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真綿で包まれていたのは……
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最終話です。
妻視点、夫視点と共に出てきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今朝、夫が言った。
「ルー、永い間苦労を掛けてすまなかった。
今日、全てが終わるよ」
そう言って、夫は少し力無く笑う。
きっと夫の心は限界だったんだろう。
夫の心が壊れる前に終わってくれてよかった。
夫の本懐が遂げられて本当に良かった。
わたしは夫を抱きしめた。
「永い間お疲れ様。良かったわね、
アレク、本当に良かったわね……」
「ルー……本当にすまなかった……」
それは何に対しての謝罪なの?
何を謝っているの?
あなたが自分で決めた事に対して
わたしに謝る必要なんてないのよ。
だからわたしに謝らないで……。
わたしはつま先立って、夫に口付けをした。
心を込めて、
愛を込めて。
あなたの幸せを願って。
「じゃあ行ってくるよ、今夜は早く帰るから」
と告げた夫の背中をわたしは笑顔で見送る。
いってらっしゃい。
そしてさようなら。
◇◇◇◇◇
全ての片を付けて帰宅した俺を待っていたのは
最愛の妻ではなく、
かつて妻の家の家政婦長を務めていた
バーサという壮年の女性だった。
妻からの手紙と
必要な書類関係を預かっているという。
「……どういう事だ?ルー…妻は?」
俺が呆然としたまま問いかけると
バーサは小さく首を振ってから言った。
「ルーシーお嬢様は去りました。
あなた様が全てを終えて、
本来のアレックス様に戻られる日まで
お待ちになっていたのです」
「去った……?本来の俺に戻るまで……?」
ダメだ、頭が上手く働かない。
そんな俺にバーサは言った。
「お嬢様はご存知でした。目的の為とはいえあなた様がなさっていた事を」
「っ……!?」
知っていた?
ルーが? 俺の裏切りを?
何故、……という事はないのか……。
隠しきれていない自覚は
多々あった……。
上手く声が出て来ない。
しかし全て顔に出ていたのか
バーサはそれに答えてくれた。
「女にはわかるものなのですよ。
たとえ直接見なくても、愛する者が自分以外の者に触れた事を。
匂い、視線、もの言い、持ち物、全てからわかってしまう悲しい性を持っているのです」
バーサの最後の方の言葉は
もはや俺の耳には届いていなかった。
バーサは半分は呆れ、
半分は憐れみをこめた瞳で
俺を見つめる。
「これはお嬢様からあなた様に宛てた最後のお手紙です。どうか、お嬢様のお心を踏み躙るような事はなさらず、これからは大切な人に誠意をもって生きていって下さいませね……」
ルーシーお嬢様も
そう望んでおられましたと言いながら、
バーサは部屋を出て行った。
あの温かくて優しかった
俺たちの家。
同じ場所とは思えないほど暗くて冷たい。
妻がいないだけでこんなにも
変わってしまうものなのか?
