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彼女との暮らし ジュードside
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最初に彼女を見た時、
幻影を見せられているのかと思った。
高位な魔物の中には人に幻を見せて惑わせる者が
いるというからだ。
そのくらい美しく浮世離れした光景だった。
明るい日差しの元にはためく大量の洗濯物たち。
その下で満足そうに見上げ微笑む女。
字面にすれば生活感溢れる光景な筈なのに、
何故か現実離れしているその美しい姿に目が釘付けになった。
思わず魔石を入れていた袋を落としてしまうと、
その音に驚いた娘が振り返る。
そして再び目を見張った。
何故こんなに若い娘がこんな所に?
しかも……水に濡れないようにたくし上げたのであろうスカートの裾から覗く足。
信じられないくらいに細くて白い足から目を逸らせられなかった。
足に視線が注がれている事に気付いたのだろう、
娘が慌ててスカートの裾を直す、俺はそこでやっと我に返った。
反応を見るに魔物の幻影でないのはわかった。
しかし何故ここに娘が?
考えられる理由は一つしかなかった。
家事が苦手で荒れ放題になった家を見かねて、
幼馴染のカレブが自身の祖父に頼んで家政婦を手配したと聞いていた。確か今日か明日には来ると言っていたが……。
娘にそう確認すると、
「は、はいそうです……あいにく雇い主の方はお留守でいらして……勝手に入って掃除をさせて貰っていました」
と言う。
やはりそうか。
しかしまさかこんなに若い娘が来るなんて思いもしなかった。
メイと名乗った娘に年を尋ねると、まだ21だと言うではないか。
きっと魔物の出る辺鄙な所とは知らされずに来たのだろう。
きっと早々にここから逃げ出したくなるに違いない。
今日は仕方ないから一晩泊めて、明日にでも帰してやろう。
そう思って娘に告げると、何もない所とはちゃんと聞いて来た、しかもここを追い出されたら行く当てがないと言うのだ。
娘は……メイは自分の事を“ワケあり”だと言った。
離縁されたと。
その時、微かに震えながらエプロンを握る彼女の手が目につく。
行く当てが無いのなら、メイがいいのであれば、ここにいて貰っても構わない。
むしろ助かる。そう告げるとメイは心の底から安堵したように柔らかく微笑んだ。
嬉しそうに儚げに笑う彼女の笑顔に、思わず胸が高鳴った。
それを気取られたくなくて慌てて目を逸らす。
夕食の支度をすると言って家に入ったメイの後に続くと、一瞬家を間違えたのかと思った。
この辺りに家なんて呼べるものはここしか無いにも関わらず、だ。
朝、山へ向かった時は確かに我が家だった。
それが帰ってみればこれが同じ家かと思うほどキレイに片付けられていたのだ。
「……何も無い床を見たのは久しぶりだな」
床だけではない、食器や食材や本や薬品でごっちゃ返していた棚やテーブルの上にも物はなく、キレイに拭き清められている。
顔を洗い服を着替えて居間に戻ると、
もう食事の支度が出来ていた。
しかも店で出てくるような旨そうな料理が。
さほど感じていなかった空腹感が途端に頭をもたげる。
早速食べようとするとメイは台所で食べるという。
雇い人とはいえ、彼女をそんな隅に追いやって一人でテーブルで食べても気まずいだけだ。
それに食事は誰かと一緒に食べた方が美味いに決まってる。
それを彼女に告げると、自分は辛気臭いから一緒に食べても美味しくないと言う。
聞けば別れた夫にそんな事を言われたとか。
自分の妻に向かって辛気臭いだと?
