笑い続けるバテアさんを見つめながら、私は恥ずかしさのあまり、更にでだこのように真っ赤になってしまったのでした。


    ◇◇◇


 その後、バテアさんからあれこれお話を聞かせていただきました。
 なんでもバテアさんは、世界を自在に移動する転移魔法と魔法薬学を得意とする魔法使いなのだそうです。
 魔法陣でゲートを発生させて、いろいろな世界に出向いてはその世界特有の薬草を採取し、さまざまな魔法薬を作って販売なさっているということです。

「さわこの世界にも時々採取に行ってるの。さわこの世界はなかなかいい薬草が採取できるからね。まぁ、世界間の移動となると、転移魔法が得意なアタシでも週に一度が限界なんだけどね」

 そう話すバテアさん。
 さすがにその言葉をそのまま信じることは、すぐにはできそうにありません……
 けれどバテアさんの後方にあるキッチンで、勝手に鍋が動いて勝手にお湯が沸き、更に勝手にポットにお茶が入る様子を見ていると、信じるしかないのでしょうか……
 バテアさんの指がくるくると回るのを見る限り、あれもきっと、魔法ですよね……
 その後、勝手にテーブルまでやってきたポットから、勝手にカップに注がれたお茶をいただきました。
 紅茶のようですね、とてもいい香りがします。

「アタシはお酒が好きなんだけどさ、まぁ初対面のお客様には、こっちのほうがいいでしょ」

 バテアさんも紅茶の入っているカップを口に運びます。
 そしてひと息つくと、改めて私へと視線を向けました。

「あんたってば、いろいろ楽しそうだし……アタシも結構気に入ったからさ、ウチにおいてあげてもいいわよ。好きなだけいればいいわ」
「ほ、ホントですか!?」

 私は、バテアさんの言葉に飛び上がって喜びました。
 すると、バテアさんは笑顔で頷きました。

「その代わり……そうね、部屋の掃除と、あぁ、三階はしなくていいからね、あそこにはいろいろ厄介なものが転がっているから。あと、たまにお店も手伝ってもらおうかしらね」
「お店、ですか?」
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