どのくらいそうしていたのだろう。
窓の外はすっかり暗くなっていて、
夜が相当更けていた事に気づく。
俺は棚から酒瓶を取り出し、
グラスに移す。
呑みすぎだと怒って酒瓶を取り上げる
白くて細い手はもうない。
俺は酒を一気に煽った。
そして妻が残した手紙を開く。
そこには穏やかで大らかな妻の字が広がっていた。
字はその人の為人が出るのだと、
妻はよく言っていた。
本当だな、キミらしい伸びやかな字だ。
俺は妻の気配に追い縋るように
妻の書いた文字を追った。
【拝啓、親愛なる旦那さま。
あなたが今これを読んでいる時に、
わたしはもうこの家にはいない事でしょう。
あなたが全てを終えられて、
わたしが家を出た後にこの手紙を渡してくれるようバーサに頼みましたから。
まずはご本懐を遂げられました事、
誠におめでとうございます。
凄いです。本当にやり遂げられましたね。
そこまで辿り着くには様々な葛藤もあった事でしょう。
でもあなたが自分で決められた事です。
決して後悔などしないでください。
あなたはわたしに悲しいもの、
醜いもの、残酷なものを一切見せようとせず、
まるで真綿でくるむようにそれら外界のものからわたしを守り続けてくれましたね。
でもそれは全てわたしの不甲斐なさのせい。
本当に申し訳ないと思っています。
わたしがもう少し強かったら、
いえ、わたしが男だったらあなたと一緒に戦えたのに。
そう思うと自分の性別が悔しくてなりません】
そこまで読んで、俺は少し吹き出した。
キミが男だったら俺はキミを妻に迎えられなかったじゃないか。
俺はキミが女性であってくれて
神に感謝しているよ。
【ホント言うとね、どんな事でも話して欲しかった。
なんの役にも立たないけれど、あなたの力になりたかった。
まぁでも仕方ないですね。
わたしに出来る事はただ、あなたの帰りを待つ事しか出来なかったのですから。
いつからか、あなたの目から光が消えた事に気づきました。
そして夜中に魘されるようになり、あなたは段々と笑わなくなってゆきました。
だからせめてあなたの代わりにわたしが笑っていようと努力したんですが、上手く笑えていましたか?
たとえあなたから微かに香水の香りが漂ってきたとしても、
街であなたが他の女性と腕を組んで歩いているのを見たとしても、
必ず笑顔であなたを迎えようと心に決めていたから。
どうかしら?
ちゃんと出来ていましたか?
更にあなたの心に負担を強いていたのではないかと心配しています。
本当はね、正直言うと悲しくて辛かった。
わたし以外の女性に触れるあなたが許せないと思った。
でもあなたの両親のために、
あなたが決めた事をわたしが責めるのは違うなと気づいたの。
でもわたしにはもうこれ以上、
あなたの側で笑えない。
だけどあなたの事が心配で、どうしてもすぐに出て行く事が出来なかった。
だからせめて、全てが終わってあなたがただの
アレックスに戻る日までは側に居ようと決めたのよ。
そして今日、全てが終わり、わたしは出て行きます。
バーサにこの手紙と署名した離婚届けを渡してこの家を出て行きます。
最後にお礼を言わせて下さい。
今まで守ってくれて本当にありがとう。
沢山の愛をありがとう。
でも次に愛する人に出会えた時は、
もう決して、どんな理由があっても裏切ってはダメですよ。
どこにいてもあなたの幸せを祈っています。
アレク、心から愛してるわ。
どうかお元気で。 ルーシー・ルゥ】
愛おしい妻の文字の上に
大粒の雫が降りかかる。
「ふっ……うっ……くっ」
いつの間にか俺は涙を流していた。
自分でも気付かないうちに。
でも妻が記した自分の名を見た時、
もの凄い後悔が
俺の胸に押し寄せて来たのだ。
もう妻が俺の名を呼ぶ事はないのか。
この優しい文字で俺の名を綴る事はないのか。
そう思うと堪らなくなって
気が狂いそうになった。
俺はなんて愚かだったのだろう。
夫婦二人のための復讐と言いながら、
全部自分のためだった。
妻は復讐を望んでいなかった。
二度もやめてくれと言われたのに、
やめなかったのは自分のためだ。
それでも妻はこんな俺を見捨てず
側にいてくれた。
守られていたのは俺だ。
温かかな真綿に包まれていたのは
俺の方だった。
愚かだ。
俺は本当に愚かだった。
でも……
それでも、どうしても、
妻を諦められない。
許されなくてもいい、
やり直してくれなくてもいい、
ただ心の底から謝って
妻の近くで陰ながら見守り
力になってゆきたい……。
その後、俺は全てを投げ打って妻を探し続けた。
当然同じ街にいるはずもなく、
それでも俺は国中、そして周辺の国々にまで範囲を広げて妻を探し続ける。
妻が家を出て行って既に三年が経過していた。
そしてようやく妻を見つけた……!