今ここにそいつがいたらぶん殴っていたかもしれない。
俺はそんなクソ野郎の言葉を間に受ける必要はないとメイに言った。
(言い方はもっとソフトに言ったが)
そして気にせずテーブルに着くように。
メイは一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにはにかんだ笑顔を浮かべ、テーブルに自分の分の皿を持ってきた。
食事は驚くほど美味かった。
焼くしか能のない俺が夕食用に置いてあったチキンが、まるで魔法にでも掛かったように柔らかく煮込まれていた。
石のように硬くなったパンも柔らさを取り戻している。
本当に魔法を使ったのかもしれない、と考えたほどだ。
とにかくメイの作る食事はなんでも信じられないくらいに旨かった。
パンはいつでも焼きたてが食べられるし、
常に暖かい食事にありつける事がこんなにも有り難いと感じた事はなかった。
一人の時はいつも焼くだけとか切って齧るだけとか
缶詰めを開けるだけの食事をしてきたからな。
健康な衣食住がこれほどまでに大切だと実感させられるとは。
おかげで魔物の一体や二体は難なく仕留められる力が出るし、そのため仕事が捗る。
これは何か礼をしなくてはと思っていたら、
たまたま服に付いていた植物の綿毛をメイは懐かしいそうに見ていた。
これが有ればメイは喜ぶのか……
次の日、早速そのウールポコとかいう植物を採って帰ると、メイは俺が思っていた以上に喜んでくれた。
大切そうに植物を抱え、嬉しそうに何度もありがとうと言う。
その姿を見て、俺は心の底から何か温かいものが
湧き上がるのを感じた。
メイは早速、綿毛から糸を紡ぐ。
昔よくやっていた言うだけあり、とても手際が良かった。
こんな何もない所でも、こんな風に手を動かして
楽しめるものがあって良かったなと思いながら傍で本を読む。
するとふいに歌声が聞こえてきた。
メイは糸を紡ぐのに集中しているようだ。
くるくる手を動かしながら、その作業に同調する
ように歌を口遊んでいる。
とてもキレイな歌声だった。
落ち着いた声色で優しいメロディを、
糸と同じく歌も紡いでいるように歌っていた。
よほど無意識に歌っていたのだろう、
やがて我に返った彼女が慌てて謝罪をしてくる。
なぜ謝る?
あんなにキレイな歌声なのに。
不快どころかいつまでも聞いていたくなる歌声だ。
もう一度聞きたいとせがんだら、困惑しながらも歌ってくれた。
やはり心地よい歌声だ。
俺は雇い主の権限を行使し、
これから糸を紡ぐ時は必ずこの紡ぎ歌を歌いながらするように頼んだ。
メイとの暮らしは穏やかで、心休まる心地よいものだった。
しかし、こちらも一応はまだ若い男であるわけで。
狭い家の中に年若い女性が近くにいるという事は
思いの外強い理性を強要されるものだった。
彼女は家政婦として住み込みで働いてくれているのだ。
決して邪な気持ちで見てはいけない。
それでも時々、不純な気持ちではなく、ふと彼女の事を見つめてしまう。
不実な元夫に傷付けられた所為なのか、
時折とても寂しげな顔をした。
その時、伏した目元に影を落とす長いまつ毛に
魅入られる。
彼女にこんな顔をさせる別れた亭主を八つ裂きにしてやりたくなると同時に、メイの心の中にはまだそいつが居るのかと腹立たしさも感じた。
メイの性格なら、なかなか想った相手を切り捨てられないのだろうな。
俺の別れた恋人は簡単に俺の事は切り捨てたが。
元恋人はカレブと同じく幼馴染だった。
付き合い出したのは俺が準騎士になった頃、
15の年からだ。
それから23歳で騎士団を退団するまで、8年付き合った。
正騎士の称号を返上し、恋人とはちゃんと籍を入れて新たに人生を歩き出そうと思った矢先に、唐突に別れを切り出された。
なりたかったのは正騎士の妻であり、
魔石採りの男の妻ではないと。
そういえば元恋人は昔から騎士の妻に憧れていた。
その時はそれなりにショックだった。
本気で結婚しようと思っていた相手からそう言われたのだから。
でももう魔石採りになって生きていきたいと決めていたし、そんな彼女が着いてくるとは思えなかったから、何も言わずに別れに応じた。
その後、俺はすぐに王都を離れたので、
事情を知らない周りの者は、俺たちが互いの仕事の
為に泣く泣く別れたと思っているようだ。
