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心の蓋

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どれほど心を揺さぶられようと、日々は変わらず過ぎていく。

マユラは懸命に、自分に求められる都合のよい妻でいようと努めた。

「おはようございます」

「……はよぅ……」

「行ってらっしゃいませ」

「行ってくる」

「おかえりなさい」

「ん」

「おやすみなさい」

「ん。……マユラ、」


イムルへの気持ちの在処ありかに変化が生まれてからというもの、
マユラは夫婦の営みを辛いと感じるようになった。

なぜなのかわからない。
だけど掴みどころのない夫の心の在処ありかが、どこなのかを知りたくなってしまうから。
多分それが辛いのだ。

どうしてそんなに優しく触れるの?
どうしてそうなに大切なものを扱うように私を抱くの?
どうして……何も言わないくせに、私のことを真っ直ぐに見つめられるの?
そんなに、深く澄んだ青紫の瞳で。

あなたのもう一つの家に住むという女性とも、こんな夜を過ごしているの……?


「……ん……ユクノキの花が…咲い…たら……」

夜更け過ぎ、眠れないマユラの耳にイムルの寝言がぽつりと届いた。



イムルが通う別宅について、ハウゼンとザーラは何も知らないらしい。

ザーラはマユラとの結婚を機に造られた魔術機械人形オートマタなので知らないのは当然なのかもしれない。
だけどハウゼンも主からは詳しくは聞かされていないのだと言う。

「旦那様ニハ、魔術機械人形オートマタ製作ノ基礎ヲ教ワッタ師匠ノ家デアッタト窺ッテオリマス。シカシ如何ナル目的ノタメニ通ワレテイルノカハ解リカネマス。旦那様ハ必要ニ迫ラレマセント思ワレタコトヲ一切口ニナサイマセンカラ」

「そう、よね……」

ハウゼンはどうやらその別宅に女性が住んでいることまでは知らないようだった。

結局、本人に訊くしかないのだろうか。

だけど……訊いていいものなのか。

イムルが別宅の女性のことを隠そうとしているのかそうではないのか、それさえもわからないというのに。

だけど、訊いてどうする、知ってどうするのだという思いもある。
別宅には行かないで。その人と別れて自分を選んで欲しい……などとはマユラの口から言えるはずもない。

だって、二人の間に割りったのはマユラの方なのだから。

叔父の調べでは別宅に住むのは若い女性とまでしかわからなかった。
姪の結婚相手が女を囲っている疑いが浮上しても大した問題ではないと、叔父が早々に調査を打ち切ったからだ。

もう少し詳しく調べてくれていれば、相手の女性の正体も二人がどういう関係なのかもわかったかもしれないのに。

マユラ自身もその時はそういう結婚なのだという諦めもあったから、それ以上の詮索はしなかった。

だけど、思えば初めて接したあの日。
あの美しい球体が人形ドールの瞳だと知り、さらにその瞳がイムルの瞳と同じ色彩であると知ったあの時から、どこか彼に惹かれている自分がいたのだ。

だからそんなイムルに女性の影があると聞かされた時に全てを諦め、その気持ちがこれ以上育たないよう、心に蓋をしたのだ。

その蓋が今、外れようしている。

(ダメだわ。これ以上は……せっかく夫婦として上手くいっていた関係が壊れてしまうかもしれない)

叔父に妻だと言ってくれた、少なからずも心を許して甘えてくれている、それだけで充分ではないか。彼の全てを欲するのは強欲というものだ。

マユラはそう思い、心の中で徐々に緩みかけていた蓋を再び堅く閉めた。


そう。堅く、堅く閉めたはずなのに。


出仕する前にイムルがハウゼンに何やら言っているのを玄関に向かう途中で目の当たりにしたマユラは察した。

今日は帰らないとハウゼンに告げているのだ。

このままいつものように何も気付かぬふりをして見送ればいい。
「行ってらっしゃいませ」と告げて、去っていく夫の背を見送ればいい。
ただそれだけのことだったのに……。

「……マユラ?」

「えっ?あ、やだ私っ……どうしてっ……」

マユラは無意識にイムルが着ている魔術師のローブを掴んでいた。
行かないでほしい。
その気持ちが無意識に行動に出てしまったのだ。

「ご、ごめんなさいっ……わ、私っ……」

自分の思いがけない行動に狼狽えるマユラにイムルが問う。

「どうした?」

「いえっ……あの……」

でもこうなったのならいっそ思い切って訊いてみるしかない、マユラは衝動的にそう思った。

「あ、あの……今夜は……別宅にお泊まりになるの、ですか……?」

意を決してそう尋ねたマユラとは真逆に、いつもと変わらぬトーンでイムルが言う。

「別宅……知っていたのか」

「ええ……あの、はい……」

「そうか」

「別宅に……おられる女性に会いに行かれる、のですよね……」

「ああ」


後悔先に立たずとはこのことをいうのだろう。

やはり訊かなければよかった。

夫イムルの口から出た言葉が、こんなにも深くマユラの心に冷たく穿たれるとは思いもしなかった。


「アイツには俺が必要だからな」


その後、どうやってイムルを見送ったのか、
マユラは覚えていなかった。






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