懐妊したポンコツ妻は夫から自立したい

キムラましゅろう

文字の大きさ
上 下
8 / 20

204号室、不眠症の茨姫

しおりを挟む
「ちょっと!ククレ家令さん!」

後ろから甲高い声に呼び止められて、ロレイン公爵家で家令を務めるククレは心の中で舌打ちをした。
顔にも出ている事だろう。

ククレは笑顔を貼り付けて後ろを振り返る。

「聖なる乙女様、如何なされましたか?」

すると『聖なる乙女』と呼ばれた娘、ディアナが腰に手を当て憤慨しながら言った。

「一体いつになったらセドリック様は帰ってくるのっ?ワタシがこの屋敷に来てから一度も顔を見てないんだけどっ?」

ディアナがユニカと入れ替わるようにしてロレイン公爵邸やってきて早2ヶ月が過ぎようとしていた。

しかし初日に顔を合わせて以来一向に姿を見せないセドリックに、ディアナはとうとう痺れを切らしたようだ。

「旦那様は今、大変お忙しいのです。陛下の名代として各地へ巡察に行かれたりと……」

「せっかく一緒に暮らせると思って喜んでいたのに、これじゃあこの屋敷へ来た意味がないじゃないっ!」

その言葉を聞き、ククレはほんの一瞬、眉間にシワが寄った。
相手に取らせない程のほんの一瞬だけ。

「公爵閣下が乙女様の庇護者であらせられます。その事実は変わりませんし、そのお方の屋敷に身を置かれるという教会との約束はきちんと果たされております。なので意味がない事はございません」

ククレのその言葉にディアナは更に憤慨した。

「ワタシは屋敷に住みたかったワケじゃないわよっ、セドリック様の側に居たいのよ!」

「……僭越ならがら、乙女様」

「なによ」

「旦那様は既婚者であらせられます」

「それがどうしたっていうの」

「今、当家は人の出入りが激しゅうございますので安全の為に公爵夫人には別邸に移って頂いておりますが、この家の女主人も旦那様の奥方様もこの世にたったお一人……ユニカ様だけにございます。その事を努努ゆめゆめお忘れなき様にお願い申し上げます」

「何よ、まわりくどい言い方!ハッキリ言いなさいよっ」

ククレは言葉の一つ一つに重きを置いて告げる。

「……奥様に取って代ろうなどとは思われない方がよろしいかと」

……心の内では絶対に間違えない、そう思いながら。

ディアナはククレのその様子に一瞬怯みながらもすぐに調子を取り戻りして言い放った。

「そんな……夫人に取って代ろうなんて思ってなんかいないわ……ワタシはただ、庇護者であるセドリック様と良好な関係を築きたいだけ。そしてそれはもちろん夫人ともよ?そうだわ、一度夫人にご挨拶をしたいのだけれど今どこにいらっしゃるのかしら?ぜひお会いしてお話をしたいわ」

「お答え致しかねます」

「どうしてよっ」

「奥様がどちらの別邸にいらっしゃるのか、私も存じ上げないからです。奥様へ害意を持つ者に知られないよう、旦那様は誰にも明かされておりません」

「じゃあワタシは問題ないわよね?なんと言っても国が認める聖女ですもの。お願い、一度だけでいいの。夫人に会わせて!」

ーー何故そこまで執拗に奥様に会いたがるのか……

ククレは硬質な笑顔を貼り付けてディアナに答えた。

「ですので私も存じ上げないのです。知らないものをお答えする事は出来かねます。それでは、仕事の途中ですのでこれで失礼したいます」

「あ、ちょっと!ククレ家令さん!」

ククレがくるりと身を翻して歩き去ってゆく。
それをディアナの声が追うもククレが立ち止まる事はなかった。

「っ……もうっ」

ディアナは唇を噛んだ。

どうしてこうも上手くいかないのか。

ロドリゲスからセドリックを籠絡し、“王家の至宝”の在処を聞き出せと言われているのに。

神の神託を受けたとし、自分を聖女乙女として引き上げてくれたロドリゲスの命令は絶対だ。

ロドリゲスが『聖なる乙女』選定の条件としたのは“野心がある事”と“ロドリゲスに従順である事”だった。

ディアナには贅沢な暮らしと名声、そして見目の良い男の妻になるという望みがある。
そしてその望みを叶える為には陰で何をしようと構わない。なんなら邪魔な者は消せばいい、そんな人間性をロドリゲスに高く評価されたのだ。