真実を知っているのはカレブとその妹くらいか。
メイは自分をワケありと言い、全てを諦めているような節がある。
悪いのは別れた亭主であって、メイでないのに。
もう自分は何も望んではいけないような、
様々な事を人生から切り離してしまっているような、そう感じさせる時がある。
そんな彼女を温かく包みこんでやりたいと、
守ってやりたいといつしか思うようになっていた。
メイが喜ぶような事はなんでもしてやりたくなるし
彼女の望みをなんでも叶えてやりたいと思う。
しかし彼女にとって俺はただの雇用主だ。
もし一人の女性として意識しているなんて知られたら、出て行ってしまうかもしれない。
そんなのは耐えられない。
もうメイがいない暮らしなんて考えられなかった。
たった3ヶ月の間に俺の中でメイは大きな存在感を増していた。
そんな中、街道に出た魔物の討伐の要請がかかる。
街道ならここからもそんなに離れていない。
もし俺が山に行っている間にここへ現れてメイに危害を加えないとも限らない。
サクッと退治してくるか。
そんな軽い気持ちで討伐に行こうとする俺に不安そうにメイが縋ってきた。
正直驚いた。
まさかそんなに心配してくれるとは思っていなかったので、メイには悪いが嬉しいと感じてしまった。
やはりメイのためにも魔物は放置はしておけない。
すぐに戻ると約束して、俺は家を後にした。
魔物は結構な大型で、しかも二体もいやがった。
一日かけてなんとか退治する。
仕留めた後にようやく到着した騎士たちに後始末を頼んで急いで帰宅した。
二日も家を空けた。
メイの事が心配だった。
体はくたくただったが、メイの事が気掛かりなのと、何より彼女に早く会いたかった。
家の手前で馬を降りたところでメイが飛び出して来た。
何故か呆然とこちらを見ている。
そんなに心配してくれたのかと嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちがない交ぜになりながらも、とりあえずは無事を伝えるために笑顔を見せた。
次の瞬間、メイが俺の胸に飛び込んで来た。
一瞬何が起きたのか理解出来ず、
ただ全身で飛び込んで来た彼女の体を受け止めるだけで精一杯だった。
メイが泣いている。
大きな声で子どもみたいに、震えながら俺の腕の中
で泣いている。
いいのだろうか、俺が触れてもいいのだろうか。
これまで必要以上に距離を詰めないように
気を遣ってきた。
メイを怯えさせないように。
不快な思いをさせないように。
でも縋り付く彼女の体温を、息づかいを、どれ一つとして取り零したくなくて気付けば強く抱きしめていた。
どうしようもなく彼女が愛おしかった。
絶対に手放したくないと強く思った。
泣きじゃくるメイを抱き抱え、とりあえず家に入る。
彼女をソファーに下ろし、隣に座って落ち着くのを待った。
少しして落ち着きを取り戻したメイが謝ってきた。
「取り乱して……ごめんなさい……」
「いや、心配かけた。一人で不安だっただろう」
俺がそう言うとメイはこくんと頷く。
そんな仕草もたまらなく可愛いと思う。
その後メイは、疲れているであろう俺を労うためにすぐに風呂を沸かし、旨い食事を作ってくれた。
俺は考える。
この暮らしを、彼女とのこの穏やかな暮らしを続けてゆくために、どうすればよいかを。
だけどそんな時、
ウチに来たカレブに話があると連れ出される。
メイに聞かせられない話なのか。
なんだか嫌な予感がする。
その予感は的中した。
俺と別れた後に新しい恋人と隣国へ渡った元恋人が帰国したと。
そして俺とヨリを戻したいと、居場所を探していると、カレブの所へ訪ねて来たというものだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次回、最終話です。
幻影を見せられているのかと思った。
高位な魔物の中には人に幻を見せて惑わせる者が
いるというからだ。
そのくらい美しく浮世離れした光景だった。
明るい日差しの元にはためく大量の洗濯物たち。
その下で満足そうに見上げ微笑む女。
字面にすれば生活感溢れる光景な筈なのに、
何故か現実離れしているその美しい姿に目が釘付けになった。
思わず魔石を入れていた袋を落としてしまうと、
その音に驚いた娘が振り返る。
そして再び目を見張った。
何故こんなに若い娘がこんな所に?