……いやもう妻とは呼べないな。
でもまだ離婚届けは出せていない。
どうしても出す事が出来なかった。
彼女は三年前と寸分違わず、
いや三年前よりも更に美しくなっていた。
懐かしさと眩しさとで、
俺の涙腺はぐちゃぐちゃになった。
でも俺には彼女の前に出る資格がない。
謝りたいと思っていたが、
そんなの俺の自己満足だ。
だからこれでいい。
この距離でいい。
このまま俺もこの街に住み、
陰ながら彼女を見守ってゆこう。
もちろん、彼女が再婚するまでだが……
いや、もう既に再婚しているか?
あんなに綺麗な彼女だ、
言い寄ってくる男は五万といるに違いない。
それなら離婚届けを出していないのは
不味いではないか?
俺はようやくここに至って
自らの更なる愚かさに気付いた。
その時、
顔面蒼白で立ち尽くす俺の背中を
トントンと叩く手があった。
驚いて後ろを振り返ると
更に驚いてしまい、
俺は思わず尻もちをついた。
「……!?」
隠れて盗み見をしていた彼女が
目の前にいたからだ。
「っ……ル、ルー……」
「……そんな所で何をしているの?」
「あ、いやそれは……」
これは……
消えた彼女を探すのに必死になって忘れていたが、
もし彼女が籍を入れなくとも誰かと暮らしていたら、
こんなの波風を立てに現れただけのようなものだ。
困らせたいわけじゃない、
心の底から幸せになって欲しいと願っている。
俺はもうどうしてよいのかわからず、
ただ俯いて立ち竦んでいた。
そんな俺の顔を彼女が覗き込む。
「!!」
あまりの至近距離に思わず顔を上げる。
「ふふ、ようやく前を見た」
そう言って彼女は以前となにも変わらない笑顔を見せた。
懐かしくて泣きそうになる。
それでも掛ける言葉が見つからず、
黙り込む俺に彼女が言った。
「ようやく見つけてくれたのね」
「……え?」
「バーサから聞いていたの。この三年、あなたが
必死になってわたしを探しているって」
バ、バーサに……?
そりゃバーサにはルーシーから連絡があったら直ぐに知らせてくれと、
まめに伝えてはいたが。
「新しい人生を歩み始めるどころか、まるで幽鬼のようにわたしを追い求めているって」
「す、すまない……」
「どうして謝るの?」
「だって考えてみたら気持ち悪いよな。全部俺のせいでこうなった事なのに、
三年も諦めきれずに追いかけ回すなんて……」
「そうね」
「うっ……」
「でも、わたしは嬉しかったのよ。
もう諦めるかもう諦めるかと、バーサを通して様子を伺っていたけど全然諦める気配がなくて……
そんなにもわたしが必要なのかと自惚れてしまったわ」
「自惚れなんかじゃないっ」
「だから、もしあなたがこの街のわたしの所に辿り着いたら、もう一度やり直してみようと賭けてみたの」
「………え?………えぇ!?」
「そしてあなたは辿り着ちゃった……」
「……ごめんしつこくて」
「ねえアレク、
そんなにわたしのことが好き?」
「ああ」
「三年も諦められないくらいに?」
「ああ」
「もう一度わたしとやり直したいの?」
「やり直したい、許されるのなら……」
「……もう二度と、たとえどんな理由があってもわたし以外の女性に触れたりしない?」
「っ誓う、両親の誇りに懸けて誓う!」
「……」
「……ルー」
「なあに?」
俺は彼女の手を取り、
目の前に跪いた。
そして真っ直ぐに彼女を目を見つめる。
「頼むよルーシー・ルゥ、
俺は本当にどうしようもない男だが、
どうしようもないほどキミを愛してる。
どうか、どうか俺ともう一度夫婦としてやり直して欲しい……!」
彼女は俺の手を握り返して微笑んでくれる。
「……仕方ないわね」
そこからはどちらからとなく
抱き締めあった。
いつの間に周辺にいた人たちから
拍手喝采が起こる。
ただ彼女だけを見ていたから
全く気付かなかった。
こんなにも人がいたとは。
その時、
俺の耳に小さな子どもの声が届く。
「ままー!」
「ミリー」
2歳くらいだろうか。
女の子は吸い込まれるように
ルーシーの膝へとしがみ付いた。
ルーシーは優しい笑みを浮かべて
ミリーと呼んだ女の子を抱き上げた。
その女の子の髪と瞳の色は
俺と全く一緒だった。
……まさか、
まさか!
