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彼がいた軌跡
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ドリトル卿の断片的な言葉から、ウォレスの本当の姿を知りたいと思ったクララ。
彼女はウォレスが育ったというバートン孤児院を訪れ、子供たちの治療をする条件として孤児院に滞在する事となった。
歯科治療は高額なため虫歯の子が多く、虫歯となった乳歯が抜けるまで辛抱というのがどこの孤児院でも当たり前となってしまっているらしい。
───安価なお砂糖、あれが虫歯をつくりやすいのでしょうね。
クララは虫歯の進行が酷い子から順に治療を行っていった。
今、公立バートン孤児院は下は赤ん坊から上は12歳まで総勢二十四名の子供たちを抱えている。
この子たちを院長であるローザを含む四名の職員が国からの公費と寄付金の下で養育していた。
そしてクララは今、子供たちの治療の合間に孤児の記録を閲覧させて貰っていた。
断られるのではないかと思いながらも記録の閲覧を願い出た時、院長はすんなりと許可してくれた。
「残念ながら彼がいた時の記録は全て騎士団により抹消されているの。その当時一緒に暮らしていた子供たちの記録も。その子たちの証言から素性を知られるのを良しとしなかったのでしょうね」
「なぜそうまでして……」
そこまでして隠さねばならないウォレスの謎とは……
ドリトル卿の最期の言葉と、ウォレスが語っていた壁画の天使を自分と重ねていた事から、クララはある仮説を立てていた。
その仮説が正しいのであれば、
あの日“クー”という女性とキスをしている彼を見た時に感じた小さな違和感の説明がつく。
その確証が欲しくて、クララは孤児院へ来たのだ。
だけど記録も何も残っていない孤児院でそれを見つける事が出来るのだろうか……クララがそう考えている時、ふいに孤児院の院長であるローザが言った。
「記録は残ってはいないし、何も話せないけれど、彼が十歳まで過ごしたここには何かが残っているんじゃないかしら……騎士団の者が見落とすくらい、小さな何かが」
「え?」
ウォレスの痕跡を全て消した騎士団が見落とした何かが残っていると、ローザはそう言いたいのだろうか。
何も語れない代わりに、それを教えてくれたという事なのだろうか。
ローザはクララに告げる。
「子供たちを診てくださってるお礼です。それを探すために院内全ての立ち入りを許しましょう」
やはり、それを探せとローザは言っているのだ。
「ローザさん……ありがとうございます」
クララは立ち上がり彼女に頭を下げた。
頭上から小さく笑った声が聞こえた。
そしてローザはまるで独り言のようにつぶやく。
「ここの子供たちは、意外と知ってるんじゃないかしら?あなたが探そうとしているものを」
「……え?」
「マイクに聞いてみるといいわ……」
ローザはそう独り言をぶつぶつと言いながら部屋を出て行った。
「ローザさん……」
クララはローザが去って行った方向に、もう一度ぺこりと頭を下げた。
◇◇◇◇◇
そして午後からは丁度マイク少年の歯科治療の番であった。
「あらぁ、これは酷いわね。随分痛かったでしょう」
「いたいときといたくないときがあるんだ」
「すぐに楽にしてあげるからね」
「おねぇさん……ちりょーはいたいの?」
虫歯のある側の頬を押さえながらマイクが不安そうに言った。
「ふふ。歯は抜くのではなく悪い部分だけ消し去るの。だから痛みもないし出血もないわ」
「けすのっ?まほーでっ?」
「そうよ。だから痛くないわ。頑張れるわね?」
「うん!」
「偉いわマイク」
クララはマイクに向けて優しく微笑み、歯科治療を始めた。
特別な術式が組み込まれた治療器具で虫歯に侵食された箇所を除去してゆく。
それが済んだら残った歯を増殖させて復元する。
あっという間に歯科処置は済んだ。
「はい、おしまい」
「えっ?もうっ?」
「ええ、終わったわ。もう痛む事もないからね」
「おねぇさんありがとう!」
「どうしたしまして」
治療器具を片付けながらクララはふと、先程ローザが話していた事を思い出した。
