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第二幕
第二王子マイセル
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「……まぁまたあんなに近くに……」
コレット様が呟くように言った。
視界の先には仲睦まじい様子で一冊の本を仲良く眺める二人の姿。
中庭のベンチに座り、肩と肩が付くほどの距離で座っている。
黒髪の彼とストロベリーブロンドの彼女との
対比が只々美しく、二人並んでいる姿がまるで一枚の絵画のようだった。
誰もが認めるお似合いの二人。
近頃ではあの二人が自由恋愛同士の間柄だと広く知れ渡っている。
その片割れの男子生徒の方……
わたしの婚約者であるシモンは、
シモンは
ある日を境に、わたしには近づかなくなった。
以前までは一緒に登校していたのに、急に寮に入ると言い出した。
お父さまもそれを認めたのでイコリスには全く戻らなくなったのだ。
それと同時にシモンとわたしの接点は全く無くなった。
もう随分とシモンとまともに話せていない。
そして時を同じくして、以前よりも増してルチア様と共にいる姿を見かけるようになった。
これにはアルノルトも理解出来ない様子で、ただ狼狽えていた。
シモン……どうしたの?
何か理由があると信じたい。
あの日、わたしが泣きじゃくった日、
本気で怒ってくれたシモンの心は本心だったと信じたい。
そんな事を考えていたわたしの頭を、いきなりわしゃわしゃにしてきた手があった。
「何、深刻な顔をしてるんだよっ!似合わないぞー!」
「きゃーっちょっ……ダズっ!やめて!髪がぐちゃぐちゃになる!」
クラスメイトのダズ・ワーダーが後ろからわたしの頭を揉くちゃにしてきたのだ。
「ニコル嬢のくせに暗い顔するからだ!」
「くせにって何よ!失礼ね!」
「まぁ、うふふふ」
「コレット~!笑ってないで助けて~!」
「後で髪をきちんと整え直して差し上げますわよ」
「だから甘んじて受けとけって?酷い~!」
二人とも、わたしの気持ちを察してわざとおぶさけに持っていく……
ありがとうね。
散々わしゃわしゃされてようやくわたしの頭は解放された。
「もーっ」
わたしは髪留めを外し、ぐしゃぐしゃにされた髪を解く。
「ニコル嬢の髪は本当にキレイだよな、ベージュブロンドというのもポイントが高い」
そう言ってダズがわたしの髪を掬う。
人の髪をぐしゃぐしゃにしといて次は褒めるんですか、そうですか。
そんな事を思いながらダズから髪を奪い返していたら離れた所でルチア様とベンチに座っていたシモンと目があった。
え?
今の一連の騒ぎを見られていた?
わたしがぎょっとして見つめ返すと、
す……と視線を外された。
ずきん。
胸が痛い。
わたしは今外したばかりの髪飾りを握り締めた。
この髪飾りは十五歳の誕生日の時にシモンから
プレゼントして貰ったものだ。
わたしからは万年筆を贈った。
つい昨日の事のようにも感じるし、ずっと遠い日のようにも感じる。
わたし達は、
一体どうなるんだろう。
どうすればいいんだろう。
わたしはこのまま卒業までシモンの自由恋愛を黙認すればいいの?
それがシモンの本当の望み?
わからない。
わたしは本当に、困り果てていた。
そんな時、放課後アルノルトとイコリスからの迎えの馬車まで歩いていると不意に声をかけられた。
「失礼、イコリスのニコル王女殿下ですよね?」
声のした方へ視線を向けると、そこには中肉中背のおっとりとした雰囲気の男子生徒が立っていた。
誰かしら?
わたしがきょとんとしていると隣のアルノルトが答えをくれた。
「っ!マイセル第二王子殿下……!」
え?第二王子?
各国に第二王子は沢山いるけど、アルノルトがこう呼ぶという事はモルトダーンの第二王子という事よね?
シモンの異母弟で彼を次の後継とするべく生母の側妃(当時)側が暗躍したことによりシモンは廃嫡に追い込まれたのよね?
シモンにとっては弟でもあり政敵でもあった人物。
そんな人がわたしに何の用?
「突然お声がけして申し訳ありません。少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
マイセル殿下がこう言うと、アルノルトがわたしを庇うように前に立った。
「ニコル殿下にどのようなお話でございましょうか?お立場上、あまり軽はずみな行動は慎まれた方が良いかと思われますが」
アルノルトは時々とんでもない迂闊くんではあるが、こうやってわたしを守ろうとしている姿にはきゅんとくる。
その言葉を聞き、マイセル殿下は少し困ったように微笑まれた。
「そんなにお手間は取らせません。お互いの婚約者についてです」
「「!」」
マイセル殿下の婚約者といえば……
ルチア・リトレイジ嬢だ。
シモンとルチア様の事でわたしと話が……?