しかも……水に濡れないようにたくし上げたのであろうスカートの裾から覗く足。
信じられないくらいに細くて白い足から目を逸らせられなかった。
足に視線が注がれている事に気付いたのだろう、
娘が慌ててスカートの裾を直す、俺はそこでやっと我に返った。
反応を見るに魔物の幻影でないのはわかった。
しかし何故ここに娘が?
考えられる理由は一つしかなかった。
家事が苦手で荒れ放題になった家を見かねて、
幼馴染のカレブが自身の祖父に頼んで家政婦を手配したと聞いていた。確か今日か明日には来ると言っていたが……。
娘にそう確認すると、
「は、はいそうです……あいにく雇い主の方はお留守でいらして……勝手に入って掃除をさせて貰っていました」
と言う。
やはりそうか。
しかしまさかこんなに若い娘が来るなんて思いもしなかった。
メイと名乗った娘に年を尋ねると、まだ21だと言うではないか。
きっと魔物の出る辺鄙な所とは知らされずに来たのだろう。
きっと早々にここから逃げ出したくなるに違いない。
今日は仕方ないから一晩泊めて、明日にでも帰してやろう。
そう思って娘に告げると、何もない所とはちゃんと聞いて来た、しかもここを追い出されたら行く当てがないと言うのだ。
娘は……メイは自分の事を“ワケあり”だと言った。
離縁されたと。
その時、微かに震えながらエプロンを握る彼女の手が目につく。
行く当てが無いのなら、メイがいいのであれば、ここにいて貰っても構わない。
むしろ助かる。そう告げるとメイは心の底から安堵したように柔らかく微笑んだ。
嬉しそうに儚げに笑う彼女の笑顔に、思わず胸が高鳴った。
それを気取られたくなくて慌てて目を逸らす。
夕食の支度をすると言って家に入ったメイの後に続くと、一瞬家を間違えたのかと思った。
この辺りに家なんて呼べるものはここしか無いにも関わらず、だ。
朝、山へ向かった時は確かに我が家だった。
それが帰ってみればこれが同じ家かと思うほどキレイに片付けられていたのだ。
「……何も無い床を見たのは久しぶりだな」
床だけではない、食器や食材や本や薬品でごっちゃ返していた棚やテーブルの上にも物はなく、キレイに拭き清められている。
顔を洗い服を着替えて居間に戻ると、
もう食事の支度が出来ていた。
しかも店で出てくるような旨そうな料理が。
さほど感じていなかった空腹感が途端に頭をもたげる。
早速食べようとするとメイは台所で食べるという。
雇い人とはいえ、彼女をそんな隅に追いやって一人でテーブルで食べても気まずいだけだ。
それに食事は誰かと一緒に食べた方が美味いに決まってる。
それを彼女に告げると、自分は辛気臭いから一緒に食べても美味しくないと言う。
聞けば別れた夫にそんな事を言われたとか。
自分の妻に向かって辛気臭いだと?