───ウォレスの痕跡をマイクなら知っているかもしれないって……
クララは思い切ってマイクに訊いてみる。
「……マイク、“ウォレス”という人を知ってる?昔、あなたのようにここで暮らしていた人なのだけど……」
クララの質問にマイクはキョトンとしながら首を振った
「うーん?あったことはないよ」
「そうよね……当然よね……」
普通に考えればそうだろう。
ずっと昔に出て行った人間の事を、今の子供たちが知るはずがない。
そうわかっていてもローザの言もありもしやと期待したのだが。
思わず落胆してしまうクララに、マイクは言った。
「でも、“ウォレス”ってなまえはしってた!」
「え?」
「ここのなかにいっぱいあるよ!」
「え、え?」
「おしえてほしい?」
「ええ…ええ。教えてほしいわ。お願いマイク」
「いいよ、ついてきて!」
そう言ってマイクはさっさと部屋から出て行った。
クララも慌てて後を追う。
マイクは孤児院の建物内をどんどん進んでゆき、寄贈された本で作られた図書室へとやって来た。
マイクはその中の、一冊の絵本を手に取る。
二人の天使が聖夜に贈り物を届ける内容の絵本だ。
そしてペラペラとページをめくり、あるページを開いて指差した。
「ほら、ここ!」
「……え?」
クララはマイクが指し示す箇所に目を落とす。
するとそこには小さく書かれた子供の文字があった。
“このてんしはウォレス”
拙く、幼い文字だ。
今の彼の筆跡とは比べようもない。
だけどそこには間違いなくウォレスと書かれてあった。
「じがよめなかったときにいんちょーせんせいにきいたんだ、これなんてよむの?って。そしたらいんちょーせんせいがウォレスだって言ったよ!」
「そう。そうね。確かにウォレスと書いてあるわ……」
クララはウォレスという文字に指で触れた。
不思議と指の先に温かさを感じ、まだこんなにも彼の事が好きなのだと改めて気付かされる。
「まだほかにもあるよ!」
「……いっぱいあると言っていたものね」
「こっちだよ!」
マイクはクララの手を引いて急かすように図書室を飛び出した。
マイクに連れられ、彼の……ウォレスの軌跡を辿る。
次に来たのは孤児院の建物に隣接する礼拝堂であった。
そこの椅子の座面の裏にあるとマイクは教えてくれた。
大掃除で椅子を水拭きする際に見つけたらしい。
クララは座面の裏が見えるようにそっと椅子を倒した。
そして何か鋭利な物で彫ったであろう文字を見つける。
“ウォレスはここにいた”
座面の裏にはそう刻まれていた。
ウォレスは騎士団により自分の痕跡を全て消されるとわかっていたのだろうか。
だから孤児院に自分の名を刻み残したのだろうか。
「ウォレスじゃないけどこっちにもあるよ!」
「え……?」
一瞬、どくんとクララ心臓が大きく鼓動を打った。
そしてマイクが教えてくれた椅子に向かい、同じように座面の裏を確認した。
「………!」
“ウォードもたしかにここにいた”
と、そう文字が彫りこまれていた。
まるでウォレスと刻まれた文字と対になるように。
“ウォード”
これがクララが探していたものの答えで正解なのだろうか……。
クララは震える声を押し出しながらマイクに訊ねた。
「……この、ウォードと書かれた文字は……他にもある?」
「あるよ!ウォレスとりょうほうかいてる!」
「お願い、そこへ連れて行って……」
祈るような思いを込めてマイクに頼む。
「いいよ、おねぇさんこっちだよ!」
マイクは大きく頷いて、またクララの手を引いた。
クララは速なる鼓動を感じながらマイクに手を引かれるままに付いて行く。
一歩一歩が、まるで彼に側に向かっているような気持ちになった。
そしてやがて中庭の大きな楠の前に連れて来られる。
中庭のシンボルツリーとして存在感を示すように伸び伸びと枝葉を茂らせる立派な楠であった。
マイクは楠の太い幹の下の方を指し示す。
「ほらここに!よくみつけたでしょ!」
「………そうね、本当に凄いわマイク……ありがとう……」
クララは芝生の上に跪き、椅子のように楠の幹に彫り込まれた文字を見た。
“ウォレスとウォード、おれたちきょうだいはたしかにここにいた”
───やっぱり………!