ディアナにとって王家の至宝なんてどうでも良い。

ただ、セドリックが欲しい。
初めて引き合わされた時、この男しかいないと思った。

見目が良く、地位もあり、有り余る財もある。
『聖なる乙女』としてちやほやされるのは25歳まで。
その後の人生の為にセドリックの妻、ロレイン公爵夫人という肩書きが喉から手が出る程欲しいのだ。

一緒の屋敷に暮らせば、セドリックを簡単に落とせると思っていたのに。会えなければどうしようもない。

ならば奥の手としてで夫人を人質に取り、言う事を聞かす……という策に出たくともその夫人の居所すらわからないのだ。

今、ロドリゲスの手の者が公爵と夫人の所在を血眼になって探しているというが……。


まぁ見つかるまでは、この屋敷の中にロドリゲスご所望の王家の至宝の隠し場所の手掛かりがないか探っておこう……ディアナはそう決めた。

ーーまずはセドリック様の書斎から、かしらね
何故か鍵が掛かっていないのよね。まるでどうぞ家探しして下さいといわんばかりに……。

金持ちってどこか抜けてるのよね~とひとり言を言いながら、ディアナは屋敷の廊下を進んで行った。



◇◇◇◇◇


「いらっしゃいませ。今日は何にいたしましょう」

「ごきげんよう。今日はバゲットを一本と、明日の朝食用にクロワッサンを3つお願いするわ」

「はいよ毎度あり」

そう言ってパン屋の店主が手際よくバゲットとクロワッサンを袋に詰めてゆく。

アパートのオーナーとして暮らし出して変わった事の一つは、ユニカ一人でお使いに出れるようになった事である。

アパートの周辺にはパン屋と本屋、そして手芸店があり、その3軒だけであれば一人で買い物に出ても良いとルナが言ってくれたのだ。

今日はパン屋へ買い物へ。
昨日は本屋で編み物の教本を買い求めた。
明日は手芸店へ行ってみよう。

自分のお財布からお金を取り出して支払うといった経験も初めてだったユニカ。

ーーなんか自立してる!って実感が湧くわ♪
と、散歩も兼ねて毎日この3軒のお店を行き来しているのだった。

アパートに戻ると、丁度雑貨店の従業員がご用聞きに来ていた。
クロエがメモを見ながら注文を告げている。

「お塩とブラウンシュガー、そしてトイレの紙と石鹸をお願い。あ、あとオリーブオイルも」

ご用聞きの従業員がそれを熱心に注文書に書き記す。
ユニカは従業員に声をかけた。

「ごきげんよう、トムさん」

「あ、ちわっす!いつもご贔屓にして頂いてありがとうございます!」

トムという雑貨店の従業員は人懐っこい笑顔で挨拶を返した。

クロエがユニカからパンを受け取りながら言う。

「おかえりなさいませユニカ様。お買い物ありがとうございます」

「いいのよ。わたしがしたくてしてるんだもの。自分の足で買い物に行くのがこんなに楽しいなんて知らなかったわ」

「それはようございました」

クロエがくすっと笑う。
ユニカが楽しそうでなによりだ。

そんな時、すぐ側でか細い声が聞こえた。

「おはよー…ございます…」

「「「わっ、びっくりした」」」

側に居たなんて全く気付かなかったユニカとクロエとトムが面白いくらいに重なって声を上げる。

3人の目線の先には一人の女性が、204号室の不眠症の茨姫ことオーロラが居た。

「こんにちはオーロラさん、おはようではなくもうお昼よ。昨日もまたよく眠れなかったの?」

クロエがオーロラに声をかけた。

「なかなか寝付けなくて……やっと寝れたと思っても、小刻みに目が覚めるんです……今日は休みなので今まで寝たり起きたりを繰り返してました……」

慢性的な寝不足の所為か、オーロラのテンションはいつも低い。

いつもお休み30秒、枕に頭を付けた途端に眠ってしまうユニカには信じられない事だった。

「お気の毒に……確かカモミールティーがあったはずだわ。カモミールは気持ちを落ち着かせたり、体を温めたり、静穏作用があって安眠のお茶とも呼ばれているのよ。差し上げるから是非飲んでみて」

ユニカがオーロラに言うと、オーロラは消え入りそうな声で「ありがとう…ございます……」と頭を下げた。

その時にふわっとインクの香りがした。

オーロラの職業は園芸店の店員だと聞いたが、
彼女がお日様の下で重い植木鉢などを抱えたりしている姿はあまり想像つかなった。
でもよくお土産として商品にならないミニバラの鉢植えなどを持って帰ってくれるおかげで、エントランスや二階のポーチなどは様々な色合いのミニバラが飾られていてとても綺麗だ。

