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戦利品の妻 ②

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「すぐに湯浴みの仕度をさせるわ、それまでここに座って待ってて」

ウルリカは炉の前に椅子を置き、オラウンが連れ帰った女を座らせた。

「………」

女は黙ってそこに座る。

下働きの女がお茶の支度を持って来た。

ウルリカがそのまま引き受けて、女の前に茶器を並べてゆく。

女がウルリカに訊いて来た。

「……私を…下賜されたあの男はどこに行ったの?」

「男って、オラウンの事?彼ならあの後すぐに同盟の衆長に呼ばれて出かけて行ったわ」

戦装束を脱ぐ間もなく、慌ただしくまた聚落を出て行った。

「ふーん……オラウンというのね……お前はあの男の妻?」

「ええ」

そう。ウルリカはオラウンの妻だ。
妻だからこそ夫の新しい妻の面倒を見なくてはならないのだ。

理不尽な事ではあるが、第一夫人が第二第三と他の妻の面倒を見るのがしきたりなのである。

オラウンの第一夫人なのだから、オラウンが連れ帰った女は当然ウルリカが世話をするべきだと義父に押し付けられた。

まぁその順列は変わる事になるだろうが。

「わたしはウルリカ。貴女、名前は?」

ウルリカは女に尋ねた。

「……北を統べるヘキサドラの三の娘、イコラ」

やはり。
此度の戦、北方一帯を支配するドラドレイクとの一戦であった。

ドラドレイクはかなり大きな聚落だ。
そしてイコラがその長であったヘキサドラの娘であるなら、小さな聚落の上位戦士の娘であったウルリカより身分が高いという事になる。

第一、第二という妻の順列は生家の家格の高さによって付けられるのだ。

従ってオラウンとイコラが婚儀を挙げ次第、イコラが第一夫人となる。

ウルリカはイコラを見た。

年の頃は15~6といったところか。
北の地に語り継がれる雪の女神の化身のように美しい娘だ。

きっとオラウンも一目見て、この娘に心惹かれたのだろう。

ウルリカはじくじくと痛む胸の痛みを抱えながら、それをおくびにも出さずイコラの世話をした。

今のイコラの心境が、ウルリカには痛いほど理解出来る。
故郷を失い、家族を失い、その不安は如何許りか。

他所の聚落に連れて来られ、自分はもう一人なのだという現実を嫌というほど突きつけられる。

今はただ、早くイコラの悲しみが癒されればいいとウルリカはそう思った。

しかしイコラはウルリカにポツリと吐き出す。

「……三のひめなどと聞こえは良いが、私は庶子で酷く虐げられていた。私など、本当は賓腹ひんばらでもなんでもない……」

そしてイコラは言った。
憎い父親や兄姉たちを殺してくれて感謝すると。




昼餉の後、義父に呼び出される。

オラウンはまだ戻らない。

ウルリカは侍女にマウルを預け、義父の住む本邸へと向かった。

「来たかウルリカ」

義父はその大きな巨躯を収められる頑丈な椅子に座り、ウルリカを見た。

「そなたがせがれしてもう三年か」

「はい」

「そなたは日に日に美しくなるな。オラウンが可愛がるのも頷ける」

「……おそれいります」

ウルリカには義父が何を告げたいのか分かっているつもりだ。
能書きはいいからさっさと言って欲しかった。

義父は淡々としたもの言いで告げた。

「マウルが女子おなごであったのは誠に残念だった。だがしかし、今となってはそれで良かったと思っておる」

「………」

「オラウンがヘキサドラの娘を連れ帰った。勿論嫁にする為であろう……そのヘキサドラの娘にオラウンの嫡男を産ませる。そなたは第二夫人としてヘキサドラの娘と生まれた子に尽くすように。分かったな?」