考えてるばかりでも仕方ない。
「わかりました。お話を伺います」
「ニコル殿下!」
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう、アルノルト」
「……ではせめて、お姿が見える位置には居させて下さい」
「構いませんよ」
マイセル殿下はそう言った。
アルノルトがわたし達から少し距離を取ったのを見計らって、マイセル殿下は話し出した。
「ルチアから聞きました、貴女が兄上に自由恋愛をするなと言ったと。それにより今はまだ立場の弱い兄上は貴女に逆らう事が出来ずに、ルチアとの交際を我慢しているそうではないですか」
「……わたしがシモンにそう告げた事を、ルチア様はシモンから聞いたのですか?」
「そこまでは聞いてはいませんが、ルチアが知っているという事はそうなのではありませんか?
ニコル殿下、どうして二人の交際を認めてあげないのですか?」
「逆にお聞きします。何故マイセル殿下は自分の婚約者が他の者と付き合う事を許せるのですか?」
「それが本来の姿だからですよ」
「え?」
「僕はあのお二人の姿を幼い頃から具に見てきました。兄弟とはいえ同い年、そして異母兄弟という微妙な関係でしたが、兄上は僕の憧れでした。聡明で運動能力も抜群。生まれながらにして王としての資質に恵まれ、本当にカッコ良かった。そしてそんな兄上のそばにはいつもルチアの姿がありました。才色兼備、ルチアより秀でた令嬢は王族の中にもいないほど抜きん出た存在でしたよ。これほどまでに互いに相応しい相手と結ばれる事が出来るなんて奇跡のようだと、子どもながらに感動したものです」
「……」
ふーん……そうですか。
「それなのにその兄上が廃嫡され次にルチアの婚約者となったのが、よりにもよって僕なんですよ?酷い話だと思いませんか?僕はルチアが可哀想でならないのです。こんな僕の……「ちょっ、ちょっと待って下さい!」
わたしはひとり言のように呟くマイセル殿下の言葉に被せるように言った。
「シモンとルチア様がとても優秀なのはわかっています。でもだからといって、貴方がそんなにご自分を蔑み、貶める必要はありますか?もっとご自分を大切に、そして信じてあげてください。貴方の事をどんな方かも全く知らずにこんな事を言うのはどうかと自分でも思いますが、わたしは貴方が自分で自分の心を追い込んでいるように感じるのです」
わたしがそこまで一気に言うと、最初は目を丸くしてわたしを見ていたマイセル殿下がふと悲しそうに微笑まれた。
「ありがとう。貴女はとても優しい方だ。あぁ……そうですね、僕はどうも自分に自信がない。自己肯定感が低すぎると、よく教師たちにも言われます。でも良かった。貴女となら、もしかしたら僕はこれからの人生の中で、自分を好きになって生きて行けるかもしれない」
「え?どういう意味ですか?」
マイセル殿下は少し逡巡して、やがて小声で答えてくれた。
「……僕があまりにも頼りなく、そして学園での兄上の評判を聞きつけたモルトダーンの有力諸侯たちが、再び兄上を担ぎ上げようとしているのです。そのために、イコリスに婚約者の交換を打診するそうです。第一王子ではなく、第二王子、つまり僕がイコリスに婿入りして、兄上をモルトダーンに戻すという動きが今、水面下で行われています。本来ならこんな無礼な話はありませんが、お恥ずかしながら我がモルトダーンはイコリスを侮り過ぎておりまして、それが罷り通ると思われているのです。そしてなにより、国王が、兄上が戻って来ることを何よりも望んでおられるのですから。誰も意を唱える者はいません」
「……え……?」
今、なんて言ったの?
婚約者の交換?
シモンがモルトダーンに戻るという事?
わたしの婚約者ではなくなるという事?
