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とある夫婦⑥ あてがわれた妻(1)

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アイラの夫は王宮魔術師だ。

しかもその肩書きの前に“稀代の天才”という文言が付くほどの。

数々の古代魔術を復活させ、数々の新しい術式も生み出す。

魔力量も半端なく、あと数年もして年齢という貫禄が備われば間違いなく、建国以来史上最年少の王宮筆頭魔術師が誕生すると皆に言わしめている。

おまけに顔も良く、魔術師にしては背が高く体格もヒョロヒョロとはしていない。

魔力中身に負けない身体を維持しなくては高位魔術は扱えない……とはよく本人が言っているわりには、鍛錬らしきものをしている姿は見た事がないが。

そんな完璧に思えるアイラの夫……名をイーサン=ハリスというのだが、絶望的な欠点もあった。

天はイーサンに二物と三物は与えても、四物までは与えなかったという事だ。

イーサンは……超が付くほどの生活無能力者なのであった。

それはもう昔からだそうで、誰かが世話を焼かないと食事は適当に済ませるし風呂にも入らない。
散髪もしなければ爪も切らない。
そんな魔術関連以外は一切省みない自堕落的な男なのだ。

彼がまだ地方都市にある実家で暮らしていた頃は良かったが、王宮魔術師として王都にて一人暮らしを始めてからは見るに耐えない生活落第者と成り果てたそうだ。

家事をしたり食事をしたり身綺麗にしたりする時間があるなら魔導書を読んだり魔術や魔法の研究をしたい……というのがイーサンの言い分で、髪はボサボサでフケを纏い、いつから洗ってないんだと言いたくなるローブからは異臭を放っていた。
その様はとても王宮に出入りするような者の身なりではなかったという。

ならば女中か下男を雇っては如何かと、王宮の魔術師団の幹部達が助言したが、イーサン曰く「他人が家の中に居るのは嫌だ」と静かにゴネた。

コイツ……自分一人では靴下さえも履かないくせに……と皆は思ったが、他人でなければいいのだろうと魔術師団長は言い、その屁理屈に驚く本人を他所にさっさと見合いをセッティングしてさっさとと結婚をさせてしまった……らしい。

こうしてその見合いの相手だったアイラとイーサンが夫婦となったのは、イーサンが19歳でアイラが18歳の時であった。

アイラは魔術師団長ヴァリスの遠縁の娘で、早くに両親を亡くしたアイラの面倒をヴァリスは何かと見てくれていた。

その伝手で15歳から魔術師団棟のメイドとして働いていたアイラの生活能力を買われての、イーサンとの結婚だった。

でもイーサンはアイラとは見合いの席で初めて会ったと思っているようだが、本当はそうではない。

17歳の時にケージから逃げ出した魔法生物に襲われたアイラを助けてくれたのがイーサンだった。

掃除の為のバケツを運んでいたアイラが運悪くその魔法生物と鉢合わせしてしまい、恐怖でパニックになっていた魔法生物がアイラに襲いかかったのだ。

それをイーサンは魔術で一瞬にして魔法生物をネズミくらいの大きさに変えて救ってくれた。
そしてネズミサイズの魔法生物を捕まえて、どちらも大事に至らなくて良かったと小さく笑みを浮かべたイーサンに、アイラの心は鷲掴みにされたのだった。

それ以来、アイラはイーサンに絶賛片想い中だ。
そして運良く妻になった今も、アイラはイーサンに片想いをし続けている。

ヴァリスからイーサンとのお見合い話を持ち掛けられた時は本当に嬉しかった。

でもイーサンにとってアイラは、人間らしい生活の為に魔術師団からあてがわれた妻というだけの存在にすぎない。

それでもイーサンはアイラを大切にしてくれる。
たとえそこに恋情はなくとも、メイドに対するそれではなく、ちゃんと“妻”とは認識してくれている筈だ、とアイラは思っている。(夜の営みもちゃんとあるし……)
いやそう思いたいだけかもしれないが。