「ほらミリー、あなたのパパよ。
ご挨拶しましょうね」
「!!」
やはり……!
ミリーはつぶらな瞳で俺を見る。
「ぱ、ぱ?」
俺は声が震えそうになるのを
懸命に堪えながら笑顔で
ミリーに挨拶した。
「やあミリー、はじめまして。
俺はアレックス。……キミの、
キミのパパだよ」
終
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お読みいただきありがとうございました。
ヒロインがチョイロインとは
思わないでやってくださいませ~。
彼女が夫を許した理由は
離れてみたがどうしてもやっぱり旦那が好きだった?
三年も旦那が苦しんでるのを見て溜飲が下がった?
それとも子どものため……?
どちらの理由でも幸せになって欲しいと作者は思うのでした。
さて、宣伝で申し訳ないのですが、
『こんなに好きでごめんなさい
~ポンコツ姫と捨てられた王子~』
の連載の投稿を開始します。
作品の“匂い”的には
『だから言ったのに!』系だと思います。
ポンコツだけどひたむき元気なヒロインを描いております。
こちらもお読みいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします!
妻視点、夫視点と共に出てきます。
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今朝、夫が言った。
「ルー、永い間苦労を掛けてすまなかった。
今日、全てが終わるよ」
そう言って、夫は少し力無く笑う。
きっと夫の心は限界だったんだろう。
夫の心が壊れる前に終わってくれてよかった。
夫の本懐が遂げられて本当に良かった。
わたしは夫を抱きしめた。
「永い間お疲れ様。良かったわね、
アレク、本当に良かったわね……」
「ルー……本当にすまなかった……」
それは何に対しての謝罪なの?
何を謝っているの?
あなたが自分で決めた事に対して
わたしに謝る必要なんてないのよ。
だからわたしに謝らないで……。
わたしはつま先立って、夫に口付けをした。
心を込めて、
愛を込めて。
あなたの幸せを願って。
「じゃあ行ってくるよ、今夜は早く帰るから」
と告げた夫の背中をわたしは笑顔で見送る。
いってらっしゃい。
そしてさようなら。
◇◇◇◇◇
全ての片を付けて帰宅した俺を待っていたのは
最愛の妻ではなく、
かつて妻の家の家政婦長を務めていた
バーサという壮年の女性だった。
妻からの手紙と
必要な書類関係を預かっているという。
「……どういう事だ?ルー…妻は?」
俺が呆然としたまま問いかけると
バーサは小さく首を振ってから言った。
「ルーシーお嬢様は去りました。
あなた様が全てを終えて、
本来のアレックス様に戻られる日まで
お待ちになっていたのです」
「去った……?本来の俺に戻るまで……?」
ダメだ、頭が上手く働かない。
そんな俺にバーサは言った。
「お嬢様はご存知でした。目的の為とはいえあなた様がなさっていた事を」
「っ……!?」
知っていた?
ルーが? 俺の裏切りを?