「そしてその動きの最有力指導者がルチアの生家、リトレイジ侯爵家なのです。きっと兄上がモルトダーンに戻られたら、再び二人の婚約は結び直されるのでしょうね。だから二人が今から交際したとしても、何も問題はないのです。むしろ、兄上の御身を守るためにも、ルチアの側にいた方が安全なのです」
わたしは足が震えそうになるのを懸命に堪え、そして声を絞り出して尋ねた。
「どうしてルチア様のそばが安全なのですか?」
「僕の母、現王妃側が再び担ぎ上げられそうになっている兄上を排除しようと暗躍しているからですよ」
「排除……?」
「暗殺計画が出ているという事です」
「!!」
「リトレイジ侯爵家なら陰の者を使って兄上の身辺を警護できます。でもそれはモルトダーンの次期国王、ルチアを王妃の座へと導く者だから守られるのです。失礼ながら、只のイコリスの次期王配が命を狙われていても誰も助けない」
「………」
わたしは何も言えなかった。
何を言っていいのかわからなかった。
兄上のためにも貴女はご自分の対応を今一度お考え下さい、
とそれだけを言い残してマイセル殿下は去って行った。
シモンの……
命が狙われている?
シモンがわたしの近くに来なくなった理由は
これだったのか。
イコリスに戻らず、寮に入ったのも、
ルチア様と行動を共にするようになったのも、
全てこのためだったのだ。
ようやくわかった……。
シモンが、
心の底では祖国に帰りたいと願っていた事は
知っていた。
でも帰れないのだから仕方ないと諦めて、イコリスで生きて行こうと懸命になっているのも
知っている。
シモンは、わたしなんかの王配で終わるような
器の人間ではない。
国の頂点に立ち、臣下を、民を導いてゆくのが相応しい人間だ。
本当のシモンもそれを望んでいる事がわたしにはわかる。
だって、
だってずっとそばで、近くで見てきたから。
シモンが今まで努力を重ねて研鑽してきたものを、わたしの王配という立場なんかで
終わらせてはいけない。
わかってはいる。
わかってはいるけど、
わたしの中のわたしがそれは嫌だと悲鳴を上げている。
シモンと別れたくない。
もう何の関係もない全くの他人にはなりたくない。
そう叫んでる。
ごめん、シモン。
こんなに好きで本当にごめん。
でもわたしは、
今マイセル殿下が言った事を、直接シモンの口から聞くまではシモンを信じたい。
悪あがきかもしれない、
フラれた女がみっともない姿を晒すだけかもしれない。
でもわたしは、
最後の最後までシモンを信じる。
シモンを信じる、わたしを信じてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
作者のひとり言
シモンを信じるわたし信じる……
知ってる人は知っているセリフだったりして?
コレット様が呟くように言った。
視界の先には仲睦まじい様子で一冊の本を仲良く眺める二人の姿。
中庭のベンチに座り、肩と肩が付くほどの距離で座っている。
黒髪の彼とストロベリーブロンドの彼女との
対比が只々美しく、二人並んでいる姿がまるで一枚の絵画のようだった。
誰もが認めるお似合いの二人。
近頃ではあの二人が自由恋愛同士の間柄だと広く知れ渡っている。
その片割れの男子生徒の方……
わたしの婚約者であるシモンは、
シモンは
ある日を境に、わたしには近づかなくなった。
以前までは一緒に登校していたのに、急に寮に入ると言い出した。
お父さまもそれを認めたのでイコリスには全く戻らなくなったのだ。
それと同時にシモンとわたしの接点は全く無くなった。
もう随分とシモンとまともに話せていない。
そして時を同じくして、以前よりも増してルチア様と共にいる姿を見かけるようになった。
これにはアルノルトも理解出来ない様子で、ただ狼狽えていた。
シモン……どうしたの?
何か理由があると信じたい。
あの日、わたしが泣きじゃくった日、
本気で怒ってくれたシモンの心は本心だったと信じたい。
そんな事を考えていたわたしの頭を、いきなりわしゃわしゃにしてきた手があった。
「何、深刻な顔をしてるんだよっ!似合わないぞー!」
「きゃーっちょっ……ダズっ!やめて!髪がぐちゃぐちゃになる!」
クラスメイトのダズ・ワーダーが後ろからわたしの頭を揉くちゃにしてきたのだ。
「ニコル嬢のくせに暗い顔するからだ!」
「くせにって何よ!失礼ね!」
「まぁ、うふふふ」
「コレット~!笑ってないで助けて~!」
「後で髪をきちんと整え直して差し上げますわよ」
「だから甘んじて受けとけって?酷い~!」
二人とも、わたしの気持ちを察してわざとおぶさけに持っていく……
ありがとうね。
散々わしゃわしゃされてようやくわたしの頭は解放された。
「もーっ」
わたしは髪留めを外し、ぐしゃぐしゃにされた髪を解く。
「ニコル嬢の髪は本当にキレイだよな、ベージュブロンドというのもポイントが高い」
そう言ってダズがわたしの髪を掬う。
人の髪をぐしゃぐしゃにしといて次は褒めるんですか、そうですか。
そんな事を思いながらダズから髪を奪い返していたら離れた所でルチア様とベンチに座っていたシモンと目があった。
え?