そんなこんなで、二人はもうすぐ結婚して一年になる。

来週の火曜に迎える最初の結婚記念日。
その日はどうしようか。
本当なら二人でどこか洒落たレストランにでも外食に行きたい気分だが、極度な出不精のイーサンにそんな事は期待出来ない。

それにどうせその日は平日で、イーサンはいつも通りに魔術師団での勤務がある。

なのでその日の夕食はイーサンの好物ばかりを作って、ささやかながらも二人でお祝いをしようとアイラは考えた。

その事を今日の夕食時にでも話そうと思っていたアイラだが、見事に出鼻を挫かれた。

「え……?宮廷晩餐会……?」

「うん。来週の火曜にそんなモノが開催されるらしいんだ。その晩餐会とやらに必ず出るようにと陛下に言われてさ……」

「そ、そう……来週の……火曜日……」

「ん?その日何かあったっけ?」

「……いいえ、何もないわ」

アイラは思わずそう答えてしまった。

魔術以外に一切興味を示さないイーサンの事だ。
世間一般では結婚したその日を結婚記念日と呼び、夫婦で何かしらの言葉を掛け合ったりお祝いをしたりするものだという事を彼が知らなくても何ら驚きはなかった。

いやそうではないかと懸念していたのだが、やはりそうであったという事実にアイラは落胆する。

そもそも、「でももしかしたら……」なんて淡い期待を寄せてしまった自分が悪い。

だって彼はイーサン=ハリス。この世の常識というものを全てどうでもいいと思っている人間なのだから。

ましてやアイラはただあてがわれただけの妻だ。

解雇される恐怖のない、終身雇用されたような立場に近い存在なのだろう。

あ、離婚という解雇があるか……

遠い親戚であるヴァリス以外に身寄りのないアイラにとっては、家族になってくれただけで御の字だと思わなければならないのだ。

アイラはそう考え、
「じゃあ魔術師団から支給されている礼服と式典用のローブを用意しておくわね」と告げた。

今日は魔術師団棟の研究室で魔法薬の調剤をしていたというイーサン。

もの凄く変な匂いが全身に染み付いていた為に、その話は早々に切り上げて風呂に入って貰う事にした。

衣類も全て洗う必要がありそうなのでタライに浸けておこう。
でもその前にと、アイラはイーサンの衣服のポケットを探った。
何か大切な物が入っていて、水に浸してしまうと大変だから。

それにしても相変わらずイーサンのポケットには不思議な物が入っている。

変な形の石や不味いと有名な飴玉。
そして謎の紐や木の実や小銭がわんさか入っているのだ。
でもその中に小さなカードが入っている事にアイラは気付く。

そしてトランプの半分くらいのカードに書かれたメッセージに、アイラは小さく息を呑んだ。

“わたし達を隔てる壁はもう存在しないわ。これからは貴方と共に……”

その後の文字は何かの染みとインクの滲みで字が消えていた。

イーサンの事だ。コーヒーでも溢したのだろう。

でもこのカードに書かれている意味は一体どういう事なのだろう。

隔てる壁?これからは貴方と共に?

イーサンと共にどうするというのだろう……。

そしてイーサンはそれを捨てるわけでもなくポケットに入れて持ち歩いていた。

もしかしてこのカードはイーサンが大切に想う人から貰ったもの?

それならカードが汚れても捨てようとは思わないだろう。

そしてその人物はかつての恋人か何か……?

そんな考えがアイラの頭を過った。
言いようのない不安が胸に広がる。

もし、そうだとしたら自分はどうしたらいいのだろう。

無理矢理あてがわれた妻の自分は、イーサンとその人の為に身を引いた方がいいのだろうか……。


その日の夕食は砂を噛んだような味しかしなかった。


夜もあまり寝付けず、次の日アイラは結婚して初めて寝坊をしてしまった。

慌ててイーサンを起こして朝食を食べさせて王宮へと送り出す。

なんとか遅刻させずに済んだが、お弁当を持たせるまでには至らなかった。

「大丈夫。一食くらい抜いても平気だよ、気にしないで」
とイーサンは言うが、食事は三食きちんと摂るべきだ、をモットーとするアイラはとんでもないと言った。
そして後で王宮にお弁当を届ける事にしたのだ。