何故、……という事はないのか……。
隠しきれていない自覚は
多々あった……。
上手く声が出て来ない。
しかし全て顔に出ていたのか
バーサはそれに答えてくれた。
「女にはわかるものなのですよ。
たとえ直接見なくても、愛する者が自分以外の者に触れた事を。
匂い、視線、もの言い、持ち物、全てからわかってしまう悲しい性を持っているのです」
バーサの最後の方の言葉は
もはや俺の耳には届いていなかった。
バーサは半分は呆れ、
半分は憐れみをこめた瞳で
俺を見つめる。
「これはお嬢様からあなた様に宛てた最後のお手紙です。どうか、お嬢様のお心を踏み躙るような事はなさらず、これからは大切な人に誠意をもって生きていって下さいませね……」
ルーシーお嬢様も
そう望んでおられましたと言いながら、
バーサは部屋を出て行った。
あの温かくて優しかった
俺たちの家。
同じ場所とは思えないほど暗くて冷たい。
妻がいないだけでこんなにも
変わってしまうものなのか?
どのくらいそうしていたのだろう。
窓の外はすっかり暗くなっていて、
夜が相当更けていた事に気づく。
俺は棚から酒瓶を取り出し、
グラスに移す。
呑みすぎだと怒って酒瓶を取り上げる
白くて細い手はもうない。
俺は酒を一気に煽った。
そして妻が残した手紙を開く。
そこには穏やかで大らかな妻の字が広がっていた。
字はその人の為人が出るのだと、
妻はよく言っていた。
本当だな、キミらしい伸びやかな字だ。
俺は妻の気配に追い縋るように
妻の書いた文字を追った。
【拝啓、親愛なる旦那さま。
あなたが今これを読んでいる時に、
わたしはもうこの家にはいない事でしょう。
あなたが全てを終えられて、
わたしが家を出た後にこの手紙を渡してくれるようバーサに頼みましたから。
まずはご本懐を遂げられました事、
誠におめでとうございます。
凄いです。本当にやり遂げられましたね。
そこまで辿り着くには様々な葛藤もあった事でしょう。
でもあなたが自分で決められた事です。
決して後悔などしないでください。
あなたはわたしに悲しいもの、
醜いもの、残酷なものを一切見せようとせず、
まるで真綿でくるむようにそれら外界のものからわたしを守り続けてくれましたね。
でもそれは全てわたしの不甲斐なさのせい。
本当に申し訳ないと思っています。
わたしがもう少し強かったら、
いえ、わたしが男だったらあなたと一緒に戦えたのに。
そう思うと自分の性別が悔しくてなりません】
そこまで読んで、俺は少し吹き出した。
キミが男だったら俺はキミを妻に迎えられなかったじゃないか。
俺はキミが女性であってくれて
神に感謝しているよ。
【ホント言うとね、どんな事でも話して欲しかった。
なんの役にも立たないけれど、あなたの力になりたかった。
まぁでも仕方ないですね。
わたしに出来る事はただ、あなたの帰りを待つ事しか出来なかったのですから。
いつからか、あなたの目から光が消えた事に気づきました。
そして夜中に魘されるようになり、あなたは段々と笑わなくなってゆきました。
だからせめてあなたの代わりにわたしが笑っていようと努力したんですが、上手く笑えていましたか?
たとえあなたから微かに香水の香りが漂ってきたとしても、
街であなたが他の女性と腕を組んで歩いているのを見たとしても、
必ず笑顔であなたを迎えようと心に決めていたから。
どうかしら?
ちゃんと出来ていましたか?