今の一連の騒ぎを見られていた?
わたしがぎょっとして見つめ返すと、
す……と視線を外された。
ずきん。
胸が痛い。
わたしは今外したばかりの髪飾りを握り締めた。
この髪飾りは十五歳の誕生日の時にシモンから
プレゼントして貰ったものだ。
わたしからは万年筆を贈った。
つい昨日の事のようにも感じるし、ずっと遠い日のようにも感じる。
わたし達は、
一体どうなるんだろう。
どうすればいいんだろう。
わたしはこのまま卒業までシモンの自由恋愛を黙認すればいいの?
それがシモンの本当の望み?
わからない。
わたしは本当に、困り果てていた。
そんな時、放課後アルノルトとイコリスからの迎えの馬車まで歩いていると不意に声をかけられた。
「失礼、イコリスのニコル王女殿下ですよね?」
声のした方へ視線を向けると、そこには中肉中背のおっとりとした雰囲気の男子生徒が立っていた。
誰かしら?
わたしがきょとんとしていると隣のアルノルトが答えをくれた。
「っ!マイセル第二王子殿下……!」
え?第二王子?
各国に第二王子は沢山いるけど、アルノルトがこう呼ぶという事はモルトダーンの第二王子という事よね?
シモンの異母弟で彼を次の後継とするべく生母の側妃(当時)側が暗躍したことによりシモンは廃嫡に追い込まれたのよね?
シモンにとっては弟でもあり政敵でもあった人物。
そんな人がわたしに何の用?
「突然お声がけして申し訳ありません。少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
マイセル殿下がこう言うと、アルノルトがわたしを庇うように前に立った。
「ニコル殿下にどのようなお話でございましょうか?お立場上、あまり軽はずみな行動は慎まれた方が良いかと思われますが」
アルノルトは時々とんでもない迂闊くんではあるが、こうやってわたしを守ろうとしている姿にはきゅんとくる。
その言葉を聞き、マイセル殿下は少し困ったように微笑まれた。
「そんなにお手間は取らせません。お互いの婚約者についてです」
「「!」」
マイセル殿下の婚約者といえば……
ルチア・リトレイジ嬢だ。
シモンとルチア様の事でわたしと話が……?
考えてるばかりでも仕方ない。
「わかりました。お話を伺います」
「ニコル殿下!」
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう、アルノルト」
「……ではせめて、お姿が見える位置には居させて下さい」
「構いませんよ」
マイセル殿下はそう言った。
アルノルトがわたし達から少し距離を取ったのを見計らって、マイセル殿下は話し出した。
「ルチアから聞きました、貴女が兄上に自由恋愛をするなと言ったと。それにより今はまだ立場の弱い兄上は貴女に逆らう事が出来ずに、ルチアとの交際を我慢しているそうではないですか」
「……わたしがシモンにそう告げた事を、ルチア様はシモンから聞いたのですか?」
「そこまでは聞いてはいませんが、ルチアが知っているという事はそうなのではありませんか?