ユニカは今晩は彼女がよく眠れるといいなぁと心の底から思った。

しかしこのオーロラ、夜になると異様にテンションが高くなる。

時々夜中に、
「ノってきたノっきたー!インスピレーション湧いてきたーー!」

とハイになった彼女の雄叫びに近い声が聞こえる事があるのだ。

そして今夜もまたその声が……。

他の住人がそれに対して苦情を寄せたり、怒ったりしないのが奇跡である。

どうやら今夜もオーロラは眠れない夜になりそうだ。

ただ単に昼夜逆転しているだけでは?と言いたくなるが、それは余計なお世話だろうから言わない事にした。

ーーそれにしてもオーロラさん、一体何がノってきたのかしら……?

そんな事を考えながら、ユニカは再び眠りに落ちていった。
しおりを挟む
感想 256

あなたにおすすめの小説

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

【完結】さよなら私の初恋

山葵
恋愛
私の婚約者が妹に見せる笑顔は私に向けられる事はない。 初恋の貴方が妹を望むなら、私は貴方の幸せを願って身を引きましょう。 さようなら私の初恋。

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。 王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。 貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。 だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

誤解されて1年間妻と会うことを禁止された。

しゃーりん
恋愛
3か月前、ようやく愛する人アイリーンと結婚できたジョルジュ。 幸せ真っただ中だったが、ある理由により友人に唆されて高級娼館に行くことになる。 その現場を妻アイリーンに見られていることを知らずに。 実家に帰ったまま戻ってこない妻を迎えに行くと、会わせてもらえない。 やがて、娼館に行ったことがアイリーンにバレていることを知った。 妻の家族には娼館に行った経緯と理由を纏めてこいと言われ、それを見てアイリーンがどう判断するかは1年後に決まると言われた。つまり1年間会えないということ。 絶望しながらも思い出しながら経緯を書き記すと疑問点が浮かぶ。 なんでこんなことになったのかと原因を調べていくうちに自分たち夫婦に対する嫌がらせと離婚させることが目的だったとわかるお話です。

【完結】公女さまが殿下に婚約破棄された

杜野秋人
恋愛
突然始まった卒業記念パーティーでの婚約破棄と断罪劇。 責めるのはおつむが足りないと評判の王太子、責められるのはその婚約者で筆頭公爵家の公女さま。どっちも卒業生で、俺のひとつ歳上だ。 なんでも、下級生の男爵家令嬢に公女さまがずっと嫌がらせしてたんだと。 ホントかね? 公女さまは否定していたけれど、証拠や証言を積み上げられて公爵家の責任まで問われかねない事態になって、とうとう涙声で罪を認めて謝罪するところまで追い込まれた。 だというのに王太子殿下は許そうとせず、あろうことか独断で国外追放まで言い渡した。 ちょっとこれはやりすぎじゃねえかなあ。公爵家が黙ってるとも思えんし、将来の王太子妃として知性も教養も礼儀作法も完璧で、いつでも凛々しく一流の淑女だった公女さまを国外追放するとか、国家の損失だろこれ。 だけど陛下ご夫妻は外遊中で、バカ王太子を止められる者などこの場にはいない。 しょうがねえな、と俺は一緒に学園に通ってる幼馴染の使用人に指示をひとつ出した。 うまく行けば、公爵家に恩を売れるかも。その時はそんな程度しか考えていなかった。 それがまさか、とんでもない展開になるなんて⸺!? ◆衝動的に一晩で書き上げたありきたりのテンプレ婚約破棄です。例によって設定は何も作ってない(一部流用した)ので固有名詞はほぼ出てきません。どこの国かもきちんと決めてないです(爆)。 ただ視点がちょっとひと捻りしてあります。 ◆全5話、およそ8500字程度でサラッと読めます。お気軽にどうぞ。 9/17、別視点の話を書いちゃったんで追加投稿します。全4話、約12000字………って元の話より長いやんけ!(爆) ◆感想欄は常に開放しています。ご意見ご感想ツッコミやダメ出しなど、何でもお待ちしています。ぶっちゃけ感想もらえるだけでも嬉しいので。 ◆この物語も例によって小説家になろうでも公開しています。あちらも同じく全5話+4話。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

処理中です...