ドリトル卿の最期の言葉からそうではないかと考えていたが、やはりウォレスには兄弟がいたのだ。
ウォレスから兄弟がいるなどとは一度も聞かされてはいない。
孤児院側に口止めをし、その証を全て抹消されるほどの理由があるのだろう。
あの日クララは、見知らぬ女性をクーと呼んでいたウォレスの声に小さな違和感を感じたのだ。
いつも聞いていたウォレスの声より わずかに高い声。
だけど彼は自分と同じように天涯孤独で兄弟などいないと思っていたクララは、違和感を感じながらもそれがウォレス本人だと信じて疑わなかった。
もし、あの時の人物がウォレスではなく、
このウォードという兄弟の方だったなら………
クララは酷く困惑した。
楠の幹に触れ、なんとか気持ちを落ち着かせようと努力する。
「おねぇさん?」
クララの様子に気付いたマイクが首を傾げていた。
「大丈夫よマイク、心配させてごめ……」
安心させようとなんとか微笑んでマイクにそう告げた時、ふいに不思議な気配を感じた。
中庭にはクララとマイク、二人だけしかいなかったはずなのに楠の太い幹の向こう側から突然気配を感じたのだ。
「……誰か、いるの………」
クララがおそるおそる声をかけると、涼やかな女性の声が聞こえてきた。
「ふふふ。良かった、ちゃんとこの木に辿り付いてくれて。わたしは楠を通してしか移動できないからね」
そう言った人物がひょっこりと幹の向こう側から顔を出す。
「!……あなたはっ……!」
クララはその人物を見て驚愕した。
「一応、ハジメマシテになるのかしらクララさん。わたしのこと、一度は目にしているのよね?そしてその時はクーと呼ばれていたはずね」
あの日、ウォレスと王都の路地で口付けを交わしていたクーという女性が突然、クララの前に姿を現した。
彼女はウォレスが育ったというバートン孤児院を訪れ、子供たちの治療をする条件として孤児院に滞在する事となった。
歯科治療は高額なため虫歯の子が多く、虫歯となった乳歯が抜けるまで辛抱というのがどこの孤児院でも当たり前となってしまっているらしい。
───安価なお砂糖、あれが虫歯をつくりやすいのでしょうね。
クララは虫歯の進行が酷い子から順に治療を行っていった。
今、公立バートン孤児院は下は赤ん坊から上は12歳まで総勢二十四名の子供たちを抱えている。
この子たちを院長であるローザを含む四名の職員が国からの公費と寄付金の下で養育していた。
そしてクララは今、子供たちの治療の合間に孤児の記録を閲覧させて貰っていた。
断られるのではないかと思いながらも記録の閲覧を願い出た時、院長はすんなりと許可してくれた。
「残念ながら彼がいた時の記録は全て騎士団により抹消されているの。その当時一緒に暮らしていた子供たちの記録も。その子たちの証言から素性を知られるのを良しとしなかったのでしょうね」
「なぜそうまでして……」
そこまでして隠さねばならないウォレスの謎とは……
ドリトル卿の最期の言葉と、ウォレスが語っていた壁画の天使を自分と重ねていた事から、クララはある仮説を立てていた。
その仮説が正しいのであれば、
あの日“クー”という女性とキスをしている彼を見た時に感じた小さな違和感の説明がつく。
その確証が欲しくて、クララは孤児院へ来たのだ。
だけど記録も何も残っていない孤児院でそれを見つける事が出来るのだろうか……クララがそう考えている時、ふいに孤児院の院長であるローザが言った。
「記録は残ってはいないし、何も話せないけれど、彼が十歳まで過ごしたここには何かが残っているんじゃないかしら……騎士団の者が見落とすくらい、小さな何かが」
「え?」
ウォレスの痕跡を全て消した騎士団が見落とした何かが残っていると、ローザはそう言いたいのだろうか。
何も語れない代わりに、それを教えてくれたという事なのだろうか。
ローザはクララに告げる。