ニコル殿下、どうして二人の交際を認めてあげないのですか?」
「逆にお聞きします。何故マイセル殿下は自分の婚約者が他の者と付き合う事を許せるのですか?」
「それが本来の姿だからですよ」
「え?」
「僕はあのお二人の姿を幼い頃から具に見てきました。兄弟とはいえ同い年、そして異母兄弟という微妙な関係でしたが、兄上は僕の憧れでした。聡明で運動能力も抜群。生まれながらにして王としての資質に恵まれ、本当にカッコ良かった。そしてそんな兄上のそばにはいつもルチアの姿がありました。才色兼備、ルチアより秀でた令嬢は王族の中にもいないほど抜きん出た存在でしたよ。これほどまでに互いに相応しい相手と結ばれる事が出来るなんて奇跡のようだと、子どもながらに感動したものです」
「……」
ふーん……そうですか。
「それなのにその兄上が廃嫡され次にルチアの婚約者となったのが、よりにもよって僕なんですよ?酷い話だと思いませんか?僕はルチアが可哀想でならないのです。こんな僕の……「ちょっ、ちょっと待って下さい!」
わたしはひとり言のように呟くマイセル殿下の言葉に被せるように言った。
「シモンとルチア様がとても優秀なのはわかっています。でもだからといって、貴方がそんなにご自分を蔑み、貶める必要はありますか?もっとご自分を大切に、そして信じてあげてください。貴方の事をどんな方かも全く知らずにこんな事を言うのはどうかと自分でも思いますが、わたしは貴方が自分で自分の心を追い込んでいるように感じるのです」
わたしがそこまで一気に言うと、最初は目を丸くしてわたしを見ていたマイセル殿下がふと悲しそうに微笑まれた。
「ありがとう。貴女はとても優しい方だ。あぁ……そうですね、僕はどうも自分に自信がない。自己肯定感が低すぎると、よく教師たちにも言われます。でも良かった。貴女となら、もしかしたら僕はこれからの人生の中で、自分を好きになって生きて行けるかもしれない」
「え?どういう意味ですか?」
マイセル殿下は少し逡巡して、やがて小声で答えてくれた。
「……僕があまりにも頼りなく、そして学園での兄上の評判を聞きつけたモルトダーンの有力諸侯たちが、再び兄上を担ぎ上げようとしているのです。そのために、イコリスに婚約者の交換を打診するそうです。第一王子ではなく、第二王子、つまり僕がイコリスに婿入りして、兄上をモルトダーンに戻すという動きが今、水面下で行われています。本来ならこんな無礼な話はありませんが、お恥ずかしながら我がモルトダーンはイコリスを侮り過ぎておりまして、それが罷り通ると思われているのです。そしてなにより、国王が、兄上が戻って来ることを何よりも望んでおられるのですから。誰も意を唱える者はいません」
「……え……?」
今、なんて言ったの?
婚約者の交換?
シモンがモルトダーンに戻るという事?
わたしの婚約者ではなくなるという事?
「そしてその動きの最有力指導者がルチアの生家、リトレイジ侯爵家なのです。きっと兄上がモルトダーンに戻られたら、再び二人の婚約は結び直されるのでしょうね。だから二人が今から交際したとしても、何も問題はないのです。むしろ、兄上の御身を守るためにも、ルチアの側にいた方が安全なのです」
わたしは足が震えそうになるのを懸命に堪え、そして声を絞り出して尋ねた。
「どうしてルチア様のそばが安全なのですか?」
「僕の母、現王妃側が再び担ぎ上げられそうになっている兄上を排除しようと暗躍しているからですよ」
「排除……?」
「暗殺計画が出ているという事です」
「!!」
「リトレイジ侯爵家なら陰の者を使って兄上の身辺を警護できます。でもそれはモルトダーンの次期国王、ルチアを王妃の座へと導く者だから守られるのです。失礼ながら、只のイコリスの次期王配が命を狙われていても誰も助けない」
「………」
わたしは何も言えなかった。
何を言っていいのかわからなかった。
兄上のためにも貴女はご自分の対応を今一度お考え下さい、
とそれだけを言い残してマイセル殿下は去って行った。
シモンの……
命が狙われている?
シモンがわたしの近くに来なくなった理由は
これだったのか。
イコリスに戻らず、寮に入ったのも、
ルチア様と行動を共にするようになったのも、
全てこのためだったのだ。
ようやくわかった……。
シモンが、
心の底では祖国に帰りたいと願っていた事は
知っていた。
でも帰れないのだから仕方ないと諦めて、イコリスで生きて行こうと懸命になっているのも
知っている。
シモンは、わたしなんかの王配で終わるような
器の人間ではない。
国の頂点に立ち、臣下を、民を導いてゆくのが相応しい人間だ。
本当のシモンもそれを望んでいる事がわたしにはわかる。
だって、
だってずっとそばで、近くで見てきたから。
シモンが今まで努力を重ねて研鑽してきたものを、わたしの王配という立場なんかで
終わらせてはいけない。
わかってはいる。
わかってはいるけど、
わたしの中のわたしがそれは嫌だと悲鳴を上げている。
シモンと別れたくない。
もう何の関係もない全くの他人にはなりたくない。
そう叫んでる。
ごめん、シモン。
こんなに好きで本当にごめん。
でもわたしは、
今マイセル殿下が言った事を、直接シモンの口から聞くまではシモンを信じたい。
悪あがきかもしれない、
フラれた女がみっともない姿を晒すだけかもしれない。
でもわたしは、
最後の最後までシモンを信じる。
シモンを信じる、わたしを信じてる。
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作者のひとり言
シモンを信じるわたし信じる……
知ってる人は知っているセリフだったりして?
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