『何をやってるの情けない……』

思わず大きなため息が漏れる。

カードに書かれたメッセージひとつでこんなにも動揺する自分が情けなかった。

相手の一方的な想いで書かれたカードかもしれないのに、色々と決めつけて思い悩んでも仕方ない。

アイラは自分にそう言い聞かせ、お弁当を作った。

今日はスパイスに漬け込んだチキンを焼いたものをたっぷりの野菜と一緒にサンドにした。

魔導書を読みながら昼食を食べるイーサンの為に片手で食べれる物を作るように心掛けているからだ。

もうすぐランチ休憩に入る。

アイラは身支度を整えて、結婚退職して以来久しぶりの王宮へと向かった。

城壁の検問所で身分証を提示して王宮敷地内へ入る。

ランチボックスの入った籠を携えて魔術師団棟へと向かった。

魔術師団棟の前には、広い庭園が広がっている。
池も有する伸び伸びとした場所で、魔術師団に所属する者だけでなく、王宮に仕える者達の憩いの場ともなっていた。

近道の為にその庭園を通っている時にすれ違ったメイド達の噂話が、ふいにアイラの耳を掠める。

「魔術師のハリス様って、ご結婚されてから素敵になられたわよね」

魔術師のハリス……イーサンの事だ。

「そうね、いつもボサボサの髪をされて前髪で目も隠れていたのに……まさかあんなに綺麗な顔を隠しているなんて思いもしないじゃない?」

そりゃそうだ。
結婚してからは毎日お風呂に入れてるし、髪もマメにアイラが切っているのだから。

「あんなに素敵な方だと知ってたら、ワタシがお嫁さんになりたかったなー」

「キャハハ!アンタなんかムリムリ!」

「なんでよぅ!だってハリス様の奥さんって、ワタシ達と同じメイドだったんでしょ?じゃあワタシにもチャンスはあったじゃーん」

メイド達はそう言い合いながらその場からどんどん遠ざかって行く。

『そうね、生活の為にあてがわれた妻なんて、誰にでもなれるわね……』

ではあのメッセージカードを渡した人物はどうなんだろう。

その人もイーサンの妻になりたかったのだろうか。

そんな事を考えているうちに魔術師団棟のイーサンの研究室に辿り着いた。

とりあえずイーサンにお弁当を渡さねば。
お腹を空かせているかもしれない。

アイラはドアをノックしようとした、が、中から話し声が聞こえる事に気付く。

そして部屋の中からするその聞き覚えのある声にアイラはハッとした。

声の主はイーサンと同期の魔術師である、ルーナ=モリー子爵令嬢だ。

同期なだけあって、イーサンとは王宮魔術師に選定されて以来の仲である。

同僚であり友人でもある、といつかイーサンが言っていたのを思い出した。

その時何故かアイラの脳裏にあのメッセージカードの言葉が浮かんだ。

“私達を隔てる壁はもうない”