今ここにそいつがいたらぶん殴っていたかもしれない。
俺はそんなクソ野郎の言葉を間に受ける必要はないとメイに言った。
(言い方はもっとソフトに言ったが)
そして気にせずテーブルに着くように。
メイは一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにはにかんだ笑顔を浮かべ、テーブルに自分の分の皿を持ってきた。
食事は驚くほど美味かった。
焼くしか能のない俺が夕食用に置いてあったチキンが、まるで魔法にでも掛かったように柔らかく煮込まれていた。
石のように硬くなったパンも柔らさを取り戻している。
本当に魔法を使ったのかもしれない、と考えたほどだ。
とにかくメイの作る食事はなんでも信じられないくらいに旨かった。
パンはいつでも焼きたてが食べられるし、
常に暖かい食事にありつける事がこんなにも有り難いと感じた事はなかった。
一人の時はいつも焼くだけとか切って齧るだけとか
缶詰めを開けるだけの食事をしてきたからな。
健康な衣食住がこれほどまでに大切だと実感させられるとは。
おかげで魔物の一体や二体は難なく仕留められる力が出るし、そのため仕事が捗る。
これは何か礼をしなくてはと思っていたら、
たまたま服に付いていた植物の綿毛をメイは懐かしいそうに見ていた。
これが有ればメイは喜ぶのか……
次の日、早速そのウールポコとかいう植物を採って帰ると、メイは俺が思っていた以上に喜んでくれた。
大切そうに植物を抱え、嬉しそうに何度もありがとうと言う。
その姿を見て、俺は心の底から何か温かいものが
湧き上がるのを感じた。
メイは早速、綿毛から糸を紡ぐ。
昔よくやっていた言うだけあり、とても手際が良かった。
こんな何もない所でも、こんな風に手を動かして
楽しめるものがあって良かったなと思いながら傍で本を読む。
するとふいに歌声が聞こえてきた。
メイは糸を紡ぐのに集中しているようだ。
くるくる手を動かしながら、その作業に同調する
ように歌を口遊んでいる。
とてもキレイな歌声だった。
落ち着いた声色で優しいメロディを、
糸と同じく歌も紡いでいるように歌っていた。
よほど無意識に歌っていたのだろう、
やがて我に返った彼女が慌てて謝罪をしてくる。
なぜ謝る?
あんなにキレイな歌声なのに。
不快どころかいつまでも聞いていたくなる歌声だ。
もう一度聞きたいとせがんだら、困惑しながらも歌ってくれた。
やはり心地よい歌声だ。
俺は雇い主の権限を行使し、
これから糸を紡ぐ時は必ずこの紡ぎ歌を歌いながらするように頼んだ。
メイとの暮らしは穏やかで、心休まる心地よいものだった。
しかし、こちらも一応はまだ若い男であるわけで。
狭い家の中に年若い女性が近くにいるという事は
思いの外強い理性を強要されるものだった。
彼女は家政婦として住み込みで働いてくれているのだ。
決して邪な気持ちで見てはいけない。
それでも時々、不純な気持ちではなく、ふと彼女の事を見つめてしまう。
不実な元夫に傷付けられた所為なのか、
時折とても寂しげな顔をした。
その時、伏した目元に影を落とす長いまつ毛に
魅入られる。
彼女にこんな顔をさせる別れた亭主を八つ裂きにしてやりたくなると同時に、メイの心の中にはまだそいつが居るのかと腹立たしさも感じた。
メイの性格なら、なかなか想った相手を切り捨てられないのだろうな。
俺の別れた恋人は簡単に俺の事は切り捨てたが。
元恋人はカレブと同じく幼馴染だった。
付き合い出したのは俺が準騎士になった頃、
15の年からだ。
それから23歳で騎士団を退団するまで、8年付き合った。
正騎士の称号を返上し、恋人とはちゃんと籍を入れて新たに人生を歩き出そうと思った矢先に、唐突に別れを切り出された。
なりたかったのは正騎士の妻であり、
魔石採りの男の妻ではないと。
そういえば元恋人は昔から騎士の妻に憧れていた。
その時はそれなりにショックだった。
本気で結婚しようと思っていた相手からそう言われたのだから。
でももう魔石採りになって生きていきたいと決めていたし、そんな彼女が着いてくるとは思えなかったから、何も言わずに別れに応じた。