更にあなたの心に負担を強いていたのではないかと心配しています。
本当はね、正直言うと悲しくて辛かった。
わたし以外の女性に触れるあなたが許せないと思った。
でもあなたの両親のために、
あなたが決めた事をわたしが責めるのは違うなと気づいたの。
でもわたしにはもうこれ以上、
あなたの側で笑えない。
だけどあなたの事が心配で、どうしてもすぐに出て行く事が出来なかった。
だからせめて、全てが終わってあなたがただの
アレックスに戻る日までは側に居ようと決めたのよ。
そして今日、全てが終わり、わたしは出て行きます。
バーサにこの手紙と署名した離婚届けを渡してこの家を出て行きます。
最後にお礼を言わせて下さい。
今まで守ってくれて本当にありがとう。
沢山の愛をありがとう。
でも次に愛する人に出会えた時は、
もう決して、どんな理由があっても裏切ってはダメですよ。
どこにいてもあなたの幸せを祈っています。
アレク、心から愛してるわ。
どうかお元気で。 ルーシー・ルゥ】
愛おしい妻の文字の上に
大粒の雫が降りかかる。
「ふっ……うっ……くっ」
いつの間にか俺は涙を流していた。
自分でも気付かないうちに。
でも妻が記した自分の名を見た時、
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もう妻が俺の名を呼ぶ事はないのか。
この優しい文字で俺の名を綴る事はないのか。
そう思うと堪らなくなって
気が狂いそうになった。
俺はなんて愚かだったのだろう。
夫婦二人のための復讐と言いながら、
全部自分のためだった。
妻は復讐を望んでいなかった。
二度もやめてくれと言われたのに、
やめなかったのは自分のためだ。
それでも妻はこんな俺を見捨てず
側にいてくれた。
守られていたのは俺だ。
温かかな真綿に包まれていたのは
俺の方だった。
愚かだ。
俺は本当に愚かだった。
でも……
それでも、どうしても、
妻を諦められない。
許されなくてもいい、
やり直してくれなくてもいい、
ただ心の底から謝って
妻の近くで陰ながら見守り
力になってゆきたい……。
その後、俺は全てを投げ打って妻を探し続けた。
当然同じ街にいるはずもなく、
それでも俺は国中、そして周辺の国々にまで範囲を広げて妻を探し続ける。
妻が家を出て行って既に三年が経過していた。
そしてようやく妻を見つけた……!
……いやもう妻とは呼べないな。
でもまだ離婚届けは出せていない。
どうしても出す事が出来なかった。
彼女は三年前と寸分違わず、
いや三年前よりも更に美しくなっていた。
懐かしさと眩しさとで、
俺の涙腺はぐちゃぐちゃになった。
でも俺には彼女の前に出る資格がない。
謝りたいと思っていたが、
そんなの俺の自己満足だ。
だからこれでいい。
この距離でいい。
このまま俺もこの街に住み、
陰ながら彼女を見守ってゆこう。
もちろん、彼女が再婚するまでだが……
いや、もう既に再婚しているか?
あんなに綺麗な彼女だ、
言い寄ってくる男は五万といるに違いない。
それなら離婚届けを出していないのは
不味いではないか?
俺はようやくここに至って
自らの更なる愚かさに気付いた。
その時、
顔面蒼白で立ち尽くす俺の背中を
トントンと叩く手があった。
驚いて後ろを振り返ると
更に驚いてしまい、
俺は思わず尻もちをついた。
「……!?」
隠れて盗み見をしていた彼女が
目の前にいたからだ。
「っ……ル、ルー……」
「……そんな所で何をしているの?」
「あ、いやそれは……」
これは……
消えた彼女を探すのに必死になって忘れていたが、
もし彼女が籍を入れなくとも誰かと暮らしていたら、
こんなの波風を立てに現れただけのようなものだ。
困らせたいわけじゃない、
心の底から幸せになって欲しいと願っている。
俺はもうどうしてよいのかわからず、
ただ俯いて立ち竦んでいた。
そんな俺の顔を彼女が覗き込む。
「!!」
あまりの至近距離に思わず顔を上げる。
「ふふ、ようやく前を見た」
そう言って彼女は以前となにも変わらない笑顔を見せた。
懐かしくて泣きそうになる。
それでも掛ける言葉が見つからず、
黙り込む俺に彼女が言った。
「ようやく見つけてくれたのね」
「……え?」
「バーサから聞いていたの。この三年、あなたが
必死になってわたしを探しているって」
バ、バーサに……?