「子供たちを診てくださってるお礼です。それを探すために院内全ての立ち入りを許しましょう」
やはり、それを探せとローザは言っているのだ。
「ローザさん……ありがとうございます」
クララは立ち上がり彼女に頭を下げた。
頭上から小さく笑った声が聞こえた。
そしてローザはまるで独り言のようにつぶやく。
「ここの子供たちは、意外と知ってるんじゃないかしら?あなたが探そうとしているものを」
「……え?」
「マイクに聞いてみるといいわ……」
ローザはそう独り言をぶつぶつと言いながら部屋を出て行った。
「ローザさん……」
クララはローザが去って行った方向に、もう一度ぺこりと頭を下げた。
◇◇◇◇◇
そして午後からは丁度マイク少年の歯科治療の番であった。
「あらぁ、これは酷いわね。随分痛かったでしょう」
「いたいときといたくないときがあるんだ」
「すぐに楽にしてあげるからね」
「おねぇさん……ちりょーはいたいの?」
虫歯のある側の頬を押さえながらマイクが不安そうに言った。
「ふふ。歯は抜くのではなく悪い部分だけ消し去るの。だから痛みもないし出血もないわ」
「けすのっ?まほーでっ?」
「そうよ。だから痛くないわ。頑張れるわね?」
「うん!」
「偉いわマイク」
クララはマイクに向けて優しく微笑み、歯科治療を始めた。
特別な術式が組み込まれた治療器具で虫歯に侵食された箇所を除去してゆく。
それが済んだら残った歯を増殖させて復元する。
あっという間に歯科処置は済んだ。
「はい、おしまい」
「えっ?もうっ?」
「ええ、終わったわ。もう痛む事もないからね」
「おねぇさんありがとう!」
「どうしたしまして」
治療器具を片付けながらクララはふと、先程ローザが話していた事を思い出した。
───ウォレスの痕跡をマイクなら知っているかもしれないって……
クララは思い切ってマイクに訊いてみる。
「……マイク、“ウォレス”という人を知ってる?昔、あなたのようにここで暮らしていた人なのだけど……」
クララの質問にマイクはキョトンとしながら首を振った
「うーん?あったことはないよ」
「そうよね……当然よね……」
普通に考えればそうだろう。
ずっと昔に出て行った人間の事を、今の子供たちが知るはずがない。
そうわかっていてもローザの言もありもしやと期待したのだが。
思わず落胆してしまうクララに、マイクは言った。
「でも、“ウォレス”ってなまえはしってた!」
「え?」
「ここのなかにいっぱいあるよ!」
「え、え?」
「おしえてほしい?」
「ええ…ええ。教えてほしいわ。お願いマイク」
「いいよ、ついてきて!」
そう言ってマイクはさっさと部屋から出て行った。
クララも慌てて後を追う。
マイクは孤児院の建物内をどんどん進んでゆき、寄贈された本で作られた図書室へとやって来た。
マイクはその中の、一冊の絵本を手に取る。
二人の天使が聖夜に贈り物を届ける内容の絵本だ。
そしてペラペラとページをめくり、あるページを開いて指差した。
「ほら、ここ!」
「……え?」
クララはマイクが指し示す箇所に目を落とす。
するとそこには小さく書かれた子供の文字があった。
“このてんしはウォレス”
拙く、幼い文字だ。
今の彼の筆跡とは比べようもない。
だけどそこには間違いなくウォレスと書かれてあった。
「じがよめなかったときにいんちょーせんせいにきいたんだ、これなんてよむの?って。そしたらいんちょーせんせいがウォレスだって言ったよ!」
「そう。そうね。確かにウォレスと書いてあるわ……」
クララはウォレスという文字に指で触れた。
不思議と指の先に温かさを感じ、まだこんなにも彼の事が好きなのだと改めて気付かされる。
「まだほかにもあるよ!」
「……いっぱいあると言っていたものね」
「こっちだよ!」
マイクはクララの手を引いて急かすように図書室を飛び出した。
マイクに連れられ、彼の……ウォレスの軌跡を辿る。