それは子爵令嬢と平民という身分差の事を指しているのではないだろうか。

いずれ筆頭王宮魔術師になると囁かれているイーサンは、国王陛下の覚えも目出度めでたいという。

そんな彼を婿に迎えたかったと悔やむ声が、今はあちこちで上がっているらしいのだ。

それはきっと、ルーナの生家でもあるモリー子爵家としても同じ考えだろう。

『あのカードの送り主はルーナ様……』

ルーナとはアイラも何度か会話を交わした事がある。
結婚式にも来てくれたし、ウチにも一度遊びに来てくれた。

気さくで明るい、貴族令嬢らしからぬ性格とそのもの言いに親しみやすさを感じたのを覚えている。

そんなルーナがイーサンの本当の想い人で、かつては身分差という壁のためにルーナとの将来を諦めた。

そして周りに言われるがままにアイラと結婚したのだとしたら……。

アイラはその場に縫い止められたかのように体が動かなくなってしまった。

自分の足元から、幸せな生活が崩れて落ちて行くのを感じる。

ドアをノックする事も出来ずに、アイラはただ立ち尽くす。

その時、部屋の中から足音が聞こえた。
そしていきなりドアが開かれる。

「やっぱりアイラだ」

開けたドアからひょっこりとイーサンが顔を出した。

「イ、イーサン……」

まさか立っているだけで気付かれるなんて思っていなかったので、アイラは狼狽えた。

しかしアイラは弱気になる自分を叱咤して明るい笑顔を貼り付けた。

「お仕事中にお邪魔をしてごめんなさい。これ、朝に渡せなかったお弁当です」

そう言ってイーサンにランチボックスを手渡す。

イーサンは嬉しそうに受け取りながらアイラに礼を告げた。

「わざわざごめん。でも助かったよ、要らないって言ったくせにさっきから腹の虫が煩いんだ、ありがとう」

「ふふ、ちゃんとお腹が空くのはいい事よ」

良かった。普通に会話が出来ている。

と、アイラが思った時にふいに部屋の中から声をかけられた。

「あら、アイラさんでしたのね。ご機嫌よう」

「こんにちはルーナ様、お久しぶりでございます」

「本当ね。お弁当を届けにいらしたのね。アイラさんも一緒に昼食を?」

ルーナのその言葉に、イーサンは頷いた。

「そうだね。アイラ、良かったらちょっと寄って行きなよ。今日はルーナと一緒にパワーランチをしようと言ってたんだ」

「パワーランチ?」

「ルーナのやつ、魔法学の論文を昼メシを食いながらでもいいから読めって押し掛けてきたんだよ」

「押しかけてってなによ!やっと貴方と肩を並べて研究が出来るんだから、アドバイスをくれてもいいでしょ!」

「これだよ。頼み事をする人間の態度じゃないよね」

「酷い!」

「…………」

なんだか……イーサンとルーナの間に流れる空気に疎外感を感じる。

同期の気安さの空気なのかもしれないが、二人の関係性を疑っているアイラにとっては辛いものがあった。

でもアイラは努めて平然としているように告げた。

「家の掃除の途中なの。だからわたしはこのまま帰るわね。お弁当のサンドは沢山作っているから、良かったらルーナさんと一緒に食べて。それではルーナさん、またお会いしましょうね」

「一緒にランチが出来なくて残念だわアイラさん。でも今度は絶対にご一緒しましょうね!」

「はい、是非」

そう言ってアイラは踵を返した。
顔には笑顔を貼り付けたまま。

我ながら頑張ったと思う。
でもこの嘘っぽい笑顔が剥がれる前にここを立ち去らねば、アイラはそう思って歩き出した……が、ふいにイーサンに手首を掴まれ引き止められた。

そしてアイラの顔を覗き込んでこう尋ねてくる。

「アイラ、どうかした?」

「どうかって……何が?」

「いや、いつもと様子がなんか違う気がするから……」

「……そんな事ないわよ?何もないわよ?」

「そう……?」

「そうよ。じゃあわたし帰るわね」

とそう言って、アイラは今度こそ本当にその場を立ち去った。

王宮を出るまでは早足で、その後はトボトボと家路を歩く。

どうしよう。

もし本当に二人が想いあっていたら。

人間付き合いが嫌いなイーサンにあそこまで自然な態度を取られされるルーナは、どう考えても特別な存在なのだろう。

『じゃあわたしはどうしたらいい……?』

このまま結婚生活を続けていていいのだろうか。

片思いでもあてがわれた妻でも、イーサンの側にいられるならそれでいいと思っていたけれど。
それだけで幸せだと思っていたけれど。

それが一方的な幸せで、相手が苦しんでいるのなら、そんな生活を続けていいわけはない……

それならば……

アイラは自分の頭に浮かんだ答えに、胸が押し潰されそうなった。

どうすればいいのだろう。

アイラは空を見上げる。

雲一つない青空。

自分の心もこんな風であればいいのにと、そう思った。



        つづく







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