そりゃバーサにはルーシーから連絡があったら直ぐに知らせてくれと、
まめに伝えてはいたが。
「新しい人生を歩み始めるどころか、まるで幽鬼のようにわたしを追い求めているって」
「す、すまない……」
「どうして謝るの?」
「だって考えてみたら気持ち悪いよな。全部俺のせいでこうなった事なのに、
三年も諦めきれずに追いかけ回すなんて……」
「そうね」
「うっ……」
「でも、わたしは嬉しかったのよ。
もう諦めるかもう諦めるかと、バーサを通して様子を伺っていたけど全然諦める気配がなくて……
そんなにもわたしが必要なのかと自惚れてしまったわ」
「自惚れなんかじゃないっ」
「だから、もしあなたがこの街のわたしの所に辿り着いたら、もう一度やり直してみようと賭けてみたの」
「………え?………えぇ!?」
「そしてあなたは辿り着ちゃった……」
「……ごめんしつこくて」
「ねえアレク、
そんなにわたしのことが好き?」
「ああ」
「三年も諦められないくらいに?」
「ああ」
「もう一度わたしとやり直したいの?」
「やり直したい、許されるのなら……」
「……もう二度と、たとえどんな理由があってもわたし以外の女性に触れたりしない?」
「っ誓う、両親の誇りに懸けて誓う!」
「……」
「……ルー」
「なあに?」
俺は彼女の手を取り、
目の前に跪いた。
そして真っ直ぐに彼女を目を見つめる。
「頼むよルーシー・ルゥ、
俺は本当にどうしようもない男だが、
どうしようもないほどキミを愛してる。
どうか、どうか俺ともう一度夫婦としてやり直して欲しい……!」
彼女は俺の手を握り返して微笑んでくれる。
「……仕方ないわね」
そこからはどちらからとなく
抱き締めあった。
いつの間に周辺にいた人たちから
拍手喝采が起こる。
ただ彼女だけを見ていたから
全く気付かなかった。
こんなにも人がいたとは。
その時、
俺の耳に小さな子どもの声が届く。
「ままー!」
「ミリー」
2歳くらいだろうか。
女の子は吸い込まれるように
ルーシーの膝へとしがみ付いた。
ルーシーは優しい笑みを浮かべて
ミリーと呼んだ女の子を抱き上げた。
その女の子の髪と瞳の色は
俺と全く一緒だった。
……まさか、
まさか!
「ほらミリー、あなたのパパよ。
ご挨拶しましょうね」
「!!」
やはり……!
ミリーはつぶらな瞳で俺を見る。
「ぱ、ぱ?」
俺は声が震えそうになるのを
懸命に堪えながら笑顔で
ミリーに挨拶した。
「やあミリー、はじめまして。
俺はアレックス。……キミの、
キミのパパだよ」
終
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お読みいただきありがとうございました。
ヒロインがチョイロインとは
思わないでやってくださいませ~。
彼女が夫を許した理由は
離れてみたがどうしてもやっぱり旦那が好きだった?
三年も旦那が苦しんでるのを見て溜飲が下がった?
それとも子どものため……?
どちらの理由でも幸せになって欲しいと作者は思うのでした。
さて、宣伝で申し訳ないのですが、
『こんなに好きでごめんなさい
~ポンコツ姫と捨てられた王子~』
の連載の投稿を開始します。
作品の“匂い”的には
『だから言ったのに!』系だと思います。
ポンコツだけどひたむき元気なヒロインを描いております。
こちらもお読みいただければ嬉しいです。
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扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(作品ID261939)をお借りしています。
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ふまさ
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【完】前世で子供が産めなくて悲惨な末路を送ったので、今世では婚約破棄しようとしたら何故か身ごもりました
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再読しました よかったです。しみじみとした柔らかな印象、すてきです。大東さんや姐さんが出てくるようなワチャワチャも好きですが、しみじみ路線も沁みますねー。
なぜか涙が出ました。
幸せになってよかったです。
確かに奥さんの立場からすると、複雑で辛かったと思うけど、一度距離と時間をあけたのが、良かったと思います。
親子3人幸せになってね、良いお話しでした。完結お疲れ様でした。