次に来たのは孤児院の建物に隣接する礼拝堂であった。
そこの椅子の座面の裏にあるとマイクは教えてくれた。
大掃除で椅子を水拭きする際に見つけたらしい。
クララは座面の裏が見えるようにそっと椅子を倒した。
そして何か鋭利な物で彫ったであろう文字を見つける。
“ウォレスはここにいた”
座面の裏にはそう刻まれていた。
ウォレスは騎士団により自分の痕跡を全て消されるとわかっていたのだろうか。
だから孤児院に自分の名を刻み残したのだろうか。
「ウォレスじゃないけどこっちにもあるよ!」
「え……?」
一瞬、どくんとクララ心臓が大きく鼓動を打った。
そしてマイクが教えてくれた椅子に向かい、同じように座面の裏を確認した。
「………!」
“ウォードもたしかにここにいた”
と、そう文字が彫りこまれていた。
まるでウォレスと刻まれた文字と対になるように。
“ウォード”
これがクララが探していたものの答えで正解なのだろうか……。
クララは震える声を押し出しながらマイクに訊ねた。
「……この、ウォードと書かれた文字は……他にもある?」
「あるよ!ウォレスとりょうほうかいてる!」
「お願い、そこへ連れて行って……」
祈るような思いを込めてマイクに頼む。
「いいよ、おねぇさんこっちだよ!」
マイクは大きく頷いて、またクララの手を引いた。
クララは速なる鼓動を感じながらマイクに手を引かれるままに付いて行く。
一歩一歩が、まるで彼に側に向かっているような気持ちになった。
そしてやがて中庭の大きな楠の前に連れて来られる。
中庭のシンボルツリーとして存在感を示すように伸び伸びと枝葉を茂らせる立派な楠であった。
マイクは楠の太い幹の下の方を指し示す。
「ほらここに!よくみつけたでしょ!」
「………そうね、本当に凄いわマイク……ありがとう……」
クララは芝生の上に跪き、椅子のように楠の幹に彫り込まれた文字を見た。
“ウォレスとウォード、おれたちきょうだいはたしかにここにいた”
───やっぱり………!
ドリトル卿の最期の言葉からそうではないかと考えていたが、やはりウォレスには兄弟がいたのだ。
ウォレスから兄弟がいるなどとは一度も聞かされてはいない。
孤児院側に口止めをし、その証を全て抹消されるほどの理由があるのだろう。
あの日クララは、見知らぬ女性をクーと呼んでいたウォレスの声に小さな違和感を感じたのだ。
いつも聞いていたウォレスの声より わずかに高い声。
だけど彼は自分と同じように天涯孤独で兄弟などいないと思っていたクララは、違和感を感じながらもそれがウォレス本人だと信じて疑わなかった。
もし、あの時の人物がウォレスではなく、
このウォードという兄弟の方だったなら………
クララは酷く困惑した。
楠の幹に触れ、なんとか気持ちを落ち着かせようと努力する。
「おねぇさん?」
クララの様子に気付いたマイクが首を傾げていた。
「大丈夫よマイク、心配させてごめ……」
安心させようとなんとか微笑んでマイクにそう告げた時、ふいに不思議な気配を感じた。
中庭にはクララとマイク、二人だけしかいなかったはずなのに楠の太い幹の向こう側から突然気配を感じたのだ。
「……誰か、いるの………」
クララがおそるおそる声をかけると、涼やかな女性の声が聞こえてきた。
「ふふふ。良かった、ちゃんとこの木に辿り付いてくれて。わたしは楠を通してしか移動できないからね」
そう言った人物がひょっこりと幹の向こう側から顔を出す。
「!……あなたはっ……!」
クララはその人物を見て驚愕した。
「一応、ハジメマシテになるのかしらクララさん。わたしのこと、一度は目にしているのよね?そしてその時はクーと呼ばれていたはずね」
あの日、ウォレスと王都の路地で口付けを交わしていたクーという女性が突然、クララの前に姿を現した。
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