「………はい」

ウルリカは頭を下げた。

イコラが思わず吐露した庶子である事は伏せた。
事実かどうか確認のしようのない事を敢えて言う必要はない。

あのまだあどけなさの残る娘の身を思えば、伏せておく方がよい。

もとより覚悟していた事だ。

わざわざ呼び出され、釘を刺される程の事ではない。

どこの一族でもよくある事だ。

義母は身分が高い家の出なので最初から第一夫人であり、オラウンという嫡男を産んだ事でその地位を盤石なものにした。

だけどウルリカは上級戦士の娘であっても統治者一族に名を連ねる者ではない。

次代の長となるオラウンの妻になった時から、いつかはこうなると覚悟はしていた事だった。

折角本邸に来ているのだ。
ウルリカはその覚悟が揺るがぬ内にと、そのまま義母の私室へと向かった。

ウルリカが義父に呼び出された事を知る義母は、ウルリカが自分の元へ来る事が分かっていたのだろう、お茶の用意をして待っていてくれた。

義母は嘆息した。

「旦那様もせっかちな……せめてオラウンが戻ってから話をされれば良いものを……」

ウルリカは自嘲するように答えた。

「先延ばしにしても変わりませんから」

「そなたはそれで良いのですか?」

「良いも何も、それが戦士の家門の慣いですから……もとより覚悟の上です」

「そう…そうね……」

「それでお義母様にお願いがございます」

「どうしました?」

ウルリカは膝に置いた自身の手をきゅっと握った。

「わたしとマウルが移り住む家を用意して頂きたいのです。狭くても小さくても構いません。できれば今日中には移りたく存じます」

「夜にはオラウンが戻るでしょう、夫婦できちんと話をしてからでなくても良いのですか?」

「わたしが今の館を出る事で、イコラが館の女主人となれます。そうすればすぐにでも初夜を迎えられるでしょう」

夫と同じ家に住むのは第一夫人だけだ。
第二夫人以降は別の家に住み、そこで夫のおとないを待つのだ。

そう告げたウルリカを義母は見つめた。

「……合理的といえば合理的。一族の為にはその方が良いのでしょうが、そこまでそなたが気を遣わなくとも良いのですよ」

「いいえお義母様、わたしがそうしたいのです」

気を遣っているのではない。

これはウルリカの我儘だ。

新たにめあわされたイコラに夢中になってゆくオラウンを見たくない。

それにもしウルリカが同じ家にいるうちに二人に初夜を迎えられたらとても辛い。

同じ屋根の下でオラウンとイコラが褥を共にする気配など感じてしまったら、ウルリカはそれだけで死にたくなる。

マウルがいる以上、迂闊な真似はしないが、もしまだ子を成していなければ夜陰に紛れて逃げ出していたかもしれない。

ウルリカのその思いが伝わったのだろう、義母はすぐにウルリカとマウルが住まう家を用意してくれた。

完全に夕闇に包まれる前に移りたい。

オラウンを出迎えたかったが、それはイコラに任せよう。

イコラの事は館の下働きの者に頼んだ。
不自由せぬように心を砕いてやって欲しいと。

そしてウルリカは必要最低限の荷物と侍女と下男を一人ずつ連れて、マウルと共に新しい家へと向かった。

その家は義父の第五夫人が去年まで使っていた家だが、出産時に子と共に亡くなってしまったので現在は空き家であった。

でも手入れはされていたのですぐにでも住めるのだという。

オラウンの館からも程よい距離で、オラウンが通うとなっても苦にはならない位置にある。

『すぐに移れてよかった……』

ウルリカはため息を吐いた。

家に入ると冷たいもの悲しさがあった。

今の今まで無人であったのだから当然だが。

侍女がすぐに炉に火を入れる。

魔石を灯し明かりを点けると家に生気が戻って来た。

これからはここで、マウルと二人で暮らすのだ。

今は殺風景だが、ラグやタペストリーなどで温かみが出るだろう。

マウルは新しい家でもぐずる事なくお利口さんに眠ってくれた。

なかなか豪胆な子だ。

そんなところは父親に似たのだろう。

オラウンはもう戻っただろうか。

館にウルリカとマウルが居ない事をどう思うのだろうか。

意外と平気なのかもしれない。
きっと少しの寂しさは感じてくれるだろうが、自分の馬に乗せて連れ帰るほど気に入ったイコラが居るのだから、すぐにそちらに夢中になるのだろう。