その後、俺はすぐに王都を離れたので、
事情を知らない周りの者は、俺たちが互いの仕事の
為に泣く泣く別れたと思っているようだ。
真実を知っているのはカレブとその妹くらいか。
メイは自分をワケありと言い、全てを諦めているような節がある。
悪いのは別れた亭主であって、メイでないのに。
もう自分は何も望んではいけないような、
様々な事を人生から切り離してしまっているような、そう感じさせる時がある。
そんな彼女を温かく包みこんでやりたいと、
守ってやりたいといつしか思うようになっていた。
メイが喜ぶような事はなんでもしてやりたくなるし
彼女の望みをなんでも叶えてやりたいと思う。
しかし彼女にとって俺はただの雇用主だ。
もし一人の女性として意識しているなんて知られたら、出て行ってしまうかもしれない。
そんなのは耐えられない。
もうメイがいない暮らしなんて考えられなかった。
たった3ヶ月の間に俺の中でメイは大きな存在感を増していた。
そんな中、街道に出た魔物の討伐の要請がかかる。
街道ならここからもそんなに離れていない。
もし俺が山に行っている間にここへ現れてメイに危害を加えないとも限らない。
サクッと退治してくるか。
そんな軽い気持ちで討伐に行こうとする俺に不安そうにメイが縋ってきた。
正直驚いた。
まさかそんなに心配してくれるとは思っていなかったので、メイには悪いが嬉しいと感じてしまった。
やはりメイのためにも魔物は放置はしておけない。
すぐに戻ると約束して、俺は家を後にした。
魔物は結構な大型で、しかも二体もいやがった。
一日かけてなんとか退治する。
仕留めた後にようやく到着した騎士たちに後始末を頼んで急いで帰宅した。
二日も家を空けた。
メイの事が心配だった。
体はくたくただったが、メイの事が気掛かりなのと、何より彼女に早く会いたかった。
家の手前で馬を降りたところでメイが飛び出して来た。
何故か呆然とこちらを見ている。
そんなに心配してくれたのかと嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちがない交ぜになりながらも、とりあえずは無事を伝えるために笑顔を見せた。
次の瞬間、メイが俺の胸に飛び込んで来た。
一瞬何が起きたのか理解出来ず、
ただ全身で飛び込んで来た彼女の体を受け止めるだけで精一杯だった。
メイが泣いている。
大きな声で子どもみたいに、震えながら俺の腕の中
で泣いている。
いいのだろうか、俺が触れてもいいのだろうか。
これまで必要以上に距離を詰めないように
気を遣ってきた。
メイを怯えさせないように。
不快な思いをさせないように。
でも縋り付く彼女の体温を、息づかいを、どれ一つとして取り零したくなくて気付けば強く抱きしめていた。
どうしようもなく彼女が愛おしかった。
絶対に手放したくないと強く思った。
泣きじゃくるメイを抱き抱え、とりあえず家に入る。
彼女をソファーに下ろし、隣に座って落ち着くのを待った。
少しして落ち着きを取り戻したメイが謝ってきた。
「取り乱して……ごめんなさい……」
「いや、心配かけた。一人で不安だっただろう」
俺がそう言うとメイはこくんと頷く。
そんな仕草もたまらなく可愛いと思う。
その後メイは、疲れているであろう俺を労うためにすぐに風呂を沸かし、旨い食事を作ってくれた。
俺は考える。
この暮らしを、彼女とのこの穏やかな暮らしを続けてゆくために、どうすればよいかを。
だけどそんな時、
ウチに来たカレブに話があると連れ出される。
メイに聞かせられない話なのか。
なんだか嫌な予感がする。
その予感は的中した。
俺と別れた後に新しい恋人と隣国へ渡った元恋人が帰国したと。
そして俺とヨリを戻したいと、居場所を探していると、カレブの所へ訪ねて来たというものだった。
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次回、最終話です。
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