考えれば考えるほど気分が沈み込んでゆく。

理解しているなど、覚悟しているなど嘘だ。
オラウンの心が自分以外に向くのがこんなにも辛いのに。
それに蓋をして平静を装わなくてはならない。

ウルリカは湯浴みをする事にした。

浴室は下男がすぐに洗浄して、魔石を用いて湯を沸かしてくれた。

温かい湯に浸かり、硬く冷えた心を解そう。
ウルリカはそう思った。

小さな家にも関わらず、浴室は思いの外広かった。
義父が第五夫人の元を訪れた時に入れるように大きく造られたのだろう。
義父は体の大きな人だから。

ウルリカは湯船に浸かり目を閉じた。

これからわたしはどうすればいいのだろう。

オラウンを独り占めしたい、この疾しい心をうまく隠してゆけるだろうか。

でももう、自分からオラウンに会いに行く事は叶わない。
第二夫人はただ、夫の訪を待つのみだから。

出来る事なら暫くは会いたくない。
おかしな話だ。戦場いくさばから戻るまではあんなにも会いたかったというのに。

それが今ではもう、こんなぐちゃぐちゃな気持ちを抱えて会いたくないと思ってしまう。

「…………オラウン……」

ウルリカは思わずその名を呟く。

その時、ものすごい勢いで浴室の扉が開けられた。

「ウルリカーーーーッッ!!!」

「キャーーーーーッッ!!??」

スターンッ!と扉が外れるのではないかと思うくらいの勢いと、耳をつんざくほどの大きな声で名を呼ばれ、ウルリカは驚き過ぎて悲鳴を上げてしまった。

入浴中の無防備な姿である事に戸惑っているうちに、侵入者が湯船にドボンッと飛び込んで来てウルリカを掻き抱く。

絶対に、絶対に逃さない、という思いがその力強さから伝わってくる。

「っウルリカっ……!」

「オラウン……?どうしたの?」

ウルリカは驚き過ぎたのと訳の分からなさで却って冷静になり、いきなり飛び込んで来た夫に端的に尋ねた。

「おまっ…どうしたのじゃないっ……なんでっ、どうして館から居なくなったんだよっ……」

オラウンはそう言いながらもぎゅうぎゅうとウルリカを抱きしめてくる。

「だってどうせ他に移るなら早い方がいいと思って……」

「だからなんでお前が他に移る必要があるんだよっ!お前の家はあの館だろうがっ!離れているうちに俺の事が嫌いになったのかっ!?」

オラウンはそう話しながらも決してウルリカを離さない。

ウルリカは言い聞かせるように夫に言った。

「オラウン、第二夫人が第一夫人の居る館に住めるわけがないでしょう?」

「それが余計に分からない、どうしてウルリカが館を出る必要がある?」

「それはっ、イコラが第一夫人になるからに決まっているでしょうっ?」

いい加減ウルリカはイライラして来た。

何故この男はこんな当たり前の事を理解していないのだ。

しかし次にオラウンの口から出て来た言葉は思いも寄らないものであった。

「は?イコラは弟の嫁にする為に貰って来たんだぞ?それがどうして俺の第一夫人になるんだよ。というか俺の妻はウルリカだけだ。今後どれだけ女を下賜されても妻に迎えるつもりはない」

「……………………え?」

「ん?」

思わず二人は互いに見つめ合った。

「……弟って、スハルの事?」

スハルとは15歳になるオラウンの同腹の弟だ。
同じ母親から生まれた事もあり、沢山いる弟妹の中でとくに可愛がっている。

「ああ。べっぴんだったからスハルの嫁にしようと思って連れ帰ったんだ。どのみち下賜された女は絶対に引き受けないとダメだしな」

「わざわざ自分の馬に乗せてっ?」

「弟の大事な嫁になる女を他の戦士の馬に乗せるわけにはいかないだろう」

「……でも、たとえオラウンがそのつもりだったとしても、お義父様はイコラとあなたを妻わせるおつもりよ。わたしに直接そう言われたもの。それには逆らえないでしょう……」

ウルリカの表情のかげりを見て、オラウンは両手でウルリカの頬を包んだ。

「親父殿だろうが誰だろうが文句は言わせない。此度の戦で戦果を上げたのは俺だ。そして一の戦士としての勝鬨を上げたのも俺だ。もう誰も、俺に指図は出来ない」

「じゃあ……それじゃぁ……」

なんと云う事だ。
それでは全てが取り越し苦労だったのか。

ウルリカは途端に力が抜けて、ヘナヘナとオラウンに全ての体重を預けた。

「やっと館に戻れて、そこにウルリカとマウルの姿がなかった時の俺の気持ちがわかるか?」

「ごめんなさい……」

「あ、いや、誰にも何も説明せずに出て行った俺が一番悪いんだが…それでも、俺にとってお前とマウルがどれだけ大切な存在かちゃんと分かっていて欲しいんだ」

「うん……」

「色々と辛い思いをさせてゴメンな」

「もういい……」

もういいの。
あなたが変わらずわたしと娘が一番だと言ってくれたから。

それだけでもう……

ウルリカの瞳から一粒の涙が溢れた。

その粒がぽちゃんと湯船に落ちる。

ふいにオラウンが耳元て囁く。

「……ウルリカ……」

ウルリカはオラウンの肩に頭を預けたまま答える。

「なぁに?」

「俺、もう辛抱堪らないんだけど……」

「え……何が?………あ、ちょっ……!」

不埒な手がウルリカの体を這う。

「もう限界。三ヶ月も禁欲してたんだ。そんな姿のお前を見て、これ以上は我慢出来ない」

「ちょっ……ここでっ?えっ?オラウンっ?」


その後の浴室での事は割愛させて頂こう。


次の日、オラウンはイコラを弟の嫁にする事を義父と親族をはじめとする家臣団に告げた。

イコラをスハルではなくオラウンの妻にするべきだと反発する声も上がったが、オラウンが実力で黙らせたそうだ。

何をしたのか想像するには容易いが、それ以上に今や一の戦士となったオラウンに意見が出来る者など誰もおらず、義父も渋々諦めたという。

全てを聞いた義母が、
「紛らわしい!誤解を生む前にちゃんと説明していれば良かったのですっ!」
と言いながら、長身の息子の頭をジャンプしてはたいたのは見ものであったらしい。

イコラとスハルは引き合わされた途端に互いに相手を気に入ったそうだ。

スハルはオラウンに似てなかなかの美男子だし、戦士としても頭角を表している。

それに何よりイコラの本音は、
「オラウンのようなオッさんの妻にならなくて良かった」だそうだ。

まぁスハルはイコラとは同い年であるから、それに比べるとオラウンはオッさんという事になるだろう。

そんなイコラとスハルを見ていて、ウルリカはふいに疑問を感じた。

オラウンは何故初めからウルリカに良くしてくれたのだろう。

それを本人に尋ねてみる。

オラウンは少し照れくさそうに答えた。

「じつはこの聚落で引き合わされる前からウルリカの事を知ってたんだ。戦場の本陣で連れて来られたウルリカを見たのが最初だ。泣き喚くか廃人のように俯く女ばかりの中で、お前だけは毅然として前を向いていたんだ。まるでまだたった一人で戦っているような、そんな凛とした美しさに惚れたんだよ」

「えっ……」

思いも寄らない馴れ初めに、ウルリカは目を丸くした。

その後の褒賞談義で何を望むかと問われ、オラウンは迷う事なくウルリカの下賜を願い出たのだという。

「ああいうのを一目惚れって言うんだろうな。だからお前と夫婦になれて、俺は本当に幸せ者だ」

その言葉を聞き、ウルリカの涙腺が決壊したのは仕方のない事だろう。

戦は何も生み出さない。

しかしあの悲惨な戦場で、後の幸せな未来に繋がる出会いがあったとするならば、少しは救われるような気がする。

ウルリカはそう思った。


その後ウルリカは見事、元気で体の大きな男児を産んだ。

そして次々に懐妊し、最終的には七人の子を産むに至った。

オラウンはその時代の名のある長としては珍しく生涯たった一人の妻を愛し、第二夫人は愚か愛妾すら持たなかったという。

そして周辺の聚落を統括し、纏めて上げ、やがて一つの国家の礎になるものを創り上げた。

やがて息子の代で、それはついに西方大陸で最も広い国土を有した国となる。

その国の名はハイラント。

ずーっとずーっと後の世に、女嫌いを拗らせた面倒くさい子孫が生まれる事など、遠い先祖となるオラウンとウルリカが知る由しもない。

今はただハイラント王家に伝わる巨大な家系図、エンシェントツリーの頂きの所に二人仲良く並んで名を連ねるのみである。




            終わり



















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